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ドラクエ3
king-biscuit.hatenablog.com
前略 小林よしのり様 お元気ですか? 思えばずいぶんご無沙汰しています。「あたらしい歴史教科書をつくる会」でご一緒していた頃から数えれば、もうそれなりの年月がたってしまいました。 その後、お変わりなくご活躍のご様子……と、まあ、型通りの挨拶くらいはしておきたいところですが、本業のマンガ「ゴーマニズム宣言」は言わずもがな、その他、責任編集の雑誌「わしズム」や、「朝まで生テレビ」その他のテレビ番組などで流される小林さんの時事的、論壇的な発言、コメントなども含めて、いまは単なる読者=ひとりの「良き観客」としてそれら一連の仕事を遠目ながら拝見している限りでも、あたしの見知っていた頃の小林さんと比べて、いろいろとまあ、お変わりがあるようですね。男子三日会わざれば刮目して見よ、とか。小林さんからの電話を最後に「つくる会」を事実上粛清、追放されて以来、その後実際に会うことはないままですが、もしも仮にいま
*1 *2 勤めていた大学から、「懲戒解雇」を申し渡されました。北海道は札幌にある札幌国際大学という、今年で創立51年目になる小さな私大です。地元の人たちには、静修短期大学という名前の方が今でも通りがいいかも知れません。 こういう地方の私大のご多分にもれず近年は定員割れが続き、藁をもすがる起死回生の策ということだったのでしょうか、昨年春の2019年度入学生から外国人留学生を大量に入れるようになった。ところが、その入れ方がずさんで、大学で学べるだけの日本語の能力の目安とされて留学生受け入れの条件になっている「N2」という日本語能力試験の基準をクリアしていない学生をたくさん入れてしまい、なおかつ、留学生を抱えた大学に課されている在学中の在籍管理――勉学面のみならず、一定時間以上のバイトをしていないか、とか生活面についてもあれこれ面倒を見なきゃいけない義務の履行もいろいろあやしげなまま、といった
――ひとりひとりの個の生は、こういう私化された小さな小宇宙の複合体であり、その複合体を鞏固な統一物と見せかけているものがもろもろの文化的観念的構築なのである。そして思想とは文学とはつねに、個的な日常の規定から、そのうえにそびえ立つ文化的観念的構築を批判するいとなみである。*1 ――もちろん、思想的抽象の一定レベルでは、このような〈地方〉をサイクルとする一生も、〈都〉で過される現代風な勤め人の一生も、その包含する意味は全く等価でしかない。だが、少なくともここには視圏にかかわる想像力の問題が生じるはずである。陸を走る動物と海にひそむ生きものとが、世界をおなじふうに見ているはずがないように、都で一生を過す人間と、田舎で一生を終える人間に、世界がおなじものに見えているはずはない。 *2 ――闇から闇に流れる流星のような人生もあれば、いつ生まれ死んだともわからぬ苔のような人生もある。 *3 ● “最
実は昨年来、職場でちょっと大きなトラブルが生じていて、その対応にあれこれ奔走していたのですが、今年に入ってから3月の年度末にかけてその案件がいよいよ煮詰まってきて、内部ではどうにも始末がつけられなくなり、外部の関係諸方面に訴えて事態の打開を模索しなければならないことに。同時に、報道関係にも事情を説明して、世間の眼から見てどう判断していただけるかも含めて動かざるを得ないことにもなりました。 まあ、内部的には醜聞、いや、外から見てもまずは格好のスキャンダル、ないしはゴシップ系のネタとしてまずは取り扱われるような案件ではあったのですが、ことの詳細や顛末などはこの場ではひとまず措いておくとして、この間改めて思い知らされたのは、いまどきの本邦の組織や集団というものの自浄のできなさ、現場で起っている問題を穏当に把握して、それを自らの手で解決してゆく自前の動きが、見事なまでにできなくなっていることでした
*1 インターネット上の巨大匿名掲示板「2ちゃんねる」。一日三千万ヒットを誇る事実上日本最大、世界でも例のない一大メガサイトになっているのであります。 世間では、西鉄バスジャック事件の犯人が「ネオむぎ茶」の名前で犯行を事前に予告していたとか、あるいはまた、自宅の風呂場で拾ってきた猫をなぶり殺しにしてゆく虐待画像をおもしろ半分にさらしていた「ディルレバンガー」と名乗る男が、それがきっかけで逮捕されたとか、何かそういうろくでもない事件とからめて取り沙汰されることが多いせいか、何やら悪の巣窟、おどろおどろしいアンダーグラウンドなサブカルチュア、うっかり足踏み入れるとこわい場所、と、とらえられることが多いかも知れません。 なるほど、書き込まれる情報は玉石混淆、嘘も真も全く等価で、時にはエロもグロもナンセンスも、とにかく何でもありな外道ぶり。テキスト(文章)のみならず、音声や画像、動画だって落ちてい
*1 佐世保小6女児殺害事件に関する大月隆寛氏のルポルタージュは、あの事件に対しての多くのメディアの視点いわゆるネット、チャット、『バトル・ロワイヤル』(高見広春の小説。'00年に映画化)というものとは違い、彼女の生まれ育った場所と置かれた環境から、パソコン的日常が彼女の心性にどう作用し、事件に至ったかを読み解こうとするもので、これは“いなか、の、じけん”だととらえた氏の慧眼には、なるほどと感心しました。またアニメもそこに含まれるらしい“サブカルチャー”なるものに対する大月氏の考えもお伺いしたく、対談をお願いしました。文化庁が音頭をとって、アニメ、マンガなどのオタク文化を日本を代表するカルチャーとして世界に広げようとしている。笑うしかないようなこの現実は、一体どうとらえるべきなのでしょうか。*2 富野 大月さんは雑誌『諸君!』でお書きになられたルポの中で佐世保小六女児殺害事件を“いなか、の
仕事がらみで、妊娠・出産関係の本や雑誌を読むことが少なくない。少なくないと感じるほど、たくさん出ているということだろう。 それらは、個々の持ち味によってというよりも、どうやら子供を産むという体験についての報告本、予習本、マニュアル本として読まれているらしい。なるほど、それはよくわかるし、その意義も十分認める。妊娠・出産にしても、あるいはセックスや“死”にしても、もはや「そういうものだから」「みんなやってきたことだから」というだけでわけのわからないままに受け入れることを、誰しも納得しなくなっている。その程度にこの国の人間は面倒なものになっているし、何より、「豊かさ」とはそういう面倒なものを前向きに抱えこむ度量を持つことでもあるはずだ。 しかし、だ。個々の本にもやはり質がある。水準がある。芸のあるなしだって当たり前にある。まして、世に流布される書物としては、いくらなんでもあんたこりゃないだろ、
二十代にして今の日本のインターネットまわりの世間じゃみるみるちょっとした顔になったという時代の寵児、伊藤穣一さんにお話をうかがっております。そのとんでもない最先端ぶりの一端をさらにたっぷりお楽しみ下さい。 ――インターネット以前に、今の日本人の大多数がまずコンピューターそのものにそれほどなじむと思いますか。 伊藤 今のパソコン市場の伸び方ではインターネット市場の伸び方はフォローできないから、テレビとかゲーム機とか携帯電話とかカーナビとか、いろんなデバイスとインターネットをつないでゆく。炊飯器やエアコンとか…… ――(驚く)あの、炊飯器とインターネットをつないだら何かいいことあるんですか? 伊藤 (全く動じない)会社から炊飯器のスイッチを入れられるし、エアコンと連動して部屋の温度調整もできる。みんな気がつかないだけで、家の中の電気製品はインターネットとつなげば実はものすごく便利になるんですよ
インターネットは英語を読めなきゃ話にならない。だからありゃ英語帝国主義の先兵で、と小生言い張るのだが、そんな能書きこいてる間にそのインターネット英語の解説本を書いて商売した男がいる。伊藤穣一さんという。まだ二十代というが他にもあちこち顔を出し始めていて、とにかく今の日本のインターネットまわりの世間じゃちょっとした時代の寵児とか。編集のO氏が興味津々で前から熱心にコンタクトをとっていたのだが、ご多忙らしく日程が合わない。今回やっと時間をとっていただけたのを幸い、半ばわけのわからぬままに会いに行きました。 ――えーと、具体的にはどういうお仕事をなさってるんですか。 伊藤 まずインターネットのプロヴァイダーのサービスですね。その他にアメリカで投資顧問業の会社も始めてて、半導体などの技術開発の会社の役員もやってて、京都造形大学の研究員で研究所を立ち上げる仕事に関わってて、あと国際教育交流財団という
先日、猫が一匹、亡くなりました。新千歳空港の駐車場で推定生後2ヶ月くらいで拾って以来18年、概ね老化と老衰の結果で、まずは大往生と言っていい逝き方でした。先に昨年9月、これは名寄の保健所でわけありの飼育放棄で保護されていたのを縁あって引き取ってきた推定11歳の黒猫を、共に暮らして2年半で見送っていましたから、これでもう身のまわりに生きて動いているものはとりあえずいなくなったことになります。 日々の散歩が日課にならざるを得ない犬と違い、猫の場合は外との出入り自由にしているならまだしも、アパートやマンションの部屋飼いの場合はそれを介しての知り合いや顔見知りが増えることはまずないですし、だから亡くなったことをわざわざ話すこともないのですが、それでもどこかでふと口にしたその死に対して、まわりの人たちが実に丁重に、心を込めたお悔やみを言ってくれることにはちょっと驚いたりしたものです。まるで人間の身内
*1 字数が限られている。ギリギリ必要な世界観だけ叩き込む。ムツカしくてなんだかよくわからねェ、といきなり横着に開き直る程度の脳味噌しかない方面はひとまず読まなくても結構。60年代から80年代というこの国の近代指折りの大変動期を、トリビアルな昆虫採集めいた事象の集積――「カルト」ってか?――一発でわかろうなんて、貼り込む台紙もなしにブルーチップスタンプ集めたがるボケ老人と大差ない。そういう手合いは早いとこ脳味噌腐らせて、生きながらこのとりとめない「現在」に葬られちまえ。それじゃもうこの先救われないって自覚があるのなら、そういうあんたらに必要なのは今や自家中毒寸前のはずの方向性なき「情報」や「知識」ではなく、それらを律するゴリッと確かな「世界観」だ。 映画や漫画やアニメやSFやロックやポップスや、とにかくそういう類いの二十世紀的複製技術を前提に成立する表現のジャンルをひとくくりにくくることの
*1 「教養」系大風呂敷(おそらく)最後の大物 大風呂敷を拡げる人、というのがいます。拡げるだけ拡げて畳むことをしない、いや、そもそもそんな畳むなんてことを考えないから拡げられるというのもあるらしい。 凡庸通俗普通の人たちは小心翼々、そうそう自分の生きている世間の間尺をうっかり越えるようなことをしないように気をつけているし、ものの言い方にしても半径身の丈にちょっとした背伸びくらいでとどめおくのが習い性、それが「常識」の基礎になり、また「無難」な世渡りの骨組みにもなっているのですが、そんなもの知ったことか、とばかりに「常識」や「無難」を軽々とすっ飛ばしたことを言い、またやってのけたりする人もたまにいる。どんな世間にも、いる。というか、いました、少し前までは必ず。 先日逝去した梅原猛なんて御仁はその代表格、その仕事を振り返ってみてもまさしく極めつきの大風呂敷を拡げ続け、そしてそれが時代の風、時
元号が変わりました。Webを介した世間では、「退位」か「譲位」かで物議を醸したり、はたまた「上皇」をどう呼べばいいのか、「陛下」になるのかそれとも「上皇さま」でいいのか、などなどあれこれ些末な悶着が例によってメディアの舞台を反響板としながら流れてゆきましたが、現実の世間は概ね「ちょっと変わった大晦日ないしは年越し」といった感じでそれはそれ、「時代が変わる」という気分をそれほど難しく考えることもなく味わっていたような感じでした。 前回の改元は言うまでもなく30年以上前、昭和天皇の「ご不例」から「自粛」ムードがしばらく続いた後の「崩御」でそれがさらに加速、大喪の礼という国ぐるみの大きな葬式に続いて経済活動にまで影響があるくらいの沈滞した雰囲気の中での「平成」改元だったわけで、今回のようにまずはご存命のままの言わば「引退」という事態は、賢しらぶって新聞その他で202年ぶりなどと教えられずとも、あ
*1 ● 電話の向こうで、いつも会う時よりも少しだけ低い、でもやはり心地よい太さのあの声が響いていた。 「オーツキ君、悪いけどそれはダメだ。できませんよ」 20分くらい、いや、もしかしたら30分以上、受話器を握っていたかも知れない。この世代の年長者に対してまずは長電話と言っていいやりとりの中、型通りの無沙汰のわびから近況などのとりとめないやりとりをさしはさみながら、折りを見て何度も繰り返すこちらのお願いごとに対して網野善彦は、そこだけ声をはげますようにして応えていた。こちらのいつにない執拗さに呼応して、同じく何度も何度も。 「君とだったらいくらでも話をしたいし、直接顔をあわせて尋ねてみたいこともたくさんあるんだ。それだったら僕はいつでも時間をとるけれども……」 それは僕だってそうですよ、網野さん。僕が生来のおっちょこちょいでお祭り好きなすっとこどっこいなのはもうよくご存じでしょうけど、でも
世の中いろんな人がいる。 あたりまえのことではある。あるが、しかし本当にその「いろんな」の内実をあからさまに眼の前にすることというのは、日々の流れの中ではそうそうなかったりもする。 でもさ、本当にいろんな人って、いるよ。どうしてまぁこんな風になっちゃうんだろう、と唖然とするしかないような硬直の仕方とか、どこでどうなったらここまで眼の前のことがまるで見えなくなっちまえるんだろう、という自閉のさまとか、別に宗教だの政治だの思想だのって“いかにも”の方面に限ったことでもなく、ちょっと気をつければ結構身近にいくらでも転がってる。そういう現われって、たとえば「オヤジ」なんてもの言いでみんな半ば無意識のうちに何とかことばにしようとしてきた部分もあるんだけど、でも「オヤジ」ってことば貼りつけて馬鹿にしたり遠ざけたりうっとうしがってるだけじゃ何も解決しないってことはもう明らか。それにもっと言えば、別にこれ
えー、なぜか誰もはっきりとは言わないんですが、おなじもの書き稼業とは言いながら、ルポルタージュとかノンフィクションという分野はブンガクのそのまた下、ほとんど被差別部落みたいなものであります。で、被差別部落であるがゆえに、ブンガク幻想はその分より一層屈託して濃縮されたりしてるから、余計に難儀だったりします。だから、彼らは文芸誌に原稿書くのが何かステイタスだと、おめでたく勘違いしてるんですよね。 文藝春秋と新潮社いうブンガク世界の二大勧進元、彼らがこのノンフィクションという被差別部落もまた取り仕切っています。これに講談社、小学館など大手資本が連携しながら取り巻いているという構図。このへんは全くブンガク市場の縮小版です。 基本は賞と雑誌と単行本。書く場所と書いたものの評価を与える仕掛けと、なおかつそれをプロモートしてゆく仕掛けとが全部彼らの手もとにあるわけで、書き手は首根っこおさえられているよう
*1 ● 東京都の出している広告がどうにもいたたまれないものになって久しい。新聞や雑誌といった紙の媒体はもちろんのこと、その他の媒体でもテレビであれラジオであれ、印象は基本的に同じだ。エイズ防止キャンペーンで文化人やタレントたちを並べて親しさを演出しながら説教を垂れる手口や、“働く女性”の立場を生硬な歌詞と思い入れたっぷりなポップス調で歌いあげる臆面のなさ。それは、昨今の政党が懸命にテレビCMなどを作って見せても生命保険や製薬会社の広告にしか見えない、ああいう種類の情けなさとも共通している。 行政の当事者によって、それもおそらくはよかれと思って語られる「東京」がこのように眼を覆い耳ふさぎたくなるような代物になっていったのは、さて、いつ頃からだったのだろう。 もともとテレビを日常的に見る習慣がなかった上に、今の仕事場にテレビを入れたのがこの夏というていたらくだから確かなことは言えないけれども
そもそも、であります。 なんであたしがこの万引きババアにこんなにひっかかてるか、ってえと、まず、どうしてこんなデンパ系キチガイ物書きをここまで右へならえでみんなヨイショしちまってるのか、という、しごく素朴な疑問がひとつ。だって、さすがに最近は多少風向きも変わってきましたが、思えばフシギでしたよお、ついこの間までの田口まんせ〜状態ってのは。 「え〜、田口ランディ、一応は直木賞候補作家にして、婦人公論文芸賞受賞作家(笑)でもあらせられます。あらせられますが、しかし、これほど昨今、書いたもの自体はもとより、書き手そのものの世渡りの身じまいまでがまるごと物議を醸し倒してる作家ってのも珍しい。しかも、それだけ物議を醸していながら、その物議ってやつが活字の表舞台ではものの見事になかったことにされている(少なくとも今のところは)、というのも、実にいまどきのプチ芸能界化した活字商売の構造をきれいに反映して
*1 ――つねにわたしたちの論拠は〈児童文学〉という限定された、しかも複雑怪奇とまでいわれるほどに特殊な分野であって、そこに生起するさまざまの事象は文学一般の概念規定とはくい違うほどに独自の、偏狭な意味内容をもつ曖昧なことばによって表現されることが珍しくないのだ。*2 ――これはこの世におよそ存在すべくもない物語である。この一家のような善意が存在しないというのではない。そういう善意ならむしろこの世にはありふれていて、人がよくて感傷的な人間がそういう善意の発作にとらえられるのはめずらしくもない出来ごとである。しかし、そういう善意の発作が最後まで貫徹されることがけっしてありえないことを、人びとはわが身の経験として知っている。*3 ――要するに、現在、われわれは、説話の具体の世界から、文学の抽象の世界へ到達し、さらにまた、文学の世界を踏まえて映画やラジオやテレビの具体の世界へ飛躍しつつあるのでは
● 今から59年前、1960年8月発行の雑誌『民話』第18号に、「残酷ということ」という「鼎談」が掲載されています。*1 出席者は岡本太郎、深沢七郎、宮本常一の3人。それぞれ芸術家、作家、そして民俗学者として、その頃それぞれ話題になっていた文化人たちです。*2 副題に「「日本残酷物語」を中心に」とあるところから、当時、ベストセラーに近い売り上げを示して出版界からジャーナリズムまで広く話題を呼んでいた平凡社のシリーズ企画『日本残酷物語』と、それが巻き起こした現象などについて語ってもらおうという目論みだったようで、実質、巻頭企画の位置に置かれているのを見ても、当時この「残酷」というもの言いをめぐる文化人の座談会に、それだけのニーズがあったことがうかがえます。 *3 実際、この「残酷」というもの言いは、「残酷物語」というコピーライティング的な成句を踏み台にしてその頃、流行ったようです。 元の書籍
*1 西部邁さんが、亡くなりました。 遺書めいた書きものも残して厳冬の多摩川に自ら飛び込むという、自殺に等しい最期だったということですが、そのへんの詳細はとりあえず措いておきます。 「思想家」というもの言いも「文学者」「哲学者」などと同じようにずいぶんと安っぽく、かつ陳腐な響きを伴うものになってすでに久しく、いまどき自らそう名乗る人がたはよほどの鈍感か厚顔無恥、ないしはそれら思惑がひとめぐりした果てのいらぬ戦略や当て込みを先廻りして計算して見せるような猪口才漢と相場は決まってますが、西部さんの場合、この訃報が新聞など報道記事の中にこの「思想家」の肩書きが附されているものがあったところを見ると、通りいっぺんの「評論家」などとは別に、まだ「思想家」というもの言いの内実と釣り合うギリギリのパブリックイメージが彼自身の生身に共有されていた、ということかも知れません。 巷間、「保守」思想を代表する論
フィールドワークの物語―エスノグラフィーの文章作法 作者:ジョン ヴァン=マーネン発売日: 1999/01/01メディア: 単行本*1 ● エスノグラフィーという言葉は、普通の日本語としてはとてもなじんだものとは言えない。その意味で、この本を読まれる方もまずこのカタカナに抵抗があるかも知れない。 普通、この「エスノグラフィー」は日本語では「民族誌」と翻訳される。これまでの文化人類学や民族学の教科書などでも、半ば機械的にそのように置き換えられるのが普通だった。これが民俗学になると「民俗誌」になったりもする。細かいことを言えばこの日本語での「民族誌」と「民俗誌」がどう違うのか、あるいは同じなのか、そしてそれはどっちも「エスノグラフィー」の訳語と考えてしまっていいのか、といった議論も本来はあるべきだと思うのだけれども、しかし、そのような検討作業はほとんどされていない。ただ漠然と「民俗誌」も「民族
人さまの話を聴き、それを素材に何かものを書く。「取材」であれ「インタヴュー」であれ「聞き書き」であれ、呼び名はさまざまなれど基本的な営み自体は変わらない。もちろんそれが売文稼業のひとコマでも、はたまた何かおのれの興味関心の赴くままの道楽沙汰でも同じこと。いずれ話しことばで語られる何事かをおのれの耳傾けて聴き取り、それを文字に落とし込んでゆく作業。わが身を振り返ればあれこれ工夫しながらそれなりに当たり前に、そうたじろがずにやってのけることができる程度にこれまで甲羅を経てきたらしいのだけれども、しかし、どうやら昨今、そのような作業の成り立ちそのものがこれまでとはまた違うものになりつつあるらしいのであります。 その場で聴いてメモをとる、それだけでは聞き違いその他、生身ゆえのありがちな間違いが不安だし、後から事実関係を照合してもう一度確認とる時にも必要だから何か録音機器をそばに置く。以前ならカセッ
拝啓、『朝日新聞』記者高橋純子様。七月一三日付けの朝刊に載ったあなたの「記者だって気に入られたいけど…」という記事、拝読しました。 「私だって、取材相手に気に入られたい。森首相が言うように『かわいいところがあるじゃないか』と思われたい。だが、首相の言い分だけを聞き入れてしまえば『なれ合い』でしかない」と、平然と書いてしまうあなたにびっくりしました。 森首相に限らず、先日の石原都知事の「三国人」発言なども含めて、政治家とメディアの関係が最近ことさらに問題になっています。何を言っても揚げ足取りしかされない、という不満が彼らの間に高まっているのはあなたも感じているはずです。 取材対象に気に入られるかどうかなどは、実はどうでもいいことです。だって、それはあなたの仕事なのですから。仕事としてまず相手と信頼関係を築けるかどうか、問題はほとんどそれだけなのではないですか。 普通の会社の場合、お得意さんと
● 小林よしのり、の現状の「恥ずかしさ」について述べる。 異能の“プロ”としての漫画家から、ただの凡庸な十把ひとからげの言論人として「上へ向って堕落した」現状のことであり、その立ち位置から「反米」を弄して思想/言論沙汰に明け暮れるようになった経緯についてだ。その原因についてはある部分、幻冬舎や小学館という、近年彼をプロモートする立場にある者(活字出版業界の商売人)たちの責任が実は大きいと見ているのだけれども、そのへんのことはこの場ではひとまず措いておく。まずは当人、ご本尊の症状についてだ。 これについては二年前、『諸君!』誌上で手紙形式で論評したことがある。案の定、ご本尊からは黙殺されたが(笑)、基本的な見解はそこで出してあるし、今もその認識は大枠で変わらない。 「9.11以降、「反米」を介してあなたが急速にその主張をいたずらに先鋭化させてゆき、それまでサヨク/リベラル陣営と目されていた人
昨今、古本屋の軒先、ひと山いくらの文庫本の中に、片岡義男の作品は埋もれている。角川文庫だけでも無慮八十タイトル以上。それだけ出しまくったんだから一冊百円にしかならなくて当たり前、なのだが、それでもその中味は決してひと山いくらの代物ではない。 あの八〇年代初めの気分ってやつを、良くも悪くもとにかくきっちり反映しているブンガク――ひとまずそれが商品としての片岡義男だ。音楽だったらサザンか松任谷由実。とにかくもう当時は持っているだけでオシャレ、てなもんだった。映画にまでなった『スローなブギにしてくれ』なんてあなた、主演がまだ二十代の浅野温子でさ、髪が長くて、猫が好きで、少しわがままで、なのに何して食ってるかよくわからなくて、ってそういうとにかく「都会」で「ひとり」で生きてく姿があしらわれてる。ああ、こう書いててもこっぱずかしい。こっぱずかしいが、しかしそんな女の子ってのは当時マジに新鮮だったのだ
*1 完全無敵の老人学 作者:和田 秀樹,大月 隆寛講談社Amazon ●隠居の終焉 人間の老い、年の取り方という観点から歴史を振り返った場合に、ひとつ注目していいと思うのは、隠居という制度です。 それは、地域によって、年代によって、農村と漁村、あるいは男女によって、さまざまな違いがあるにしても、ごくおおざっぱに言えば、農業や漁業などの一次産業が社会の主な生産様式としてドミナントであった状況下での共同体が前提となっているという点では、共通しています。 隠居というのは、一言でいうと現世とのつながりを断つことです。権力や政治や社会的な地位などと一切の関係をひとまず持たなくなった状態を、隠居と呼んだわけです。 その意味で、究極の隠居は「死」なのですが、そのような生物的な「死」の前段階として、まず現世の共同体での社会的役割を脱ぎ捨てて、現世から「リタイア」する、あるいは「卒業」すること、それがまず
*1 「僕はその頃十六であつた。丸く黒く、焼けすぎた食パンの頭みたいな顔をして、臙脂色のジヤケツを着て、ポケットに手を突つこんで、毎日街を歩いてゐた。」*2 「こういう、一体なにが本業だかわからないで、なんとなく喰えている男が、ひところ、浅草の楽屋にはゴロゴロしていたものだが、一定の職も持たぬのに(あいつァ気分がイイから)と、酒を呑ませ、メシを喰わせ……つまり、なんとなく生きてゆかせてくれるから、浅草はアリガタイところ。昔も今も浅草なればこそだろう。が、これをあまりイイ気分――ではない当然のように思い、イイ気になっていると、こんどはピシリ!とトドメを刺されてしまう。誰からも相手にされない。浅草というところは、そういう冷たさ、というか、厳しさがあるところだ。」*3 ● はじめに 「隼おきんの貞操」、という文章があります。小説ではない。ゆるい随筆というかエッセイというか、それでいて「おはなし」
「人の作りだした? あの時南極で拾ったものをただコピーしただけじゃないの。オリジナルが聞いてあきれるわ」 「ただのコピーとは違うわ。人の意志が込められているものよ」 ――第20話「心のかたち、人のかたち」 ● おそらく、『新世紀エヴァンゲリオン』について何かものを言えるだけの背景を僕は持っていない。 いや、もう少していねいに言おう。こういうすでに汗牛充棟、ひと山いくらで書店に並べられている「エヴァ本」のひとつとして市場に流通することが定められている本の中で、それら「エヴァ本」を喜んで買い、そして読もうするような読者の最大公約数の期待に対して応えられるようなものを書いて示せるだけの前提を、おそらく僕は持っていない。 まず、アニメについては全くの素人。SFについても知識がないし、そこから派生して昨今の自然科学がどのような水準に達しているかについても完璧に暗いし、何より関心も薄い。コンピューター
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