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円安とは
motomiyatakahiro.hatenablog.com
こんにちは。実は味覚オンチの本宮 貴大です。 この度は、記事を閲覧してくださって本当にありがとうございます。 今回のテーマは「【生類憐みの令】実は悪法ではなかった!?5代将軍徳川綱吉の政策」というお話です。 是非、最後までお読みくださいますようよろしくお願いします。 江戸時代は里子、捨て子、間引きが横行しており、動物達も当たり前のように捨てられていました。生類憐みの令とは命を粗末にする民衆への戒めと正しい倫理感を植え付ける目的の法律だったのです。 テレビなどのマスメディアで親がまだ幼い自分の子供を虐待したという報道を目にすると、心が痛みます。ニュースのコメンテーターは近年の社会問題だとか、核家族化が崩れたためとか、死角の多いマンションが増えたからとか・・・いろいろな意見を述べています。 大人の児童虐待は本当に最近の話なのでしょうか。 いいえ。江戸時代では現在では、考えられないような子供の虐
こんにちは。本宮貴大です。 今回のテーマは、「【将来役に立つ!政治・経済】第1回 地球温暖化は‘嘘‘である。」というお話です。 お待たせしました。それでは、新企画の記念すべき第1回目の講義を始めたいと思います。 いきなりインパクトの強いテーマになりましたが、地球温暖化には「本音」と「建前」がしっかりと存在します。教科書に書かれている単なる情報が「建前」になり、将来役に立つ知恵こそが、「本音」の部分になります。 定期テストや入学試験で得点したいだけなら、教科書に書かれている「建前」の部分を解答すれば良いです。しかし、当ブログではテスト後、さらにはキミが学校を卒業した後に役立てる知恵を教えるので、一歩踏み込んだ内容を述べます。すなわち、「建前」だけでなく「本音」の両部分にも迫っていきたいと思います。 前置きが長くなりましたので、そろそろ本題に入ります。 火力発電に比べて安価な原料で大量の電気を
こんにちは。本宮 貴大(もとみや たかひろ)です。 この度は、記事を閲覧してくださって本当にありがとうございます。 今回のテーマは「【江戸時代】徳川将軍家に仕える国家公務員の皆さん【徳川家光】」というお話です。 是非、最後までお読みくださいますようよろしくお願いします。 江戸幕府が目指したのは全国の諸大名や江戸府内などの徹底した管理体制。今回はそんな徳川将軍家に仕える‘国家公務員‘の皆さんの仕事内容についてご紹介したいと思います。 歴史は基本的に「破壊」→「創造」→「維持」→「衰退」のサイクルが繰り返されています。「破壊」があれば、新たな「創造」が必ず起こります。 1603年に開かれた江戸幕府は初代将軍・家康から2代将軍・秀忠を経て、3代将軍・徳川家光の時に政治体制や組織体制は完全に整いました。家康の行った豊臣家の滅亡を「破壊の時代」とするなら、家光の江戸幕府完成は「創造の時代」と言えるで
こんにちは。本宮 貴大(もとみや たかひろ)です。 この度は、記事を閲覧してくださって本当にありがとうございます。 今回のテーマは「【宗教改革】なぜルターの宗教改革が起きたのか」というお話です。 是非、最後までお読みくださいますようよろしくお願いします。 宗教改革はなぜ起きたのか。ローマ=カトリック教会は免罪符を売りつけるなど完全に腐敗していた。マルティン=ルターはカトリック教会(旧教)から独立し、新教であるプロテスタントを創ります。 今回、登場する国は神聖ローマ帝国(現在のドイツ)とスイスです。 まず、話を中世ヨーロッパに遡ってお話したいと思います。 962年に神聖ローマ帝国が誕生したことでキリスト教会は勢力を増します。そしてローマ教皇をトップとしてローマ=カトリック教会が生まれました。11世紀の末期、神聖ローマ帝国はキリストの聖地・エルサレムをイスラーム圏から奪還すべく、十字軍を派遣し
こんにちは。本宮貴大です。 今回のテーマは「朱子学に対立する学問 陽明学とは。【大塩平八郎】」というお話です。 4代将軍・徳川家綱の時代から7代将軍・徳川家継の時代を文治政治と言います。(1651年~1716年)この時代は様々な学問が栄えた時代です。 江戸時代を通じて奨励されていた学問は朱子学で、‘江戸幕府公認の学問‘として大きな勢力となりました。しかし、文治政治の治世、朱子学に疑問を持ち、朱子学に対立する学問が普及してきました。今回はその中の1つ、陽明学について述べていきたいと思います。 朱子学 陽明学 「理」と「気」を分離して考える 「理」と「気」を一体として考える 理気二元論 心即理 外面的な礼儀を重視 内面的な良心を重視 格物致知 至良知 慎しみなさい 実行しなさい 「理」を学びなさい 「気」に従いなさい 国家公認の学問 民間のみに普及した学問 陽明学とは、朱子学同様、儒教の一派で
こんにちは。本宮貴大です。 今回のテーマは「【閲覧注意】なぜ国家資格を取っても食えないのか。【政治・経済】」というお話です。 今回は、申し訳ないですが、国家資格取得を目指して勉強されている方はお気を悪くされると思うので、読まないでください。 一級建築士という国家資格をご存じでしょうか。一度は聞いたことがあると思います。 素人の方なら、「一級建築士はさぞ高給取りなんだろうな。」と思うかも知れません。 意外かも知れませんが、実は私、以前は建設業界にいた人間です。業界では常識ですが、一級建築士は「足の裏についた米粒」と比喩されています。つまり、「取らないと気持ち悪いけど、取っても食えない。」という意味です。 一級建築士は間違いなく、「食えない国家資格のベスト10」に入っています。 なぜ一級建築士は食えない国家資格になっているのでしょうか。理由は以下の3つです。 1.建設需要が右肩下がりだから。(
こんにちは。本宮貴大です。 今回のテーマは「【開国】ペリーはなぜ日本にやってきたのか。【マシュー・カルブレイス・ペリー】」というお話です。 1853年、アメリカから東インド艦隊司令長官のペリーが来航します。日本は、アジア貿易における食料や石炭などの補給基地の建設には絶好の位置にありました。世界の航路を独占するイギリスの勢力が日本に及ぶ前に何とか日本を手中に収めたかったのです。 青い太平洋の端に浮かぶ小さな島国。4つの大きな島と4千を超える小さな島々からなり、冬には数メートルの深さまで雪が積もる北の国から、サンゴ礁の浜辺に揺れる南国まで存在し、アジア大陸の東側に孤を描くように連なっている。 春には桜が咲き、秋には紅葉が深まる。自然の景観は四季折々にその表情を変え、人々に感動を与えます。 北からの寒流と、南からの暖流とが沿岸で合流するため、魚介類が集まり、沢山の海の幸をもたらします。国民はそん
こんにちは。本宮 貴大です。 今回のテーマは「【江戸時代】江戸の三大飢饉は人災だった!?【松平定信】」というお話です。 近世の三大飢饉とは、1732年に享保の飢饉、1782年から88年までの天明の飢饉、1833年から39年までの天保の飢饉になります。 最初に1732年に発生した享保の飢饉ですが、その原因は意外なことに虫でした。イナゴやウンカなどが大量発生したのです。イナゴとはご存じの通り、集団で田園を襲い、稲穂や稲葉を食べつくしては、他の地域へ移動し、新たな田園を襲うといういかにも害虫らしい生態です。 ウンカはセミに似た昆虫ですが、体長はわずか5ミリ程度のコバエみたいな奴です。稲に取りついて養分だけを吸い尽くし、さらにウィルスまで媒介し、家畜や人間に感染症をもたらすとんでもない害虫です。 こいつらが大量発生したことによって、収穫高は例年の半分以下となり、1万2000人も人々が餓えや病気で亡
こんにちは。本宮 貴大です。 今回のテーマは「【田沼意次】織田信長の再来!?重商主義の革命児。」というお話です。 米を幕府の収入とする従来の全農主義を崩し、貨幣を幕府の収入とする重商主義を目指した。それまでの常識を覆す革命を起こしている点は戦国時代の織田信長に似ていると考えます。 悪商人「田沼さん、いつもお世話になってます。今後ともごひいき下さい。」 田沼「ふっふっふっふ。お主も悪よのう。」 悪商人「いえいえいえ。御代官様ほどでは。」 悪商人が差し出したお饅頭の下には一面に小判が敷き詰められていたのでした・・・。 「賄賂政治」といえば、こんな場面をイメージされる方が多いのではないでしょうか。 田沼意次といえば、「賄賂をもらっていた」とか「幕府を私物化していた」と言われ、腹黒政治家というレッテルを貼られています。とんでもない。彼こそ、貨幣経済を活性化させ、幕府の財政を立て直し、かつ近代国家へ
本宮貴大です。 You Tube緊張します。 何やろうかな。 やる気について? 習慣について? 集中力について? 勉強法について? アリ社会とキリギリス社会について? 歴史について? やりやすいのはやる気についてかな~ ホワイトボード使います。 以上 ありがとうございました。
こんにちは。本宮貴大です。 動画撮影をしてみました。すいません。 これから、もっと練習します。 勉強を習慣化する方法です。 勉強を習慣化する方法 それでは。
こんにちは。本宮 貴大です。 今回のテーマは「【田沼意次】フロンティア精神溢れる熱い男。」というお話です。 田沼意次は経済通なだけでなく、外国アレルギーのない江戸時代には珍しい役人でした。日本が貿易立国になるのは田沼失脚と共に白紙になります。こうして江戸幕府は近代化のチャンスを逃す結果を招くのです。 1734年、8代将軍・徳川吉宗が享保の改革を実施しているとき、14歳の田沼意次は、次期将軍である徳川家重の雑務役として江戸城内でその政策を見守っていました。 吉宗の改革が抜本的な改革にならなかったのは、お米=お金の米本位体制という経済のしくみに限界が来ていたからです。お米は農産物である以上、豊凶があります。獲れたり獲れなかったりします。そうなると、幕府としても年貢米が増収したり、減収したりと安定しません。 かといって、農民が必死の思いでお米を増やしても、武士も農民もお米をお金に換金して生活して
こんにちは。本宮 貴大(もとみや たかひろ)です。 この度は、記事を閲覧してくださって本当にありがとうございます。 今回のテーマは「【江戸時代】厳しい3代将軍から優しい4代将軍へ【徳川家綱】」というお話です。 是非、最後までお読みくださいますようよろしくお願いします。 厳しい政策を行った徳川家光までの武断政治の甲斐あって大名達は反乱を慎むようになります。やがて平和な時代が訪れます。これに伴って、武力だけの政治運営ではなく、話し合いや規制を緩めるような文治政治に転換します。 徳川家康は一代で栄華を終えた秀吉と、その朝鮮出兵の失敗によって「成長体質」は「悪」であり、今後何代にもわたって維持される「安定体質」が必要だと学びました。そこで、向上心のある大名に対し、 「成長したいと思わないこと。」 「向上心を持たないこと。」 「武士は成功して一旗上げようなんて考えないこと。」 ということを全国に示す
こんにちは。実は中学時代イケてないグループに属していた本宮 貴大です。 この度は、記事を閲覧してくださって本当にありがとうございます。 今回のテーマは「【江戸時代】江戸幕府公認の学問 朱子学とは【林羅山】」というお話です。 是非、最後までお読みくださいますようよろしくお願いします。 平和な時代になった江戸時代中期。この頃から町人文化が発展をしてきます。非常に華やかで井原西鶴、近松門左衛門、菱川師宣などが活躍した文化です。 文治政治は4代将軍・家綱、5代将軍・綱吉、6代将軍・家宣、7代将軍・家継の時代まで続きます。特に5代将軍・徳川綱吉が将軍に就いたときの1681年に、従来の武家諸法度第1条の改定がされています。 従来は「文武弓馬の道、専ら相嗜むべきこと。」 つまり、「学問や武芸に熱心に取り組む事」とされてきましたが、綱吉の時に、 「忠孝をはげまし、礼法をただし、常に文道武芸を心がけ義理を専
こんにちは。本宮貴大です。 今回のテーマは「【ガリレオ】天動説から地動説へ(後篇)」というお話です。 ガリレオは実験や観察を通じ、地球は動いていることを提唱。従来の神が意図した自然を探求しようとする目的論的自然観を取り払い、どのような自然法則で動いているかという機械論的自然観の立場から自然をとらえ直そうとします。ガリレオは「地球はうごいている」ことを発表するも、キリスト教会から迫害を受けてしまいます。 15世紀~16世紀、日本では1467年の応仁の乱をきっかけに戦国時代が到来し、人々が熱狂していた頃、西洋ではイタリア(フィレンチェ)でルネサンスの時代が到来し、その気運はヨーロッパ各地に広がっていました。 ルネサンスが到来したことで、天上界や地上界などの神が創造したとされる自然観を取り払い、実験や観察などの人間の感覚によって自然をとらえ直そうとする気運が高まりました。すなわち、新しい学問の土
こんにちは。本宮 貴大です。 今回のテーマは「【寛政の改革】田沼VS松平 資本主義VS農本主義【松平定信】」というお話です。 世直しという民衆の期待を背負った松平定信。寛政の改革とは「打ちこわし」によって生まれた改革なのです。彼は 貨幣至上主義から従来の土地至上主義へ戻すことで、家康以来の秩序のとれた地方分権という伝統的国家への回帰を目指したのです。 今回から、田沼に代わって老中になった松平定信について述べていきたいと思います。そこで田沼と定信の政策の違いを並べてみました。以下参照。 田沼意次 松平定信 貨幣至上主義 土地至上主義 中央集権化を目指す 地方分権化を目指す 近代的国家の樹立 伝統的国家への回帰 経済発展を優先 社会保証の充実 放任政治 統制政治 快楽主義 禁欲主義 よく改革派の田沼に対して、定信は保守派・復古的と言われますが、それは表面的な解釈にすぎません。もっと本質を見抜い
こんにちは。本宮 貴大(もとみや たかひろ)です。 この度は、記事を閲覧してくださって本当にありがとうございます。 今回のテーマは「16世紀から17世紀へ。スペインから「あの国」が覇権国家へ。【絶対王政時代】」というお話です。 是非、最後までお読みくださいますようよろしくお願いします。 16世紀、大航海時代を経て、スペインは「太陽の沈まぬ帝国」として覇権国家に君臨しました。しかし、その栄華も長くは続かず・・・。16世紀後半に「あの国」がスペインから独立。17世紀はスペインに代わって「あの国」が覇権国家として君臨します。 過去記事「歴史はストーリーで覚える」の中でストーリーの一連の流れを紹介しています。そのでは、歴史は基本的に「破壊」→「創造」→「維持」→「衰退」のサイクルが繰り返されていると述べました。今回からそのような形式で説明してまいります。 破壊の時代 1479年、スペイン王国が誕生
こんにちは。本宮貴大です。 今回のテーマは「【学問のすすめ】福沢諭吉がアメリカで発見した素晴らしい概念とは」というお話です。 西洋の文明を学ぶため 福沢諭吉は勝海舟らと共にアメリカに渡ります。そこで諭吉は素晴らしい概念を見つけます。「どうやらアメリカには平等という概念があるようだ。」彼はアメリカ独立宣言を引用し、「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」という有名はセリフを残しました。この概念は当時の人々には画期的で著書『学問のすすめ』は空前の大ベストセラーとなりました。 日本で最初に太平洋横断を達成した人達をご存じでしょうか。実は明治の岩倉使節団の10年前に太平洋横断に成功しているのです。 それが勝海舟を艦長とした咸臨丸(かいりんまる)です。今回は咸臨丸に同乗した福沢諭吉のストーリーを展開していきたいと思います。 1853年のペリー来航以来、日本も西洋の技術を取り入れ、列強と同等の立
こんにちは。本宮 貴大です。 今回のテーマは「【徳川歴代将軍】2代将軍 徳川秀忠という人物」というお話です。 今回も番外編ということで、わたくし本宮が、江戸時代にタイムスリップして徳川歴代将軍をそれぞれインタビューしてきたので、報告をしたいと思います。 第二回目は江戸幕府2代将軍・徳川秀忠様についてです。 家康の三男、秀忠です。よろしくお願いします。 秀忠の「秀」は大尊敬している豊臣秀吉様から貰いました。 天下分け目の戦いである関ヶ原の戦いに遅刻するという大失態をやらかしています。到着した頃にはほとんど東軍の勝ちが決まった状態でした。案の定、現場で指揮を取っていた父上からは、激しく怒られました。 大阪冬・夏の陣では父と共に出陣しました。関ヶ原の戦いの汚名を返上しようとハリキって東海道をばく進しましたが、父上から 「そんなに派手な行動したら敵軍の偵察部隊にばれるだろっ。それに、この戦いは短期
こんにちは。本宮貴大です。 今回のテーマは「【日清戦争】なぜ日本と清は朝鮮をめぐって対立したのか」というお話です。 日清戦争はなぜ起きたのでしょうか。 日清戦争をテーマにした「漁夫の利」風刺画では、朝鮮と書かれた魚を釣り上げようと日本と清国が対立しているところを、横取りをたくらむロシアがじっと見守るというロシアの野心が表現されています。 なぜ、日本は朝鮮を支配下にしようと考えたのでしょうか。それについては前回の記事を参照ください。 motomiyatakahiro.hatenablog.com 日本と清国は、朝鮮をめぐって激しく対立しました。それが朝鮮半島での甲午農民戦争をきっかけに日清戦争が勃発するのですが、今回は、「なぜ日本と清は朝鮮をめぐって対立したのか」を見ていきながら、ストーリーを展開していきたいと思います。 日本はとにかく朝鮮を支配下に置くこと目指しました。しかし、日本との不平
こんにちは。本宮貴大(もとみやたかひろ)です。 現在やっている【歴史はストーリーで覚える】シリーズは今後も続けていきますが、それに並行して新企画として【将来役に立つ!政治・経済】もシリーズとして開始していきたいと思います。 最終的に当ブログは「社会科目全般」を取り扱うブログにしたいと思っていますので、どうぞよろしくお願いいたします。 今回はプロローグということで、「全国の学校教師の皆さんへ」というテーマでお話させていただきます。 学校の先生達の仕事は、科目という「情報」を教える授業をするのではなく、将来役に立つ「知恵」という生きた知識を教える授業をすることです。「情報革命」という時代の流れから目を背けてはいけません。 勉強しない生徒達の理由に「将来、役に立たないから」という人達が非常に多いです。果たしてこれは本当なのでしょうか。残念ながら、まぎれもない事実です。 しかし、勉強内容自体が役に
こんにちは。本宮 貴大(もとみや たかひろ)です。 この度は、記事を閲覧してくださって本当にありがとうございます。 今回のテーマは「【江戸時代】鎖国の完成!【徳川家光】」というお話です。 是非、最後までお読みくださいますようよろしくお願いします。 まず、過去ブログ「歴史は周期の法則で動いている」で日本史の各時代の特徴やイメージ、文化に着目すると「男時」と「女時」に分類出来、両者は周期的に繰り返していることを述べました。 歴史は覚えることが多くて、つまらないという人も多いでしょう。そこでこのような周期性や規則性で覚えると俄然面白くなると思います。 (過去ブログ「歴史は周期の法則で動いている」は「歴史はストーリーで覚える!」のカテゴリーからどうぞ。) 本題の前にまず男時と女時のイメージをつかんで欲しいと思います。(下表) 女時のイメージ 男時のイメージ 異文化を日本風へ昇華 異文化を取り入れる
こんにちは。本宮貴大です。 今回のテーマは「幕末の志士を育てた人物幕末の英傑を育成したグレートティーチャー【吉田松陰】(前編)」というお話です。 お待たせしました。 長州藩を取り扱う上で、この人物を紹介しておくべきだと思い取り上げました。 1857年長州藩士の吉田松陰は‘謹慎中‘に実家の小屋を改築し、松下村塾と呼ばれる私塾を開きました。 子鳥がさえずる早朝、長州藩士である久坂玄瑞は、松下村塾の塾生として、今日も松陰先生の熱い授業を受けに向かいました。 塾に着いた玄瑞は、松陰と一人の門下生によるマンツーマンの講義が行われていることに気付きます。 「こんな早くから先生と彼はどんな講義をしているんだろう。」 玄瑞は興味本位でその講義をしばらく聞いて見ることにしました。 「楠木正成は、南朝と北朝という天皇が2人いる不安定な時代を生き・・・」 講義内容はどうやら南北朝時代に活躍した楠木正成という人物
こんにちは。本宮貴大です。 今回のテーマは「【宗教改革】なぜイギリス国教会が成立したのか」というお話です。 ヨーロッパで起きた宗教改革によってカトリック(旧教)から独立し、プロテスタント(新教)が誕生しました。 ドイツではルター派が、スイスやフランスではカルヴァン派がプロテスタントとして誕生。そしてイギリスでもカトリックから独立し、イギリス国教会がプロテスタントとして成立しました。 ということで、今回の舞台はイギリスです。なぜイギリス国教会が誕生したのかをご紹介しながら時代のストーリーを展開していきたいと思います。 よく勘違いされていることですが、現在のイギリスはイングランド・ウェールズ・スコットランド・北アイルランドの連合国です。日本の「世界史」ではほぼイングランドについて語られているため、以下イングランド国教会と呼ぶことにします。 イングランド国王のヘンリ8世は自らの離婚を理由にカトリ
こんにちは。本宮貴大です。 今回のテーマは「【社会契約説】政府は不要!?なぜロックは政府を必要悪とみなしたのか」というお話です。 今回の主人公は社会契約説の2人目であるイギリスの思想家、ジョン・ロック(1632~1704)です。 その上で、「政府は不要!?なぜロックは政府を必要悪とみなしたのか」を見ていきながら、ストーリーを展開していきたいと思います。 本題に入る前に社会契約説における前提知識を復習しておきます。 私達は一人で生きていくことは出来ません。 そこで人々は社会を形成し、みんながそれぞれの役割分担をするようになりました。しかし、社会を作った以上、集団生活となるため、必要最低限のルールや決まりを守らなければいけません。このような人間が生きていく上で必要最低限のルールや決まり、法律のことを「自然法」と言います。 同時に人間には以下のような欲求があります。 「安心して暮らしたい」 「自
こんにちは。本宮貴大です。 今回のテーマは「【新撰組誕生】なぜ新撰組が組織されたのか【松平容平】」というお話です。 時の老中・堀田正睦(ほったまさよし)が朝廷の政治介入のきっかけをつくって以来、政治の中心として江戸から京都に注目度が高まるようになりました。京都の町では長州藩を代表とする尊王攘夷派が勢力を拡大。自分達と主義主張が異なる人物や外国人を殺害する「天誅(てんちゅう)」と呼ばれるテロ行為を開始するのでした。 1854年、日本はペリー来航を機に日米和親条約を結び、それまでの鎖国制度が破られ、開国をしました。しかし、貿易開始については先送りにされました。 そして1858年、タウンゼント・ハリスが在日アメリカ公使として下田に到着。ハリスは幕府を相手に貿易開始のための日米修好通商条約の締結交渉を開始しました。 時の老中・堀田正睦は世論には通商条約締結に反対意見が多いことを理由に、朝廷から勅許
こんにちは。本宮貴大です。 今回のテーマは「【学制公布】なぜ明治時代の就学率は急増したのか」というお話です。 江戸時代までは身分制度が強固であり、立身出世はありえませんでした。しかし、明治時代になり、身分制度が撤廃され、四民平等となりました。福沢諭吉は著書『学問のすすめ』で貧富の差は勉強したか否かの違いであると説きます。誰でも立身出世が出来る時代になったことで、当時の若者は奮い立ち、日本に教育熱が巻き起ったのです。 近代国家を有効に進めるには、国民の知識水準を高めることは必須でした。そこで、政府は、全ての国民は等しく教育受けるべきだとする「国民皆学」を目指した教育制度の充実に力を注ぎます。 その手初めとして政府は、1871(明治4)年、教育行政を担当する文部省を設置します。その翌年、学制が公布されます。これによって、フランス式の教育制度を範とし、全国を8大学区にわけ、それをさらに32中学区
こんにちは。本宮貴大です。 今回のテーマは「【日清戦争】勝利した日本が失ったものとは」というお話です。 日本と清は朝鮮をめぐって対立し、1894年、両者は日清戦争に突入しました。 日清戦争の舞台となった国はどこか知っていますか。 「日清戦争」という言葉に惑わされて、日本か中国、どちらかが戦場になったと思いがちです。日本ではないことは確かだから中国ではないか・・・。 確かに、黄海戦線や威海衛開戦など海軍同士は中国沿岸部で衝突しました。 しかし、陸軍が主に清国と衝突したのは朝鮮半島です。 日清戦争とは、日本と中国の間に位置する朝鮮半島で行われました。 1894年に勃発した日清戦争は結局、8カ月の戦闘の後、日本の圧勝で終了します。日清戦争に勝利した日本は、何を得て、何を失ったのでしょうか。 日本は清国を朝鮮から撤退させ、朝鮮を独立国と認めさせたうえで、清国から遼東(りょうとう)半島、澎湖(ほうこ
こんにちは。本宮 貴大です。 今回のテーマは「【徳川歴代将軍】3代将軍 徳川家光という人物」というお話です。 今回も番外編ということで、わたくし本宮が、江戸時代にタイムスリップして徳川歴代将軍をそれぞれインタビューしてきたので、報告をしたいと思います。 第二回目は江戸幕府3代将軍・徳川家光様についてです。 はじめまして。江戸幕府3代将軍・徳川家光です。 私は「生まれながらの将軍」と呼ばれています。確かに物心ついた時から、「あなたは将軍なのだから。」と言われ続けてきました。英才教育も受けています。 なので、常に命令口調でハッキリと物を言います。相手を威圧する術は幼い頃から心得ています。 江戸城の最終工事もようやく終わり、江戸幕府の組織体制を完成させました。 祖父である家康公を神のように崇拝しています。なので、祖父の遺骸が眠る日光東照宮を壮麗な建物に改修しました。多数の部下を引き連れ、何度も社
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