平安時代中期に紫式部が創作した「源氏物語」について、鎌倉初期を代表する歌人の藤原定家(1162~1241年)が側近らに書き写させて校訂し、現存では最古となっている写本群のうち、物語の重要場面である第5帖(じょう)(冊)「若紫」(126ページ)が見つかった。江戸時代に三河などの大名だった大河内(おおこうち)家に伝わっていたのを確認したと、定家らの古典籍を研究保存する冷泉家時雨亭文庫(京都市上京区)が8日に発表した。 54帖からなる物語のうち、定家の写本が確認されていたのは、加賀の前田家などに伝わった「花散里(はなちるさと)」「行幸(みゆき)」「柏木」「早蕨(さわらび)」の4帖(いずれも重要文化財)だけで、新たな帖の確認は昭和初期以来の約80年ぶりという。研究者は「原本に最も近い『若紫』であり、国語の教科書にも影響するほど画期的だ」と評している。
noteを運営するピースオブケイクでCXOをつとめる深津氏が、下記のようなnote記事を公開していた。 「表現の不自由展」の不自由さについて|深津 貴之 (fladdict)|note 僕は慰安婦像置くのは、(表現の視点としては)よいと思うけど、どうせなら慰安婦像とライダイハン像と青線問題のアートを並べておいて欲しかった。そこまで並べてしまえば、「歴史と政府と性暴力と事実認識」に純化したメッセージが出せるのに、慰安婦像だけだと「我が国の体制批判」というメッセージ性が乗っかってしまう。 しかし「表現の不自由」がテーマである以上、その不自由をしいている「我が国の体制批判」は、今回は「歴史と政府と性暴力と事実認識」より優先されるのはしかたないのではないのか。 そもそも深津氏があげた題材で、日本が世界全体で抑圧している表現と比べて、それほど抑圧されている表現があるのだろうか。なぜ具体的な表現を示さ
今月8日、東京都内千代田区にある私立・正則学園高校で教員(私学教員ユニオンに加盟)がストライキを起こした。 同校では長時間労働や残業代不払いなどの違法状態が蔓延している。 それに加え、数十人の教員全員が理事長室の前の廊下に一列に並び、一人ひとり理事長に挨拶をするという「儀式」への参加が毎朝求められる。 そうした「ムダ」よりも生徒の指導を優先したいと、先生たちはストライキに踏み切ったのだ。こうした教員の動きには、社会的にも大きな支持が集まっている。 参考:「ブラック私学」でストライキ! 私学に蔓延する違法状態は改善できる だが、事態はいまだ収束しておらず、ストライキは継続しているという。いったい、どうして、労使間の対立は続いているのだろうか? 以下では、私学教員ストライキの「その後」について紹介しよう。 早朝の理事長への挨拶は強制でない? このストライキについての報道があった直後、学校法人側
1945年の戦争末期、マーシャル諸島では多数の日本兵が餓死した。 そのうちのひとり佐藤冨五郎は、死の直前まで小さな手帳に日記を綴り、家族宛の遺書を遺していた。 日記は生き残った戦友の手を経て、奇跡的に日本の家族の手元に戻る。 そして息子は、文字がかすれた日記の全文解読と父の慰霊を願いながら、戦後を過ごすことになる。 それから60年が経った2005年のある日、息子の運転するタクシーの後部座席にひとりの大学教授が乗り込む。 その日から、日記解読は動き始める。 さらに10年後、ドキュメンタリー映画を撮ることを夢見てマーシャルで3年を過ごした女性が、日本に帰国する。 彼女は日記に出会い、強く惹かれていく。 2016年、日記をたずさえた息子とカメラをたずさえた彼女は、仲間たちとマーシャルに旅立つ。 彼女はわずか28歳、息子は74歳になっていた。 このマーシャルへの旅がきっかけにな
「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が世界文化遺産への登録が決定してから30日で1カ月。熊本県内唯一の構成資産「天草の崎津集落」では29日、集落内の仏教と神道、キリスト教の三宗教の霊場に記念巡拝し、御朱印をもらうユニークな取り組みが始まった。キリスト教会が御朱印を発布するのは極めて異例だ。 企画した「天草みなの宗巡礼センター(天草八十八ケ所霊場先達会)」の世話役、山口誠治さん(55)によると、天草地域では「四国遍路」の天草版「天草八十八ケ所霊場巡り」が数年前から盛んだ。「お遍路さん」の一行は崎津の霊場「曹洞宗普応軒」を巡拝する際、その足で崎津教会と崎津諏訪神社にも参拝していた。 今回の世界遺産登録については、約250年の禁教下で、周囲の神道や仏教の信者に一人の密告者もいなかったという奇跡の歴史があったおかげで「潜伏」ができたと評価。三つの宗教が互いに支え合ってきた象徴として「三宗教の
皆様こんばんは、瀬口ねるです。 今回は普段のような歌詞についてのお話からちょっと趣向を変え、「衣装」についてのお話をしたいと思います。 テーマは『MY舞☆TONIGHT』の衣装のお話です。 一体なぜこのタイミングで『MY舞☆TONIGHT』の事について書こうと思ったのかといいますと、事の発端は先日発売されたラブライブ!サンシャイン!!TVアニメオフィシャルBOOK2。 この聖書に書かれている一文に、ふと思いを巡らせていたところが発端です。 ルビィが姉のダイヤのために作った、ラバー仕様の花魁風ドレスがとても印象的です。おとなしそうに見えて、ルビィはちょっと毒のあるデザインが好きなので、随所にそれが現れていると思います。 ラブライブ!サンシャイン!!TVアニメオフィシャルBOOK2 P.65 酒井和男 個人的に引っ掛かりを覚えたポイントは ・花魁(おいらん) ・毒のあるデザイン という部分。
インドのモディ首相が就任して4年。この間、自国の歴史の書き換えが進んでいる。ヒンドゥー教徒以外はインド人ではないとの考えに傾き、神話と史実を混同する。イスラム教徒など少数者に対する排外意識を強めかねない。(ニューデリー=奈良部健) インド西部ラジャスタン州で一昨年、公立校の社会科教科書から初代首相ネールの記述が削除された。建国の父、ガンジーの暗殺も触れられていない。 「ガンジーとネールは最も時間をかけて教わったものです。子どもたちにしっかり学んでほしいのですが」と同州アジュメールの主婦ミナ・カプールさん(45)は話す。 ガンジーとネールは、モディ氏率いる与党インド人民党のライバル政党、国民会議派のメンバーだった。現在の会議派総裁は、ネールのひ孫ラフル・ガンジー氏が務める。 人民党の支持母体でモディ氏の出身団体でもある「民族義勇団(RSS)」は、ヒンドゥー教の伝統による社会の統合を目指す。モ
本郷和人の歴史ニュース読み 伝説は真実だった……東日本最大級・高尾山古墳は保存される? 本郷和人(東大教授)の「歴史キュレーション」 日本中世史のトップランナー(兼AKB48研究者?)として知られる本郷和人・東大史料編纂所教授が、当人より歴史に詳しい(?)という歴女のツッコミ姫との掛け合いで繰り広げる歴史キュレーション(まとめ)。 今週のメインテーマは、沼津市の高尾山古墳について。伝承通り「熊野神社と高尾山穂見神社の下に」埋まっていた、ロマン溢れる同古墳の行く末は……? 【登場人物】 本郷和人 歴史好きなAKB48評論家(らしい) イラスト・富永商太 ツッコミ姫 大学教授なみの歴史知識を持つ歴女。中の人は中世史研究者との噂も イラスト・くらたにゆきこ 姫「今更な感じもするけれど、あなた、中世史の研究者よね」 本郷「そうだよ。中世といってもね、鎌倉時代の朝廷の研究で博士号を取ったんだね」 姫
近年、日本で宗教の観光利用が盛んになっている。パワースポットやスピリチュアルという表現をはじめ、「政教連携」といった言葉まで使われるようになっている。宗教と観光が一体となって地域を動員するようになった背景を、 宗教学・観光社会学を専門とする北海道大学准教授・岡本亮輔氏が読み解く。 宗教の観光資源化が目立ってきた 日本政府観光局によると、2017年の訪日外国人観光客数が2869万人となり、過去最大となった。前年比で19.3パーセントという驚異的な増加である。そして、こうした観光客を呼び寄せるべく、各地で様々な試みがなされている。 中でも筆者が注目したいのは、宗教の観光利用である。 たとえば、日本には17の世界文化遺産があるが、そのうち10は宗教関連の物件と言ってさしつかえない。 ・法隆寺地域の仏教建造物(奈良県、1993年) ・古都京都の文化財(京都府・滋賀県、1994年) ・厳島神社(広島
明治から大正期にかけての日本で最も高い建築物で、関東大震災で半壊し解体された「凌雲閣(りょううんかく)」の基礎部分とみられるれんがと、八角形のコンクリートの土台の一部が、東京都台東区浅草二のビル工事現場で掘り起こされた。「話には聞いていたが、初めて見た」と街の話題になっており、工事の柵越しにスマートフォンで撮影する人もいる。 九日に現地で記録、測量をした区教育委員会の文化財調査員によると、同様のれんがは一九八一(昭和五十六)年にも近くの建設工事現場で出てきた。当時の記録と対応し、今回も「凌雲閣の可能性が高い」としている。 凌雲閣は、一八九〇(明治二十三)年に建設された十二階建て、高さ五十二メートルの塔で、「浅草十二階」の愛称で親しまれた。展望台から東京が一望でき、日本初の電動式エレベーターが設置された。一九二三(大正十二)年の関東大震災で半壊し、地上部分は取り壊された。
地域に根ざす執筆もっと 小野渉さん(49) --インターネット上の百科事典「ウィキペディア」に執筆したきっかけは。 ◆2003年に日本版のウィキペディアができてから見ていましたが、近所の「酒折宮」や「不老園」をはじめ、地元を取り上げた記事が少なく、貧弱だったのが気になりました。読んでいるうちに自分でもできそうだと思い、09年11月にアカウントを取得しました。最初に書いたのは「山梨学院小」でした。これまで約80の記事を執筆し、12年からは国内45人しかしないウィキペディアの「管理者」も務めています。
エルサレムの一種の模造建築、聖地パレスティナの代用巡礼施設、プロテスタントに対するカトリックの要塞などさまざまに解釈されてきた宗教施設「サクロ・モンテ」。その起源は、聖地巡礼の実践の必要性が次第に失われた中世以降、危険な長旅を敢行できない者に巡礼の機会を提供すべく導入された代用の巡礼地の最終形態、「代用エルサレム」にある。 中世西欧の巡礼や聖地模造の伝統を受け継ぎ、北イタリアの宗教的諸事情の中で独自の近世的形態を獲得したその歴史を明らかにする。 序 第1章「サクロ・モンテ」の定義と研究史 1 「サクロ・モンテ」の定義 2 イタリアのサクロ・モンテ研究史 第2章 15世紀以前の西欧におけるエルサレムの模造建築 1 キリスト教徒のエルサレム憧憬とその模造の伝統、並びにサクロ・モンテの関係 2 14世紀以前のエルサレムの模造建築 3 15世紀のエルサレムの模造建築 第3章 ミラノ管区ヴァラッロの
サンドラ・ヘフェリン 【まとめ】 ・日本人の中には、ナチスを称賛する人がいたり、ナチスを連想させる「グッズ」を使用する人がいることに驚く。 ・「ドイツ刑法典130条」の民衆扇動罪は、ヒトラーやナチスドイツを礼賛したり讃美したりする言動や、ナチス式の敬礼やナチスのシンボルを見せることを禁止している。 ・唯一の被爆国である日本は国際社会の一部であり、人種差別撤廃条約に加盟している。ヒトラー礼賛が如何に多くの人を傷つけるかわかるはずだ。 筆者はよく「日本に来てビックリしたことは何ですか」と聞かれます。そこで観光客風に「ウォッシュレットにびっくりした!」とか「コンビニが24時間あいていることにビックリした!」とか「ニッポン女子のメイクにビックリした!」・・・などと言いたいところですが、実は筆者が20年前に来日して以来今に至るまで定期的にビックリしていること。それは日本では堂々とナチスを称賛する人が
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