表現の不自由展騒動がきっかけなのか、最近「アート」に関する勘違いを頻繁に耳にする。 とりあえずポリティカルなことや特定の展覧会や人物の動向は抜きに、アートに対して人々が抱いている勘違いを淡々と正してみる。 文章が読めない人向けに繰り返すが、別に「表現の不自由展」など特定の展覧会や作品の是非について語っているわけではなく、人々が抱く「アート・芸術」に対する先入観について語っている。 自費でやれ?基本的に、人間は芸術で食っていけないという前提がある。 前史時代から近現代に至るまで、金銭や作品発表場所など、なんらかの「補助」なしで歴史に刻まれた芸術作品や芸術家はいない。 「補助」は大まかに分ければパトロン系、政府系に大別されると思う。 パトロン系バッハ、ミケランジェロ、ボッティチェリ、レオナルド・ダ・ヴィンチ…今も知られる芸術家のほとんどは貴族や王族の庇護のもとにあった。特に有名なのはメディチ家
美術に詳しくない人は知らないだろうけど、京都には京都市立芸術大学がある。 西日本の芸大の中ではトップクラスであり、歴史は明治13年創設と東京藝大よりも長く、上村松園など文化勲章者も多数排出した名門中の名門である。美術だけでなく音楽学部も西日本のトップ大学である。佐渡裕さんとかね。つまり芸術界の京大と考えて良い。少数精鋭で一学年200人ほど。 そして京都市立芸術大学の略称は、「京芸」「京都芸大」であり、京都で芸大と言えば京都市立芸術大学である。 一方、私立の京都造形芸術大学は創立30年程度だが、通信教育部も含めて一万人を超える日本最大の美術系大学である。レベルはお察しではあるが、勢いと資金があるのは間違いない(有名人講師を読んだり構内に謎の滝を作って学費を無駄にすることにも定評があるが)。産学連携も活発で、先端芸術にも強く、「京造」「造形大」の略称とともに着実にブランド化を果たしてきた。 そ
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