サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
掃除・片付け
ameblo.jp/asupe-san
おひさしぶりです♪ 気が付けば、大阪は桜も満開です! さてさて、今日は1つお知らせがあります。 昨年の10月に開催された「発達凸凹100人会議 ~届け!発達凸凹100人の声~」の参加者の声をまとめた冊子が完成しました! それが、『発達凸凹活用マニュアル2』(青い方の冊子)です。 大阪府の緊急雇用創出基金事業「地域によるレイブル自立化事業」の一環で、『NPO法人 発達障害をもつ大人の会』が中心に活動を行っています。 どれだけ発達障害の当事者ががんばっても、それを受け入れる側の職場の理解や体制が整っていなければ、企業も当事者も苦しむことになります。 この2つの冊子は、主に企業向けの”発達凸凹を活用するためのマニュアル”になっています。 ぜひ、この冊子を活用して、みなさんの職場での発達障害の理解にお役立てください。 ちなみに… 『発達凸凹活用マニュアル』(黄色い方の冊子)は、就業中の5人の当事者
【おしらせ】7月14日の追加講演「発達凸凹を活かそう!」 申込み受付中です! 詳細はこちら↓の記事でチェック♪ 『【受付開始!】7月14日の講演申し込み開始しました♪』 お子さんに、ただ「練習しなさい!」「勉強しなさい!」って言ってませんか? 漠然と「できない」ものを「できない」まま、がんばっても改善されません。 「できない」ことを「できる」ようにするには、 キチンと「できない」を分析をして、 狙いを定めて「代わりになる能力」を鍛えなければなりません! 今回の講演では、「できない」を「できる」にするために必要な「基本的な考え方」から「解決案の見つけ方」までに焦点を絞って、私が体得してきたエッセンスをみなさんにお話します! ずいぶん前に「機嫌が悪い理由(1)」を書きました。今日は第2弾です。 さて、会社でオンライン講座を受けました。 大画面のモニタとパソコン用のスピーカーでしたので、音声が悪
でこぼこ生活研究所の先週更新のアメリカ発コラム「アトリエ23ー発達障害アトリエの日々ー」は、もう読みました? 第5回 今を楽しもう! 今回のコラム「第5回 今を楽しもう!」の中にこんな一節がありました。 「この子は、療育を受けるためだけに生まれて来たのではない。楽しむために生まれて来たんだ。」 あぁ、そうだなぁ!そうなんだよなぁ!って思いました。 アスペルガー症候群の診断を受けてから、発達障害に関するいろいろな本を読んだり、当事者や家族・支援者の話を見聞き&読んでいて感じるのが、 発達障害者は、「フツウ」を身に着けて、「フツウ」の中に受け入れられることこそが「幸せ」である! …という印象を受けることが、少なからずあるということ。 適切な療育やSST(ソーシャル スキル トレーニング)は、社会との不必要な摩擦を減らす術(すべ)を身に着けることができるので、本人にとっても「幸せ」の一つの要素と
【シリーズ】うつ病からの卒業 -二次障害について考える- 13年間にも及ぶウツ病生活。 抗ウツ剤と精神安定剤なしの生活なんて考えられなかった。 もう、ウツ病が治る日なんて来ないとあきらめていた… そんな私が、2010年10月にうつ病から卒業しました。 その軌跡を辿りながら、発達障害における二次障害の治療の特殊性について考えます。 ■うつ病からの卒業(1) ■うつ病からの卒業(2) ■うつ病からの卒業(3) ■うつ病からの卒業(4) ←5/2 11:00UP ■うつ病からの卒業(終) ←5/9 11:00UP ↓みなさんのポチが励みになります♪
今回は、発達障害の人の多くが悩まされている二次障害について、数回に分けてお送りします。 さて、昨年はヘルニアの手術でばたばたしていたので、ブログでお知らせできずにいましたが… 昨年の10月、13年間つづいたうつ病が「寛解(かんかい)」しました。 「寛解」、つまり、「完全に治癒」したということです。主治医から、「うつ病は卒業やな!」と太鼓判をいただきました。現在は、まったく薬なしで、安定して生活ができています。 正直、13年間もがき続けて、うつ病はもう一生治らないとあきらめていたので、驚きでした…。 私がうつ病から卒業した経過を振り返って、発達障害者の精神系の二次障害の治療について、私自身が感じたことを書きたいと思います。 もちろん、全ての人に同じことが当てはまるわけではありません。あくまでも、私の場合であることをご了承いただいたうえで、お読みいただければと思います。 まずは、簡単に私のウツ
今日は、『「ほめる」の功罪(1)』の続きです。 マズイ「ほめ方」ほど、子どものヤル気をそぐものはありません! 前回、お話したタイプのほめ方のほかに、もう一つ大嫌いな「ほめ方」がありました。 それは… 明らかに、まーったくたいしたことでもないのに、大げさに声高にほめる 「あらぁぁぁ~すごいわねぇぇぇ~おばちゃん、びっくりしたわぁぁ」 「しーたちゃん、そんなこともできるんだぁ~すごいねぇ~」 これは、子供を持つお母さん方に圧倒的に多かったほめ方。 申し訳ないのだけど、ほんっとに!ほんっとに!大嫌いでした。 いつも心の中で、 「お前ら、人をバカにしとんかいっ!(怒)」 って、思ってました。 特に、ほめることで、次へ進ませようとか、何かをさせようとかという魂胆がみえみえなのが、虫唾が走るぐらい嫌でした。表情を見れば、まったくびっくりしてないことも、すごいと感心しているわけでもない。 そもそも、大人
最近、子育てで「ほめて育てる」ということが、盛んに強調されるようになりました。これは、とてもいいことだと思います。 特に発達障害のネイティブ(当事者)にとっては、自己肯定感を育てるために、「ほめられる」体験が必要です。 ただ、「ほめて育てる」の「功」の部分ばかりが強調されて、なんでもかんでも「ほめればいい」的に考えてる人がいるようです。 けれど、大切なのは、その「ほめ方」なんですね。 「ほめ方」がマズイと、まったく逆効果になってしまうのですから! みなさんお家ののあすぺちゃんやあすぺさん。 ほめてるのに、喜ぶどころか、逆にへそを曲げてしまうなんてこと、ありませんか? 私も子供の頃、よくそういうことがありました。 今回は、そんな私の子供の頃の気持ちを振り返りながら、「ほめる」ということの功罪、特にマズイほめ方による「罪」について考えていきます。 ------ 私は小学校の頃、とにかく体育が苦
みなさん、こんにちは… Twitterを見ておられる方はご存知と思いますが、少し前からモーレツに疲れています。 そして、これ以上になく憤っています。 正直なところ、「定型様社会」に対する、怒りとやるせなさと無力感にさいなまれています。 このブログでは、よほどのことがない限り、定型様社会に向けた否定的な内容を書くことは最小限にとどめています。(そもそも、普段は「定型様社会」なんていう、嫌味な表現すらしませんから、今の私の心の状態を想像していただけると思います。) けれど… 今回は、その気持ちを保つことすら限界です。 もちろん、定型の方、全てがそのような人ばかりでないことは、重々承知しています。 Twitterやこのブログでつながった方々など、一生懸命に歩み寄ろうとしてくださる方がいることは、知っています。 けれど… 現実の生活の中で、そういう方々に出会えない。 出会うのは、信用できない人ばか
(※この記事は、旧サイトから移行したものです。) 今日は、昔の私がよくやった「遅刻&逆ギレ」のお話です。 私はよく遅刻をしました。 昔は、携帯電話もなかったので、遅刻すると連絡が取れなくなって、相手に心配をかけてしまったものでした。とは言え、携帯電話が普及した今でも、やはり「遅れるわ~」という連絡は気分のいいものではありませんが… 予定していた時間に家を出れず、電車も乗り遅れ… そんな時、私は、電車に乗ると ドア付近で、そわそわ、ウロウロしたり… ドアをこんこんこん!と叩いてみたり… とにかく、イライラしていました。 もちろん、電車は時刻どおりに運行しているので、予定より早く着くはずがありません。 それがわかっているのに… イライライライライライラ 目的地に着くまで、終始イライラを募らせ、駅から待ち合わせ場所まで人ごみを掻き分けて歩くと、さらにイライラは増幅し… その結果、待ち合わせ場所に
最近、読んだ本。 脳科学者の池谷裕二先生とコピーライターの糸井重里氏の対談をまとめた「海馬」という本。 海馬―脳は疲れない (新潮文庫)/池谷 裕二 ¥620 Amazon.co.jp 不思議な組み合わせの2人が脳の記憶をつかさどる「海馬」について対談しています。 お2人とも非常に頭が柔らかい。読んでいると「おおーそういう方向へ話が向かうのか~」「えー!確かに言われてみれば~」と、内容そのもの以上に話の膨らみ方や、たとえ話の仕方におどろきます。 脳の不思議の話は、この本を読んでいただくとして…(え?そうなん?) 実は、この対談の中で池谷先生の超おどろきのエピソードを見つけました。 (抜粋 - 始) ※文中の太字・記号は私がつけました。 p276 ■糸井 雑誌の対談で池谷先生にはじめてお会いした時に、「東大薬学部に進学するときも大学院に進学するときも、池谷さんは首席だったんですよ」と紹介され
こんにちは。しーたです。 5/2にやっと復活しましたが、かなり長い期間、ブログをお休みしてしまいました。 何度かこのブログでもお話しましたが、実は、頚椎椎間板ヘルニアの手術以降、声がかすれてまともな会話が困難な状態です。どうも声帯麻痺のようなのです。実は、最初の頃は、「ま、そのうち戻るやろ~」と気楽に構えていたのですが、だんだんと事態の深刻さに気がついて、だいぶん凹んでました。 どんなに普通の大きさの声を出そうとがんばって、喉に力を込めても、出るのはカスカスの空気みたいな声…。言いたいことを思いついても、2・3秒かけて喉に力を込めて、話を始めないといけません。 …つまり、「まずい!」と思ったときに、とっさに言葉を継ぎ足すことができないのです。これがものすごく、私にとっては苦痛です。というのも、私は、空気の読めない発言や、相手を怒らせるような発言したときに、とっさにフォローの言葉を継ぎ足すこ
今日は、片付けが習慣になるまでの気持ちのコントロールについてお話します。 前回の記事「片づけられない人の片づけの極意(1) 」では、片付けを「めんどくさい」と感じないように工夫すると言うお話でした。 で、「よーし!私もやってみよう!」と鼻息荒く、行動に移してみたけれど… 長続きしない…。 長続きどころか、翌日には、ココに片づける!って決めたことを忘れちゃって、やっぱり散らかってる…。 そんな自分に気がついて、 「ヤル気満々になっても、すぐに忘れちゃう…。なんで、こんな簡単なことができないんだろう…」 と、自分に嫌気がさしてして、挙句の果てには 「忘れっぽいから、ぜんぜん続かない…。なんで、私って、根気がないんだろう…」 と、自分を責めてしまう。 そんなことはないでしょうか? 私は、そうでした。 はり切って、片づけて、よーしやるぞ!と思うんだけど、翌日には忘れてしまって、脱ぎっぱなし…。 そ
久々に、「私と絵」シリーズの復活です。→まとめ読みはコチラ■ 前回「私と絵(6)-私はダメな子じゃない!- 」は小学校3年生の頃のできごとでした。 前回は、記事を書いていて耐え切れず、中途半端なまま記事を終わらせました。その後、入院&手術でそのままになっていたので、すこしだけ補足をした後、今回の漫画の内容に入りたいと思います。 さて、前回の記事。 大好きな祖母の絵を真っ二つに引き裂かれたショックは、あまりに大きなものでした。ちょうどペンによる細密画を学校で習ったこともあって、とにかく現実のものを緻密に画用紙の上に再現する方向へと変わって行きました。 その理由はいくつかあるのですが、なによりも、そこにあるものをそのまま再現すればよいので、自分であまり考えなくてよいのがラクだと思ったことが大きかったです。 自分で考えて描くと、前回の祖母の絵の時のように怒られるかもしれない…。 目の前にあるもの
こんにちは。しーたです。 3泊4日の検査入院を終えて、さっき帰宅しました。 本日は「がんばれあすぺさん!」はお休みさせていただきます。 さて、検査(ミエログラフィー)は昨日(木曜日)に受けましたが、まだ、脊髄に流しこんだ造影剤の影響で、激しく頭痛がします。 今日は、おとなしく寝てます… 実は、ここ数ヶ月、右半身と胴回りを中心に激しい痛みがあって、右手も力が入りにくくて、マンガを描きづらくなり、次第にマウスのクリックも上手くできない状況が続いていました。 実際には5年ほど前から、痛みと戦いながら仕事をし、整形外科のほか、整体、鍼、マッサージ、足ツボ、アレクサンダーテクニークなど、ありとあらゆる手段とお金をつぎ込んで、なんとか耐えてきました。 ある意味、これらの代替療法があったから、5年もの長い月日をなんとか耐えて来れたのですが、とうとう限界が来ました。 じつは、ただの肩こり&頭痛だと思ってい
ただいま入院中のしーたです。 あまりに暇なので、積読になっていた未読本を読んでいます。 20歳のときに知っておきたかったこと スタンフォード大学集中講義/ティナ・シーリグ ¥1,470 Amazon.co.jp この本を読むと、いかに人々が一般常識にとらわれ、周囲の空気に縛られ、問題解決を困難にしているか、そして、飛躍のチャンスを棒に振っているかということに気がつきます。 私自身も、発想がとっぴだと言われることが多くあります。 しかし、他の人がとっている方法を投手している限りは、いままでと同じ結果かそれ以下の結果しか得られません。 未知の問題に遭遇したとき、従来の方法では解決できない(からこそ、問題になっているわkで)、そんなときには柔軟な発想ができなければ、解決はできません。 先日、ある研修で課題が出されました。 講師が、グループ討論の前に、一言。 「できる限り、常識的な発想ではなく、自
マンガだけ読む人はココでポチッと↓ 今までのお話はコチラ↓ ■私と絵(1) -なんで怒るの?!- ■私と絵(2) -何を描いたらいいの?- ■私と絵(3) -自由気ままが「薬」-(マンガのみ) ■私と絵(3) -自由気ままが「薬」-(本文のみ) ■私と絵(4) -なんだか運が悪い-(マンガのみ) ■私と絵(4) -なんだか運が悪い-(本文のみ) ■私と絵(5) -最後の絵の教室- ---- 前回、大好きなおばあちゃんの最後の絵の教室で、おばあちゃんを描きました。 それから、間もなかった頃だったと思います。 ある日、どんな理由だったか、もはや忘れてしまうほど些細なことで、母に叱られていました。 いつもなら、黙って怒られているところだったのですが、その日はあまりにもボロクソに言われました。 ほんまに、あんたは何をやってもダメな子や! 何一つええとこなしや! 延々と言われ続けて、悲しくなりました
マンガだけ読む人はココでポチッと↓ ※追記10/6 21:00:本文の一部が、なぜか一番下へ飛んでしまっていたので、あるべき場所に戻しました 本の感想はコチラの専用コメント欄へどうぞっ!→■Click! ---- 今日は、私の苦手な飲み会についてです。 実は、私は飲み会が大嫌いです。 特に社会人になってからの飲み会は、嫌いを通り越して、苦痛以外の何者でもありません。 それは、どんなメンバーでも同じです。 もともと4人以上の人が集まる催しは、私にとっては「人が多すぎて目が回る」状態になるからです。 そして…飲み会にはそれに加えて、 普段のウップン晴らしの愚痴 が飛び交います。 これが、苦痛の最大の原因なのです…。 私はお酒は強くありませんし、余り飲みません。 たまに、たくさん飲んでも、意識はハッキリしています。そう。冷めてます。 だから、普段とは打って変わって、言いたい放題の本音が飛び交う飲
お待たせしました! 今日は、『人に頼めないのはなぜ?(1)』 の続きです。 さて、今回は、私が人に物事を頼めない理由の2つ目、 2.自分でやらないことに罪悪感を感じる。 (「人に頼む」=「自分の評価が下がる」という思いがある。) についてです。 私の心の中には、 「人に頼むこと=悪いこと・ずるいこと」 という意識が根強くあります。 おそらく、自分が死にそうな状況でも人に頼ったり、頼んだりはできないかもしれません。 何よりも、子供の頃に、母から常に言われ続けた言葉が強烈に染み付いているからだと思います。 私は、小学校の低学年の頃は、何をしてもダメダメな子供でした。 けれど、逃げたくても、頼りたくても、私の母は、一切、手助けすることはありませんでした。 なぜなら、母の中には、 やればできるくせに、やる気がないだけ という私への強い先入観がありました。 そのため、私が何らかの失敗や間違いを犯して
「フツウの人と感じ方がちう」ことを嘆くよりも「人とちがう発想ができる」能力を活かそう!「フツウとちがう」は、自由な世界へ飛び出すチャンスなのです♪ アスペルガー症候群とは アスペルガー症候群は、発達障害の一種で、知的障害のない自閉症です。生まれつき脳の機能が普通の人と異なります。そのために、「できること」と「できないこと」の差がとても大きいのが特徴です。普通の人には何でもないことができないのに、普通の人ではできないことを簡単にこなしてしまう…など、能力がとてもアンバランスなのです。また、いろいろな面で普通の人とは違う感性をもっているため、フツウの人の考え方や感じ方を理解しにくいことも特徴です。 【らくらぽ!まなび会・6月】不登校・発達障害の子育ての会 オンラインで発動です!※肝心の申し込みサイトのリンクを貼り忘れていましたので、追記しました!!私が運営する発達障害・不登校の個別指導塾「でこ
(※この記事は、旧サイトから移行したものです。) ※携帯でご覧の方へ:4コマ漫画は、選択してOKすると、拡大されて読みやすくなります。 今日は、努力と才能についてお話します。 私は子供の頃から、不器用で要領が悪くて、何をやっても、はじめは、ダントツにビリでした。 けれど、中学・高校・大学・大人と成長するにつれて、努力のコツがわかってきたため、努力が実ることが増えてきました。そして、努力が実る場合は、普通の人以上にできるようになりました。 けれど、やはり、習い始めのある一定の期間は、相変わらず「ダントツのビリ」なのです。 そして、その期間は、心無い仲間から、 「どうせ、お前はやってもムダ、ムダ。」 「下手なんだからやめれば?」 「一生懸命だけじゃダメなんだよ。」 「もうちょっと、考えてやったら?」 など、傷つく言葉がたくさん投げかけられます。 一生懸命にがんばっていても、そのこと自体をバカに
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『私はアスペルガー症候群でしーた♪』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く