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ブックレビュー
news.yahoo.co.jp/byline/takahashikoichiro
お笑い芸人のカンニング竹山さん(45歳)は、プライベートでたびたび福島を訪れています。普通の観光客として福島に来て、県産品を食べ、酒を飲み、人に会うことが竹山さんなりの支援です。東日本大震災と東京電力福島第1原発事故が起きた2011年、TBSラジオの報道番組で福島を訪れて以降、多忙なレギュラー番組出演の合間を縫い、何度も何度も後輩芸人や奥さんを連れて福島県内各地を回り、ツイッターでその様子を発信しています。 そんな竹山さんが5月31日、廃炉作業が続く福島第1原発に入りました。親交ある元ラジオ福島のフリーアナウンサー大和田新さん(61歳)が東電との間を取り持ち、実現した私的な見学です。事務所の後輩で、出身地福岡の中学の2年後輩でもある漫才コンビ髭男爵のひぐち君(42歳)が一緒に来ました。芸人さんがプライベートで事故後の第1原発を見学するなんて、もちろん初めてのことです。 事故から5年。内部で
11月29日の日曜日、福島県南相馬市で「東京電力福島復興本社って何してるんですか」と題した小さな集まりがありました。原発事故で心身ともに傷ついた市民を元気づけようと、さまざまユニークな活動をしている番場さち子さん(ベテランママの会代表)が企画。番場さん自身が「復興本社が何をする会社なのか全く分からない」と感じたのをきっかけに、東京電力代表執行役副社長で福島復興本社の代表を務める石崎芳行さん(62歳)に来てもらい、東電はいま福島で何をやっているのか、原発はこの先どうなるのか、分からないことをみんなで何でも質問しちゃおうとなりました。元ラジオ福島で今はフリーの大和田新アナウンサー(60歳)が司会を務め、津波で両親と2人の子を亡くし、行方不明者捜索グループ「福興浜団」を率いる南相馬市・萱浜の上野敬幸(たかゆき)さん(42歳)が石崎さんの隣に座りました。 右から番場さち子さん、上野敬幸さん、石崎芳
東日本大震災の当日、福島県いわき市の高校2年工藤盛人君(当時17歳)は、介護が必要なお年寄りら5人の避難を手伝った後、津波にのまれ亡くなりました。その勇敢な行動を語り継ごうと紙芝居が作られ、両親の前で初披露されました。両親は「息子を誇りに思います」と、あらためて胸を熱くしました。 紙芝居に見入る工藤盛人君の両親(奥右側の2人、写真はすべて中村靖治撮影)2011年3月11日、盛人君は学校が休みで、太平洋を目の前に望むいわき市平豊間の自宅にいました。マグニチュード9の激しい揺れ。大津波警報を知らせるサイレン。家の前に飛び出ると、訪問ケアの高齢者を担架で運びながら介護スタッフたちが避難路を探して右往左往しているのに出くわしました。 「手伝います!」。盛人君は担架運びに加わり、一行を高台のホテルへ誘導しました。そして「足が悪いじいちゃんとばあちゃんが心配なんで」と、近くに住む自分の祖父母を捜しに海
福島県南相馬市の上野敬幸(たかゆき)さん(41歳)方前に、今年も菜の花畑の巨大な迷路ができました。昨年春に続き2回目の製作です。大勢の子供たちが背丈より伸びた菜の花の中を笑顔で駆け回ってほしい。そう願って、仲間たちと複雑な道を造りました。東日本大震災の津波で両親と2人の子を亡くした上野さんだからこその、強い思いです。 「多くの人が津波で亡くなったこの地は、とにかく涙、涙、泣き顔ばっかりだったところです。今を生きる子供たちには笑顔になって、安心してもらいたい。楽しそうな子供たちと、きれいな花を見れば、大人も自然と笑い顔になります。みんなが笑い合って、もう大丈夫だよって空を見上げれば、亡くなった人たちも天国で安心してくれると思います」 「津波の地に笑顔と安心を取り戻したい」と語る上野敬幸さん上野さんは静かにそう語ります。奥歯が砕け飛ぶほど悲しみと怒りと悔しさをかみしめ続け、想像を絶する苦悩を経
幼いころから見つめ続けた海と灯台に抱かれて、少女は天国に召されました。福島県いわき市の豊間小4年、鈴木姫花(ひめか)さん(当時10歳)。3年前、東日本大震災の津波で命を奪われました。絵が大好きで、絵がとても上手で、大人になったらデザイナーになりたいと夢見ていました。空と海と灯台を生き生きと描いた彼女の絵は、永遠に私たちの心に刻まれ続けます。 先週末の土曜日(2月22日)、震災で壊れたいわき市の塩屋埼灯台で復旧工事を終えた記念式典がありました。姫花さんの両親と2人の弟が招かれ、震災後3年の復活を祝い、一般見学再開のテープカットをしました。 岬の高台にある灯台に向かう坂道を登り切った広場の手すりに、姫花さんの絵を転写したハンカチが額に入れられ、掲示されていました。震災前の2009年、海上保安庁関連団体のコンクールで入賞し表彰された絵です。中央に塩屋埼灯台、友達が笑顔で灯台に上る姿、黄色の空に赤
東日本で記録的な大雪となった先週末、福島市郊外の国道4号でも立ち往生したトラックや乗用車が行き場を失い、ドライバーは食べるものもなく途方に暮れていました。そこへ炊きたてのおにぎりを差し入れに来たのは、沿道の仮設住宅に暮らす福島県飯舘村民でした。持病のため運転席で意識を失いかけていた人が、温かいおにぎりで命拾いしたそうです。東京電力福島第1原発事故に伴う避難が3年近く続く村民たちは「これまで国内外からさまざまな支援を受けてきた、ほんの恩返し」と謙虚に振り返っています。 福島県三春町のトラック運転手増子徳隆さん(51歳)は土曜日の15日午前、福島市への配送を終え、郡山市の会社に戻る途中でした。激しく降り続く雪で国道は大渋滞。福島市松川町付近で車列は全く動かなくなってしまいました。 福島市松川町の国道4号。奥の高台に飯舘村の仮設住宅がある。ペットボトルの水とお茶だけで一昼夜をしのいだ増子さんです
原発事故のごみは、どこに捨てたらよいのでしょうか。 福島県内の各地で除染が続いています。東京電力福島第1原発事故で大気中に放出され、降り注いだ放射性物質を取り除く作業です。地面の土をはがす、側溝の泥を取る、落ち葉をかき集める、木の枝葉を切り落とす、屋根瓦をペーパータオルでふく。作業はきわめてシンプルです。大手ゼネコンが請け負い、下請けの作業員が大量に動員されて、学校や公園、住宅、農地、宅地に近い林、道路、河川敷、いたるところでやっています。 重機で土の表面をはがす除染作業(福島県楢葉町で、撮影・中村靖治)私も福島市で除染ボランティアに参加したことがありますが、土や落ち葉をはがすと放射線量は一定程度下がります。ゼロにはなりません。ただ、少しでも線量は下がったほうがいいですから、こうした除染を地道にやっていくことは必要だと実感します。 集めた土や落ち葉、枝は除染廃棄物として白や黒の大きな袋(フ
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