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毛沢東には、相手をリラックスさせ自由に語らせる雰囲気がありました。そして李志綏の弱点をしっかりと把握したうえで、それは何の問題でもなく、「君は餓鬼だった」「問題は真心だ」と言って、彼を安心させ過去の重荷を取り払ってくれました。 毛沢東は初対面に相手に対していつもこの手を使う、ということに李志綏は次第に気づくようになりました。相手の弱みをしっかりと握った上で、毛沢東はそれを問題にしないという態度をとるのです。 毛沢東以外の者は、相手の弱点を掴んで離さず、その古傷を暴いて相手を責めたてます。ところが毛沢東はそういうことをしないで普通に接してくれるので、毛沢東を頼るしかないのです。このようにして毛沢東は相手を服従させ、利用しました。 毛沢東の周囲には、劉少奇・林彪などの後継者と目された者がいましたが、みな毛沢東方式を理解せずに、失脚して消えていきました。彭徳懐という元帥は、軍事的才能があり、貧農
共産党の最高幹部の中で毛沢東に批判的だったのが、劉少奇と鄧小平でした。彼らは毛沢東が大躍進運動で大失敗したのを見て、毛沢東を野放しにしたら支那が潰れると思ったのです。毛沢東の方も、この二人を目の敵にしました。 毛沢東は、「四人組」などを使って二人を抹殺しようとしました。李志綏は、劉少奇と妻の王光美の二人が第8341部隊の下級将校や紅衛兵によって囲まれているのを目撃しました。二人は群衆の真ん中に立たされ、殴られ、髪の毛を掴まれて引きずり回されていました。劉少奇のシャツは引き裂かれて肌がはだけ、ボタンがちぎれていました。 鄧小平と妻の卓琳の方は、周囲から罵声を浴びせられてはいましたが、殴られてはいませんでした。毛沢東は、鄧小平に関しては懲らしめるだけで、また後から使おうとしていました。鄧小平はまだ若く、実務的な才能があり、殺すのは惜しかったからです。第8341部隊の下級将校は、毛沢東の意向を承
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