『放送メディア研究』は、NHK放送文化研究所がテレビ放送開始50年にあたる2003年に創刊した研究誌です。その第12号が完成しました。 本号では初めて本格的に教育メディアをとりあげ、特集テーマを「多様化する子どもの学習環境と教育メディア」としました。 学校や家庭という教育の場でデジタルメディアの利用が広がる現状と今後について、長年にわたる当研究所の研究成果とあわせて、教育メディアに限らず、哲学、社会学などさまざまな領域の研究者が論考を寄せています。 2015年2月27日発行
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Home > Info > 国立大学図書館協議会さん・図書館の魅力を効果的に伝えるには?〜今日から使える!TPOに応じた写真術 | allo? 国立大学図書館協議会さん・図書館の魅力を効果的に伝えるには?〜今日から使える!TPOに応じた写真術 2016.02.23 国立大学図書館協議会北海道地区協会さんの 平成27年度企画事業『図書館の魅力を効果的に伝えるには?〜今日から使える!TPOに応じた写真術』で講師を務めました。 図書館広報に必要な写真とはというところから、いまお持ちのカメラを活用する実践編まで、一眼レフ・ミラーレス・コンデジ・スマホのカメラの基本で特に図書館広報に必要と思われるところをギュっとダイジェストでお伝えしました。 企画委員のみなさんと何回もミーティングを重ねて一緒に作った内容だったので、みなさんに喜んでいだたけて、ホッとしました。 2人の生徒さんがアシスタントをしてくれ
当館所蔵「(富士八景)田子の浦の富士」 当館デジタルライブラリーで、静岡県の絵葉書を検索する際の検索項目に「地理区分(市町別)」を追加しました。 これにより、特定の地域の絵葉書を探すのが簡単になりました。お住いの地域の絵葉書を探す時などでぜひご活用ください。下のリンクをクリックすると詳細検索画面にジャンプします。 ★静岡県の絵葉書を検索する ★(下図)デジタルライブラリーの詳細検索画面(部分)。西部や中部などの広域の検索のほかに、現在の市町別の選択画面が追加されました。
経済メディアのニューズピックスを創業した梅田優祐氏(ユーザベース共同経営責任者)に話を聞いた。 ◇ ――もともとメディアとは無関係? 「はい。戦略コンサルティング会社に3年間在籍し、その後UBSの投資銀行本部に勤務し、M&Aや企業の資金調達の支援をしていたのです。そこで感じたのは『ビジネスパーソンの情報インフラが相当、遅れているな』ということでした。ブルームバーグなどの情報端末は整備されているのですが、非常に使いにくい。私の最初の仕事は国会図書館で大量の資料をコピーし、それを手入力でパソコンに打ち込むことでした。情報投資に積極的なUBSですらこうなんです。自分たちが理想とする情報インフラをつくろうと退職して2008年に仲間たちとユーザベースを立ち上げました。そこで作ったのが『スピーダ』というサービスです」 ――どんなサービスですか? 「専用の端末はいらなくて、パソコンにIDとパスワードを入
右京区役所で2月20日、京都発の参加型のエコアクションを作る「yes, we do Kyotoプロジェクト」のプランが発表された。 スターバックス賞に輝いた「セイレーン」チーム 公募で集まった13チームが参加してアイデアを出し合った同プロジェクト。この日までに「さる雲」チームはSNSを使って「エコ席」のアイデアを詰め、京都大学で建築を学ぶメンバーで作る「エコブレイカーズ」も実際に店舗に集まって「スタバから『何か』を無くす」という大胆なアイデアを編み出すなど、どのチームも気合十分。 当日は、どんな人に向けて問題をどのように解決するのかという軸に沿ってまとめ、絵を添えて発表。スポーツクラブで知り合ったメンバー「セイレーン」チームは、アイデアが絞り切れずに議論が難航。「どれも突き抜けてない。自分たちの持ち味を生かして」とコーディネーターの兼松佳宏さんはアドバイス。「ランニングwithスタバ」「自
自由学園明日館(みょうにちかん)は、1921年(大正10)、羽仁吉一、もと子夫妻が創立した自由学園の校舎として、アメリカが生んだ巨匠フランク・ロイド・ライトの設計により建設されました。 明日館建設にあたり羽仁夫妻にライトを推薦したのは遠藤新。帝国ホテル設計のため来日していたライトの助手を勤めていた遠藤は、友人でもある羽仁夫妻をライトに引きあわせました。夫妻の目指す教育理念に共鳴したライトは、「簡素な外形のなかにすぐれた思いを充たしめたい」という夫妻の希いを基調とし、自由学園を設計しました。 空間を連続させて一体構造とする設計は、枠組壁式構法(2×4構法)の先駆けとの見方もあります。木造で漆喰塗の建物は、中央棟を中心に、左右に伸びた東教室棟、西教室棟を厳密なシンメトリーに配しており、ライトの第一期黄金時代の作風にみられる、高さを抑えた、地を這うような佇まいを特徴としています。プレイリースタイ
羽仁 もと子(はに もとこ、1873年9月8日[1] - 1957年4月7日[1])は、日本における女性ジャーナリストの先駆け[2]。また、自由学園および婦人之友社の創立者。家計簿の考案者としても知られている[3]。本名は松岡もと子。 来歴[編集] 羽仁もと子と羽仁吉一 雑司ヶ谷霊園にある墓1873年(明治6年)青森県八戸市に生まれる[1]。1889年(明治22年)上京し[1]、東京府立第一高等女学校2年生に編入[1]。在学中に洗礼を受け、生涯にわたってキリスト教を信仰した[4]。ただし、教会に属さない無教会の立場であった。 1890年(明治23年)東京女子高等師範学校を目指すも不合格となる。 1891年(明治24年)「女学雑誌」の編集長である巌本善治が校長を務める明治女学校高等科に入学[1]。明治女学校在学時には「女学雑誌」の校正を手伝い雑誌作りの基礎を学ぶ。 1892年(明治25年)帰
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