武辺咄集の代表作である『武辺咄聞書』については、菊池に『武辺咄聞書 京都大学附 属図書館蔵』(和泉書院。平成2年4月)という翻刻がありますが、これは原本をそのまま翻刻したものであり、句読点もなく読みづらいので、ここに句読点・括弧つきの本文を一部紹介します。 『武辺咄聞書』第1話~第5話 『武辺咄聞書』第6話~第10話 『武辺咄聞書』第11話~第15話 『武辺咄聞書』第16話~第20話 『武辺咄聞書』第21話~第25話 『武辺咄聞書』第26話~第30話 『武辺咄聞書』第31話~第35話 『武辺咄聞書』第36話~第40話 『武辺咄聞書』第41話~第45話 『武辺咄聞書』第46話~第50話 『武辺咄聞書』第51話~第55話 『武辺咄聞書』第56話~第60話 『武辺咄聞書』第61話~第65話 『武辺咄聞書』第66話~第70話 『武辺咄聞書』第71話~第75話 『武辺咄聞書』第76話~第80話 『武
お品書きのキホン お品書きとは……? イベント参加で一番後回しになりがちなお品書きのフリー素材と書き方のテンプレートをまとめました。 お品書きとは、一般的には飲食店等のメニューを指しますが、ここではイベントなどで同人誌やグッズなど「当日の頒布物」を記載しているものをお品書きと呼びます。 ウェブに掲載するものや、当日スペースに掲示する印刷物の両方を呼びます。 イベント参加者にとっては、当日のお買いものの大事な手掛かりになります。 せっかく作った同人誌やグッズはぜひお客さんに見てもらいたいですよね。そのためにもお品書きもしっかり準備しておきましょう。 お品書きって何を書けばいいの? よく見かけるお品書きの項目をまとめてみました。当日パンフレットを見ながら探す一般参加者の方も多いので、できればスペース番号も添えておくと良いと思います。 サークル名 スペース名(何日かにわたるイベントの場合は日付も
堀江貴文氏が代表を務める「マンガHONZ」プロデュースのマンガサロン「トリガー」が2015年6月17日(水)にオープンする。置かれるマンガの数は、なんと4,000タイトル以上。それらの中から専属のコンシェルジュが利用者の好みに合った運命の一冊を推薦し、知らないマンガに出会える喜びを提供するという新業態の店舗だ。 発起人は、マンガがきっかけで起業した経験を持つ、「マンガHONZ」レビュワー兼、「サーチフィールド」社長の小林琢磨。自身がマンガによって人生が変わったことから「運命を変える力を持ったマンガに出会える場を作りたい」という強い思いで、今回の計画を発案・実行した。 通常では手に入らないプレミアムマンガを蔵書 「トリガー」では1冊10万円を超える作品から、絶版で現在では手に入らない作品まで、通常では手に入らない様なプレミアムマンガも蔵書している。 <蔵書するプレミアムマンガの一部紹介> 『
『三十六人歌仙伝』、『袋草紙』、『後拾遺抄注』他、諸典籍からの研究による成立過程は、寛弘5年(1008年)、公任が前十五番歌合(十五人の左右組で合計三十人)を編んだ時に、貫之を一番左方、人麻呂を十五番の左方に配し、貫之を人麻呂の上においた。そのため人麻呂を評価する具平親王との優劣論争となり、それぞれが選んだ秀歌十首ずつを出しあい番えたところ、人麻呂の勝となった(十首歌合。散逸)。その結果を受け、公任は前十五番歌合を発展させて三十人撰を撰び(散逸)、具平親王はそれを改撰した(歌仙歌合)。翌年の具平親王の薨去からまもなくの時期に、公任は三十人撰を改訂し三十六人撰を完成させたと見られている。この時点で七人増えたものの、元の三十人から清原深養父が外されて三十六人となった。 三重県伊賀市の敢國神社(伊賀国一宮)には三重県指定有形文化財とされる三十六歌仙扁額が存在する。桃山時代末期のものとされ、『公室
『三十六人撰』は、藤原公任(966-1041)の編になる歌合形式の秀歌撰である。別名『三十六人歌合』とも。柿本人麿から中務まで、三十六人の歌仙を選び、人麿と貫之、躬恒と伊勢といった具合に、二人ずつの歌人を組にして、計百五十首を結番している。人麿・貫之・躬恒・伊勢の巻頭四人、および平兼盛・中務の巻末二人は各十首、その他三十人は各三首を撰んでいる。 これ以前に公任は『前十五番歌合』を編んでいたが、これを発展させた『三十人撰』(散逸)を具平親王に贈り、親王はこれを改撰した『三十人撰』(現存)を編んで公任に贈り返した。まもなく親王は没し、公任は自撰の『三十人撰』を改訂増補して『三十六人撰』を完成させた、と見られている。従って成立は、具平親王が亡くなった寛弘六年(1009)七月以後、まもなくかと推測されている。その後盛んに作られた三十六歌仙形式の秀歌撰の祖にあたる。 テキストの底本は『新編国歌大観』
<h4>WSJJapan のフェースブックページ</h4><div style="border: none; padding: 2px 3px;" class="fb-like" data-href="http://www.facebook.com/japanwsj" data-send="false" data-layout="button_count" data-width="250" data-show-faces="false" data-action="recommend"></div> <h4>WSJJapan をツイターでフォローする</h4><a href="https://twitter.com/wsjjapan" class="twitter-follow-button" data-show-count="true">Follow @wsjjapan</a>
名古屋大学の文学研究科は、人文学研究科に改編されました。 文学部・人文学研究科・旧文学研究科に御用の方は以下のHPをご覧ください
武士と騎士の比較は比較史の中ではポピュラーなテーマといえよう。しかし、日欧の研究者が、お互いの研究を持ち寄り突き合わせるという機会は稀である。本書は人間文化研究機構連携研究「武士関係資料の総合化」の一環として、日仏で行われた国際シンポジウムの成果。具体的な資料に基づき、多様な側面から武士と騎士をとりあげた論考19本を収録。 Ⅰ 領主と武力 城と領主権 ( エリック・ブルナゼル・パリ第2大学/渡辺節夫訳) 西欧中世における貴族・騎士と封建制――中世中期フランスを中心に―― ( 渡辺節夫・青山学院大学) 中世ヨーロッパにおける騎士と弓矢 ( 堀越宏一・東洋大学) 日欧甲冑比較論序説 (近藤好和・國學院大学ほか非常勤) 出陣図屏風に描かれた近世軍制――秋月黒田家『島原陣図屏風』をめぐって―― ( 笠谷和比古・国際日本文化研究センター) Ⅱ 城の形と機能 中世におけ
福田千鶴『豊臣秀頼』を読む。 「天下人の血筋を誇りながら,凡庸な性格が豊臣家を滅亡させた」 と言われることが多い,豊臣秀頼に焦点を当てた。 「父は天下人豊臣秀吉。母は戦国大名浅井家に生まれた茶々(淀)。ゆえに,祖母は天下人織田信長の妹市であり,信長は大伯父にあたる。」 血筋から言えば,貴公子である。しかし,過去,彼は,あまり好意的には受け止められてこなかった。 「秀頼の死から四百年となる現在でも,秀頼や生母茶々に対する人々の視線は陰湿で悪意に満ちており,徳川贔屓の江戸っ子でなくとも,凡庸な秀頼と淫乱な悪女茶々の所業によって豊臣氏は自ら滅亡したのであり,自業自得である,というような評価が根強く残っている。」 という著者の,秀頼復権の書である。 大坂夏の陣で,細川忠興は, 「秀頼は大阪小人町近辺まで出陣し,先手は『伊藤丹後・青木民部組中』であった」 と書状で伝えている。この地は, 「徳川方の小
歴史学・古文書学用語では主に古代、中世、近世で書簡を出すときの差出者と宛所の書き方などの書式や文面、字配り、文字の崩し方(くずし字)、料紙の種類や折り方、封書の方法など文書全般に関わる礼法のことである。差出人と宛所の身分差により様々な書き方があり、社会的地位の上下関係や政治・社会的秩序が反映される絶好の史料である。 例えば、身分が下位の者が身分が上位の者に書簡を出すときは、その人に直接出すのではなく、その人の側近や重臣を宛所として間接的に伝えて頂くという「進上書」形式をとる。例えば、某国守護石原氏宛としてその側近に浜渦という者があれば、石原氏宛の書簡も浜渦氏宛の形式を取り「進上 浜渦殿」となる。 また、身分がほぼ同格の者同士には相手が住む地名、屋敷名を宛所にした「謹上書」形式を取る。先ほどの例で、石原氏の屋敷が新宿というところにあれば「謹上 新宿殿」となる。 格下の者には相手の官位や諱を宛
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く