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私は15歳の頃から新聞の科学の欄を収集している。読売、毎日、産経も試してみたが、朝日新聞が科学の欄は一番充実していたので、基本、朝日。二十歳頃から日本経済新聞の科学の欄も収集するように。収集歴は三十七年になる。その歴史を通覧してみる。 朝日の科学の欄は、昔、ミチミチに新しい発見が掲載されていた。しかし小泉政権が終わる頃からか、内容がどんどん貧弱に。収集するに値しない内容に劣化したことがあり、朝日新聞にメール送って文句言ったことが2回。当時で二十年も収集してる読者の意見は重みもあったのか、まもなくマシになった。 しかし、日本経済新聞の科学の欄を見ていても、小泉政権が終わる頃から面白い発見が減少していく様子が看て取れた。大学や企業からの新技術に関するプレスリリースや学会発表が減っていることが推察された。 今は朝日も日経も、特定のテーマを掘り下げた記事で科学の欄を大きく埋めるスタイルが増えた。以
「学習には強制が必要」という話を見かけた。そういえばEテレの番組で、子どもが楽しそうに学んでいると勉強しているように見えない、つらそうに取り組んでないと勉強しているとは思えない、という母親が登場していて、ははあ、そういう感覚もあるのだなあ、と驚いたことがある。 しかし、五十歳を超えた今になっても、強制はキライ。強制されたことは記憶から拭い去りたくなる。なんなら別のアプローチで学び直して、強制された記憶を上書きしたくなるくらい。私が指導してきた子どもたちも、強制は大嫌い。 「泣いて馬謖を斬る」という故事がある。孔明が「山の上に陣を築いてはならない」と口酸っぱく注意したのに馬謖は山の上に陣を築いてしまい、大敗の原因となり、その罪で馬謖を切らざるを得なかった故事から来ている。 ではなぜ馬謖は言うことを聞かなかったのか。 孔明から強制されたから。 孔明から注意を受けたことで、馬謖はアマノジャクな気
私は競争原理に批判的。トップの人間以外の、大半の人間の意欲を削ぎ、劣等感を与えて無気力に導くことがほとんどで、集団としての活力はむしろ奪われるから。 ただ、人間には競争心があるのも確か。そこで私は「負ける」ことにより意欲を刺激する、ということはよくやっている。 今年は息子にとって初めての大峯山。私も小学5年生で初めて登った。その時のリュックの重さは4キロ。息子は少し負荷をかけて5.5キロ。「お父さんを超える!」と意気込んで登った。 初日こそ加減が分からず、緊張もあってヘバったようだが、二日目以降は弾むように登っていった。三日目は走っていた。 かたや私は、23キロの大荷物を担いでいるとはいえ、登りはヒイヒイ、下りはイテーイテーと言いながら、苦心惨憺して登り降り。その様子を見て、息子は自分の体力に自信を持ったようだ。下山後も走り回っていた。父親よりも体力が勝る部分がある!という自信がついたのだ
女性宇宙飛行士となった山崎さんの夫の手記を読んだことがある。山崎さんが宇宙飛行士になれるよう、専業主夫になったけど、自分の名前を呼んでもらえず、「山崎さんのダンナさん」「○○ちゃん(娘)のお父さん」としか呼んでもらえなくなったという。すると。 精神的に非常に不安定になったという。それまでは自分も会社に所属して、どこの部署の何々さん、と、自分の「座標」を確認でき、人とのつながりも直接的に感じることができたのに、妻と娘を通じてしか社会とつながれず、自分の座標を見失い、宇宙空間に放り出されたような不安な感覚になったという。 家族がいてもそれだけ不安定化するのに、もし独り身だったとしたら。誰でも不安定になって不思議ではない。まだ働いているうちは会社の中で自分の座標を確認できる。しかし定年退職し、社会とのつながりを失うと、自分の座標を確認することは非常に困難になるだろう。 孤独な高齢者が増えている。
年配男性に比較的よく見られるように思う「呪い」。他人と向き合う際、「へりくだる」と「なめられるまい」のニ種類しかないように思い込んでる人を見かけることがある。だいたいそういう方は、仕事人間で来たご様子。 会社で営業していれば、お客さんに気持ちよく過ごしてもらうために「へりくだる」必要があるのはご存知の様子。これを続けていればお客さんとは良好な関係を続けられる。ただしこの関係は、相手を上位に置き、自分を下位に置く関係だから、そんな人間関係ばかりだとつらくなるらしい。 で、「なめられるまい」という気持ちがもたげて、「オレはこんなビッグな仕事をしてきたんだ」と自慢を続けるようになってしまう。こんな態度をされた側は、「へりくだる」か、うっとうしい人だと敬遠するかを余儀なくされる。このため、人が遠ざかりがち。 「へりくだる」では面白くないから「なめられるまい」をする。しかし「なめられるまい」は、相手
欧米には「分割して統治せよ」という統治術がある。ベルギーはルワンダを植民地にしたとき、鼻の高さなど些細な違いを理由にツチ族とフツ族に分け、片方を優遇することでいがみ合わせた。これが後の虐殺を生む原因ともなった。 国の内部でいがみ合わせると、統治者への憎しみが分散する。 「まさか」と思いつつも、もしかしたら日本で「競争原理」を流行させ、正社員と非正規社員とに分断し、いがみ合わせ、労働者がまとまらないように仕向けたのも、日本の活力を奪い、その間に漁夫の利を得る「統治者」による現代的な「分割して統治せよ」なのかもしれない、という気がする。 日本の強みは労働者が強いことだった。しかも会社への忠誠心も厚いという特徴があった。戦後、労働運動が盛んで会社と労働組合との衝突が絶えない中、カネボウは企業と労働者は同じ船に乗る運命共同体だとした(労使運命共同体論)。ここから、労使協調して企業の発展に尽くすとい
「競争すれば成長する」という言葉を、疑いなく使う人は少なくない。しかし私には、ひどく解像度の悪い言葉に思えて、ピンとこない。塾で子どもたちを指導してきて、競争させてうまくいくことはなかった。優等生しかいない塾でのトップ争いなら競争原理は有効に働くかもしれないが。 最初に書いた本で、シンクロナイズドスイミングの監督、井村雅代氏を例に挙げた。井村氏は選手たちを厳しい競争の中に叩き込んでトレーニングさせ、メダルをとれる位置につけ続けた。こうした様子を見たらなるほど、競争原理は有効に見える。けれど。 井村氏のもとには、全国トップクラスの選手が集まった。その中でさらに生き残りをはかる競争。もし脱落者が出ても、オリンピックを夢見る別の選手が入ってくる構造。こうした憧れの場所であるならば競争原理という「選抜」機能も有効に働くかもしれない。しかし。 多くの企業は大企業のような憧れの職場でもない。全国の俊秀
竹中平蔵氏はひどく賢い人だと思う。「頑張る人間には報い、そうでない人は淘汰される、それが競争社会、これからそれがますます加速する」と主張。この論理は実に巧み。高給をもらっている人は「自分が頑張っているからだ」と自信を深める。貧困にあえぐ人は自分に力がないからだと自らを責める。 しかし有能だとされて高給をつかむのはごく一部。そうでない人は派遣社員や契約社員などになるしかなく、正社員でも給与水準を下げられ。こうすると、高給取りと正社員と派遣・契約社員とが互いにいがみ合う。労働者同士で反目し合う。「協働」が難しくなってしまう。 「これから競争社会になる」と言えば竹中氏に非はなく、世の中が勝手にそうなるのだと、世界のせいにできる。 こうした構造を作った上で、派遣会社の会長におさまり、派遣社員から上前をはねて自分の収入にする。実に賢い。 また、労働者同士がいがみ合い、反目し合う中で、株主への還元をや
大企業に任せてしまえば農業は効率化する、という意見は根強い。それに関連して、興味深い話を聞いた。 栗和菓子屋さん。農家が高齢化し管理できなくなった栗園を引き受け、社員が栽培管理。しかし、条件のよい栗園以外は頼まれても断るようになったという。理由は人件費。 企業が農業をする場合、最低賃金以上を保証しなければならない。しかしそうすると、農家が作る栗より高くなってしまう。なぜそうなってしまうのか。農家は自分の人件費のことを考慮しないで安く売っているから。つまり、今の農産物価格は農家の自己犠牲のおかげで安く済んでいる。 もし農家がみんな農業をやめてしまい、企業が農業をやるようになって、もちろん最低賃金以上を保証するならば、農産物の価格は今以上に高くなる可能性がある。 しかしここで疑問が一つある。海外では企業化した大規模農業があり、非常に効率的に安価に農産物を生産している。日本でもそうしたら? とこ
江戸時代は資源リサイクルも行われた、安定した定常状態だったと思われがちだけれど、解像度を上げてみるとかなりの流転がある。 江戸時代に入る前の安土桃山時代から、吉宗の活躍した享保時代までは、耕地面積の拡大と人口増大が続いた。なぜかというと。 戦国時代には、平らな土地である平野での耕作は難しかった。雨が降ったらいつまでも水が引かず、水浸し。稲もそのままでは水没してしまう沼地。疫病も発生しやすく、人の住む場所ではなかった。 このため、日本の農業は長らく、緩やかな傾斜のある、水位を制御しやすい中山間地で行われていた。 しかし戦国大名の中から、平野部を広大な耕地に作り変える技術を備えるものが現れた。甲府や静岡あたりで、平野部での水抜きと水やりを可能にする水利工事が行われた。広大な沼地は、適度に水位をコントロールできる田んぼに変わり、飛躍的に生産が伸びた。武田信玄や今川義元らが強くなった理由。 この技
日本は「育てる」のがヘタクソな国になったと思う。「カネを払ってるから言うこと聞くべき」という性急さ、単純さが、学術会議ばかりか、部下育成でも子育てでも顔を出す。その性急さの故に子どもも、人も、学術さえも育てられなくなっているように思う。 https://news.yahoo.co.jp/articles/d9d0dbf8d6403942f2c546cd15327e564fc505bb 孟嘗君は「食客」という、何も義務を負わない人間を多数抱えたことで知られる。孟嘗君から彼らに何かしてもらおうとはしなかった。 一見ムダにしか思えないこの食客らは、孟嘗君のために中国全土から情報を集め、アドバイスした。この結果、群雄割拠の時代にあって、孟嘗君は六カ国の宰相となった。 孟嘗君のこの成功を見て、見習う者が出てきた。春申君なども食客を多数抱えた。食客という自由人を多数抱えることが、たった一人では決してた
物分りのいい人(子)と悪い人(子)がいる。これを「理解力の差」ととる人が多いけれど、私はそうは思わない。物分りののよい人は「あまり考えずに捨てることができる人」、悪い人は「考えすぎて捨てられない人」だと感じることがほとんど。 私は典型的な物分りの悪い子で、中学三年生になるまで文章問題が壊滅的だった。「太郎くんは駅まで時速2キロで歩いて駅まで、花子さんは時速4キロで自転車で」という問題を読んだとき、「なぜ花子さんは太郎君を乗せて上げなかったのか?二人乗り禁止だからか?」とよけいな方に考え過ぎた。 文章問題から連立方程式を作る際は、太郎君や花子さんという情報、歩いてるか自転車かという情報を捨て、数字だけの関係に着目する必要がある。物分りのよい子はこの「捨てる」ができる。たとえ太郎君が次郎という名前であろうと、花子さんが自動車を乗り回そうと、それらは捨てればよいと見抜ける。 しかし物分りの悪い子
私は部下育成の方法として「失敗を楽しむ」ことを推奨している。すると、医療関係者や介護の現場の方から「我々は人間相手だから失敗させるわけにいかない、どうすれば」というご意見を頂く。実は研究の世界でも失敗できないものが多々ある。高額機械は取り扱いを誤るとあっと言う間に壊れてしまう。 そこで私は「模擬失敗」をしてもらう。「ここを押すとどうなると思います?」と問うて、考えてもらう。最初は皆目見当がつかないから、初心者スタッフは何を聞かれてるのかさえ分からない。そこで次にヒントを散りばめながら次の問いを。「ここがこっちにつながっているでしょ。だとしたら?」 「あ、ここでよけいな力がかかって壊れてしまいます・・・?」「ご明答。ではこのスイッチを押したらどうなると思います?」 このように、やっちゃいけない操作について、それをやったらどうなるかを考えてもらう。その際、着眼点を示し、スタッフに観察し、仕組み
なぜ日本は長らくデフレ経済に陥ったのか。金融政策に原因を求める意見もあったが、日銀総裁の黒田氏があれだけの金融緩和を続けてもデフレを食い止めるには不十分だった。ということは、別に大きな原因があるように思われる。私は、誤った経営モデルを選択したことに大きな原因があるように思う。 バブル崩壊後、日本経済は低迷を続けていた。阪神大震災後もそれは続いた。官僚たちはこのとき、何を経営モデルにしたらよいのか分からなくなっていたらしい。震災後、何を血迷ったのか、急に新聞などで持ち上げられ始めたのが百円ショップとユニクロだった。 この2つの業態は、海外で安く生産し、それによって国内でひどく安く売ることを可能にしていた。当時、ユニクロ以外の国内業者は国内でデザインし、国内で生産するとどうしてもTシャツ一枚千円を下ることはできなかった。しかしユニクロはなんと三百円で販売した。全く太刀打ちできなかった。 当時、
勉強しようとしない我が子を見て、「勉強しないとどうなってしまうか」という将来の話をし、なんとか勉強する気を起こさせよう、とする親は多い。気持ちは分かる。勉強しなければ損をする。我が子を思えばこそ、勉強しとけとアドバイスせずにはいられない、と。ただ。 「勉強しなければこうなってしまうぞ」という話は、子どもにとって脅しとなる。そうした脅しを聞いた子どもは勉強に対してどう思うかというと、「こんな脅しでもかけないと勉強しないと思われるくらい、勉強というのはつらくて面白くないんだ」という裏メッセージを受け取ってしまう。その結果。 ますます勉強するのが嫌になる。脅さなければ勉強するはずがない、という親の思いを感じ取って、ますます勉強に対して気が重くなる。ほとんどの子はこのためにますます勉強が嫌になり、なるべく逃げようとする。逃避しようとする。 ごくたまに例外がいる。もともと勉強ができる子。自分は良い成
気になることを聞いた。とある地域で水路が古くなり、国が改修費20億円のうち19億円を負担、地域の人は1人7万円の負担で済むという。この破格の条件でも反対の人が多く、水路を修理できなさそうという。もしそうなれば、その流域数百haの水田がダメになる恐れがあるのに。 反対する理由は、もし農業用水の水路を修復してもらうと、農業振興地域の指定がかかり、田畑を売って宅地にするということができなくなってしまうから。 こうした事例が全国的に起きているかも。実際、農業関係者の集まるサイトで尋ねてみると、似たような話が続出しているらしい。 コメというのは、その田んぼだけ水田にすれば育てられるというものではなく、その流域の農業用水の水路がきちんと機能している必要がある。もし水路がダメになってしまうと、その流域では水田を保つことが難しくなり、コメの生産はかなり難しくなる。 コメは、水田でなくても畑で育てることは可
国語力を上げることは難しい、とよく言われる。本を読むことが推奨されるけど、本なんてすぐにはなかなか読めない。どうしたらよいか? 私は「品詞分解」が非常に効果的だと考えている。 たとえば「私は品詞分解が非常に効果的だと考えている。」という文章を品詞分解する場合、写真のように ①横棒で文節を区切る。 ②単語に分ける。自立語はタテ一本、付属語は二重線。 ③単語の品詞を書く。 ④単語の細かい分類を書く。名詞なら代名詞や普通名詞、動詞なら何行何段活用何形か。 ①文節に切る。「私はね、品詞分解がね」というように、「ね」で区切れるのが文節。ちなみに写真では「考えて」「いる」を区切り忘れている。②③④これを毎日少しずつやり、学校の先生か塾の先生に見てもらう。半年もやると文法のことがすっかり理解できるようになる。 私はこの品詞分解の訓練をするまで、修飾部や述部とかもわからないし、修飾語や主語と何が違うのかも
中学生で偏差値64未満の子(※)は、小学校の内容であやふやな部分が残っているリスクがある、と書いたら、意外に思われた方もいらっしゃったよう。偏差値64って、結構高い。小学校の内容「ごとき」ができないもんだろうか?と思われる方がいらっしゃるのも不思議ではない。しかし小学校の内容、侮りがたし。 私の許には旧帝大の学生がよく研究しに来る。で、濃度計算をしてもらうのだけれど、結構間違う。最初から間違えずに済んだ学生はこれまで2,3人しかいない。それ以外は全員苦労した。勘違いを回避するポイントを知らないと、よく間違える。そして、濃度は小学校で習う内容。 私の体感だと、旧帝大の学生は小中学校の学習内容をマスターできているけれど、それに達しない成績の学生は、小中学校の内容でどこかアヤフヤな部分を残している。しかし結構よい成績をおさめてきた学生は、小中学校の内容を見直すことをしようとしない場合が多い。これ
人類にとって厄介なこと。それは、「石油が儲からない資源になり始めている」こと。 石油が利用され始めた頃は、噴水のように石油が吹き出していた。この時代は、採掘に1のエネルギーを投じたらその200倍のエネルギーが得られた(EROI=200)。しかし現代は10倍を切り始めている様子。 シェール革命とひと頃騒がれたが、シェールオイルは水などを地下に注入するためのエネルギーが膨大で、石油エネルギーは10倍程度しか得られない。このため、投資家にとっては「割の合わない商品」になりつつあり、石油に投資することを見合わせるようになり始めている。 石油を採り続けるには、古くなった設備を更新しなければならないのだが、投資が集まらない。石油会社も及び腰。かなりのお金を投じても10倍程度のエネルギーしか得られないなら、儲からない。このため、特にシェールオイルに関しては、油田が放棄され始めているという。 ロシアによる
NHKはかつて、「欲望の資本主義」という特集を組んだことがある。資本主義の駆動力は欲望だ、ということを端的に表した言葉だと思う。 けれど、私は欲望以外の駆動力が可能なのではないか、と考えている。それについて、言語化を試みたい。 これまで、資本主義が欲望を原動力にしてきたのは無理もないと思う。第二次世界大戦が終わるまでは、実は先進国でも貧しい人が多かった。その日を生き延びるので精いっぱいの人がいた。そうした労働者の苦しみを見て、共産主義が生まれたようなもの。 しかし共産主義は、その名の通り、産み出したものはみんなのもの、共有財産、という考え方だから、頑張っても頑張らなくても報酬は同じ。このため、多くの人々がやる気を失い、頑張らなくなったと言われる。どれだけ欲望を持っていても報酬が同じなら、働かないでおこう、となってしまった。 欲望を原動力にできなくなった共産主義は、やがて社会が停滞し、発展で
「ヤンキーはどこに行った?」という話が、いつものウェブ飲み会で。昔はいわゆる不良、非行少年がいて、大人にやたらと楯突くヤンキースがいた。暴走族など、かなりヤンチャな青少年がいた。今もいないわけではないが、ほとんど目にしなくなったのはなぜだ?と。 補導員がシンナー少年に刺されて死んだ、という事件がきっかけのように思う。その補導員の子どもが私の塾に来ていた。あの事件以来、大人が子どもの前に立ちはだかることがなくなった。「もしタバコを吸ってるのを注意したりなんかして刺されたらたまらない」と。 それまでの大人は、子どもに注意するのが当たり前とされていた。ガンコ親父、ガミガミ親父という人は一定数いた。そしてヤンキーの子らはそのオヤジ達を挑発するかのように目の前でタバコを吸い、シンナーを吸い、暴走行為を働いていた。しかし肝腎の大人が壁として立ちはだからなくなると。 いくら大人たちの目の前でタバコを吸っ
NHKやEテレを見ても、あるいは新聞記事でも、食品ロス(フードロス)ゼロを目指せ!とよく呼びかけられている。しかし食品ロスゼロは決して目指してはいけない。多すぎる食品ロスは減らした方がよいが、決してゼロにしてはいけないものだということを、今回お伝えしようと思う。 安全余裕という言葉がある。例えば原子力発電で、発電に必要なギリギリの強度にしてしまったら、とても怖いことだと思われないだろうか。少々の事故が起きても爆発したり異常を起こしたりしないように、意図的に原子炉は余分に頑丈に作られている。その余分を安全余裕と呼んでいる。 これは車のエンジンも同じ。最大出力ギリギリの強度に設定してしまうと、車は壊れてしまいかねない。だから最大出力で走ったとしても壊れはしない頑丈さでエンジンを設計する必要がある。全ての製品はそうした安全余裕を確保した形で作られている。 食料供給もこれと同じで、安全余裕が必要。
FB で面白い投稿があった。オーストリア人のピアノ教師と結婚した人の話。その人は子どもの頃、6年間もピアノを習っていたが、つまらなさ過ぎてやめた経緯があった。ところがあることがきっかけでピアノの面白さに気が付き、夫に教えてもらうことに。そのときの話が衝撃的。 日本だとピアノ習い始めの子に必ずと言ってよいほど課されるバイエルは、その夫によると、学生時代、音楽教育法の講義で「昔の悪い例」として習ったのだという。 悪い教え方の見本! オーストリアではとっくの昔に、その子にあった教本を探して教えるのが一般的なのだという。 日本では正しい指使い(運指)を習得するのに最適だとして、バイエルを教えるのが普通だと言われる。そしてそのために、ワクワクしてピアノ教室に通い出した子どもたちが、次々とピアノ嫌いになっていく。その曲があまりにもつまらなさ過ぎて。 私は剣道をやっていた。ピアノでバイエルが基礎として重
日本の農家は超高齢化が進んでいて、それでいて後継者がいないのが悩みとなっている。実は先進国はどこも同じような悩みを抱えているらしく、15年前、イギリス王立農業大学に留学していた学生が「イギリスでも高齢化と後継者不足は問題になっていますよ」と。 これは「エネルギー革命」に関係しているように思う。戦前にも石油の利用は始まっていたが、まだ石炭の利用が主だった。自動車はまだそんなに普及が進んでおらず、トラクターなどの農業用機械も普及していなかった。まだ牛や馬を飼って耕していたら大したもの、人力で耕す農家も多かった。 戦後、石油で動く動力が急速に普及した。トラクターは大面積をあっという間に耕すことを可能にした。一人が土日に耕すだけでコメを育てられる時代になった。国民の約半数が農家だったが、労力がいらなくなった分、農家はもっと減ってよい時代になった。そして減った。 もう一つはケインズ経済学。戦前の自由
私の父はいわゆる不良や非行少年の面倒を好んで見ていた。幼かった私から見れば気のいい兄ちゃんらで、私に乱暴したりちょっかい出したりすることはなかった。 父がふと漏らした言葉を覚えている。「教師と警察官の子は、どうもグレることが多いなあ」。 調べてみたが、教師や警察官の子どもが非行に走りやすくなるという統計は見当たらなかった。ただ、「不良塾」とも呼ばれた私の塾には、なかなかの問題児が集まっていたのだけれど、教師と警察官のグレたのが散見された。多いかどうかは分からない。しかし、グレた理由はどうも親の職業にあるらしい。 ではなぜ彼らは親が教師、警察官だからという理由でグレたのか。私の見たケースでは「家の中に教師はいるけど親はいない」「家の中に警察官は居るけど親がいない」のが理由であったようだ。 しかし子どもにとっては親。子どもがいてほしいのは親であって教師ではない。なのに親がいなくて教師がいる。
真面目に育児した人から意見を聞いた形跡がまるで見えない。びっくり。 https://news.yahoo.co.jp/articles/6a8002cf6e47f2a86464bf9c074221be94d3c9d9 知人は産後休暇・育児休暇という「休暇」という名称が様々な誤解(特に育児経験のない一定年齢以上の男性)を生んでると指摘する。そこで知人の推奨してるのが「出向」。産後出向、育児出向と呼べば、育児は仕事と匹敵するどころか「こんなに大変とは思わなかった」というイメージに一歩近づく。 職場からすれば、職場を離脱したら休暇だと言いたいのだろうけど、休暇という言葉は「何もすることがなくダラダラできる」というイメージがこびりつき、これが育児経験のない高齢男性に思い違いを増幅させる原因になっているように思う。しかも育児休暇を取った男性まで勘違いするケースがあるという。 せっかくの休暇なんだから
私は頬を噛んだ跡が必ず口内炎に。チョコラBBを教えてもらい、飲むようにしたら、口内炎で悩まされることがなくなった。 チョコラBBが切れたので薬局に買いに行くとプライベートブランドを勧められた。「成分同じ!量もたっぷり!しかも安い!」騙されたと思って買ってみた。 そして騙されたと思った。チョコラBBなら一回1錠なのに2錠飲めと。倍。これじゃ増量の意味がない。何より効かない!噛んだところが口内炎になる!意味ない! 確かに成分表見ると一緒なのに効果がない。成分同じでも効くとは限らないんだなあ、と思った。 以来、プライベートブランドの薬は買わない。 体操服の頑固な汚れを落とす特殊な洗剤を売ってるメーカーの方から聞いた話。ある時、顧客から「汚れ落ちない」と苦情が相次ぐように。製造プロセスや製法などを全部チェックしたが原因が見つからない。疑うのは原料しかない。そこで原料を提供してる会社に電話してみた。
ある人と喋っていて「農林水産省さえ動かせば国が動くと思ったが駄目だった」という話があった。二昔ほど前だったら農林水産省を動かせば国を動かせたかもしれない。しかし今は無理。官僚の練り上げた政策を政治家が取り上げることがほぼなくなってしまったから。 官邸主導ということで政治家が政策を決定するようになっている。このため政治家が気に入らなければ官僚の提案はまるで無視されるようになった。他方、政治家の思いつきのアイデアが政策になり、それがあまりに粗雑で問題含みでも、官僚は怖くて忠告できなくなった(忠告した者は飛ばされた)。 そして、政治家はお気に入りの人間からしか意見を聞かないものだから、現場で起きてることを政治家の耳に届けようとしても馬耳東風。そんなシステムになってしまっている。いまや省庁に陳情に行っても取り上げてもらえるとは考えない方がよい。一応、首相が変わって風向きは変化してるのだけど。 政治
食料危機の話になると「弱く貧しい者が餓死するのはやむを得ない」と、物知り顔に、平気で口にする人に結構出くわす。自分にはお金や社会的地位があるから餓死することはないと安心しきっての発言のように思う。しかし一つ大切なことを見逃しているのでは。人間は餓死する前に餓鬼になるということ。 私は計2回、断食したことがある。最初の断食は特にキツかった。 山にこもり、テントを張って、塩と水だけで過ごすことに。最初の2日間はなんとかなった。腹が減れば水をがぶ飲みしてしのいだ。あとはフテ寝すれば空腹をしのげた。 三日目は手を上げるのもつらくなり、本を読んでいられなくなった。それでも日中は、葉が風で揺れているのを眺めたり、アリの行進を眺めてヒマ潰しができた。味覚が敏感になり、水は金属臭がするようで、空腹を紛らわすことはできなくなった。塩をなめてもダメ。滋養のあるものを食え!と体が命じる。 嗅覚が敏感になり、なん
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