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philosophyに関するasukabのブックマーク (2)

  • 自己という牢獄 : 池田信夫 blog

    2011年03月06日11:02 カテゴリ 自己という牢獄 日経済学が信用されない一つの理由は、それが依拠している合理的個人という人間像が、日人の感覚に合わないためだろう。他方、新古典派やフリードマンにとっては主体が合理的に選択して全責任を負うというのは自明の前提だが、大陸のポストモダンは主体の概念を疑うことを一つのテーマとしてきた。特にフーコーは晩年に「私のテーマは一貫して権力ではなく主体だった」と述べている。書は彼の思想を主体という概念を軸にして概観したものだ。 初期の『臨床医学の誕生』や『狂気の歴史』では、フーコーは近代的な合理性が非合理な「狂気」を排除することによって形成された過程をたどり、『言葉と物』では<人間>という概念が18世紀以降の啓蒙思想によって作られたフィクションであることを明らかにする。「不可侵の人権」や「国民主権」は近代国家を支えるフィクションであり、労働

    自己という牢獄 : 池田信夫 blog
    asukab
    asukab 2011/03/07
    自己、他者
  • とても簡単な構造主義入門 - finalventの日記

    構造主義とは何か? いかめしい定義はさておき。 東京駅5時発の中央線の電車を考えてみよう。 この電車は平日ダイヤなら毎日、5時に東京駅から出発する。 ではここで問いかけ。 今日の5時発の中央線の電車と、昨日の5時発の中央線の電車は、同じだったか、違ったか? 答え、わからない。 でも、そんなこと気にしなくてもいいじゃん、「同じ電車」なんだから、といって、強引に「同じ」にするのが構造主義。 同じ時刻に同じ駅から出発する電車は、つまり、同じ。それで何か不都合でも?みたいな考え方。 そして。 この「同じ」であることを保証しているのが、時刻表。 時刻表という構造、正確にはダイヤという構造。 このように。 構造主義では、対象がまずある全体構造として捉えられ、その構成要素は、システム内部の差異(東京駅か秋葉原駅という差異や、5時か6時かという差異)によって同一または別物だと扱える。 しかも、その要素はす

    とても簡単な構造主義入門 - finalventの日記
    asukab
    asukab 2011/02/03
    構造主義、ポスト構造主義、解釈学……
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