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railwayとKobayashi_Ichizoに関するtk18のブックマーク (3)

  • こうして阪急電鉄はつくられた!小林一三かく語りき(講談社学術文庫)

    いまなお名経営者として注目される小林一三の自伝『逸翁自叙伝』、「チラ読み」4回目は、ついに箕面有馬電気軌道の設立が語られます。やがて阪急電鉄へと発展してゆくこの会社が作られたのは、とんでもない綱渡りの末のことだった! 失敗したら責任は取る。が、なるべく軽くすましたい。 4.箕面電車の設立 箕有電鉄創立事務を、阪鶴鉄道重役すなわち発起人諸氏の手許から、私が全部引受けるという契約書の調印が、四十年六月三十日実行されると、まず第一に考えたことは、創立事務費を大節約するには、どうすればよいかという事である。 会社の設立がうまくゆけば文句はないが、万一設立不可能、解散というがごとき場合にならないとも限らない。当時の情勢は、経済界混迷の幕明きでその前途は悲観あるのみであったから、土居通夫氏のごとき、大阪における第一人者の顔触れをもってしても、傍若無人のあの契約書に調印せざるを得ないのを見ても判る。 設

    こうして阪急電鉄はつくられた!小林一三かく語りき(講談社学術文庫)
    tk18
    tk18 2019/07/29
    速水太郎・南清・村上享一
  • 経世済民の男 小林一三(前編)

    リンク 【小林一三】NHK 放送90年ドラマ 経世済民の男 【小林一三】NHK 放送90年ドラマ 経世済民の男 阪急電鉄・阪急百貨店・宝塚歌劇団を創設した小林一三は、小説家志望の落ちこぼれ銀行員だった。最後まで夢見ることを大切にした男の波乱万丈の生涯を描く。 11 users 6385

    経世済民の男 小林一三(前編)
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    第11章/小林一三と阪急の飛躍、白雪への応援 伊丹は阪急神戸線線の通過を実現できなかったけれど、一三と業精との交遊が新たな展開を生んだ。 ◎小林一三と小西新右衛門の出会い 小西新右衛門・業茂が明治20年代の後半に阪鶴鉄道に賭けた夢は、様々な紆余曲折はあったものの、とにかく実現した。明治40年に国有化されたが、その前に業茂は、アメリカ製の機関車による直通列車が、念願の大阪、舞鶴間を走ったことも見届けて亡くなった。 この時代、百花繚乱といってもいいほどの多種多様な機関車が各地で走っていた。私営鉄道が全国で38社、それぞれに機関車を購入して120~30機種を越えていた (注1)というから、個性豊かな鉄道時代だったのである。 さて、阪鶴鉄道は国有化とともに手を離れていったが、新たな可能性を残してもいた。すなわち、今日の阪急電鉄が誕生する土壌を提供したことである。この阪急は、小林一三の手によって飛

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