サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
円安とは
tsubouchitakahiko.com
副島種臣に強い影響を与えたのが、神道霊学中興の祖・本田親徳である。本田が再編した神道霊学とはいかなるものだったのか。宗教学者の鎌田東二氏は、『神界のフィールドワーク―霊学と民俗学の生成』(創林社、昭和60年)において、次のように指摘している。 〈……安政四年(一八五七)頃に、本田親徳は神祇伯白川家の最後の学頭であった高浜清七郎と交わっているので、高浜より伯家神道の神事秘法について教示された可能性もある。かつて平田篤胤も伯家の古学方教授やのちには学頭に就任したことがあるが、この伯家神道すなわち白川神道には「十種神宝(とくさのかんだから)御法」という行法が伝わっている。……文久二年(一八六二)の八月一日付で、その頃備前国岡山に住んでいた高浜清七郎は、「十種神宝御法口授」の認可を受けたことが『白川家門人帳』に「高濱清七郎(源政一) 右今般依願、十種神宝御法被口授訖。万事正路之心得を以、可令修行。
NPO法人 万年野党とはいったい何なのか。竹中平蔵、宮内義彦、髙橋洋一、八田達夫、八代尚宏といった名だたる新自由主義者が名を連ねている。モルガン・スタンレーMUFG証券㈱・チーフエコノミストのロバート・フェルドマンも入っている。 活動内容として、「政策の監視と対案の提示」が挙げられているが、新自由主義に反する政策を監視し、さらなる新自由主義的対案を提示するということなのか。また、国会議員の評価をするというが、これまた新自由主義に忠実かどうかを尺度にして評価するということなのか。なぜわが国の国会議員が外国人に監視されなければいけないのか。 まさに、万年野党の正体は竹中平蔵を中心とする新自由主義者の圧力団体である、といっていいだろう。 5月26日に設立記念イベントを行ったというが、その場所がなんとスターライズタワー。ここはパソナが所有する施設だ。
慶應四年八月二十七日、明治天皇のご即位式が行われ、以下の宣命が発布された。 「現(アキツ)神(カミ)止(ト)大(オホ)八(ヤ)洲(シマ)国(グニ)所(シロ)知(シメ)須(ス)、天(スメラ)皇(ミコト)我(ガ)詔(オホ)旨(ミコト)良(ラ)万(マ)止(ト)宣(ノリ)布(タマフ)勅(オホ)命(ミコト)乎(ヲ)、親(オホキミ)王(タチ)諸(オミ)臣(タチ)百(モモノ)官(ツカサ)人(ビト)等(タチ)、天(アメノ)下(シタ)公(オホミ)民(タカラ)衆(モロモロ)聞(キコシ)食(メセ)止(ト)宣(ノリ)布(タマフ)。掛(カケマクモ)畏(カシコ)伎(キ)平(タイラ)安(ノ)宮(ミヤ)爾(ニ)、御宇須(アメノシタシロシメス)倭(ヤマト)根(ネ)子(コノ)天(スメラ)皇(ミコト)我(ガ)、宜(ノリ)布(タマフ)此(コノ)天(アマツ)日(ヒ)嗣(ツギノ)高(タカ)座(ミクラ)乃(ノ)業(ワザ)乎(ヲ)、掛(
明治の自由民権運動の一部は、國體思想に根差していたのではないか。拙著『GHQが恐れた崎門学』で、「自由民権派と崎門学」の表題で以下のように書いたが、「久留米藩難事件で弾圧された古松簡二は自由民権思想を貫いた」と評価されている事実を知るにつけ、そうした思いが強まる。 〈維新後、崎門学派が文明開化路線に抵抗する側の思想的基盤の一つとなったのは偶然ではありません。藩閥政治に反対する自由民権派の一部、また欧米列強への追随を批判する興亜陣営にも崎門の学は流れていたようです。例えば、西南戦争後、自由民権運動に奔走した杉田定一の回顧談には次のようにあります。 「道雅上人からは尊王攘夷の思想を学び、(吉田)東篁先生からは忠君愛国の大義を学んだ。この二者の教訓は自分の一生を支配するものとなった。後年板垣伯と共に大いに民権の拡張を謀ったのも、皇権を尊ぶと共に民権を重んずる、明治大帝の五事の御誓文に基づいて、自
労働分野における新自由主義の導入は、格差拡大のみならず、日本社会崩壊につながる重大な問題をはらんでいる。 小泉政権以来の派遣労働自由化の流れは、2009年の政権交代によって、ようやく変わるかに見えた。同年9月9日、民主党、社会党、国民新党の連立与党が、次のように合意したからだ。 「日雇い派遣」「スポット派遣」の禁止のみならず、「登録型派遣」は原則禁止して安定した雇用とする。製造業派遣も原則的に禁止する。違法派遣の場合の「直接雇用みなし制度」の創設、マージン率の情報公開など、「派遣業法」から「派遣労働者保護法」にあらためる。 ところが、この合意に基づいて提出された派遣法改正案が、いま骨抜きにされようとしている。以下、副島隆彦氏のブログから引用する(2009年8月1日、ルビは割愛)。 《労働者派遣法は、許しがたい悪法であった。以下でその成立の経緯は、概略説明する。 企業が、正社員を雇う必要がな
2014年5月10日に放送された「激論コロシアム」(テレビ愛知)において、三橋貴明氏は竹中平蔵氏に対して、政府の諮問会議などで民間企業の経営者が自分の会社の利益になるような提案をするのはおかしいと批判した。さらに三橋氏は、パソナ・グループの会長である竹中氏が諮問会議などの場で労働規制緩和について議論することは問題だと指摘すると、竹中氏は「私はそれに関して何も参加してないんですよ」と語った(→動画)。 しかし、これは明らかにウソだ。産業競争力会議において、竹中氏は労働規制緩和に関して次のような発言をしていた。 ●「第4回産業競争力会議」(2013年3月15日) 「労働移動型の解雇ルールへのシフトは大変重要。判例に委ねられているのは、ルールとして不明確であり、明文化すべき。金銭解決を含む手続きの明確化することが必須である。早急に議論を煮詰めていくことが必要である。雇用調整助成金を大幅に縮小して
文明間の対話とも、普遍的な人権思想とも矛盾しないような、儒教思想の確立を目指しているのが、ハーバード大学教授の杜維明氏である。 彼は、宗教思想が担うべき役割の重大さを十分に認識している。2005年4月に「宗教―相克と平和」をテーマとして開催された「国際宗教学宗教史会議第19回世界大会」(日本学術会議など主催)の公開シンポジウム「宗教と文明間の対話」で、彼は「現代は〈第2の軸の時代〉を迎えているのかもしれない」と指摘している。ソクラテスや孔子、ブッダなどを生み人類の精神史に決定的な足跡を残した紀元前8~2世紀頃を、ドイツの哲学者カール・ヤスパースは「軸の時代」と位置づけたが、杜氏は現代はブッダや孔子に匹敵するほどの深い知恵を必要としていると指摘しようとしたのであろう(『読売新聞』2005年4月7日付夕刊)。 1940年に雲南省昆明市で生まれた杜氏は、ハーバード大学の燕京(Yenching)研
「書評 オ・プルブ著『モンゴルのシャマニズム』(モンゴル語)、民族出版社(北京)434ページ、2006年」
田中逸平の名は、大正13年にイスラームの聖地マッカ(メッカ)への巡礼を敢行し、さらに死の直前に2回目の巡礼を果たしたことで知られる。田中の思想と行動の重要性は、興亜論発展の一環としてイスラームの真髄を理解しようとした点にある。 田中は、明治15年2月2日に現在の東京都・下小金井市で生れた。幼くして漢文の素養を磨き、明治33年台湾協会学校(拓殖大学の前身)に第1期生として入学している。明治35年に学業を終えた田中は北京へ遊学する。 中国思想の研究を経て、彼はイスラームへと傾斜していく。ついに彼は大正13年、山東省・済南の清真南大寺で正式にイスラームの受戒を授かり、マッカへと向い、大巡礼を果したのである。この巡礼の現地レポートともいうべき『白雲遊記』が、日本人のイスラーム理解に果した役割は極めて大きい。 大正15年、田中は大東文化学院講師に就き、東洋思想に基づく道義の重要性を説いた。田中にとっ
明治維新までおよそ800年、31代に亘って、宮中祭祀を取り仕切ってきた貴族の家系、伯家(白川家)に継承されてきた神道が伯家神道である。伯家は、花山天皇(第65代、在位984~986)の皇子清仁親王の子、延信王が寛徳3(1046)年に神祇伯に任ぜられたのがはじまりとされる。 伯家神道には、「息吹永世の伝」と呼ばれる独特の呼吸法による修行(花谷幸比古、菅田正昭共著『古神道の氣』コスモ・テン・パブリケーション、1991年、123~124頁)や、「究の字」と呼ばれる神事占法がある。 菅田正昭氏は、「息吹永世の伝」の方法を次のように解説している。 「正座をし、手をきちんと膝の上におき、目を半眼にして1メートルぐらい前方の床に視線をおとすようにして、まず口から息を静かに吐く。そして吐き切ったところで口をむすび、こんどは鼻からゆっくりと吸う」。 その際、なるべく腹を動かさないようにして丹田呼吸法をする(
高山彦九郎を取り巻く勤王運動の背景には、「『敬』(つつしみ)による神との合一」という垂加神道の真理の調べが常に響いていたのではなかろうか。高山が引き継いだ勤王運動の先人たちは、垂加神道の系譜ときれいに重なり合っているからである。 山崎闇斎は朱子学の敬慎説を中心に据え、吉田神道と伊勢神道などの要素を加えた独自の神道として垂加神道を唱えた。吉田神道は吉川惟足から、伊勢神道は度会延佳から、それぞれ伝授されている。こうして、闇斎は天地開闢の神の道と天皇の徳とが唯一無二なるものと主張した。 代議士を務めた有馬秀雄所蔵の垂加神道の伝書によると、「山崎闇斎─正親町公通─玉木葦齋(正英)─谷川士清─唐崎士愛(常陸介)─有馬守居」という系譜が記録されている(三上卓『高山彦九郎』平凡社、1940年、152頁)が、これこそ高山をめぐる勤王思想のネットワークに連なる系譜なのではあるまいか。この系譜のうち、玉木葦齋
二、神からの贈り物と奉還思想 「君臣相親みて上下相愛」する国民共同体を裏付けるものは、わが国特有の所有の観念である。皇道経済論は、万物は全て天御中主神から発したとする宇宙観に根ざしている。皇道思想家として名高い今泉定助は、「斯く宇宙万有は、同一の中心根本より出でたる分派末梢であつて、中心根本と分派末梢とは、不断の発顕、還元により一体に帰するものである。之を字宙万有同根一体の原理と云ふのである」と説いている。 「草も木もみな大君のおんものであり、上御一人からお預かりしたもの」(岡本広作)、「天皇から与えられた生命と財産、真正の意味においての御預かり物とするのが正しい所有」(田辺宗英)、「本当の所有者は 天皇にてあらせられ、万民は只之れを其の本質に従つて、夫々の使命を完ふせしむべき要重なる責任を負ふて、処分を委託せられてゐるに過ぎないのである」(田村謙治郎)──というように、皇道経済論者たちは
以下は、『月刊日本』平成21年10月号に掲載された「難波田春夫」(日本文明の先駆者)です。 マックス・シェーラーと神話の知 『翼賛国民運動史』(昭和二十九年)には、小泉純一郎元首相の父小泉純也が、昭和十六年一月の衆議院予算委員会で次のように語ったと記録されている。 「革新政策の名の下に赤化思想を日本に植付けんとするコミンテルンの陰謀を十分警戒する必要がある。……後藤(隆之助)局長が多年主宰している昭和研究会は、共産主義的思想との世人の非難の故に、ついに解散のやむなきにいたつたのである。また中には一連の関係者が同志と共に入り、翼賛会の各局部を固めていることは、一種の不安をもたざるを得ない」 この発言には、大政翼賛会をめぐる、財界・資本主義擁護派、国体明徴派、統制経済派(あくまで便宜的な呼び方)の複雑な駆け引きの一端が示されている。日本主義経済学者として注目を集めていた難波田春夫は、この時代に
「ファシズム陣営と反ファシズム陣営の戦い」。戦勝国側は第二次大戦をそう性格づけてきた。このような見方は、わが国の歴史観にも浸透している。ところが、第二次大戦の原因の一つに有色人種に対する白色人種の抑圧があったことは、否定できない事実だ。つまり人種問題だ。 本書は、米モンタナ大学マンスフィールド・センター所長を務めたポール・ゴードン・ローレン氏のPower and Prejudice : The Politics and Diplomacy of Discrimination(『国権と偏見─人種差別の政治と外交』)を大蔵雄之助氏が翻訳したものである。脚注部分抜きで428頁にも上る大著だ。 本書を貫く問題意識は、ローレン氏の序文にある、「われわれの時代がかかえる問題のなかで、人種と、その最も容易な判別の基準となる肌の色ほど世界に対して圧倒的な衝撃力をもっているものは少ない。実際に、人種問題は現
『月刊日本』の新連載「明日のサムライたちへ 志士の魂を揺り動かした十冊」の一冊目(山鹿素行『中朝事実』)の第一回冒頭です。 「日本こそが中国だ」と叫んだ山鹿素行⇒[PDF] 連載にあたって わが国では、国難に直面したときには、必ず原点に戻って国を立て直そうという運動が起こってきました。大化の改新、建武の中興、明治維新など、いずれもそうであり、そこには、常に「怒れるサムライ」の存在がありました。 江戸幕府を倒したものは、万世一系のご皇室を戴き共存共栄の道義国家として永遠に続いていくという、わが国の国体の理想から逸脱する幕府の政治への不満であり、同時に対外的な危機に備えることをせず、危機を深刻化させ、しかもその責任をとろうとしない幕府への強い憤りでした。 現在の危機は、幕末の危機と共通する部分が少なくありません。ところが、領土問題や資源問題など目に見える問題に対する危機感は高まっていますが、欧
度会延佳の『陽復記』テキスト5。平重道校注(『日本思想体系 39 近世神道論 前期国学』岩波書店、86~117頁)。 『陽復記』上(89頁) 抑(そもそも)堯舜の道の我国の神道に同き子細あり。日本の宗廟伊勢大神宮に伝る古書の中、天口事書(てんくじしょ)*云、「皇天(あめのかみ)、盟(ちか)ひ宣はく、『天皇、八坂瓊の勾(まが)れるが如くに、曲妙(たへ)なるを以て、御宇(あめがした)の政を治め、且つ真経津(まふづ=ますみ)*鏡の如くに、分明(あきらか)なるを以て、山川海原を看行(みそな)はせよ。即ち是の霊(あや)しき剣を提げて、天下を平げて、万民を利(かが)せよ」と言壽(ことほぎ)たまふ」とあり。是は皇孫尊(すめみまのみこと)此土へ天下りたまはんとせし時、皇天の三種の神宝を授たまひしに添られし御言なり。深き故もあるらめど、聞伝し計は八坂瓊とは八坂瓊の五百筒御統(みすまる)とて、大神の御ぐしにか
ムハンマド・バーキルッ=サドル ムハンマド・バーキルッ=サドル(Muhammad Baqir as-Sadr)は1935年、イラクのバグダッドで生まれた。早くも10歳のときに、イスラームの歴史のレクチャーしはじめ、11歳で論理学の勉強を開始したと語りつがれている。このように驚くべき早熟で、20代半ばにして、すでに学者としての地位を確立した。 Iqtisad-naのほか、イスラーム哲学、イスラーム法学をはじめ、論理学、政治学、社会学と極めて幅広い学術的成果を残した。 サドルは、イランのホメイニとならぶシーア派の指導者としても活躍し、革命後のイラン経済に、サドルの経済論は取り入れられた。だが1980年、敵対するバース党のフセイン政権によって処刑され、45年の短い生涯を閉じた。 イスラーム金融システムは、イスラーム経済の一側面に過ぎない。それは、イスラーム経済全体の中で位置づけられる必要があるの
平成26年3月27日の参議院内閣委員会で、国家戦略特区諮問会議に竹中平蔵が参加していることが問題になった。以下は、山下芳生議員と甘利明済財政担当相のやりとり。 山下芳生 ちょっと曖昧なんですけど、甘利大臣自身が諮問会議の議員だということで質問しているわけですね。 それから、関連して、明日にも開催される国家戦略特区諮問会議で、特区の地域指定、それから今の雇用指針が議論されようとしております。私は、諮問会議のメンバーに竹中平蔵氏など使用者側のメンバーが複数入っていることについてこれまでも指摘して、菅官房長官は本会議の答弁で、議員が直接の利害関係を有すると考えられる議題が上がる場合には、当該議員が審議に参加しないようにできる仕組みとしたいと、会議の運営については、中立性、公平性を担保するため、万全の対策を講じると御答弁されております。だとすれば、事業主のメンバーが雇用指針を決める会議にのうのうと
以下は、『月刊日本』2013年7月号に掲載された佐々木実氏のインタビュー記事「竹中平蔵氏の正体」の全文英訳です。 A True Picture of Heizo Takenaka Minoru Sasaki, journalist Heizo Takenaka as Seeker of Regulatory Reform in the Field of Labor NIPPON: In your book Shijo to kenryoku [Markets and Power] (Kodansha), you focus on depicting the real Heizo Takenaka. The book is full of suggestions for people who wonder just how it was that neoliberalism came to
天皇陵の位置が不明確であったり、荒廃したりしている現状を嘆き、陵墓特定のための調査に挺身した蒲生君平は、文化5(1808)年にその成果をまとめて『山陵志』を完成させた。水戸斉昭が天保11(1840年)年、光格天皇の崩御に際して、幕府に対し山陵再興と謐号復活を提唱したのも、『山陵志』の影響と見られる。 君平は『山陵志』において次のように書いている。 「山陵というのは、祖先のみたまやと同じなのである。これがなければ、人民としては何を仰ぎ、何にお詣りしたらよかろうか。 人民たるものが、山陵を仰いでこれを祭ればこそ、国家としての礼文もまた盛んになるのである。だから王朝時代には、刑罰を定めた法令に、山陵を破壊する者は、これを謀大逆といって、八大重罪の一つに指定されていた。それは、大赦も許されぬほどの重い刑罰なのである。これこそ君主たる者が、その至孝の徳をもって、天下を治めるための拠りどころである。ど
高橋清隆 亀井静香インタビュー(上) 「自民党も民主党も消える」 (2012年 7月 31日 01:25) 4月の国民新党離党からマスメディアに無視されている亀井静香衆議院議員。民主・自民・公明3党による談合政治の茶番を突き崩すため、新党づくりを進めている。「最後の戦い」と位置付ける亀井氏に27日、その展望と現状を聞いた。 ——当初、「石原新党」の結成を「サクラが咲くころ」と言っていた。この構想は生きているのか。 亀井 歴史は一挙にいかない。紆余曲折はある。絵に描いたように計算通りには。それでも、1つの目標を設定しなければならない。6月13日に石原(慎太郎東京都知事)本人と会って、「やろう」と決めた。具体的な話をきちっと整えて。ただ、彼は政治家じゃないから、文章を書いては消している。それで、おれに怒鳴られている。そうは言っても時期が来た。やる。 ——一番ネックになっているのは何か。 亀井
平成24年9月8日放送の「高倉健 プロフェッショナル 仕事の流儀」を視た。映画『あなたへ』の撮影現場に密着して、高倉の素顔に迫ったドキュメンタリー。 俳優の世界に限らず、政治を含めあらゆる職業が、ノウハウやテクニックに流され、最も重要な人間性を忘れがちな今日、高倉の生き方を手本にしたい。 青年時代、『網走番外地』シリーズ、『日本侠客伝』シリーズなどの任侠映画で人気を博した高倉だが、「俳優とは何か」を問い直す過程で、昭和51年、45歳のときに東映を退社してフリーとなった。以来、納得できる映画にだけ出演するようになる。 昭和52年の『八甲田山』以来、高倉は、多くの「自分の持ち分を全うする男」を演じてきた。『幸福の黄色いハンカチ』、『南極物語』、『鉄道員』など、日本中の心を震わせる感動作の誕生は、「生き方が、芝居に出る」と肝に銘じてきた高倉の生き方と一体化した役作りの賜物である。 高倉は俳優とし
坪内隆彦『水戸学で固めた男・渋沢栄一─大御心を拝して』(望楠書房、令和3年9月) 渋沢は「日本資本主義の父」ではとらえられない。 【書評関係】 ●生活保護法も渋沢が実現させた?!(れんぢらう氏、令和3年10月18日) ●「青天を衝け」第6話のあのシーンの意味(タコライス氏、令和3年10月18日) ●水戸学の入門書としても(さちひこ氏、令和3年10月20日) ●「渋沢栄一翁が語りかける言葉に、もっと耳を澄まさなければならない」(太田公士氏、令和3年10月29日) ●国民福祉の父、渋沢栄一(愚泥氏、令和3年10月29日) ●今まであまり描かれなかった渋沢栄一の側面(五十嵐智秋氏、令和3年11月14日) ●『通信文化新報』令和3年11月22日付 ●「日本とは、日本人とは何か・・・」(浦辺登の読書館、令和3年11月23日) ●「新刊紹介」(『日本』令和4年2月号、仲田昭一氏) ●「ブックエンド」(
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『国会で問題になった竹中平蔵② | 国を磨き、西洋近代を超える』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く