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  • 「反出生主義者」とは何か。

    反出生主義者は考える おれは反出生主義者を自称している。 べつに「反出生主義検定試験」があって、「あなたは2級に合格しました」という話もないのだから、自称も他称もないのだろうが。 そんな反出生主義者のおれではあるが、日々、「反出生主義とはなんだろうか」と考えている。 当に毎日? と、問われると、「いや、今日は『イジらないで、長瀞さん』のことばかり考えていました」ということもあるかもしれない。 こんなところで自分の趣味を晒すこともない。 それでも、考えている。 とくに、反出生主義に反対する意見を見たりすると、「ああ、そういうことではないのだけれど」と思うときに、よく考える。 もちろん、おれはだれか師匠について反出生主義の流派に属しているわけでもないので、「それは違うのだ」と言い切ることもできない。 どこか歯切れが悪くなることもある。 それでもおれは、その日のおれなりに考えていることを書くこ

    「反出生主義者」とは何か。
    Ta-nishi
    Ta-nishi 2021/07/16
    私は黄金頭さんの考えに近く似たこと最近考えてたんだけど、こういうのは「消極的優生思想」と呼ぶのがいいのかなと思い至った。劣等種を殺すのではなく産まないことにより不幸を防ごうという思想。それでいいと思う
  • 「何者かになりたい」と願う人とそうでない人、どこが違うのか

    先日、私の新しい『何者かになりたい』がイーストプレスさんからリリースされた。 想定読者は「何者かになりたい」と願わずにいられない人や「何者にもなれない」と悩んでいる人だ。 そうした気持ちをどこかに抱えながら中年期を迎えた人も、潜在的読者かもしれない。 ところで、この「何者かになりたい」「何者にもなれない」といったフレーズには、シンパシーをおぼえる人とまったくおぼえない人がいるのが通例だ。 たとえば先月、講談社ビジネスに 『「何者かになりたい人々」が、ビジネスと政治の「い物」にされまくっている悲しい現実)』という記事が公開された時、twitterはてなブックマークではこうした気持ちへのシンパシーがたくさん書き込まれると同時に、「そんな気持ちになったことはない」という書き込みも少なくなかった。 先月公開された『いい年した大人の『何者かになりたい』という感覚は、けっこう厄介。』という記事で

    「何者かになりたい」と願う人とそうでない人、どこが違うのか
    Ta-nishi
    Ta-nishi 2021/06/30
    なるほどとは思うけど、これだと要するに自覚的にしろ無自覚にしろ「何者かになれた」人はもうそれ以上何者かになりたいなんて思わなくなるし、なれていない人は何者かになることを渇望してしまうって話のような。
  • 「自分のような無能は子どもを持つべきではない」という考え方は「世俗のきわみ」。

    ああ、これこれ。反出生主義って世俗からの離脱とうつるかもだけど、正反対に、能力主義や成果主義や自己責任を厳しく内面化した結果として反出生主義ってあるように思うわけです。そういうの珍しくないんじゃないかな。 https://t.co/YOmevsmwf8 — p_shirokuma(熊代亨) (@twit_shirokuma) June 3, 2021 6月上旬にtwitterで上掲のようにつぶやいたところ、じわじわと「いいね」と「リツイート」が集まってきた。 このことをとおして、似た風に考えている人が結構いることを私は知った。 なので、このつぶやきに関連して、世俗のきわみのような自称-反出生主義について簡単にまとめてみる。 私にとって反出生主義といえば、輪廻からの離脱 反出生主義という語彙を頻繁に目にするようになったのは令和に入るか入らないかの頃、2010年代の終わり頃からだったと思う。

    「自分のような無能は子どもを持つべきではない」という考え方は「世俗のきわみ」。
    Ta-nishi
    Ta-nishi 2021/06/23
    競争社会的価値観を内面化した結果を「世俗」と呼ぶのであれば、その通りかなと思う。一方「無能→幸せに生きられない→苦を減らす」という思考回路からの反出生主義は仏教的なものなのでは。
  • いい年した大人の『何者かになりたい』という感覚は、けっこう厄介。

    シロクマ先生から、先日出版されたを送っていただいた。 タイトルは「何者かになりたい」。 ちょうど一年ほど前に、先生から寄稿された記事の続編と考えたらよいのかもしれない。 「何者かになりたい」という望みはまだ死に絶えてはいなかった 「えっ? その……『何者かになりたい』って気持ちって、今の若い世代にも通じるんですか?」 私がそう問い直すと、彼は 「そういう気持ちを持っている人はまだいますし、私にも『何者かになりたい』気持ちはあります。」 とはっきり答えてらっしゃった。 「何者かになりたい」という欲求は、まだ死に絶えてはいなかったのか。 (Books&Apps) 上の記事では、先生は「大人にばれないように「何者かになりたい」と熱望する若者には共感しかない。」と締めくくっていた。 * さて、私が「何者かになる」というフレーズに出会ったのは、2012年に出た、朝井リョウ氏の著作が初だった。 直木

    いい年した大人の『何者かになりたい』という感覚は、けっこう厄介。
    Ta-nishi
    Ta-nishi 2021/06/17
    "オッサンになると、人生の幸福度という観点からは、他者の評価は、ほとんど意味がない、と理解できるようになる。" ← そうそう、これな。
  • 「自分の無い中年」というと不幸に聞こえるかもしれないけれども、実際はそうとも限らないみたいですよ。

    「若者」の季節が終わり、「中年」の季節が始まる。そしてだんだん慣れていく。 40代前半ぐらいの頃、私は自分が若者から遠ざかり、若者ではない何かに変わっていくことに驚いていた。 変わっていく自分自身が興味深くて、気づきもたくさんあって、だから私は当時の心境を一冊のにまとめた。 若者でなくなった喪失感がないわけではないけれども、中年は中年で得るものがあり、まんざら悪い境地でもないことが、当時の私にはすごく新鮮に感じられたものだ。 歳を取るというのは決して悪いことばかりではありません。 若さが失われるかわりに、昔はわからなかったことがわかるようになり、知識や経験が蓄積していく側面を伴っています。 中年になればこそ、できること、やりやすくなることもたくさんあります。 「歳を取りたくない」「若者のままでいたい」と考えてしまう人たちが思うほどには、未来は絶望的ではありません。 それから数年が経過して

    「自分の無い中年」というと不幸に聞こえるかもしれないけれども、実際はそうとも限らないみたいですよ。
    Ta-nishi
    Ta-nishi 2021/06/14
    私はこういう境地に至らないよう自覚的に動いてるところがある。商業や同人で文章を書かないことにしているのも然り。チームで動くと自分が薄くなるからそういうの私は好まないんだよな。チームプレイは性に合わん。
  • コンビニが田舎町にもたらした文化、そして壊した文化の話。

    先日、コンビニが街の文化を支えているお話をbooks&appsを読んだ。 老害のおれ思うに、コンビニが街の文化を支えてるんだぜ おれは街なかでコンビニを見るたびに、「ヨシッ、文化がある」と思う。 コンビニの明かりを見るたびにそう思う。 コンビニのなにが文化なのか。 それは、そこで売られているであろう新聞や雑誌についてである。 それが、おれにとっての「文化らしさ」なのだ。 筆者の黄金頭さんが書くように、確かにコンビニには「文化らしさ」がある。 新聞や雑誌以外のところに文化らしさを感じる人だっているだろう。 これに触発されて、私もコンビニの「文化らしさ」について語ってみたくなった。 私の場合は、田舎町の国道沿いでコンビニを見るたびに「ヨシッ、文化がある」と思うわけなのだけど、コンビニの明かりを心の底から肯定できない自分もいる。 そのあたりのアンビバレントな心情が誰かに届きますようにと祈りながら

    コンビニが田舎町にもたらした文化、そして壊した文化の話。
    Ta-nishi
    Ta-nishi 2021/05/27
    ○○ストアもだけど、私の地元ではコンビニの進出と時を同じくして個人経営の駄菓子屋が次々に潰れてったな。奥に自宅の茶の間が見える系のヤツ。
  • 「シン・エヴァを見て三回泣いた」というフレーズに驚き、打ちのめされた。

    この文章は『シン・エヴァンゲリオン』についての文章というより、シン・エヴァンゲリオンの想定ファン層についての文章、いや、シン・エヴァンゲリオンの思い出話をとおして再認識した「なかなかシンクロしにくい感性」についての文章だ。 先月から今月にかけて、シン・エヴァンゲリオンについてのzoom飲み会を二度経験した。 参加者はどちらも1996年頃から『新世紀エヴァンゲリオン』を愛好し、楽しみにしてきた古参エヴァファンだったので、積もる話に花が咲いた。 『シン・エヴァンゲリオン』については、公開から一か月以上が経ってたくさんのことが語られたから、以下のような話はどこかで語られているかもしれない。 それでも『シン・エヴァンゲリオン』も含めた21世紀のヱヴァンゲリヲンと、1995~97年に放映されて青少年が熱狂した『新世紀エヴァンゲリオン』の違い、なにより、それを楽しむファンの感性の違いについて、きっと誰

    「シン・エヴァを見て三回泣いた」というフレーズに驚き、打ちのめされた。
    Ta-nishi
    Ta-nishi 2021/04/20
    私はVOYAGERが流れるところでウルッときました
  • 子育てのため、精神科医の仕事を辞めて「専業主夫」になった時の話。

    今までネットに書いたことがありませんでしたが、ある時期、私は仕事を辞めて子育てに専念していました。 そうなる前、私は私なりに子育てについてだいたいの算段をつけていたのですが、ハプニングがいくつも重なってしまいまして。 このままでは一家崩壊になってしまいそうだったので自分が子育ての主役を引き受けようと決意しました。 常勤の精神科医が仕事を抜けると迷惑になるとも思いましたが、状況が状況だけに職場は承諾してくださり、なんとか年度末まで勤めた後、私は子育て専業主夫になりました。 今日はその頃の話をします。 事前の計画 どうせ仕事をやめて子育て専業主夫を始めるなら、これを危機だと思うよりチャンスだと思わなければもったいない。 そのために何が必要なのか? 家族と相談しながらいろいろ考えました。 まずは軍資金。 先立つものとして1000万円を用意しました。 ミリタリー界隈では「戦争は補給で決まる」という

    子育てのため、精神科医の仕事を辞めて「専業主夫」になった時の話。
    Ta-nishi
    Ta-nishi 2021/03/24
  • シン・エヴァンゲリオンをみて、普通の幸せに落ち着かない事の難しさを痛感した話

    3/8に庵野監督のシン・エヴァンゲリオンをみた。 まず最初に断っておくと、この映画について内容という意味でのネタバレをする事は難しい。 ストーリーにキチンとした骨子のようなものはなく、またそれについて色々聞かされた所で特に視聴の妨げにはならない。 だが、この映画は事前情報無しでできれば見たほうがいい。 なぜならこの映画は小難しい前衛芸術のようなもので、見る人によって当に見える風景が変わるからだ。 というわけで以下に僕が映画をみた感想を書くが、未視聴の方はできれば視聴後に読んで欲しい。 僕のものの見方に影響されてこの映画を見てしまうのは、物凄く損だと思う。 何でもそうなのだけど、最後までやりきるのって凄いよね とても正直な事をいうと、視聴後5分ぐらいで帰りたくなった。 なぜならあまりにも映画として面白くないからである。 誰が言ったか忘れたが、かつて「映画は最初の5分みてつまらないと思ったら

    シン・エヴァンゲリオンをみて、普通の幸せに落ち着かない事の難しさを痛感した話
    Ta-nishi
    Ta-nishi 2021/03/22
    この意味でシンエヴァと対象的だったのが同時期にやっていた『花束みたいな恋をした』だと思う。アレは個人が社会に取り込まれる事を必ずしも肯定的に描いてはいなかった(とはいえ肯定的でもなく中立的だった)
  • 大声で怒鳴り散らす”ヒステリックおじさん”の正体

    もう四半世紀も前の話だが、新卒で入社した昔の証券会社というものは、なかなかバイオレンスでカオスな職場だった。 フロアでは常にどこかの課長や部長が大声で部下を威圧し、いい年をしたオジサンが小さくなって立たされている。 実現不可能にも思えるノルマは当たり前で、早出やサビ残も当然だ。 ふと横を見れば、大損をさせた顧客からの電話を手に、先輩社員が1時間も平身低頭に謝っている。 マーケットが歴史的な暴落を記録した日には、顧客からの電話や来訪を恐れ多くの営業パーソンが社外に逃げ散った。 令和の今では想像もつかないかもしれないが、平成のはじめ頃には大手証券会社でも、こんなカオスな空気感溢れる職場が存在していた。 そんな中、新入社員で入った私にも当然のことながら、なかなか厳しい追い込みがかけられた。 上司から「高額納税者リスト」と「経営者リスト」を渡され、 「上から順番に電話しろ。1日100件な。」 など

    大声で怒鳴り散らす”ヒステリックおじさん”の正体
    Ta-nishi
    Ta-nishi 2021/03/02
    “どうみてもおかしいし、相手が間違っているに決まっていると思えることでも、相手に対し深い敬意があれば、 「間違っているのは自分かもしれない」 という発想に、常に立ち戻れる。”
  • ゲーセンでベガが禁止されたあの日、俺たちは一つ大人になったんだ

    ストIIについての思い出話をする。 もう30年近く昔の話だ。私がまだ名古屋に住んでいた頃、近所に「キャビン」という名のゲーセンがあった。 倉庫を改装したような、あるいは小さめの体育館のような不思議な雰囲気のゲーセンで、屋根は鉄骨が剥き出しになっていた。 天井からは飛行機の模型がいくつもぶら下がっており、ゲーセンの手前の方にはレースゲームや大型筐体、真ん中あたりには格ゲーやSTGのような売れ筋のゲーム、奥には脱衣麻雀や「魔界村」「奇々怪界」といった渋いラインナップが立ち並んでおり、脱衣麻雀は何故か大抵ハゲたゲーセン店長が占領しているという、そんな昔ながらのゲーセンだった。 自分の店の稼ぎ頭であろうスーパーリアル麻雀P4を、あろうことか店長はサービススイッチを使って無料で黙々と攻略し続けていた。 店の経営的に当にそれでいいのかと何度も思ったが、店長の背後には大抵何人ものエロ小僧たちが遠巻きに

    ゲーセンでベガが禁止されたあの日、俺たちは一つ大人になったんだ
    Ta-nishi
    Ta-nishi 2021/02/22
    “単に価値基準が違うだけのことを、「倫理的に俺の方が正しい」と思い込んでしまうというよくある陥穽に、自分自身がハマってしまっていた、という話になる。”
  • たった5分の診療であれ「なんでも話せる」人を得ることは大きい

    おれの宿痾 おれは精神の病を患っている。 精神障害者として手帳も持っている。 べつに隠す必要もないし、隠してきたわけでもない。 行政的な病名は「双極性感情障害」ということになる。わかりやすくいえば「躁病」だ。 躁とを繰り返す。これには二種類あって、おれは躁との落差がそれほど激しくないほうのII型である。 いきなり全財産使ってしまうようなI型とは違い、あまり躁状態(軽躁状態)を感じることもなく、だいたい毎日々と生きている。 と、おれがこのような自身の病気を認識するには、ちゃんとした医師にかからなければならない。 自己診断では話にならない。 以下、いくらか病気や医療の話題をするが、診療を受けている人も、そうでない人も、なによりまず医師の診断、判断を尊重するようにお願いしたい。 おれの初診 では、おれが最初に精神科にかかったときはどうだったのか。 思い出してみる。 そのころおれは、ダイエ

    たった5分の診療であれ「なんでも話せる」人を得ることは大きい
    Ta-nishi
    Ta-nishi 2021/02/12
  • 『ゲーム・ネットの世界から離れられない子どもたち』を読み、ゲーム依存について考えた。

    ところがつい先日、そんな私の気持ちを掬い取ってくれている書籍が唐突に出版された。 その書籍の名は『ゲーム・ネットの世界から離れられない子どもたち』である。 このタイトルとイラストを見て、ゲーム依存やネット依存で夜更かしをする人を連想する人も多いのではないだろうか。 ところがこのを読み進めると、そうとも言い切れないことがわかる。 「ゲーム・ネットの世界から離れられない子どもたち」とはダブルミーニングである:ゲームやネットをやめられない子どもという意味だけでなく、これからの世代はゲームやネットが所与の環境として存在し、使いこなせなければならない時代を生きていくという意味ともとれる。 このダブルミーニングを知ったうえで表紙のフクロウを眺めなおすと、このフクロウが夜更かしの象徴にも知恵の象徴であるミネルヴァのフクロウにも見えてくる。 ゲーム依存やネット依存になる・ならないにかかわらず、子ども世代

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    Ta-nishi 2021/02/10
  • 大学の恩師に教わった、「なにがわからないか、わからない」ときの質問のしかた。

    「恩師」の意味を「人生全体に渡って、大きく影響を及ぼす程の薫陶を受けた人」と定義した場合、私には恩師と言って良さそうな人が二人います。 一人は、小学校の3年から4年の時に担任をもってもらったH先生。 もう一人は大学の専門課程、国語学研究室でお世話になったS先生。 H先生については、人生の選択に関わる重要な示唆を色々と頂いたなーと思っていて、例えば昔この記事で書いたんですが、 忍者ハットリくんが、私の人生を大きく変えた、という話。 「ファミコンの忍者ハットリくんに巻物が出てきてかっこいいから、物の巻物にも触ってみたい」 と素っ頓狂なことを言い出した私に、 「巻物は大学行かないと触れないよ」と答えて、さり気なく「大学=巻物」という刷り込みを行ったのがH先生です。 多分私、この教えがなかったら大学行ってませんでした。 上記の記事でも書いた通り、私は大学での専攻として、「巻物に触りたいから」とい

    大学の恩師に教わった、「なにがわからないか、わからない」ときの質問のしかた。
    Ta-nishi
    Ta-nishi 2021/02/08
    深く頷きながら読んだ
  • 桃鉄で身に着くのは、「負けてる状態に耐えるメンタル」かも知れない

    皆さんは、友達から「別れた彼女とやりかけのデータが入ったままの桃鉄」というアイテムを受け取ったことがありますか? 私はあります。 いや、あれおっっっもたいですよ。 「唯一の思い出のアイテムなんだけど、手元に置いておくのがツラすぎるのでもらってくれ」って言われましてね。 確かSFCのスーパー桃鉄IIIだったと思うんですけど、友人の名前と、その友人が先日別れたばかりの彼女の名前の2人プレイヤーによる99年桃鉄のデータが残ってまして。 物理的な「ずしっ」という重さすら感じました。 確か99年プレイの30年目から40年目くらいだったと思うんですが、「呪いのアイテムをもらっちまった…」と真剣に感じたのは人生であれが唯一の体験です。 まあ、「これが唯一の思い出のアイテムって、どんだけ他に思い出を作る機会がなかったんだ」とはちょっと思いましたけど。 別れた原因それじゃねえのか。 私、桃鉄ってパーティゲー

    桃鉄で身に着くのは、「負けてる状態に耐えるメンタル」かも知れない
    Ta-nishi
    Ta-nishi 2021/01/28
    他のゲームではともかく、格ゲーだけは未だに腹の底から負けたとき怒りがこみ上げてくるんだよな…なんなんだろアレ。実力差も認めつつもキャラ差も理不尽だろとかいろいろな想いが去来すんのかな。
  • ひきこもると「カレンダーの消えた人生」になる。

    大学を中退してひきこもる おれは二十年まえくらいにひきこもっていた。 大学二年の夏休み明け、どうにも馴染めない学校に、もう行けなくなってしまった。 いや、かなり強く、「もう学校はどうでもいい」となった。 今思えば、這いつくばってでも大学に行き、大卒の資格を得るべきだったと思う。 とはいえ、おれはもう幼稚園から始まる集団生活というものに耐えられなくなっていた。 そういうわけで、おれはひきこもりになった。 当時はニートという言葉はなかったと思う。 ただ、言葉のイメージするところでは、ひきこもりというよりニートがしっくりくる。 べつに部屋のなかから出てこないということもなかった。 親兄弟と話さないということもなかった。 べつに、ふつうに「なんにもしないやつ」として家庭内にいた。 もちろん、親兄弟がどう思っていたかはしらない。 そして、親から小遣いをもらって平日の地方競馬などして、ぶらぶらと暮らし

    ひきこもると「カレンダーの消えた人生」になる。
    Ta-nishi
    Ta-nishi 2021/01/13
    私もニートやってた時代があるのでなんとなく共感した
  • 敗北者は虚空に向かって叫べ。強くキーを打て。そして公開ボタンを押せ。

    あるベテランのラジオのパーソナリティーが、新人パーソナリティーの番組にゲスト出演した。 そこで語られたのは、虚空に向かってひとりでしゃべる才能、ないしは病についてであった。 ひとりで二時間あまりしゃべることができるのは、一種の才能である。一種の病である。 ラジオ好きのおれはそれをおもしろく聞いた。 しかし、よくよく考えてみると、自分自身のことじゃないかと思った。 おれは虚空に向かってしゃべる才能がある。病がある。 しゃべるといっても、声を出して話すわけじゃない。 だれが読んでいるかもわからない、だれも読んでいないかもしれないブログに、自分の言葉をひたすらに書き続けてきた。そのことだ。 民放ラジオなんかに比べたら、無に近いほどはるかに規模が小さく、それこそ当の虚空を相手にして。 それでもおれは書き続けてきた。 おれには才能がない。金になるような才能がない。 それでも、おれは虚空に向かって書

    敗北者は虚空に向かって叫べ。強くキーを打て。そして公開ボタンを押せ。
    Ta-nishi
    Ta-nishi 2021/01/07
    よかった。
  • Amazonで「鬼滅の刃」のコミックを買ってしまったのに、どうしても読み始める気になれない。

    鬼滅の刃」が絶好調だ。 あえて説明する必要もないが、劇場版の興行収入がえらいことになっていたり、単行の売り上げがドえらいことになっていたり、最終巻を求めて長蛇の列ができたり、めちゃくちゃ転売されたり、わけわからんコラボグッズが出たり、とんでもない状況だ。 見ると、町ゆく子どもたちのマスクまでどこかで見たような柄のものになっている。 これはもう社会現象と言っても過言ではないのだろう。 この「鬼滅の刃」はすごい。 たぶんどえらい作品だ。 そんなもの詳しくなくても分かる。 ただ、「たぶん」と表現しているのは、実はまだ観たことがないからだ。 そう、僕はこの作品に全く触れていないのだ。 原作も見てなければアニメも見ていない。もちろん劇場版も見るつもりはない。 やはり、たとえ末端といえども文章を書いたりして表現活動をしている者として、こういった作品は必ず抑えておく必要がある。 社会現象は多くの人に

    Amazonで「鬼滅の刃」のコミックを買ってしまったのに、どうしても読み始める気になれない。
    Ta-nishi
    Ta-nishi 2020/12/21
    めっちゃよかった。私はもう南海ホークスのおっちゃんなのかも知れない。
  • なぜ人は、仕事を辞めると劣化してしまうのか。

    少し前に”仕事辞めて数年経った友人老害みたいになってきてつらい”という記事を読んだ。 仕事辞めて数年経った友人老害みたいになってきてつらい 最初の1年ぐらいは楽しげに趣味に生きてて「いいなー、羨ましいなー」とか話してたけど、2年目の途中ぐらいから如何にもネットがどこかで拾ってきたような浅い知見を披露することや、著名人を含め他人を非難するような発言が増えてきた。 3-4年ぐらい経った今となっては話しててもすぐに何かの批判になったり、自分の経験だけから何かを決めつけるような発言が増えて、話すのもしんどくなってきた。 表題通りなのだが、一応あらすじを簡単に述べよう。 知り合いが仕事を辞めてアーリーリタイアをキメたところ、最初の1年ぐらいはマトモだったのに3~4年でいわゆる老害になり、一緒に居てキツくなってきたという話である。 これには自分も既視感を覚える事が色々ある。 仕事を辞めると、人は劣

    なぜ人は、仕事を辞めると劣化してしまうのか。
    Ta-nishi
    Ta-nishi 2020/10/09
    他人の目があるからこそ人はまともに生きられるというのは理解できる。気にしすぎて病気になる人もいるから程度問題ではあるけど。
  • 「オタクハウツー」が売れた時代は終わり、「発達障害ハウツー」が売れる時代になった。

    皆さんは、”発達障害”とでもいうべき書籍を見かけたことがありますか。 私が”発達障害”と呼んでいるのは、「発達障害の当事者が当事者目線で書いた、社会適応や暮らしに役立てるための」のことです。 この”発達障害”は2010年代から次々に出版され、その少なくない割合が書店で平積みにされるほどヒットしました。 たとえば最近では、借金玉さんの『発達障害サバイバルガイド』などがその好例だと思います。 どのような書籍なのか、このの冒頭を紹介してみます。 このは、あなたのためのサバイバルガイドです。具体的には、発達障害という問題を抱えた僕らがどうにか働き、っていくための「生活術」を1冊にまとめています。 (中略) 生活とは、人生の基盤そのものです。仕事もプライベートも、あるいは成功も失敗も、すべては「生活」の上にしか成り立ちません。この世界に生きる限り、誰一人として「生活」することから逃れる

    「オタクハウツー」が売れた時代は終わり、「発達障害ハウツー」が売れる時代になった。
    Ta-nishi
    Ta-nishi 2020/09/25
    オタクのイメージが向上して、社会適応しまくってる人も普通にアニメゲームに触れてる時代になったからな。