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西京新聞社版「京都新聞」から、いきなり遠ざかってしまうのだが、山本覚馬を呼び出したので、今回は覚馬の「新聞紙」観を紹介してみる。取りあげるのは「山本覚馬建白」である。 本題に入る前に、前提として山本覚馬の紹介が必要になるかも知れない。このブログではすでに何度か登場しているし、明治の京都に関心を寄せるのであれば、キーパーソンの一人だが、世間一般的な知名度という点では心もとない。来年の大河ドラマ『八重の桜』を見据えた本が書店に並ぶ頃になると、覚馬の知名度も格段に上がるはずだが(八重は覚馬の妹である)、現時点ではマイナー視されてもやむを得ない……というようなことを言い出すと、前振りの、そのまた前振りが冗長になってしまう。というわけで、いきなり覚馬のプロフィール。といっても、実は以前にある程度のまとめはしているので、そちらを参考にしてもらうことにしよう。 参考記事 この記事の後半部分、「会津の怨念
京都府立資料館の開架棚で「追悼集」というタイトルの雑誌が数冊並んでいるのが目に留まった。同志社関連のコーナーだから、新島襄ほか、同志社に関わる人々の追悼文を集めたもののようである。以前、山本覚馬に触れた際、「現在の同志社大学は、新島襄ひとりを創設者として崇め、覚馬についての触れ方は、新島に比べて極端に少ない」とも書いたが(参考までに)、さすがに社史資料室が編纂する書籍においては、覚馬には重要なポジションが用意されている。 それはさておき、たまたま目に留まったのを機に「追悼集」Ⅰ~Ⅷなる本をパラパラ眺めてみた。山本覚馬関連の記事もそれなりに含まれているのは当然だが、その中で特に興味深く思えた一本があったので、ここで取りあげてみよう。第Ⅱ巻所収の「盲目の偉人 山本覚馬翁-管見を読む-」(竹林熊彦)がそれである。 竹林熊彦は図書館学の研究者で、同志社で教鞭をとったことのある人物。「盲目の偉人 山
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