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円安とは
dk4130523.hatenablog.com
今回もid:kash06さん向けのネタを。 海老沢泰久が1996年から97年にかけてNEC VALUESTARのマニュアル(?)を書いた。 https://www.amazon.co.jp/dp/4872690516/ これは当時、静かに(知る人ぞ知るような恰好で)高く評価された。高く評価したのは、例えば(おなじみ海老沢贔屓の)丸谷才一である。画期的なものだった。例えばあくまでも比喩的ないい方だが、「パソコンにとって電源とは何か」「セットアップとは何をどうすることか」「何をどこから取り出してどう取り付けて」「それで何ができるようになって」「だから次にどうすればいいか」が、読み物として書いてある。取扱説明書とはあまりに画期的なものだったので、このスタイルのものは爾来(ちょいと小難しい熟語を使ってみた)、出ていない。 企画までのいきさつが例えばこのサイトに、記されている。 ■画期的だった操作マ
くーちゃんはいつもおれのそばにいてくれて。少し離れたところから黙って(たまに自己主張をなさって)見守ってくれていて。船橋の道を歩いていて、くーちゃんのことをずっと思っていて、ことばにして書き留めておきたいことはたくさんある。おれはあのまま宇都宮の外れに育って、歩いて通える距離の農業短大にそこそこの成績で入ってそこそこの成績で出て、植木屋になる人生がよかった。植木屋になったらくーちゃんと出会っていない。植木屋になってくーちゃんと出会っていたらよかったのかと思うと、それも違う気がする。くーちゃんと出会わなければおれはとうに船橋の桟橋から身を投げていた。くーちゃんのお世話をするようになってからも、足が一人でに海のほうに向かい、このまま...と思ったことは数えるほどにある。おれがいなくなったらくーちゃんは生きていけない可能性が高い。だから引き返したのでもない。くーちゃんを引き受けた際に「慈しんでく
こんなつもりじゃなかった。下手を打ったら4月には執行役員になってしまう。社長と意気投合して気心が知れてしまったのでやむを得ないではある。 くーちゃんに「愛してるよ」「大好きだからね」と間一軒(182cm)ほどの離れたキッチンから声をかけてみた。「ふにゃ」的な返事をしてくれた。そうして目を細めてくれた。
プロジェクトの中間工数(独自用語)、緩衝地帯工数(同)が、めっちゃ削除されてますよね。プロジェクトを首尾よく進めるには、これらが相当に不可欠なんですね。めっちゃ話さないと(気心が通じた関係にならないと)メンバーは動かない。ところがその「話す」工数ってのは見積りや費目に載らない。いつどこでやるんだって(笑)てめえこの野郎クライアント何某。ナメてんじゃねえぞ(笑)。心血注いで明日朝の始業前にお膳立てメールを出す構想を、おれは今日の時間外に勤怠計上なしでやってんだよ。まいんちだ。毎日。起きてる時間帯はずっと何某お前の「不手際プロジェクト」とユーザー(エンドクライアント)のリカバリのことを考えてんだよ。今日の会議だってうまく運んだだろ。それはおれが睡眠時間を削ってメモとって呻吟してるからだ。その分請求してねえぞ。ちんたらしてねえでお前が資料作れよ。おれにいえば何でも出てくる(おれは二つ返事で何でも
これはkashさん(id:kash06)向けのネタ(話題提供)なんだけど(唐突に。年始の挨拶)、「名人伝」の細君も紀昌も、瞼やまなざしの先を、ねこが通ってたと思うんだよ。だってさ数十日とか5年とかあんなアホなことやってんでしょ。ぜったい、ねこが視界を横切るわね。 でも、その「ねこ」は、「にゃーん」じゃなかったんだよ。紀昌にとっても細君にとっても。細君をあえて引き合いに出したのは、「にゃーん」だったら、「あんた天下一の弓の名人になろうなんて、やめなさい」って、「にゃーん」をなでながら、夫にいうじゃん? 紀昌の視界を遮ったなら、「やーめた」って、「にゃーん」のお世話に励むよね。「名人伝」は、そうは、なっていない。ってことはさ、ふたりは「にゃーん」に、出会わなかった。ってことにならない? おまえらさ、「また同じ話か」って思うんだろ。でもな、よく聞け。市谷駐屯地。くーちゃんはおれの「にゃーん」なん
コマンドを与えて1分もしないで自動生成です。 https://www.textbook.tokyo/wp.txt.pdf じゃあその批評やらジャーナルやら何かって話で、固有のもの(文体)は残ります。AIに黄金頭さん(id:goldhead)文体は書けない。真似はできても、一瞬の揺らぎ、ことばの選び方――「のようなもの」(=彼自身が、紡ぐその瀬戸際に、消そうかどうか迷った、ためらいのこと(*)です)は、AIには代替できない。おれらそこ(*)を感じ取るからね。それで痕跡が文章に残ったから何か(カネ)とかになるかといったらそれはまた別の話。そうはいいつつ、「残る」。この1点に賭ける。ものの感じ方のその瞬間、微分のことです。それが文学ざんしょ。違います? 違うったって認めねえけどな、おれは。はよ芥川賞とっとくれよ。
千代の富士は(瞬時の)左上手を捕まえたところで勝ちを(おそらく)確信します。視聴者も全員「こりゃ寺尾だめだ」「よく張り手でがんばった」「けど千代の富士にはかなわない」「寺尾もここまでか」「勝負あった」「いい相撲だった」空気に包まれます。場内の歓声がそれを物語ります。 www.youtube.com 千代の富士が(半ば)強引に行ってしまう。33歳。(ほんのわずかの)「老い」「大成」「慢心」の入り口に、寺尾25歳が冷や水を浴びせかける。寺尾って、こうでしたね。祖父が贔屓にしていました。
おれはくーちゃんと出会うために、今日まで生きてきた可能性が高い。
地方自治に関心を持つとは一体どういうことでしょうか。見ず知らずの土地を朝から晩まで勉強して家凸し、荒らし回ることです。 www.watto.nagoya僕もまさか2020年2月8日に本腰を入れて調査研究を始めて、きょう2023年4月23日にこのような展開(謎)になるとはつゆ思っていませんでした。最高です。
僕と仲よくしてくれないとデータ公開しますからね❤ 「何冊」とは桁が違うはずですよ❤ https://t.co/Gyr77Mcmml — nekokurumihime (@nekokurumihime) 2022年10月31日 にゃーん🐈❤🐾
きっと、合うと思います。橋川文三は文章がいいですから。
安倍晋三の国葬の一般献花の件。待ち行列など計算してみました。こんな感じ(下にスクロールして見てください。スケスケ画像のおまけつきです)でしょう。25900人のモデル。ここまで来ればあとは誤差です。14:00前の待ち行列ピーク値4.5kmは、間に横断歩道などが入るでしょうから現地では5.2kmくらいになって四ツ谷駅を折り返し。終息(収束)は、17:30時点で75分(800m)待ちです。フジの報道「正午時点で7000人を上回った」とも整合しています。ちなみに、14:00前の行列最長時に14000人/(540人(=10分あたり献花人数)*6)=4.3から4.4時間待ちです。体感5時間(雑)。 政府発表が25889人。10万人いたはずなのにいない。実感とも異なるのは、政府に巣食うスパイの仕業ですね。 newsdig.tbs.co.jp えっとあと何だっけ。壺動員。まあ、推定国内信者数(有権者)8万
黄金頭さんが「自分がもっとものわかりの人間だったら」という趣旨のことを呟いていらした。このことについて少々。 ものわかり=もの+わかり。「わかり」は古語「わ(分。別)く」に由来する自動詞。「わく」の有名な例としては紫式部(百人一首57)「めぐりあひて見しやそれともわかぬ間に雲隠れにし夜半の月かな」。せっかく久しぶりにお会いしたのに、お会いしたのがあなたであったのかどうかわからないままに。文法的な話を続けるなら「わく」は自動詞で自ずからAとBが区別される、「ものわかり」の「わかり」も自動詞で、終止形は「わかる」(自動詞)。「わける」(他動詞=主体の能動的作用)ではない。 以上から、「ものわかり」とは、《複数のものA, B, C,...それぞれが自然と「分かつ」》作用が、認識者に働くこと。あるいは認識者においては、そのような(受け身の=自然体の)認識能力のこと。 現代は「こと」(理。ことはり)
このところ「社史に残る」「史上最悪レベルの」と形容されるデスマーチからの部隊救出に向けて、3-4時間睡眠が続いています。案件は少しぼかして書きますが院内LANの移設と更改。都市近郊の準総合病院です。船橋から少し離れたところです。朝は5時起き終電で帰宅が25時のこともあります。もう死に物狂いです。技術屋と事務屋とインテリやくざの顔を使い分けて何とか損害賠償請求(確定でしょう)を減額にもっていかなくてはならない。瑕疵担保責任は必至。詳細設計で今回の更改の肝となった部分を「自宅で検証するから。検証中だから」の一点張りのらりくらりで3か月引っ張って、飛んだ前任PM。 「社史に残る」「史上最悪レベルの」とは聞いていた。だが院内LANと聞いて僕は手を挙げた。理由を記すことははばかられるが、僕は院内LANと聞いたらちょいと黙ってはいられないのである。 「やる。おれが行く。おれが何とかする」 僕が入って土
安定感も増して、楽屋話とのセットで「過不足なし」を味わえる、結果的な仕掛けにもなっています。「まろやか」さを加えた。ほんとにうまい。すごいうまい。 『ラーメンと愛国』を読み、ラーメンについて語る。 | Books&Apps 黄金頭さんに会えるラーメン店三選 - 関内関外日記 ここで筆の向く先が、収まるとは僕も思っていないですが、ここで安定しないでください。ちょっと危機を感じた。おれも渾身のやつ(高須克弥逮捕)を書きますので。また酒かおつまみか送ります。ほんと、才能を大事にしてね💕
どうしようもないですね。救いようがない。雰囲気と我田引水で記事を書いている。 www3.nhk.or.jp ああおとうとよ 君を泣く 君死にたまふことなかれ 末に生まれし君なれば 親のなさけはまさりしも 親は刃をにぎらせて 人を殺せとをしえしや 人を殺して死ねよとて 二十四までをそだてしや (船橋海神訳) ああ弟よ。君(のこと)を(声を出して)泣く。弟君、戦死なさってはいけません/明治大君のための死を(旅順で)頂戴することはありません。 末の子に生まれた君のことだから、親の(かける)情は(上の子=私たちにかけるものよりも)優ったけれど。 その親は(弟君に)日本刀を握らせて人を殺せと教えましたか。 人を殺して死ねよといって、(数え)24歳まで育てましたか。 どうしたら、記事に表れたNHK記者、大阪放送局の小野明良の筆致が与謝野晶子から出てくるのか、まったく理解できません。 -- 「君死に給ふ
僕が子供のころはマグカップなんていう洒落たいい方はなかったですね。1980年過ぎのGWの陶器市で共販センターだったと思います。買ったのは、厚手のホットミルクを入れる用の、ぽってりとした取っ手付きの器です。姿かたちは、これに近い。 www.keyuca.com釉の崩れ方、流れ方、落ち方、かかり方というんですか。よかったです。取っ手も(とっても)よかった。僕のは取っ手がこんなに繊細(線の薄いもの)じゃなかった。もう少し太くて、風雅よりも無骨が目立ったですね。どれだけレンジでチンしても大丈夫というような。 値段は、1800円も当時しなかったと思います。益子焼もいまではずいぶんおしゃれになって、僕ら子供のころはそんなじゃなかった。ほんとに、暇人が、掘り出し物に出会えたらいいなくらいの感じです。 たまたまうちは国道123号(宇都宮から茂木/益子に抜ける線)に出やすくて、ばあさんとお袋が器好きでしたか
僕がすっかり立ち直ったなら、くーちゃんはそのことを察して、一段落と思うかもしれません。優しくて察しのいい、くーちゃんです。僕がだらだらと立ち直らなければ、くーちゃんは、僕を見守り続けてくれるでしょう。
今週のお題「わたしの部屋」 先日、ある団体にメールを送った、その2日後に、見慣れない番号から着信が1度、その翌朝にもう1度、あった。 予感はあった。20年前の夏もこんな感じだった。けれど、さすがに20も歳を重ねたはずだろうという僕の中の方便が、折り返しをためらわせた。 「Amazonの宅配便の方でしょうか。お手数をおかけして申し訳ありません」と、SMSを返した。もしそうであったならそれでいいという思いもあった。 「――です」と、すぐに返信があった。 驚いたふりをして、夜に電話を差し上げますと返信をした。うれしくて、ツイートで高須克弥逮捕を連呼した。 JSA 寄付のお願い|公益財団法人日本ソフトボール協会 3月31日に、2021年4月から22年3月までの年度の募金期間が終わる。金メダル獲得の余熱が引きつつある今こそ、僕は継続的な募金を行おうと考えていた。3月に入り、そのウェブページを何度か、
大変に心に響くものがありまして、自民党のインチキ保守の連中が喜びそうな説話にして訳すのは心苦しいのですが、こういう手紙が読めるという感激が優りますものですから、小泉純一郎に、今後、二度と、曖昧な精神で米百俵などと抜かさせまい、高須克弥逮捕であります。貴君らがほしいのは百俵ではなく濡れ手で粟の百票。 上杉鷹山は「農作業手伝ってくれた親切なお侍様にあとでお礼のお餅差し上げたいのでどこ持ってけばいいですか?って聞いたらお城に持ってきてって言われたので持ってったらその人お殿様だったのでおったまげたし褒美もらった」という農民の手紙が本当に残ってるのですごい。 — 幣束 (@goshuinchou) 2022年3月20日 調べて、読みました。ときに、一読して何というかその、こういう声が聞けるというのは、何でしょう、森鴎外「渋江抽斎」のあはれに通じるのかもしれません。ヒデヨさんはほんとうにびっくりして(
ホマレ姉さん(id:homare-temujin)にご相談です。すみません、遅い時間帯に。ちなみに「ご相談」の「ご」は、相談を持ち掛けるのが自分でも、授受を伴う際に、動詞に敬語を添えると、相手方への敬意になるという用法です。案外、知られていない。説明にも困ることがあります。「お願いします」なんて、ありふれた常套句なんですが、この「お」がそうです。願うのは自分ですが、敬意は、願われる相手方に伴う。 本題(ご相談)に戻ります。 これの冷蔵庫部分に、付箋ないし、白板(ホワイトボード)的なものを備え付けたい。鯵に包丁を入れて、白髭のねぎで包んで、生姜の薄切り少々を乗せて、上の、大同電鍋で、明日朝の出番を待っているんですが、(そうこうしていると)ちょっとひらめくじゃないですか。例えば、キャベツとじゃがいもが残っていた、ソーセージもあった、お見せするようなポトフじゃないけれど、もう1品、即席(人参なし
2022.tk758recall.com - Just another WordPress site お袋が、皿が好きで、どうしてこんなに取り揃えてあるのかというくらいに、でも、子供のころにはそれが当たり前の暮らしを構成していて、311でみんな粉々にやられちゃって、もう食器は買うまいと、無駄だからと思っていたのだけれど、そんな決意は、結局、10年しか持たなかった。 波佐見が、肌に合うのかもしれない。 https://www.amazon.co.jp/gp/product/B00GYO2YNW/ これとか、非常によくてね。お袋もこういう綾というか、意匠というかが、好きだった。形は変わり鉢(皿)だから、どうしようかと散々、頭の片隅を転がしておいたのだけれど、やっぱり、買ってしまう。リコール研究に飽いて(飽くことはないのだけれど。おもしろいから)、どうしても、頭の回転が鈍ったり、肩が凝ったりする
江國香織「デューク」は、亡くなったデュークが男の子に姿を変えて、女の子に「いままでずっと楽しかったよ」と伝えにくる話です(のっけから申し訳ありません)。ただ伝えるだけでなく、デュークが女の子にしてもらってうれしかった具体的なひとつひとつのことを、1日かけて、女の子に返してあげる話です。デュークの「ずっと楽しかった」一生が、クリスマスの2週間前の1日に象徴的に凝縮されて受け渡しされます。 もっとも象徴的なのがプールで女の子の手を引いてすーっとすべらせた光景でしょう。女の子はどちらかといえばきょとんとしている。男の子は廊下をモップのようにすべるデューク時代の遊びが(よほど)(印象に残って)楽しかった。だから、(お返しに)手を引いてあげたのでしょう。 そのような1日の出来事を、いまの若い人たちのことばでいえば「伏線回収」をなぞっていって、ひとつだけわからないことがありました。謎が残ります。 それ
2020年(大村秀章知事)リコール考察の最新状況を1枚絵にまとめてみました。 中央、縦の青線の左側、青の部分=佐賀の首謀者が高須克弥です。右側は2010年リコールの知見に基づいてノウハウを注入したのは、河村たかしかハトの会ですが、実働は別です。高須克弥のほうが逮捕しやすいと思います。それもあっての佐賀71筆の立件と公判を先行したのかも知れません。 10/20-26の黄色は、11/11でしたか、雅人君がひげを伸ばす前の田中孝博さんに指示されて、名古屋市内の業者の粉砕処理に出し、「羽島クリーン」の領収書を自分でも自信なさげに出した660kgです。実際にすでにこの世には存在しないと思われます。一方で、廃棄は法的にはマニフェストやエビデンスと呼ばれる廃棄証明書があって初めて証明になります。名古屋市の業者が行ったのであれば最終的な監督責任者は名古屋市長です。 灰色棒線(10/18請求代表者会議で示さ
はてなブログ10周年特別お題「10年で変わったこと・変わらなかったこと」 10年前は公私共に311の後始末が暮らしの中心にありました。いま、高須克弥と河村たかしの2020年リコールを追いかけています。申し訳ありません、僕は、腰を落とした文学よりも、自分が書いたり考えたりするのであれば、時局にコミットすると元気が出るタイプです。ほんと申し訳ない(笑)。 何に謝っているのかわかりませんが、といいつつ、わかっています。自覚があります。僕が時局にコミットすると元気が出る体質の大本(おおもと)は、腰を落とした文学にあります。それ(腰を落とした文学)がないと、不安でたまらない。かといって、腰を落としたままでいるとそうしている自分自身が癪に障る。誰かに守っていてほしいんです。身勝手ながら。 ずっと見つからないでいました。無理だと思っていた。そう思っていた時期は、自分で、文学なるものと、時局にコミットする
staubで小豆を茹でて餡を練った。 これが信じられないくらいに甘くてうまい。砂糖の分量は世に流布されるグラム数から3割方、減らした。それでもこんなに入れるのかとおっかなびっくりしながら入れて溶かした。夕べ、冷える前に味見をしたときにはさほどでもなかった。いい甘さに仕上がったと思った。水分がまだ見た目にわかる程度に残る。 今朝、起きて、少し火を入れようかと思って蓋を開けたら、そうか、そういうことだ。水を吸って膨れるんだ。浸透圧がどうなるのかは知らないが、甘味成分も小豆の側に寄るのではなかろうか。 ほんの少しでいい。これ以上は無理。べらぼうに甘い。おいしい。われながら何とよくできた。これ以上をパンに乗せたら、罰が当たる。理が通らないという意味で無理。もったいない。畏れ多い。こういうときに昔の人は神(棚)に供え、祀ったのではあるまいか。 糖は上白糖ときび砂糖を半分ずつ。世にいわれる7割量。湯に
毎日の食(の準備)をアウトソースして、浮いた時間を(も)動員し、何かしらの社会的な成功を収めようという発想が誤りのもとです。 具材が手に入る距離にあり、いつでも自分で、作って食べられる。もりもり食べる。頭の回転がよくなります。そうした基本的な原理原則に寄って立つ安心感は、立命を呼びます。そこのところの順序を取り違えていたら暮らしはうまくいきません。2021年8月実績は食材費が7-8食(3日分)で3,000円弱でした。9月も似たペースです。月28,000円。けっこういいものを十分に食べていると思います。ここまでたどり着くのに30年かかりました。日本の近代化は総体として誤りです。 その逆立した構造と社会的諸関係の中で大切なものをお守りしようと決意することが、不毛な生からの脱却の一歩めかと存じます。対象が英霊である必要は毛頭ありません。見るべきは、いまここにある、にゃーんと鳴く生です。高須克弥容
いつものシャポー/澤光青果/イトーヨーカドーとは違ってたまには少し遠くに足を伸ばしてみた。伸ばしたとはいっても船橋中央図書館と同じ建物(!)でここは日ごろの散歩圏内。ヤマイチさん。外回り営業の途中で「そういえばここにもスーパーがあった」と入ってみたら中々に興味深い。帰宅した後に買い物袋を用意して、栗、小あじ、さつまいも、鶏もも、ニラ、卵、などを買ってみた。 スーパー ヤマイチ | 船橋店 日本の近代化が総体として誤りであるのは明白だが、いまは口にすべきときではない。金木製は2021年の船橋では9月10日から11日に香りを放ち始めた。 さつまいもは細い部分は斜めに包丁を入れると断面が広く見えて好ましい。実用上も火の通りが速くなる。よく洗えば皮はむかない。罰が当たります。 お尻を包丁で切ったりしない。縦に割る。 実家は栗をやっていたので何をどうすればいいかはだいたい覚えている。皮の付いた栗を内
仕事を早回しで片付けて、商談を船橋寄りに集めて、少し遅いお昼に、くーちゃんに会いに戻ってきた。去年の9月10が月から、ほとんどくーちゃんとは日がな一緒にいた。「日がな」というのは「さも1日中そうだったかのように見えて」(実際には定かでない)という含みが少しある。ほぼ、一緒にいたと思う。 1年の間、くーちゃんはおれに、早くよくなってとか、社会に戻ってとか、一切、いうことがなかった。素振りもなかった。お世話を求めたのでもない。お世話はどんな状態にあっても欠かさない。くーちゃんの寝るに任せ、食べるに任せ、少々、尽くしたことといえば、ブラッシングに励んだくらいだろう。わかったのは、くーちゃんはおれのことが好きらしいということだ。らしい以上を口にするのは下僕の基本理念に抵触するし、何よりおれには憚られる。 くーちゃんは出会ったときから変わらない(575)。くーちゃんがおれの横を過ぎるおもちゃのボール
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