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2017年3月27日のブックマーク (2件)

  • ジジェクのヘーゲル読解と柄谷行人、あるいは統整的理念

    いちばんよく知られているハリウッド神話の一つに、『カサブランカ』のラストシーンんい関する神話がある。それによると、撮影が始まってもまだ、監督とシナリオライターたちは、どういう結末したらよいのか迷っていたという(イングリッド・バーグマンが夫といっしょに去る/バーグマンがボガードといっしょに留まる/男の一方が死ぬ)。 もちろん、その問いに対する唯一の答えはこうだーーー事件が線的かつ「有機的」に継起するという印象が幻想であり(その幻想は必要不可欠なのだが)、その幻想が、結末こそがそこにいたるまでの出来事の全体に遡及的にretoroactively整合性を与えるのだ、という事実を隠蔽しているのである。(鈴木晶訳) The only answer is, of course, that the experience of a linear "organic" flow of events is an

  • 欲動と享楽の相違

    ラカンの最初の教えは、存在欠如 manque-à-êtreと存在欲望 désir d'êtreを基礎としている。それは解釈システム、言わば承認 reconnaissance の解釈を指示した。(…)しかし、欲望ではなくむしろ欲望の原因を引き受ける別の方法がある。それは、防衛としての欲望、存在する existe ものに対しての防衛としての存在欠如を扱う解釈である。では、存在欠如であるところの欲望に対して、何が存在 existeするのか。それはフロイトが欲動 pulsion と呼んだもの、ラカンが享楽 jouissance と名付けたものである。(L'être et l'un notes du cours 2011 de jacques-alain miller)

    欲動と享楽の相違