教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。 関東大震災時の虐殺事件を書く4回目(最後)。朝鮮人虐殺事件を書くけど、それは「あったか、なかったか」を書くためではない。そんなことは明白すぎて書く意味がない。歴史学的観点からは、問題は「デマはなぜ生まれ、どのように広がっていったか」に絞られるだろう。 関東大震災は1923年(大正12年)9月1日に発生した。もちろんそれを予知していた人はいない。プレートテクトニクス理論が確立した現在でも、東日本大震災の発生は不意打ちだった。熊本の地震も同じ。関東大震災では皇族も犠牲になった。当主ではないが、閑院宮の4女や東久邇宮の次男が亡くなった。いずれも小田原や藤沢などに避暑に来ていて、別荘が崩落したのである。震災は権力側にも不意打ちだった。朝鮮人が予知できたわけがない。事前に判ってない限り