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または私は如何にして心配するのを止めて修辞を嫌うようになったか。 今日おどろいた事。 「なんの唐突もなく」という日本語表現の存在。 ・なんの唐突もなく - Google 検索 こんなめちゃくちゃな誤用がこんなにも広まっているとは知らなかった。 物知らずが、言葉を知らないくせに「なんか難しそうな言葉」を使ってカッコつけようとするから、こんな事になる。こういう人間だよ、おぼえたての「閑話休題」とか「所謂」とか乱用しちゃうの。 呉智英先生の「スベカラク」の話ではないが、自分の身の丈にあった言葉づかいという物があって、物を知らないのであれば背伸びした言葉を使うべきではない、と思う。 よく、二重否定は表現として難しいと言うが、二重否定だけでなく、否定を盛り込んだ表現というのは難しいのではないか。 ・吝かではない(やぶさかではない) ・止むを得ない(やむをえない) なんていうのがその代表格かも知れない
昨日とてもショックだったこと。 会社の同僚が「Windowsでの、アプリケーションの起動方法」を知らなかったこと。つまり、スタート→プログラムのメニューからアプリケーションを起動するという方法を知らなかった。 これが例えば、六十近い社員だったり、あるいは新入社員やMac使いだったら驚かないんだけど。 この人は僕とほぼ同年代で、自分でもPCを持っていて、多分2ちゃんねらーでネットオークションもよくやってて、現役かどうかは知らないがP2P経験者でもある。 そんな人が、アプリケーションの起動方法すら知らないという事実に驚愕してしまった。 で、「こんなのは、Windowsの基本中の基本ですよ」と言ったら「君たち(みたいなPCオタク)は知ってるかも知れないけど、こんな事、誰も知らないよ!」と逆ギレされたのでした。で、僕はそれに腹が立ったというよりも、すごく恐かったわけです。 世の中には、リテラシーが
僕ははてなブックマークは弱虫のためのツールだと思っていて、それは特にブログにブックマークコメントをつける時にですね、なんであえてコメントに書かずにブックマークしてコメントするのかというと、弱虫だからですよ。「なんか言いたい、でもヤヤコシイことにはなりたくない」という。 これは僕自身の使い方についてもそうですけど。本当に伝えたければコメントなりメールなりの手段はあるわけで、なんでそんな中途半端なコミュニケーションツールを使うのかというと、覚悟がないから。弱いから。 で、はてなスターっていうのはもっと弱いのね。あれって「そうだそうだ!」っていうだけのものでしょう。 ブックマークコメントについたはてなスターなんて、最たるもので。 ブログの記事がある→ネガティブなブックマークコメントがつく→そこにスターがつく 結局これって、当のコメントをした人の陰に隠れて「そうだそうだ!」って言ってるだけのもので
・YouTubeは著作権という考え方を崩壊させるだろうと思う。 ・実は僕はYouTubeの動画をほとんど見たことがないし、ダウンロードを試みたこともない。 ・でも最近思うのが「もうすでに、著作権違反は『アンダーグラウンド』ではなくなった」という事。 ・YouTubeのリンク集というものが注目されだしてから、少なくともはてなブックマークの世界では「違法動画にリンクを張ること」は、タブーではなくなった。 ・例えば、ほんの一年前までは、著作権を侵した動画にリンクを張ることは、ネットの「表社会」ではタブーだったと思う。 ・僕自身は、YouTubeと、Winnyに大した差異を感じない。どちらも著作権違反に多用されるツールだという認識。しかし、Winnyを使用していることを公言する人がほとんどいないのに対して、YouTubeを利用し、それを公にしている人はとても多い。 ・みんな、YouTubeに置いて
「CMの後、いよいよ!」が嫌いだ。 大物ゲスト登場!とかクイズの解答はCMの後!とか上島竜平が珍味○○を食べる!とか。 そういうコマーシャルの入り方を見ると、その時点でチャンネルを変えるわけです、私は。実に姑息な手段じゃありませんか。しかも、そういう引っ張り方をしてるほど、結果は大したことがないのね。週刊誌の袋とじ企画と同じですよ。 結局さあ、「さあ、これから面白いことがおきますよ」というフリから、「実際の面白いこと」への流れっていうのがあるわけです。見ている側の昂揚というかワクワク。そのワクワクがCMの2分間も持つかっていったら、持つわけ無いですよ。2分間もテレビの前でワクワクしていられる人なんて、今の日本にはいないでしょう。頭の悪いテレビ制作者の方には、それが分からないんですよ。テレビが「王様」だった80年代で時代が止まってしまってるんでしょう。 で、最近気付いたんだけど、面白い番組ほ
なんか、マンナンライフが悪者になってるんだけど、ちょっと気になる記述があった。 国民生活センターの統計では、こんにゃくゼリーによる窒息死17件中3件がマ社の商品で起きている。全日本菓子協会によると、こんにゃくゼリーの売り上げは07年度約100億円で、うち約3分の2がマ社。 国民生活センターの報道発表資料によると、この窒息死17件というのは過去13年の累計。 売上データが2007年度のみなので一概には言えないが、マンナンライフがシェアの2/3を占めているという事実は過去も大きく変わらないとして、試算してみた。 売上100億円、内66億円がマンナンライフ、33億円が他メーカーとして、一袋当たり200円として計算すると、 ・マンナンライフの販売個数(13年累計)=4290万個 ・他メーカーの販売個数=2145万個 マンナンライフの事故件数が3件、他メーカー製が14件だから、事故発生の確率は下記の
ブロガーには学生さんが多いわけですが、大学名を公表している人もたまにいる。僕の感覚では、慶応の学生さんに多いように思う。プロフィールの欄に誇らしげに並ぶ「慶應義塾大学」の文字。 それだけでも僕にはずいぶん面はゆいというか、若気の至りだなあ、とか思うわけですが。 その人の書いた文章が「いかにも中学・高校くらいの文学少年/少女」って感じだと、なんか「この人には愛校精神という言葉は無縁だな」とか思う。 ブランド校の中には、ブランドを築き上げるような人と、ブランドにぶら下がっている人、という二種類が存在する。後者に属するのは惨めなことだ。
・この記事について:ファミリーマートで売られている「半熟ゆで卵」は半熟ではないので、十分に注意してください。 ■言い訳 8月は仕事が忙しかったので「今回の対応の概要については9月に書きます」と言ったものの、9月に入ると予想外の忙しさで、もうにっちもさっちもいかない。しかし9月に書くと言ってしまったので、簡単ではありますが先ほどの炎上騒ぎに関する私の一連の対応について。 ■伊藤忠飼料、飯塚様からのコメントについて まず、なぜ謝罪なり記事削除を行わなかったのかということですが、一言で言うと「その必要がないと判断したから」です。これは何人かの方が自分のブログ等に書いていましたが「私と伊藤忠飼料様との間での話」は、8/17、14:22時点での私のコメントで全て終わっていると考えています。 私が見当違いな物であれ、商品に対するクレームを書き、それを伊藤忠飼料様が見て「貴重なご意見有難うございました。
※追記の補足:これは、私が2006年8月に経験した「ブログ荒らし」に関するデータです。もし万が一、自分のブログが荒らされたら、このデータを見て頂ければ、荒らしの行動パターンや、騒動が続く期間について、ある程度の見当が付くと思います。参考になれば大変嬉しいです。 (当該記事についてはこの記事の下の方にリンクを張っています。文中の「イナゴ」というのは、荒らしを指す「ネットイナゴ」というネット用語から取っています) コメントを掃除するにしてもこのデータを失うのはもったいない、ということでとりあえず18日から今日の昼までの「他人の不幸は蜜の味」のコメントログを保存しました。 で、ついでなので概要のデータをまとめてみましたよ。 <経緯> ・3/6:クレーム記事を書く ・8/17:伊藤忠飼料様からコメントが入る ・同日:その事を私がはてなブックマークで取り上げる ・同日:2ちゃんねるにスレッドが立つ
1.「常識」禁止。 馬鹿が常識だと思ってる事は、世間では非常識ですので、馬鹿が「こんな事は常識です」と言っても世間様には通用しません。 そしてまた「それは常識とは言えないですよ」と指摘された時に開き直るのも馬鹿ならでは。 それもそのはずで、多少なりとも他人の意見に耳を傾けていれば、馬鹿にはなるまいと思うのです。自己批判と反省のない生活の結果、馬鹿ができあがるわけですので、馬鹿はいつまでも馬鹿のままです。 2.嘲笑禁止。 馬鹿はとかく他人様の事を下に見て嘲笑したがります。馬鹿にしてみれば勝利宣言のつもりなのでしょうが、端から見ると、何を嘲笑しているのか分からず、馬鹿馬鹿しいものです。そればかりでなく、論旨が見えにくくなります。馬鹿の書いた論旨の見えない文章なんて、誰も読みません。 また「どうでもいいんですけどね」なら話が終わるのに「どうでもいいんですね(苦笑)」では話が終わりません。このよう
書いてる内容はさすがにアレで、いやそれは書いちゃダメだろう、とも思うのだけれど、しかしhashigotanさんが「それ書いちゃダメだろう」ってことを書くのは日常的なことだし、そういう事を書いてしまう部分がこのブロガーの特色だと思ってた。 hashigotanという人はかなり保守的な規律意識みたいなものを持っていて、それでいて、かつ非常に非倫理的な思想の持ち主でもあるなあ、と思っているのだけれど、こういう人は珍しい気がする。ここまで分かりやすく矛盾した人間(そして恐らく本人もそれを自覚している)ってのは痛快だなあ、という。 しかしきっかけは知らぬが炎上しているようだ。 ・なーにがユキマロちゃんだ - heartbreaking. この人、こういう事書く人だからね。いやそれ書くなよ、と思うんだけど、なんだろう、こういう事を書いてしまうのがこの人の「業」みたいなものなんじゃないかという。 で、炎
2007年10月21日 muteit 音楽 単純にシーケンサーやサンプラーが良くて、初音ミクが駄目って理屈は通らないと思う。 理屈は通らないが、私自身は初音ミクが嫌いだ。 音声合成で歌を歌わせる、という考え方は嫌いではない、というか僕もかつてやっている。 多分、あえてそれをアニメ声でやったという部分、音声合成ソフトはそれこそ10年以上前から音楽向けにリリースされていると思うけれど、その本格的な製品第一号がアニメ声だったというのが気にくわないのだと思う。 しかしまあ理屈ではないのだ。僕は宅録が好きだけれどDTMが嫌いだ。「同じじゃねえか」と言えば同じなのです。しかしいかにもDTM的な音楽、GM音源的だったり、いかにも「一台のシンセサイザーで作りました」という感じの音楽が大嫌いだ。 しかし「一台のサンプラーで作りました」とか「一台のカシオトーンで作りました」という音楽はわりと好き。 ここはもう
VIPブログ以外にも糾弾すべき対象はあるんじゃないの? まあ、どうでもいいんだけど。 ぼくはいわゆる「2chまとめサイト」の管理人っていうのは十中八九、品性下劣な人間だと思っているわけです。 で、いちばん腹の立つ部分というのは、「みんながこう言ってるんですよ」という形式で、自分の主張を押しつけている部分でして、まあ人間の中でも最低の部類だね。書いてても驚くほど下品な人間です。 新聞テレビ週刊誌の方がまだマシだと思うのは、いちおう「文責」ってのがあるから。2chまとめサイトには「文責」がない。ないわけじゃないが、これは読む側の問題か。 ああいうサイトを、金のためでなく、自分のために運営している人間がいるとしたら、これはちょっとびっくりする話だ。まあさすがに、金のため以外で、あそこまで下品なことをする人間はいないだろうが。
暫定ではありますが、社内のシステム担当っぽい仕事を少ししてみて見えたことがあるのでメモ。 ・社内SEは「クレーム担当」である。 ・みんな、社内システム・ネットワークは「動いて当たり前」の事だと思っている。 ・もちろん、通常通り動いていれば誰も何も言わない。 ・一般の社員が社内SEに話をする時、というのは社内システム・ネットワークにおいて「トラブルが起きた時」である。 ・トラブルが起きているのだから、その社員はいらだっていたり、怒っていたりする。その話を訊くのは社内SEである。 ・いきおい、社内SEというのは「常にネガティブな話ばかり訊く担当」になってしまう。 ・このような、ネガティブな話ばかり訊いていると、人間というのはおかしくなる。 ・クレーム担当、いわゆる「お客様相談室」の担当者というのは、通常、1~2年、短くて半年で担当替えになる。そういう条件でないと、多くの人は異動に同意しないし、
mixiのコミュニティーって、情報収集にはとても良い仕組みだと思うんですよ。 コミュニティーって、ある情報に特化した掲示板群、とでも言いましょうか。僕が参加しているコミュニティーはこんな感じです(以前の物で、今は多少変わってます) この中で、情報交換とか意見交換をするんですけどね。 まあ、ひどい。特に音楽関連のコミュニティーね。アルバムレビューのトピック(スレッド)に「サイコー!」とか「大好きです!」ばっかりズラズラーっとならんでる。 「情報求む」っていうトピックで、正確な情報を提供してくれた人の書き込みを全く読まず、うろ覚えの自分の記憶だけ書く。 要はあいつら、「なんとなーく仲良さそうに中身のないことを言っていたい」だけなんだよね。 僕は、はてなブックマーカーには「情報ジャンキー」が多くて、ブログの記事を単に「情報」として処理してしまうような。そういうのが好きではないんだけど、mixiに
この質問に対する答え。そのくらいかなあ、と思いました。 まあ、警察が立件し起訴すれば、十中八九有罪かな。 まあ、冤罪も無くならないだろうなあ。 知らないのなら黙っとけよ。 そしてベストアンサーがこれだ。検察でも無罪に成る可能性がある事件は裁判に持ち込まないでしょうから。 世に馬鹿者の種は尽きまじ。なんでこうも「何も知らないクセに人に教えたがるバカ」が多いのか。教えて君よりもタチが悪いように感じる。 あまりに腹が立ったので自分で数字取った。 ・司法統計検索システム>メニュー及び検索条件指定画面 ここから平成19年度の「刑事訴訟事件の種類及び終局区分別既済人員」の数字を抜き出して集計してみた。見方があまり分からないので、数字の取り方が見当違いかも知れませんが。 (画像をクリックすると大きくなります) こうして見ると、刑事事件で検察から訴えられた場合、無罪になる確率はたったの「0.11%」ですぜ
まあまあ、リスカの前にうまい棒でも食べて。 と、冗談はそのくらいにして。 ・はてなブックマーク - livedoor ニュース - 死にたいと思ったあなたへ、自殺3万人の時代に告ぐ すごい不評でありまして、あたりまえです。それはこの人が「私は宗教に救われました!死にたいと思ってる人は僕の宗教においでよ、なんとかしてあげるぜ!」という立ち位置にいるからなんじゃないかな、と。 死にたいと思ってる人は、なんとかして欲しいとか、救って欲しいとか、そんなことを思っていないでしょう。そんなことも思えないほどになってしまったから、だから「死にたい」のだと思う。 死にたいという気持ちは飽くまでも個人的な物で、誰にでもこれが効きますよ!なんて特効薬はないし。 じゃあどうすればいいか。 まずね、本屋かコンビニで「ザ・テレビジョン」を買ってきなさい。で、一週間の番組表を見てね、何か見たい番組があったらOKです。
タモリの家系に関する動画を見ていて、久しぶりに黒柳徹子に本気で切れてしまった。ババア、話聞けよ!「他人の話を聞かない」のがこの人のスタイルなのだけれど、ここまで人の話の邪魔をすると、さすがに見ている方はイライラする。 で、この話はなかなか複雑なので図にしてみた。ここで重要なのはタモリの父母は、ともに養祖父・養祖母の養子である、という点。この祖父母には子供がいなかったので、養祖父の姪と、養祖母の弟を養子にもらった。そして養子にもらったこの男女を結婚させたという話。 あれ、この場合は養祖父母とは言わないのか。しかしこう書かないと余計わかりにくいような気がするのでこのままで。
規約違反になると思うので、当然推奨はしませんが。 1.数十のアカウントを取得し、プライベートモードではてなブックマークを開始。 2.当該ブックマーカーをお気に入りに入れる。 3.一度に入れず、数日に一つずつ被お気に入りが増えるように。 4.当該ブックマーカーが「俺も人気が出てきたな」とルンルン気分になる。 5.頃合いを見計らって、徐々にお気に入りから外す。 6.これも一度に外さず、数日に一つくらい。ただし加えた時よりも気持ち速いペースで。 7.よーし、今日は二つ外しちゃおう、なんていう日はウキウキもの。 8.当該ブックマーカー激しくへこむ。「俺の何が悪かったんだろう?」とか思う。 これは恐ろしい使い方だ。
僕は、ペットボトルを捨てる時、キャップとボトルを分ける。キャップは燃えないゴミ、ボトルは資源ゴミ。 ふと「これって中途半端な親切心みたいなものだなあ」と思った。 キャップは外すけど、ボトルの口に残ったリング(キャップの片割れ)はそのままだ。 これは、本当は外さないといけないんだろう。そんなことを思いながらも、めんどくさいからそのまま捨てる。 僕の中では「キャップを外したんだから十分だろう」と思う。とりあえず分別っぽいことはしたよ、と思う。 でも、それはちゃんとした分別ではない。自分でもそれは分かってる。 こういうのを偽善と言う。 さらに僕は、ゴミ箱を見て、キャップを付けっぱなしのペットボトルを確認しては「なんでみんな、キャップを外さないかなあ」なんて事を思う。しかしそれは、「僕は外してるもんね、僕はえらいなあ」という確認にすぎない。そういう「優位性みたいなもの」を確認したいだけなのだ。 そ
「荒らし」への対応として、謝罪する必要のないことまで謝罪するのは、これは「御都合主義の最悪な対応」である。 そんな物は保身でしかない。謝罪することで、あなたのブログの炎上は収まるかも知れない。しかし奴らは増長するだけだ。あなたの謝罪は、奴らの「達成感」になる。 それは、奴らが「次のブログを荒らすため」の活力になる。 「ブログ炎上への最良の対処法は謝罪である」なんていうのは、アホの考えた戯言に過ぎない。 参考:「ブログ荒らし」の行動パターン 一応TBしとこ。 ・乙武洋匡公式サイト: 深くお詫びします なんか追い打ちをかけるようで気の毒だけど。たしかにあの記事への「補足」は必要だったろうし、大人な対応としての「謝罪」は選択肢の一つだと思う。でもやはりブロガーとして、上記のようなことは認識して欲しかった。 しかし、この謝罪記事にまで中傷コメントを書いている連中っていうのは何なんだろう。なんでこう
・年収82万で暮すライフハック - コトリコ 最近この人のブログは読んでないんだけど、やっぱり偉い人だよね。偉いというか、頭の良い人だと思う。 中島らもだったか「本当に頭の良い人間というのは、一人で(自分の創造力だけで)時間をつぶせる人間のことを言う」みたいなことを書いていたけど、まあそういうものです。 生活に必要なお金と、遊興費・嗜好品を買うお金というのがあるわけです。遊興費というのは、結局「ヒマを潰すためのお金」なわけですから、自分一人で暇をつぶせる人っていうのはまずこれが要らないわけです。極端に言えばゼロでも良いんですよ。 生活費にも実はすごい無駄があって、例えば牛肉をやめて鶏肉や鰯を食べる、とか玉葱とじゃがいもと豆腐を多く食べる、とか。 エアコンやめてストーブにする、夏は裸で過ごす、お風呂に毎日入らない、携帯を持たない、酒は毎日飲まない、とかね。 で、kotorikotorikoと
先日、大泉さんが「さんまのまんま」に出演していました。その中で、明石家さんまにスープカレーを食べさせていた。 さんま:言うほどおいしくない 大泉洋:この場がちょっと面白ければいいという感覚で、そんなリアクションして欲しくない こういうやりとりが面白かったのだけど、その時に思ったのは「この人は、テレビの嘘・芸人の嘘が分かってる人だ」ということ。 テレビには演出という名の嘘がある。芸人の芸には嘘がある。たとえば、熱くないおでんを「熱い!」と大げさに言ったり。 大泉さんは、視聴者として、そういう嘘を見破っている。彼の突っ込みというのは、「ボケに対する突っ込み」ではなくて、「テレビの嘘に対する突っ込み」だ。 視聴者の誰もがもう既に気付いていて、だまされたフリをしている嘘。そこに、大泉さんは突っ込む。 だから、見ている側が強く共感できる。 副音声で大泉さんは「今のテレビには人が映ってない、映ってるの
少し前から疑問に思っていたのだけれど、ブロガーのみなさんには自分たちが「特別な存在」だという自覚があるのだろうか。ブロガーたるもの、すべからく選民意識を持つべきだろう、とかいうことを思います。選民というのとは少し違うけれど、ある部分において「普通」ではない、というような。 まず、まあ細かいことを言えば、インターネット接続環境を持っている、PCなり携帯で文字入力ができる、まあここまでは普通としても。 まず、公衆の面前に日記をさらしてみよう、という考えは「普通」ではない。ブログ登録者数はざっと900万。これをそのまま鵜呑みにして900万人がブログを運営してるとしたって日本国民の7%程度です。これは相当の少数派ですよ。 実際はもっと少ないでしょう。 そして、日本語が書けなければブログは成立しない。ブロガーは多分みな「日本語が書けるのは日本人として当たり前だろう」と思ってるんだろうけど、自分のレベ
少し前から不思議に感じているのだけど、web上ではなぜかくもタモリが崇拝されるのでしょうかね。 昨日は赤塚不二夫の葬儀における彼の弔辞が絶賛されていた。普通の弔辞だと思ったけどなあ、むしろ上岡龍太郎が横山ノックの葬儀の時に読んだやつの方が面白かった(これ) どうも「タモリだから」っていう理由で評価されてるんじゃないかなあ、なんてことを思う。 はてなブックマーク - 赤塚不二夫さん葬儀 タモリさんの弔辞全文 (1/3ページ) - MSN産経ニュース はてなブックマーク - YouTube - タモリ 赤塚不二夫さんへ 弔辞 いや、僕も「タモリ倶楽部」大好きですけどね、テレフォンショッキングが短くなってからの「笑っていいとも」は駄番組だと思うし、「徹子の部屋」年末企画におけるタモリの芸も年々つまらなくなってる。 シティボーイズのきたろうが昔「笑っていいとも」のレギュラーをやっていた時、タモリの
「web上での知り合い」が増えて、その人の事がある程度分かってくる。 そうすると、記事を書く時に躊躇することがある。 ・特定企業の批判をする時→「あ、あの人、ここの関連企業だったなそういえば」 ・ブログデザインの批判をする時→「あの人は、こういうデザインにしてたよな、悪く言ったら悪いかな」 ・著作や音楽の批判をする時→「あの人は、このクリエイターのファンなんだよなー、怒るかな」 そんなことを、よく思います。 でも、結局は書く。ほとんどの場合。 それは「書きたいという衝動」によるものではない。 そういう風に気を遣って批判を抑える人は「めんどくさい知り合い」だと思うからだ。 ちょっとした批判から「あの人は友達だと思ってたのに」とか「オフ会で会って優しそうな人だったのに」とか、なんかそういう部分から始まる争いというか、どろどろしたような関係。そういう物とは無縁でいたいと思う。 だから、「もしかし
多くの人が誤解してると思うんだけど、僕がブログを書く理由というのは「偉そうにしたい、虚勢を張りたいから」ではないのです。 ブログを書くというのは、個人の知をweb上に公開する、という大げさに言えば社会貢献なわけでしょう。 で「自分が知っていることを公開する」というのは「自分の無知を晒す」ことと表裏一体、というよりもイコールなのですよ。後者を恐れる人間にブログを書く資格はない、というか僕はそういう人のブログを読まない。さっき書いた「ヘタこいた」と同じ事だけど。 と、いうようなことをここのコメントを見て思ったわけですよ。 ・はてなブックマーク - 他人の不幸は蜜の味: 食べ物と料理に関する「オレ常識」 ダメだとか浅いとか、独り善がりだとか、そんなこた当人が一番良く分かってるのですよ。でもそれだから、バカにされたらいやだからって言うんで黙ってても仕方ないじゃん、という。webって、あるいはblo
・heartbreaking. 「子供が産まれて感動した」「おめでとう!」…がどんだけの男女を無気力にさせているか少しは考えろ ・はてなブックマーク - heartbreaking. 「子供が産まれて感動した」「おめでとう!」…がどんだけの男女を無気力にさせているか少しは考えろ ・はてなブックマーク - はてなブックマーク - heartbreaking. 「子供が産まれて感動した」「おめでとう!」…がどんだけの男女を無気力にさせているか少しは考えろ 100文字では書けないと思ったのでここに書く。 hashigotanという人は随分以前からこういう事を書いていて、僕はそれを認識してはいるが、しかし「hashigotanさんが傷つくから、嫁のことは書かないようにしよう」とは思わない。しかし嫁について書く時に「ああ、この記事をhashigotanさんは読むだろうか、そして読んで怒るのだろうか」
最近ブログを読んでいて、まあ特にブログ論がらみのブログを読んでいて「つまらないなー」と思う事が多い。なんでだろう?と考えてみると、そこには ・感動したー! ・腹が立ったー! ・つまんねー! ・面白いー! ・ばかやろー! とか、無駄にびっくりマークが付くような感情、魂のソウルが無いからなのだった。 なんでみんな、ブログ論を書く時にはそれを他人事のように、「俺はなんでも知ってるんだもんねー」という感じ、一歩引いたような書き方をするのだろうか?かくいう僕自身にもそのような傾向があったのだと少しだけ反省するフリも見せておく。 あのさあ、ブログ論って「俺はこんなブログが面白いと思う!」とか「こんなブログはつまんないから、もっと面白いこと書こうよ!」とか、そういう物だと思うのですがどうですか、みなさん!? 根底にあるのは「僕はこんなのが面白いと思う」という「俺のオモロ論」であって、それって他人事じゃな
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