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前世紀末から2000年代には、成人向けの美少女ゲーム、エロゲーがオタク文化の最前線となり、この領域でいわゆる「萌え」表現の様式が大いに発展、整備され、あらゆるオタクジャンルに波及していったのであった。今日ではあらゆるオタクジャンルが「エロゲ化」した結果、エロゲー自体はその役割を終えて、衰退したのだと言ってもよいかも知れない。 古参のオタクなどには、ポルノ中心主義とも言える今日のオタクカルチャーに違和感を表明する向きも見られる。そこには、ほんらい「お色気」的な要素は、客寄せのサービスで、表現作品の本質たりえないはずだという意識もあるように思われる。あるいは、売れないクリエイターが、ポルノで糊口をしのぐというような古典的なポルノのイメージというか。 しかし結論から言えば、広義のポルノこそオタク文化の主題である。ポルノ的欲求は、人間の最も私的な領域に属する事柄であるから、ポルノ表現を前面に押し出
初期のオタク文化の時代は、まだ世の中に、一般人も社会問題に関心を持つべきだという左翼的な(保守主義者達は、人がその分限、職務を超えて政治的であることを好まないという点で)考えが世間に残っていたので、オタクとしても、そういう態度をとる傾向にあったのである。なまじオタク文化をいつかは世間に認められるものにしたいという野心のあるオタクほど、その必要を感じていた。「ゴジラのテーマは反核」「ガンダムは反戦」などという解釈、主張は、そういう空気を背景としたものであった。しかしこれは今日からみるとやはり滑稽に見える。これらの作品の一番力が入っていて、見どころとなる部分が、取ってつけたような政治的言及には無いことは明白だった。この問題は、作家がどういう意図でそれを作ったかということではなく、実際の作品がどうなっているかという話である。別の言い方をすれば、作家が言葉の上だけで考えたことではなく、芸術家として
ネットではコンテンツは無料であるのが当然という意識が強く、また著作権にルーズな所がある。作品を相互に引用しあい、改変、パロディ化するのはオタクが好む手法でもあり、ネットのこういう部分はオタク文化との親和性も高い。 こういうネットの無料/共有文化を、ある種の共産主義的なもの、資本主義的生産活動を超えていく動きとして捉える論調というものが、たまにある訳である。 しかし実際には私達は、通信量と、商品の値段に上乗せされた広告費という形でネットの世界に金を落としている。だからネットの無料文化は、かつては実際に何かを作成している人が受けとった筈の取り分が、インフラストラクチャーや、広告収入が見こめる集客力などの「場所」的な権益を有する者に移るしくみに過ぎない。かかる地主丸儲け的なシステムを、資本主義の超克と見做すのは適切ではない。資本主義どころか、下手をすると近代以前である。 ネットは管理と効率化のシ
オタク活動には知識をひけらかし合う同類が必要だと以前にも言ったが、昔は、オタクにとってまずこの仲間を探すということが、ことにマニアックなジャンルになるほど容易でなく、彼らにとって常に大きな問題であった。オタクには社交性に乏しいというイメージがあるが、話が通じる相手を得たいという強い欲求のために、あえて何のつても無しに未知の領域に乗り出し、新しい人間関係を構築していこうとするケースも見られた。 しかしネットが普及するに及んで、それも過去の話になった。ネットではどんな趣味の同類でも時間や場所を選ばず得られる。情報技術がそもそもオタク関連ジャンルの一部であるということもあり、オタクが最もオタクらしく振る舞える場所として、ネット上のコミュニティが今日オタク文化の本体を形成するようになったのは、全く必然的な事であったのだ。 そしてまた、日本のネット文化自体がオタク的気質を持つ者達の手によって発展して
かくして、プラトンの「国家」は、(道義的)理性によって社会を意識的に変革していこうという、広い意味での左翼的プログラムの、西洋における始まりを告げる。 現代の日本では、左翼的な理想主義は、「近代人の浅知恵の産物」とレッテルを貼られ、歴史的スケールにおいても矮小化されている。近代的、左翼的なるものが、むしろ人類の歴史の中で無視することのできない古く大きい一つの潮流の、最新の展開であるという視点を持つことは、これに抵抗する上でひとつの意味がある。 しかしそうすると、「国家」で述べられている理想国は現代人から見れば、エリート独裁国家で、詩人が追放の憂き目にあう表現規制国家ではないのか、(この国家にはオタクにも居場所はないように思える)これこそ、理想主義者の残虐性を象徴する話ではないか、オタク=ネット右翼ならば、ただちにそう言うはずである。 プラトン自身も言うように、この理想国はただちに実現を企図
普遍的正義という古臭い言葉をあえてくりかえして考えているのも、それがオタク文化ともっとも根本的に対立する考え方であり、オタク文化を批判的に見る上でどうしても再考する必要があると考えるからである。 普遍的な道義的真理が実体として存在するという考えが、古く素朴な、すでに乗り越えられた思想だというのも結局サブカル・ポストモダン右翼の言い分でしかないわけである。まあ、概してオタク世代は彼らの藁人形論法に出てくる形でしか、左翼的、普遍主義的思想というものを知らないという問題もあるのであるが… しかし、プラトンがイデア論というものを発見した当時、ギリシア世界はすでにそれに先行して、高度に洗練された相対主義の議論を持っていたわけである。「人間は万物の尺度」というテーゼで有名なソフィスト的な雰囲気のなかで、知識階級にとって最大のテーマは弁論術であった。全てが相対的であることが明らかになった今、もはや人類に
今の日本で政治的発言をしていて、一度も中国人、朝鮮人「認定」されたことが無いとすれば、それは彼が政治の不正に抗議したことも、困窮するものに同情を示したこともない、ネット右翼かその追随者であることを意味するのであるから、逆に今日朝鮮人認定されることは、全く名誉なことであると言わなければならない。 しかし、近年までオタクやネットの世界にあまり関心を持って来なかった者は、そもそもなぜそういうことになっているのか、異様でありまた唐突で訳が分からず、しばしば、そこに無知や狂信を見出し、あるいはごく一部の者の自演や扇動と見なして無理に納得しようとする。 実際には「朝鮮人認定」の背景には、国学以来のそれなりに整備された世界観が存在しており、それゆえにネット右翼思想は、教養あるはずの者たちにも、強く広い希求力を持ってきたと言えるのだ。今日ではネット右翼は全く大衆化しているが、それも、まず知的青年の間でネッ
2010年の東京都青少年健全育成条例改正問題(いわゆる非実在青少年問題)を、保守的なオタク文化の転機だったと評する向きもあるが、あのとき抗議の中心だったのは、古参の漫画関係者などである。 マンガはオタク関連ジャンルと一般にみられるが、マンガはオタクよりも——オタクという言葉が生まれ、オタクがオタクとしての自覚を持って活動をはじめるよりも古くから、大人を対象としたジャンルとして発展してきた経緯がある。オタク以前のカウンターカルチャー的な部分も持っているのである。 一方、よりプロパーなオタクの間では、「エロマンガは読みたいが、表現の自由を声高に叫ぶようなサヨク、プロ市民みたいな真似はできない、どうするか」みたいな(左派から見ればどうでもいい)ダブル・バインドを、いかに切り抜けるかという問題が都条例をめぐる思想的最前線となったのである。 多くのオタク=ネトウヨ、サブカル保守的立場の者は、表現規制
革命とか蜂起とか一揆というものに、飢えた民衆が自暴自棄となって起こすものというイメージを持つ向きがある。 これは裏を返せば、とりあえず食うものがある私達は、社会変革、世直しに関心を持たないのは当然で、関心を持たなければならないとする左翼、市民運動家の態度は欺瞞であるという考え方になる。またそれは、政治に関心を持たず、趣味に沈溺する生き方を肯定するものとして、サブカル保守と、その先鋭化された形態であるオタク=ネット右翼の思想を支える政治運動観、大衆観なのであった。 政治に関心を持たない「素朴な大衆」のようなものを設定しておいて、自らはその擁護者、代弁者であると位置付けるのは、ロマン主義右翼の一つのパターンである。欧州のロマン主義がカトリック教会とその信徒に求めたイメージがそうであったし、またわが国の国学運動が、「からごころ」に汚染される以前の純粋無垢な日本人というものを想定するといったように
「数学のできない人間は、完全には人間ではない。」 ──ロバート・A・ハインライン「愛に時間を」 自然科学を重視することを「左派的属性」だとする考え方があり、当の左派のみならず、ある種の保守派からも(進歩主義批判のような否定的な意味で)言われることがある。しかし、これは俗説だろう。 「知は力なり」とは、フランシス・ベーコンの思想とされるが、ベーコンはまさにこの意味において自然科学を重視し、伝統的な学問の実効性の乏しさを批判したのだった。一方、政治家としてのベーコンは、政治倫理のもつ実効性を疑い、しばしば権謀術数を肯定する面を持っていた。 自然科学それ自体には、政治的価値判断は含まれないとしても、生身の人間が、科学を自分の専門として選択するということは、近代科学の始まりの時から、すでにある種の政治的選択と関係していた。それは、オタク文化が、ときおり美化されるような、子供のように純粋な趣味や美の
カール・シュミットは政治的ロマン主義の本質を、「主観的機会原因論」と捉えたのであるが、オタク文化を最近に経験している我々にとっては、もっとわかりやすい表現があるだろう。それは、「すべてはネタでしかない」という世界観である。 ネタではない「真性」右翼として、政治的ロマン主義に批判的だったシュミットが、なぜナチスのような、あからさまにロマンチックなものに加担することになったか。 この問題は、ひとつには、やはり私から見ると、近代の保守、右翼思想は、本人たちがどう思おうとも根がロマン主義的であり、ナチス的な底無しの悪乗りを拒絶しきれないという事になるが、いま一つは、ナチスはネタとして盛り上がるだけではなく、実際に行動し、権力を掌握したではないか、それは受動的で無責任なロマン主義的センスで出来ることだろうか、という見方が影響しているように思われる。 そうして、少なくとも、ナチスの指導者達は、ロマン主
ロマン主義運動については、オタク文化との類似点はいくつも思い付く。特にそのファンタジー趣味な部分については、単に類似しているだけでなく、オタクはロマン主義者の直接的な子孫でもある。 強いて違う点に注目すると、オタクが主知主義的であるのに対して、ロマン主義が直感的、情熱的であるという風に見えるかもしれない。「いかなる普遍的正義も理想も信じない」という態度を、オタクは自らの懐疑的知性の証拠と見るのに対し、ロマン主義者は自らの奔放な生命力の発現と見なす。しかし、こういう自己規定のやり方はともかく、やってることは似かよっている以上、そのやがて辿るべき運命も似通ってくるのではなかろうか。 さて、ロマン主義というものも、当初、自分達こそが、人間を道徳や啓蒙主義的正義といった抑圧から自由にし、開放する思想であると主張したのであった。 しかし自由という言葉はあいまいである。道徳や正義を、抑圧の道具であると
スブやんのように直線的にエロスの申し子になることは、私自身いさぎよしとしない。なぜなら、それをのぞむ以前に私はプロレタリアートの子だからである。 —— 斎藤龍鳳「ボクの『エロ事師たち』論=私はなぜ一夫一妻に立ちもどったか」 本居宣長の源氏物語論には共感出来るけど、直日霊とかの国粋主義になるとちょっと、というのは、かつてはよくある感想であったが、両者はやはり一直線に通じたものであると考える。 「もののあはれ」を、我や理念を立てず、ひたすら目の前の対象に寄り添い、これと一体となり、これを味わい尽くす態度とするならば、古事記伝は、この「もののあわれ」を古事記のテキストに対して徹底的に適用する試み——それは手法の上では、近代の実証的、文献学的手法に似ていなくもない——であり、その過程において、儒教の説く道徳的、条件的忠誠に対して、無条件的な尊王こそが、究極の「もののあはれ」であるというビジョンが導
およそオタク以前の時代は、知的な大人は現実社会において、社会正義の実現に関心を持たなければならない、という価値観が少くともタテマエとしては主流で、だからこそ大人がフィクションに過度に沈溺することに、世間は否定的だった。少くとも、大人が鑑賞するものには、現実社会の役に立つような、社会性、テーマ性が無ければならないと考えられていた。 そこに、「一般人のくせに社会問題などに関心を持つのは、自分を賢く善良にみせかけようとする賤しい偽善者のすることである、むしろ政治性、テーマ性に逃げずに純粋にメカやら美少女やらを審美的に愛玩する自分達こそ、真に知的な人間だ」という価値観の逆転を持ちこんだのが、オタク文化であり、ここにオタク文化の基本的な精神がある。 今日、大人がマンガやアニメを見ていても特に何もいわれない社会が実現したのは、そういう逆転の成果であった。 比較的古参のオタクはしばしば、こういう歴史的経
今日、いわゆるネット右翼ムーヴメントは、オタクの政治部門としての機能を果している。 オタクとの関係を無視してネット右翼運動を理解することはできないし、ネット右翼を無視してオタク文化を語ることもできない。 かくして、オタク界隈では、朝鮮人、中国人、左翼、貧困層などは悪の代名詞であり、実際アニメやゲームなどの作品に否定的な評価をするとき、これらのレッテルを貼ることは今日び「オタク用語」の一部であるから、こういうネット右翼的世界観を共有していなければ、オタク同士の交際にも差し障りがあるというわけである。そしてまた、これらの世界観を土台にして、日々あらたなオタクネタが作られていく。 一方だからと言って、オタク一般との付き合いは断って、一人で作品を鑑賞して楽しむことができるかと言えば、そうもいかない。 というのも、いわゆるオタク向け作品というものは、皆でネタを共有しあい、話題にすることを楽しむことが
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