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たっつんに関するtamamusiのブックマーク (5)

  • 感情表現について - 内田樹の研究室

    海江田経産相が国会で落涙したことについて、週刊現代から電話取材を受けた。 「どう思いますか?」と訊かれたので、こんなふうに答えた。 どうして「そういうこと」が起きるのか。 理由は二つ考えられる。 一つは「感情表現が抑制できない人が増えている」という解釈。 一つは「感情表現について抑制的である必要はない」という考え方が広く定着したという解釈。 たぶん、その両方の理由によるものだと思う。 感情は自分の内面に根拠をもっていると私たちは思いがちだが、ほんとうはそうではない。 脳科学が教えるところによれば、私たちは感情を外部にあるものの模倣を通じて学習するのである。 ミラーニューロンの働きについてはこれまでも何度も書いてきた。 他人がある動作をしているときに、それを見ているものの脳内ではそれと同じ動作を指示するニューロンが発動する。 ミラーニューロンは、行為をするときにも、知覚するときにも動くのであ

    tamamusi
    tamamusi 2011/08/10
    前半はダウトであるが、後半には説得力あり。流石は稀代の詭弁家であーる。嘘部(半村良@イデスハンソン自称)を彷彿とさせる。
  • personal power plant のご提案 - 内田樹の研究室

    関西電力は10日、大企業から一般家庭まで一律に昨夏ピーク比15%の節電を求めた。 どうして、一律15%削減なのか。関電がその根拠を明示しないことに関西の自治体首長たちはいずれもつよい不快を示している。 関電の八木誠社長は会見で、節電要請は原発停止による電力の供給不足であることを強調した。 しかし、どうして首都圏と同じ15%で、時間帯も午前9時から午後8時までと長いのか。 会見では記者からの質問が相次いだが、関電から納得のいく説明はなかった。 関電は経産省からの指示で、今夏を「猛暑」と予測し、電力需要を高めに設定している。 だが、同じ西日でも中国電力などは「猛暑」を想定していない。 また、震災で関西へ生産拠点が移転することによる電力需要増や、逆に、震災で販路を失った関西企業の生産が減少する場合の電力需要減などの増減予測については、これを示していない。 15%の積算根拠としては、猛暑時の電力

    tamamusi
    tamamusi 2011/06/13
    一理ある。つうことは多分、別の見方にも一理あるんだろうな。どちらに策士が多いのか、見ものではある。5mも穴掘れば井戸水の原理で冷暖房完備なんてビーテレでやってたな。考えればイロエロあるもんだ。プ
  • 国旗問題再論 - 内田樹の研究室

    卒業式での君が代斉唱時の不起立を理由に、東京都教委が定年後の再雇用を拒否したのは「思想や良心の自由」を保障した憲法に違反するとして都に賠償を求めていた訴訟について、30日最高裁判決が下った。 「校長の教職員に対する起立斉唱命令は合憲」とする判断を下し、原告の上告を棄却した。 判決は「起立斉唱行為は卒業式などの式典での慣例上の儀礼的な性質を有し、個人の歴史観や世界観を否定するものではない」とした。 しかし、起立斉唱行為は教員の日常業務には含まれず、かつ「思想と良心に間接的制約となる面がある」と留保を加え、「命令の目的や内容、制約の様態を総合的に考慮し、必要性と合理性があるかどうかで判断すべき」との判断基準を示した。 今回の判決では、公務員は職務命令に従うべき地位にあるということを根拠に、「間接的制約が許される必要性や合理性がある」と判断して、教委による処分を違憲とした東京地裁判決を取り消した

    tamamusi
    tamamusi 2011/06/02
    もともと国家という幻想を維持するためには、まず形から入れっつうことかな?でも、キリシタンの踏み絵のように感じてる人もいるんだろうな?とは想像でける。昨今、一番敬意を必要としてるのは国旗よりかソーリぢゃ
  • 1月26日から2月16日まで - 内田樹の研究室

    長いことブログを更新していない。 「演説」のネタがなくなったわけではなくて、ブログの更新は時間が決まっていて、朝起きてから仕事に出かけるまでの隙間に書くのだが、その時間が取れなかったのである。 朝起きてそのまま仕事に出かけないと間に合わないか、朝起きてから郵便物に目をとしてメールに返信しているだけでタイムアップという日々が二週間ほど続いたせいである。 ブログの更新は私にとって「できごと」の意味をゆっくり時間をかけて吟味するたいせつなプロセスであるので、これができないとほんとうに人生が「薄っぺら」なものになったような気がしてくる。 備忘のため、前回の更新からあとの日々について記録しておく。 これは読者のためというより、自分自身のためである。 物忘れが激化している私のような老人は「あのとき何してたんだっけ・・・」という回顧的な問いにたいして壊滅的に答えることができない。だから、キーワードを打ち

    tamamusi
    tamamusi 2011/02/18
    自分で自分の行動を自己責任と思うのは責任感のつおい人だが、他人に自己責任を押し付ける輩は無責任であーる。帰責構造のディレンマ。
  • 生身の弱さについて - 内田樹の研究室

    平川くんと新春の「たぶん月刊話半分」の収録を久が原の平川くんの家で行う。 平川くんのご実家を訊ねるのは40年ぶりくらいである。 久が原の街のたたずまいは昔とほとんど変わっていない。 子供の頃は、21世紀になるころはエアカーに乗って、銀色の宇宙服着て、宇宙ステーションみたいな学校に通うようになると信じていたけれど、ぜんぜんそんなふうにはならなかったね、とふたりで歩きながらぼそぼそ話す。 90年代のバブルの頃、街の様子ががらりと変わりそうになったけれど、それも一時のことだった。 人間は「ヒューマン•スケール」からはなかなか抜け出せないものだ。 生活の惰性というのは侮れないね、という話をして、頷き合う。 ラジオの主題はイデオロギーと生活感覚の癒合と乖離について。 空理空論のイデオロギーは危険なものだけれど、日人の場合は、それを生活実感が覆してしまう。 「百日の説教、屁一つ」である。 いくら大義

    tamamusi
    tamamusi 2011/01/05
    「身体実感」かあ。これが夢(理想、イデオロギー)と現実を区分するんですね?「最終的に人間性を基礎づけるのは、その脆弱性なのだと私は思う。」これには心から共感。(ショーヴィスムってなんじゃい?語感)
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