アマゾン創業者がワシントン・ポストを買収! ジェフ・ベゾスは「大人の道楽」としてジャーナリズムを守る覚悟なのか
気になる記事をスクラップできます。保存した記事は、マイページでスマホ、タブレットからでもご確認頂けます。※会員限定 無料会員登録 詳細 | ログイン 前回の記事に対して「Winnyを称賛している。けしからん」という批判記事が一部のブログに書かれていたらしい。 繰り返すまでもないが、前回の記事本文はWinnyと既存のジャーナリズムをあえて同じ地平に並べることで後者を批判する新しい視点を得ようとした内容だった。つまりジャーナリズム批判でありこそすれ、Winny称賛であるはずがない。 ブログジャーナリスト諸君はタイトルの「Winnyは最高のジャーナリズムである」に含まれたアイロニーをちゃんと読み取ってほしかった。それが分からないようでは「褒め殺し」されているのに気づかず喜ぶ輩と同じになってしまうぞ(笑)。 しかし、彼らの心理を推し量るなら、そこにはジャーナリズムそのものへの過大評価があり、それが
少し古い話になるが、毎日新聞が元旦の紙面で「ネット君臨」という年間企画連載をスタートさせた。この連載をめぐって、ネットの世界からは激しい批判が巻き起こったのは記憶に新しい。 私もこの連載を通して読んでさまざまな感想を抱いたが、その感想についてはとりあえず別の機会に書いてみたいと思う。ここでは、「ネット君臨」がもたらした「取材」という行為の正当性と可視化についての問題について、少し考えてみたい。「ネット君臨」における取材行為は、その問題を考えるための格好のケーススタディになっているように思われたからだ。そこで記録として、若干の取材結果も踏まえてこのブログにその経緯を記しておこうと思う。なお最初に記しておくが、この経緯はあくまでもがんだるふ氏の側から見た一連の経緯であって、毎日新聞サイドには現時点では私は取材していない。したがってエントリーの内容が、かなりがんだるふ氏に拠っていることをお許しい
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く