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円安とは
mikan33e.hatenablog.com
二分法じゃないけど、世の中には持つ者と持たざる者ってのがどうしてもある。持つ者がいる一方で、持たざる者もいる。それはしょうがない現実だもの。ここで言う持つ者ってのは例えば次みたいなの。 ものすごく頭が良い。 尊敬される特技や技術を持っている(例えばオリンピック選手) 容姿が可愛い、美しい 有名人である 「努力しろよ」っていうのは実際そうなんだけど、じゃあ「努力したらすべての人がオリンピック選手になれるか」というと現実的にそれはあり得ない。みんながみんな持つ者になれるわけではない。 じゃあ、持たざる者はどうしたら幸せになれるんだろうか。持たざる者の心の寂しさはどうしたら埋まるんだろうか。 ここで1つの疑問が出てくる。持つ者と持たざる者の違いってのはどこにあるのか。持ってる者と持たざる者の間の壁を作ってるのは、集合としての「持たざる者たち」に過ぎないんじゃないかと。わかりやすい思考実験。例えば
この記事昔から好きだったのですが、最近よく読み返しています。 そういう人はグッと距離を縮めてくるのも上手いんですが、そのぶん「使い棄て」のように突然関係を切られたり、わたしが嫌がることを平気でしてショックを与えられたり、なんかこう、突然「お前もういいや」って扱いを受ける瞬間が来て、「切られる」ことがあるんですよ。 「あなたを大切にしない人のことを、あなたが大切にする必要はない」より 実際これに近い人(以下Aさん)を見たからなのですけども、なんでそういうことをするのかなって。 Aさんの場合 Aさんは相手が嫌がることを平気でする。気を損ねる程度は日常茶飯事で、常識的に考えて対人関係でやってはいけないことを度々する。 Aさんは自分の気分がよくなることをひたすら要求する。 Aさんは相手の望みは、ほとんど無視する。 Aさんは自分に都合が悪いことは徹底的に誤魔化す。 Aさんは冗談で許されないようなこと
TBSラジオLifeの 「ブロック化する社会をどう生きるか(8/30放送)」が面白かった。以下引用部は当該放送から。 「仲良くなれるかどうか分かる前にFacebookやLINEでつながったりして、コミュニケーションをしていく中から『ちゃうわ』って言って引き算していくっていうのがブロック化する社会」 ブロック化は別にSNSのことだけを指しているわけではないのですが、それでもラジオ内での議論の中心はSNSやネットのお話に。 ネットが今ほど普及する前の時代は、そもそも他人と繋がることのコストが高く、自らいろいろなコミュニティに出向いて相手を探し、その中かから繋がる相手を懸命に見つけていきました。ネットがあっても、気にいるページや掲示板を自ら見つけて、そこに交流を求めた時代だった。繋がる相手を探して選択する時代だった。 それに対して、今ではSNSやLINEのグループを介して簡単に大勢の人と繋がるこ
週末どこに出かけようか、友達に誘われたけどどうしようか、明日何を食べようか・・・。生きてれば悩むことってのはすごく多い。例えば「週末、一緒にディズニーランドに行こうよ」と誘われたとして。直感でスパっと決められる人には関係ない話なんだけど、悩む人は悩んでしまう。 ディズニーランドは結構好き。 友人と一緒に回ったらきっと楽しいだろう。 だけど友人は別の友人も誘ってるみたいで誰が来るか分からないから不安だし、 1ヶ月前に行ったばかりだし、 行くとお金かかるし、金額に見合うかどうか・・・。 でも仮に断ったら誘ってくれた友人が気を悪くしてしまうのではないか。 こんな感じで。プラス要因とマイナス要因を天秤にかけて「どうしようか」と悩んでしまう。プラス要因かマイナス要因のどっちかしかなければ悩まないので、悩むってことは必ず両方の要因があります。 こんな時は来週死んでも後悔しない方を選べば良いのです。 と
昨年10月から3月末まで放送していたTVアニメです。ここ1週間ぐらいでようやく全話みることができました。 オリジナルTVアニメーション『SHIROBAKO』PV - YouTube 高校のアニメ同好会で短編アニメを作った5人が、それから何年かして実際のアニメ現場で奮闘するお話です。 単純に面白いし見てない人にはオススメしたいけども、アニメに関わらず創作や表現に関わったことのある(関わっている)もしくは創作や表現に関わりたい志のある人には、また違った強い印象の残る作品だったなーと思います。 「正直、えぐられるよね」 眩しいって言ってもいいのかな。 「綺麗事かもしれないけど、熱意とかやる気とか努力とか、絶対映像に現れると思う」(20話より) この台詞、ものすごく唸った。 本気で取り組んでることは、その本気さが絶対に伝わる。 手抜きで取り組んでることは、その手抜きが絶対に伝わる。 これ表現全部に
この人どうしてこんなに気を遣ってるんだろう、どうしてこんなに優しいんだろう。そう思える人に今まで数人会ったことがあります。 私も身の回りの人たちに対して優しくありたいと常々思っていますが、なかなかそこまでなれません。 選ばれる人たちと選ばれない人たち 少し逸れますが「わたしは選ばれない」という絶望と、その対応策という記事を読みました。 記事では就活で選ばれない人の苦悩に対して、恋愛で選ばれなかった経験やフリーランス経験などをもとに気にするなとアドバイスしている、とてもよい記事です。 100回「ノー」を言われたとしても、最後に1回「イエス」って言ってもらえれば、それでいいんです。 インターネットの備忘録 その100回に対する努力に敬服すると同時に最後の1回の「イエス」があると自分で信じられるかどうかが、人によっては大きな問題なんじゃないかと感じました。 選ばれないことに絶望する人 先の記事を
原作を読んだことがあり、アニメ化という時点で嫌な予感しかしなかったんですが、アニメをみてやっぱり「これはひどい」という感想。予想通りの期待外れ。 がんばって作ってるのは分かるし、アニメだけ取り出せば面白いのかしれないけど、原作の面白さがそこに出ているかというと甚だ疑問。 漫画「神のみぞ知る世界」の面白さってのは、そんなゲームの中みたいな出来事が現実に起こったらギャグだよという大前提があって、その上で「あたかもゲームにありがちなエピソードが(物語上の)現実として起こることの面白さ」にあるのです。 アニメ版の演出は、リアル(現実)をアニメ中の空想世界として描いていてリアリズムをはなから排除している。演出の方向性が180度間違っている。「神のみぞ知るセカイ」は、バーチャルであるゲーム世界に対してリアルである現実の対比を際だたせ、現実でゲームのようなことが起こる面白さがその核であるのに、リアルと言
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