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アナーキズムに関するgoldheadのブックマーク (100)

  • 東京新聞:憲兵隊が虐殺…ひっそり弔い 大杉栄の埋葬写真公開:社会(TOKYO Web)

    埋葬に出発する一行。中央の遺骨を抱えた男性(左)が弟勇、その右が弟進、その右が菊。人力車に乗っているのは僧侶。その右に警察官がいる=大杉豊さん提供 一九二三(大正十二)年、関東大震災の混乱の中で憲兵隊に虐殺されたアナキスト大杉栄=当時(38)=らの遺骨埋葬時の写真が残されていることを、栄のおいの大杉豊さん(74)=千葉県柏市=が明らかにした。栄らの葬儀で遺骨が一時盗まれた事件があったことなどから、埋葬は仲間にも知らせず親族だけでひっそり営まれ、写真はこれまで公になっていなかった。 (小寺勝美) 栄は伊藤野枝(のえ)=当時(28)=とおいの橘宗一(むねかず)=同(6つ)=とともに震災後の九月十六日、甘粕正彦憲兵大尉らに東京・麹町憲兵分隊に連行されて殺され、古井戸に投げ込まれた。虐殺発覚後、遺骨は返還され、同年十二月に東京・谷中で営まれた葬儀の際に右翼に盗まれたが、翌二四年五月、静岡市に住む妹

  • 大正のアナーキスト大杉栄 | 国分寺暝亭

    国分寺暝亭I can’t think what he’s going to say…, since 2009/05/18 大正のアナーキスト大杉栄/文献表 For print version 大正のアナーキスト大杉栄は、単に大正という時代を代表するだけでなく、おそらく日近代が生んだ最高のアナーキストであろう。 それもただのアナーキストではない。全身これアナーキスト、それ以外に生きる術がなかった程、骨の髄からのアナーキストであり、私が初めて彼の破天荒な事跡に触れた時には「日にも、こんな無茶苦茶なヤツがいたんだ!」と呆れ返ったことを思い出す。 大杉に女房/伊藤野枝を寝取られたダダイスト辻潤をして「一代の風雲児」と嘆じせしめた彼の天馬空をゆくような生き様(そして悲劇的な最後)だけではない、何よりも彼が残した文章を読めば、これが当に一世紀近くも前に書かれたものであることが信じられない程の

  • 布施辰治 - Wikipedia

    1931年頃の布施辰治 布施 辰治(ふせ たつじ、1880年(明治13年)11月13日[注 1] - 1953年(昭和28年)9月13日)は、宮城県出身の弁護士・社会運動家である。日人として初めて大韓民国建国勲章を受章した。 前歴[編集] 宮城県牡鹿郡蛇田村(現在の石巻市の一部)の農家に生まれる。少年時代には墨子の兼愛思想に触れ[2]、長じては正教会の洗礼を受け[3]神田ニコライ堂付属の神学校へ入学するなど、若くから平和主義に親しんだが、神学校自体は3か月で退学し、以降は社会運動への参画においてはキリスト教系のトルストイ運動に共感し生涯これを範とし続けたものの、宗教上の立場は結婚を機にの信仰である日蓮正宗に改宗した[4][5]。 初めは東京専門学校(現在の早稲田大学)に入り[6]、次いで明治法律学校(現在の明治大学)に移って1902年に卒業[7]し、22歳で判事検事登用試験に合格、司法

    布施辰治 - Wikipedia
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    goldhead 2012/12/11
    ドキュメンタリ映画とかあんのか。
  • 江口 渙

  • 牧田吉明 - Wikipedia

    牧田 吉明(まきた よしあき、1947年〈昭和22年〉3月7日 - 2010年〈平成22年〉5月29日)は、日政治活動家。通称は爆弾屋。アナーキスト、新左翼、民族派の活動家 経歴[編集] 三菱重工業社長として采配を振り、のちに牧田天皇と呼ばれた牧田與一郎の6人きょうだいの末子(4男)として静岡市に生まれる。1950年、東京都新宿区諏訪町(現在の高田馬場)の社宅に移り住み、1959年まで住み続ける。少年時代は昆虫好きの理科少年だった。のち家族と共に世田谷区下馬を経て港区高輪へ転居。 1959年4月、新宿区立戸塚第二小学校を経て、三菱財閥系列の成蹊中学校に入学。テニス部と生物部を経て登山部に入部。成蹊高等学校在学時代は学校に対して反抗的な態度を続けたため、同校卒業生中ただ一人成蹊大学への推薦を拒否され、1965年に一般入試で同大学政治経済学部と文学部に合格し、文学部文化学科に進む。入学と同

  • 背叛社 - Wikipedia

    背叛社(はいはんしゃ)は、日のアナキスト学生組織。東京理科大学や法政大学に構成員がおり、機関紙『ACW叛戦』を発行。関連組織に叛戦攻撃委員会や黒色学生連盟があった。 概要[編集] 1966年10月19日に東京都田無市(現・西東京市)の日特金属工業を襲ったベトナム反戦直接行動委員会(ベ反委)の後身団体黒層社から、同団体中心メンバーの朝倉喬司らとの対立が要因で、1967年暮に分裂して成立[1]。結成当初の構成員は30数人で、中心人物は東京理科大学の学生和田俊一であった。1968年5月1日、代々木公園で日共産党系の労働組合員や学生に暴力を振るい、同年6月29日には東京都渋谷区の日共産党部に2発の火炎瓶攻撃を行った。 同年6月頃から火炎瓶や爆弾を試作し、深夜に使用テストを繰り返していたが、同年10月6日、アジトとして牧田吉明が借り和田に又貸ししていた[2]東京都新宿区上落合のアパートで爆弾

  • マックス・シュティルナー - Wikipedia

    シュティルナーの人物スケッチ(エンゲルス画) このスケッチは、過去から現在を通じシュティルナーの風貌を知ることのできるほとんど唯一ともいえる資料である。しかしこれはエンゲルスが約50年前の記憶を頼りに描いたものであり、実際のシュティルナーの風貌と似ているかどうかは疑わしい。

    マックス・シュティルナー - Wikipedia
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    goldhead 2012/05/27
    " 「私の事柄を、無の上に、私はすえた。」"
  • http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0932.html

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    goldhead 2012/05/15
    "石川三四郎に本を借りにいったときにレーニンの『国家と革命』にゆさぶられると、これをさかさまに転倒したくて『革命と国家』を書こうとするのだが、これはまとまらず、21歳で日本共産党に入党"
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  • 製造業:第3の産業革命が始まった

    (英エコノミスト誌 2012年4月21日号) 製造業のデジタル化は、モノの作り方を一変させ、雇用に関する政治のあり方をも変えるだろう。 最初の産業革命は、18世紀後半に英国で始まった。きっかけは繊維工業の機械化だ。それまでは何百もの織工たちの家で面倒な手作業により行われていた仕事が、1つの綿織工場にまとめられた。工場の誕生である。 第2の産業革命が起きたのは、20世紀の初めだった。ヘンリー・フォードが流れ作業の組み立てラインを完成させ、大量生産の時代の到来を告げた時のことだ。この2度の産業革命は、人々を豊かにし、都市化を促した。 そして今、第3の産業革命が進行している。製造工程がデジタル化されているのだ。誌(英エコノミスト)の今週の特集記事が論じているように、この産業革命は企業にとどまらず、それ以外の多くを変える可能性を秘めている。 いくつもの目覚ましい技術が融合し始めた。賢いソフトウエ

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    goldhead 2012/04/23
    100年、200年単位の話で、中央集権的な工業の崩壊、非人間的労働を強いる分業制度の殲滅を夢見よう。
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    サービス終了のお知らせ いつもYahoo! JAPANのサービスをご利用いただき誠にありがとうございます。 お客様がアクセスされたサービスは日までにサービスを終了いたしました。 今後ともYahoo! JAPANのサービスをご愛顧くださいますよう、よろしくお願いいたします。

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    goldhead 2012/04/16
    最後のピストルの話は近藤憲二の回想にも出てきてたな。
  • http://moon.ap.teacup.com/chijin/376.html

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    goldhead 2012/04/16
    "鈴木清順の「物語村木源治郎」は、村木源治郎の眼を通して、和田久太郎を照射したものではない。""久坂卯之助の死の顛末について、村木源治郎が思い考えるという事実に基づく小説"
  • 近藤真柄 - Wikipedia

    近藤 真柄(こんどう まがら、女性、1903年〈明治36年〉1月30日 - 1983年〈昭和58年〉3月18日)は、日の社会主義者、婦人運動家。フェミニストの先駆け。旧姓は堺、高瀬。別名・筆名は堺真柄・近藤真柄。旧姓戸籍名は堺マガラ。最初の結婚改姓戸籍名は高瀬マガラ。第2の結婚改姓戸籍名は近藤マガラ。 左から山川菊栄、伊藤野枝、近藤真柄 1921年4月に赤瀾会を結成。左から近藤真柄、高津多代子、子どもを一人おいて仲宗根貞代。 日の先駆的社会主義者・堺利彦の娘。18歳にして、日最初の社会主義女性団体赤瀾会(せきらんかい)の結成に参加、結成直後のメーデーでデモを敢行し全員検束される。最年少で日最初の女性参加者としてメディアの注目を集めた。赤瀾会が自然消滅した翌1922年に日共産党(第一次共産党)に入党。のち、同党と袂を分かち、奥むめおらと婦人政治運動促進会を組織し婦人戦線の統一を掲げ

    近藤真柄 - Wikipedia
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    goldhead 2012/04/16
    堺利彦の娘、近藤憲二と再婚。
  • 大杉栄 鎖工場

    夜なかに、ふと目をあけてみると、俺は妙なところにいた。 目のとどく限り、無数の人間がうじゃうじゃいて、みんなてんでに何か仕事をしている。鎖を造っているのだ。 俺のすぐ傍にいる奴が、かなり長く延びた鎖を、自分のからだに一とまき巻きつけて、その端を隣りの奴に渡した。隣りの奴は、またこれを長く延ばして、自分のからだに一とまき巻きつけて、その端をさらに向うの隣りの奴に渡した。その間に初めの奴は横の奴から鎖を受取って、前と同じようにそれを延ばして、自分のからだに巻きつけて、またその反対の横の方の奴にその端を渡している。みんなして、こんなふうに、同じことを繰返し繰返して、しかも、それが目まぐるしいほどの早さで行われている。 もうみんな、十重にも二十重にも、からだ中を鎖に巻きつけていて、はた目からは身動きもできぬように思われるのだが、鎖を造ることとそれをからだに巻きつけることだけには、手足も自由に動くよ

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    goldhead 2012/04/09
    "見渡すところ、どいつの手足だって、自分の脳髄で左右せられているものはない。みんな、自分達の胃の腑の鍵を握っている奴の脳髄で、自由自在に働かされているのだ"
  • 石川三四郎 - ダルマ舎平山昇

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    goldhead 2012/04/05
    『虚無の霊光』読もう。
  • 北朝鮮、拉致・越北62人の平壌墓地を公開

    平壌(ピョンヤン)市内に新しく作られた北朝鮮に拉致されたり越北した人の墓地に葬られている62人の全体リストが、韓国側に初めて公開された。月刊誌『民族21』は、昨年5月号にこのような墓地62基のうち39基のリストを紹介している。 北朝鮮は20〜25日、平壌などで開かれた南北民族作家大会の期間中に南側参加団の要請を受け入れて、平壌市ヨンソン区域ヨングン1洞にある「在北の人の墓域」を公開した。 ここには小説家の春園(チュンウォン)李光洙(イ・グァンス)、国文学者の為堂(ウィダン)鄭寅普(チョン・ウンボ)、安在鴻(アン・ジェホン)元民政長官、玄相允(ヒョン・サンユン)高麗(コリョ)大学初代総長、金若水(キム・ヤクス)初代国会副議長、宋虎声(ソン・ホソン)元国防警備隊総司令官、ペク・サンギュ元赤十字社総裁、無政府主義者で愛国志士の朴烈(パク・ヨル)ら、韓国戦争当時、北朝鮮へ拉致されたり越北した著名者

    北朝鮮、拉致・越北62人の平壌墓地を公開
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    goldhead 2012/04/04
    "無政府主義者で愛国志士の朴烈(パク・ヨル)"
  • 地下水脈-雑文集

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    goldhead 2012/04/03
    金子文子のお墓>"おだやかな陽光に守られた彼女の墓まで登ると、1108mのチュフル山を背にし、眼下にはいまたどってきた小川が流れ、山に囲まれた本当に静かなところであることが実感できる"
  • 韓国聯合ニュース韓国に眠る日本人アナーキスト、金子文子の墓2006/04/03 18:16 - 読書三到・アナキズム

    【聞慶3日聯合】慶尚北道聞慶市に、日で生まれ日で死んだ日人女性の墓がある。墓の主は日植民地時代に独立運動を繰り広げた朴烈(パク・ヨル)の、金子文子だ。 横浜生まれの金子は、朴が東京で留学中だった1922年に出会い、日の帝国主義に反対するアナーキストの道を歩む。関東大震災が起きた1923年9月1日、朴と金子は天皇の暗殺を企てたとして大逆罪に問われ検挙され、1926年3月25日に2人とも死刑を言い渡されたが、同年4月に減刑された。 日の当局は金子が同年7月に宇都宮刑務所で首吊り自殺したと発表したが、投獄中に2人が結婚したとの噂が流れたほか、獄中で妊娠したため中絶手術を受けさせられ死亡したとの説もあり、金子の死をめぐっては様々な疑惑が浮上している。その後、朴の兄が日に渡って金子の遺骨を引き取り、聞慶市に埋葬したという。 朴烈義士記念事業会は2003年11月、麻城面にある朴烈の生地

    韓国聯合ニュース韓国に眠る日本人アナーキスト、金子文子の墓2006/04/03 18:16 - 読書三到・アナキズム
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    goldhead 2012/04/03
    "朝鮮戦争の最中に北朝鮮に拉致された朴は、北朝鮮で朝鮮平和統一促進協会長を務めた後、1974年1月17日死亡"
  • 権藤成卿

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    goldhead 2012/03/22
    "太田竜氏は、権藤は大杉との親交を通じて、クロポトキンの理論の影響を受けていたとも推測している。"
  • 金子文子 全歌集

    アナキズム  金子文子の生き方  アナキズム  朴烈関連文献 朴烈クロニクル 金子文子 の生き方  特集・追悼金子文子、備前又二郎  全歌集  金子文子・天皇国家批判  訊問調書<部分>  金子文子「手紙」  金子文子「大逆の意志」  金子文子2002年7月23日集会  母親の面会  新山初代  新山初代 新聞報道   金子文子・事典草稿   大審院判決 金子文子全歌集 2003.1.4 2005.6.3改訂 1920年代から30年代に刊行、雑誌に発表された以下のテキストを底とした。 1 遺著『獄窓に想ふ 』 <黒色戦線社による復刻版ではない> 2 「女死刑囚の手紙」 3 「獄中雑詠」 以下は1988年に刊行されたテキストを底 4 「補遺」は黒色戦線社版『獄窓に想ふ』の補遺 5 「手紙六月」は黒色戦線社版『獄窓に想ふ』掲載の栗原一夫宛 それぞれの掲載順に通し番号を付した。 共通して掲載

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    goldhead 2012/03/15
    "大杉の自伝を読んで憶ひ出す幼き頃の性のざれ事""狂人を縄でからげて病室にぶち込むことを保護と言ふなり"