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円安とは
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僕、近頃思うんだ。僕は車を運転してはいけないタイプの人間じゃないかって。 ゆっくり走ればいいとか、周りに気を配ればいいとか・・・そういう問題じゃなく、なんだろうな、自分でわかるんだよな。いつか自分は事故を起こすんじゃないかって。 この気持ちをわかってもらうのは難しいだろう。そして自分でも複雑な気持ちだ。だって、事故の怖さは自覚あるはずなのに、それでもそれを防ぎきる自信がないというこの矛盾だ。 たぶん、ときどきふっと集中力が消えるからかな。意識を失うとかじゃなく、一瞬この世から自分がいなくなってたような感覚。わかってもらえないだろう。しかしあるんだ。それが、たまたま気を配らなければならない場面で起きてしまったら・・・ 自分で自分を制御できていないんだと思う。会社に、ポンコツな──いやポンコツという言葉に失礼だな──ボケナスな──いやボケナスという言葉に失礼だな──まあとにかくそんな人がいて、
FFをやらなくなって、どれくらい経つのか。最後のFFの思い出は、大学生のとき、8でひたすらアルケオダイノスやモルボルの食べ歩きをしていたことだ。 FFの法則といえば、ひとつのハードにつきシリーズを3作リリースするというのは有名だが、PS4が本年末に発売されるらしく、それに対してFFはまだ13で止まっている。PS3で、あと14、15が間に合うのだろうか。一時期、4週連続で4枚CDをリリースしていたglobe並みの勢いで作らなければ、間に合わないであろう。しかし僕の中で勝手に、先の法則は11の時点でついえたと判断しているので、あまり気にしていない。 FFは、キャラクターがしゃべるようになってから、あまりする気がなくなった。これ以上いろいろ語り出すと、懐古厨乙と切り捨てられるのは自明の理なので、僕のFF遍歴を簡単に振り返りたいと思う。 1:未プレイ 2:未プレイ 3:DS版を1時間ほどやった。2
僕が日記を書き続けている理由は、「とりあえずどんな日でも日記は書く」という前提を作りたいからである。 空白の日があると、この日はいったい何があったのかと考えてしまい、特に何も思い出せないと、後で「なんでもいいから書いとけばよかったな」と後悔先に立たずなことになってしまう。 日記は、その日になんらかの心境をもって書いたという、その生モノ感が大事なのだ、と僕は思う。同じような日々に見えて、毎日、人は微妙に気分や心持が違うはず。毎日毎日似たり寄ったりな内容の日記に見えたとしても、やはり「その日」に書いたというライブ感は、毎日書かなければ生まれないのだ。いくらあとで空白の日を埋めようと、その日のことを思い出して日記をでっちあげたとしても、それはしょせん嘘っぱちだ。 毎日日記を書くなんてことをする必要性はまったくないし、僕はある種の強迫観念に駆られているのだと思う。僕は、自分で思っている以上に自分が
昨日渋谷に行ったのは、両親の誕生日プレゼントを探すためだったのだが、しかしつくづく思ったのが、買い物というのは直感が一番じゃないかということだ。 Amazonとか楽天市場とかで下調べはしたものの、結局買ったのはその場で見つけたものだった。なんというか、こう、買い物してて、「これだ!」と突然電流が走る時ってあるよね。値段も、形も、機能もすべてがパーフェクトなものに出会う瞬間。それこそ、買い物してて一番楽しい瞬間だと思うんだよね。 高いものを買えば、たいていの人は満足する。けど、それじゃむなしいと最近思うようになった。昔はよく、無理して高いもの買ってさあ喜べ!ってやってたけど、とっておきの時ならともかく、いつもの誕生日にそんなに身を削る必要はまったくないと思った。人はこうやって年をとっていくのかな。
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