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ジジェクに関するtsuwatchのブックマーク (5)

  • ジジェクのヘーゲル読解と柄谷行人、あるいは統整的理念

    いちばんよく知られているハリウッド神話の一つに、『カサブランカ』のラストシーンんい関する神話がある。それによると、撮影が始まってもまだ、監督とシナリオライターたちは、どういう結末したらよいのか迷っていたという(イングリッド・バーグマンが夫といっしょに去る/バーグマンがボガードといっしょに留まる/男の一方が死ぬ)。 もちろん、その問いに対する唯一の答えはこうだーーー事件が線的かつ「有機的」に継起するという印象が幻想であり(その幻想は必要不可欠なのだが)、その幻想が、結末こそがそこにいたるまでの出来事の全体に遡及的にretoroactively整合性を与えるのだ、という事実を隠蔽しているのである。(鈴木晶訳) The only answer is, of course, that the experience of a linear "organic" flow of events is an

  • 欲動と享楽の相違

    ラカンの最初の教えは、存在欠如 manque-à-êtreと存在欲望 désir d'êtreを基礎としている。それは解釈システム、言わば承認 reconnaissance の解釈を指示した。(…)しかし、欲望ではなくむしろ欲望の原因を引き受ける別の方法がある。それは、防衛としての欲望、存在する existe ものに対しての防衛としての存在欠如を扱う解釈である。では、存在欠如であるところの欲望に対して、何が存在 existeするのか。それはフロイトが欲動 pulsion と呼んだもの、ラカンが享楽 jouissance と名付けたものである。(L'être et l'un notes du cours 2011 de jacques-alain miller)

    欲動と享楽の相違
  • '12読書日記20冊目 『イデオロギーの崇高な対象』ジジェク - Hello, How Low?

    イデオロギーの崇高な対象 作者: スラヴォイジジェク,Slavoj Zizek,鈴木晶出版社/メーカー: 河出書房新社発売日: 2001/01メディア: 単行購入: 3人 クリック: 49回この商品を含むブログ (66件) を見る353p 総計5602p タイトルの通り書の照準は「イデオロギー」論にあるのだが、同時にそれはラカンの理論体系への詳細なコメンタリーにもなり、最終章(ここは非常に難しい)ではヘーゲルの「精神は骨だ」という有名な言葉をめぐる解釈にもなっている。一言で言えば*1ジジェクのテーゼは、必ずや象徴化に抗する現実的なものthe realが存在する、ということに尽きるのだが、このことがどう「イデオロギー」と関係があるのかが重要である。 マルクスが『資論』のなかで述べた「彼らはそれを知らない、しかしそれをやっている」は、イデオロギーのもっとも基的な定義である。イデオロギー

    '12読書日記20冊目 『イデオロギーの崇高な対象』ジジェク - Hello, How Low?
  • 人は「対象a」の事について、どう説明すればよいのだろうか? - kuriggen’s diary

    ここで忘れてはならないのは、対象aは欲望の原因であり、欲望の対象とは違うということである。欲望の対象は、たんに欲望される対象のことであるが、欲望の原因は、対象の中にあるなんらかの特徴であり、その特徴ゆえにわれわれはその対象を欲望する。それはわれわれがふつう気づかない細部とか癖で、われわれは時としてそれを障害として捉え、この障害があるにもかかわらずその対象を欲望しているのだと誤解することがある。 ジジェク 『ラカンはこう読め!』 怪物の映画もそうなのだが、映画の構造において、そこで示すべき謎の対象が、あるいは凶暴さを発揮するべき荒ぶれた対象、不気味な対象というのが、一つの映画のテーマになっているような場合の話を考えてみよう。これはよくある映画の構造であり、作り方である。映画的時間の中で出遭われるべき対象について、それを如何に示すべきか、どういうプロセスを措いて示すのか、どのような時間、順序に

    人は「対象a」の事について、どう説明すればよいのだろうか? - kuriggen’s diary
  • 苫野一徳Blog(哲学・教育学名著紹介・解説): ジジェク『ラカンはこう読め!』

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