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文学に関するzashikinのブックマーク (3)

  • 「山月記」はなぜ国民教材となったのか 大修館書店

    序・「山月記」の歴史の旅へ書の目指すところ/書の構成および意義 第一章 小説「山月記」の掲載  1 「古譚」の中の「山月記」  2 切り離された「山月記」 第二章 教材「山月記」の誕生  1 検定教科書制度の成立と「山月記」の掲載教材価値の今昔/「山月記」の掲載/ 国定教科書と検定教科書との連続性/検定制度の内実  2 『中島敦全集』との関わり漢文の人、中島/毎日出版文化賞/昭和二〇年代の出版界と毎日出版文化賞  3 読書指導と「良書」としての「山月記」学習指導要領の概観/資料としての教科書/「付表 資料としての図書一覧表」/ 「山月記」教材化と民主主義の模索 第三章 「山月記」の授業――増淵恒吉の「山月記報告」を読む――  1 テキストの仕掛けから問題の発端/テキストが持つ仕掛け  2 「李徴」の「欠けるところ」をめぐって――増淵恒吉の業績とその授業――先導者・増淵恒吉/増淵恒吉の「

  • 文学を卒業論文で扱う予定なのですが、そもそも文学作品について論じるというのはどういうことなのでしょうか??いままでにない新しい... - Yahoo!知恵袋

    学会の趨勢など見ていると、文学についてある程度学術的に論じようとするとき、大雑把にわけると、いま三つの立場があるように思います。 それぞれ、実証派、テクスト派、政治派、とでも呼びましょう(世の中でひろくこういわれているわけではなくて、あくまでわけてみるとこうなるんじゃないかということ) まず、あるいは歴史派といってもよいんですけど実証派は、文字通り、作者の伝記的事実や、その当時の社会の状況、 その作者に特有のものの見方などとひきつけて、作品世界を理解する立場です。もっとも正統的な研究のやりかたです。 テクスト派というのは、記号論とかの現代思想に強く影響を受けて出てきた立場で、「作者」と「作品」を切り離して考え、「作品」を、それだけで自律したものとして、読解していく立場を言います。 政治派というのは、フェミニズム批評や、カルチュラル・スタディーズの影響を受けて出てきた立場で、作品の中にある、

    文学を卒業論文で扱う予定なのですが、そもそも文学作品について論じるというのはどういうことなのでしょうか??いままでにない新しい... - Yahoo!知恵袋
  • アルチュール・ランボー - Wikipedia

    アルチュール・ランボー、またはランボオ(Arthur Rimbaud、1854年10月20日 - 1891年11月10日)は、フランスの詩人。アルベール・ティボーデにより、ヴェルレーヌ、マラルメ、コルビエール、ロートレアモン伯爵と並び「1870年の五人の異端者」の一人に数えられた。早熟な天才、神童と称された彼は、15歳のときから詩を書き始め20歳で詩を放棄するまでのわずか数年の間に「酔いどれ船(フランス語版)」などの高踏派、象徴派の韻文詩から散文詩集『地獄の季節』、散文詩・自由詩による『イリュミナシオン』(一部を除いて没後出版)まで詩の伝統を大きく変えた。彼の詩論、詩人論として知られる「見者の手紙(フランス語版)」において「詩人は、あらゆる感覚の、長期にわたる、広大無辺でしかも理に即した錯乱により、見者となる」と語り、ブルジョワ道徳をはじめとするすべての因習、既成概念、既存の秩序を捨て去り

    アルチュール・ランボー - Wikipedia
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