先週のエントリーで「手術ノート」を紹介しました。内容を思い出しながら、ノートに記入することで体験を自身に深く刻み込んでいく、そんな使い方が「手術ノート」です。これはもちろん「手術」だけに限定されるものではありません。さまざまな体験を自分のものにしていくために、多少手間をかけても、反復・反芻することは不可欠だと思います。 読書も言ってみれば一つの「体験」です。手術ノートと同じような考えで、読書体験の価値を増大させることができるでしょう。今回は本の種類にあわせた読書のやり方について考えてみます。 読書前 読書前に気をつけたいことは三つの「A」を意識することです。三つの「A」とは アクション アテンション アッドアップ この三つ。 アクション(行動)は、自分の行動を変える何かです。ノウハウ系の本を読む場合は、自分が今何に困っていて、何を変えたいのかを前もって意識しておくことです。 アテンション(
心臓血管外科医の山本晋さんが書かれた『心臓外科医の覚悟』の中で「手術ノート」というものが紹介されていました。Evernoteだけではなく、アナログノート好きの私としては興味津々なところ。 今回は、この「手術ノート」について紹介してみます。 二種類のノート 「手術ノート」は、海外留学の際、先輩医師の術式を覚えるために山本さんが実践されていた方法で、二種類のノートの使い方から成り立っています。 殴り書きメモ まず、一つ目はメモ用のノート。手術が終わった後、次の手術までのわずかな時間に覚えている限りのことをノートに書いていくというものです。 そのノートには、コセリ先生の使った針、糸、手術器具からはじまり、彼の運針方法(どの角度から針を入れて、どちらの方向に運針を進めるか)等々、覚えていることはすべて殴り書きにした。 当然4時間以上かかる手術の全てを15分ぐらいの休憩時間でメモすることはできません
はじめまして。 (ゆみ) 2005-02-20 07:28:21 おはようございます。 白河さんの心配、よくわかります。 水谷先生は、最近忙し過ぎです。講演、講演で、家にもいなくて電話もほとんどできません。 求める人がたくさん居ます。 私も心配してます。 水谷先生は自分を癒すのは子供の笑顔だっていってくれました。 だからがんばります。ちょっとでも笑顔で入れるように。優しさを配ります。 私は定時生高校生です。 両親の虐待やその他いろいろ問題があったため親とは違う県に離れて暮らしています。 でも水谷先生~(泣)ってことがやっぱりあります。 忙しいのわかるけど、先生じゃなきゃ、、ってことがあるんです。。 学校の先生に言えないこと。。 私はほとんど親と連絡がとれないんで頼れるものがありません。。もし事故とかで死にかけたら水谷先生に連絡すると思います。。 それと、水谷先生はテレビと会った時は印象が違
2011年03月06日11:02 カテゴリ本 自己という牢獄 日本で経済学が信用されない一つの理由は、それが依拠している合理的個人という人間像が、日本人の感覚に合わないためだろう。他方、新古典派やフリードマンにとっては主体が合理的に選択して全責任を負うというのは自明の前提だが、大陸のポストモダンは主体の概念を疑うことを一つのテーマとしてきた。特にフーコーは晩年に「私のテーマは一貫して権力ではなく主体だった」と述べている。本書は彼の思想を主体という概念を軸にして概観したものだ。 初期の『臨床医学の誕生』や『狂気の歴史』では、フーコーは近代的な合理性が非合理な「狂気」を排除することによって形成された過程をたどり、『言葉と物』では<人間>という概念が18世紀以降の啓蒙思想によって作られたフィクションであることを明らかにする。「不可侵の人権」や「国民主権」は近代国家を支えるフィクションであり、労働
◇「言葉」に命かける米国人 今年も米国アカデミー賞発表の季節になり授賞式が全世界に向け放送された。今回の注目は8部門ノミネートの「ソーシャル・ネットワーク」と12部門ノミネートの「英国王のスピーチ」。2作品の事実上の一騎打ちとも言われた。しかし、蓋(ふた)を開けてみると作品賞・主演男優賞・監督賞・脚本賞の主要4部門を「英国王のスピーチ」が獲得し圧勝という結果となった。 当然、授賞式で多くの時間を占めるのはノミネートされた作品の紹介。そしてドラムロールがあり大スターによる受賞作品の発表へと進み、観客席の受賞者が立ち上がって舞台に上がり受賞スピーチ。 これが結構長い。イメージとしては作品紹介と同程度の時間を受賞者のスピーチで使っている。しかもスピーチの内容は大体決まっていて、感謝の対象一人一人を実名で紹介するような謝辞が延々と述べられる。謝辞の連続と聞くと退屈しそうに思いがちだが、さすがに皆「
先週の金曜日、飲み会帰りのタクシーで60歳くらいの運転手さんと、熊本の3歳の女の子が20歳の大学生に命を奪われた事件の話になった。 「あれは親にも責任がありますよ。まだ3歳なんだから、親も目を離したらいかんですよ。トイレに行かせるのだって、ちゃんと遠くからでも見ておかないと」 大概の場合、僕はこういうときに「そうですねえ」とか曖昧に頷いてやり過ごしてしまうのだけれど、お酒が入っていたこともあり、「そんなふうに常に見張っておけっていうのはおかしいし、どんな親にだって、『ちょっと油断してしまう瞬間』はあると思います。それで責めるのはあんまりでしょう」と反論して、車内はやや気まずい空気になってしまった。 「人生の先輩」として、「そういうときでも、ちゃんと見ているのが親ってもんでしょう?」というのは、確かに「正論」のようにも思えるけれど、僕はそこまで完璧に自分の子どもを見張っておくことができるだろ
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