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Draconiaに関するhazy-moonのブックマーク (11)

  • 詩はすべて紋章 | O嬢の帰還

    Tout poeme est un blason, il faut le dechiffrer. - Jean Cocteau エディシオン・トレヴィルの公式サイトに『O嬢の物語』刊行のアナウンスがあった。小説のほうではなく、原作をもとにグィド・クレパクスがコミック化したバージョン。長く絶版になっていたものの復刊である。 数年前トレヴィル(エディシオン・トレヴィルの前身の、ただのトレヴィル)から刊行されていた版は全編英語だったと記憶しているけれど、監訳として巖谷国士の名前があるところを見ると、日語に訳されているのだろうか。 『O嬢の物語』は、ジャン=ジャック・ポヴェール書店から1954年に刊行された。Oと呼ばれる女性の「奴隷状態における幸福」を描いたその内容は話題を呼び、翌年にはドゥ・マゴ文学賞を受賞する。 著者「ポーリーヌ・レアージュ」の正体についても憶測が飛び交った。な

  • simon-yotsuya.net - simon yotsuya リソースおよび情報

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  • Hugo Strikes Back!: 妹からみた兄龍彦

    澁澤龍彦全集の月報に掲載されていた、澁澤の妹、幸子へのインタヴュー記事の内容が面白いのでそのさわりの部分を紹介。 妹からみた兄龍彦 澁澤幸子(澁澤龍彦の妹) 出口裕弘(インタヴュアー) 澁澤「昨年十二月のシンポジウムの時も、松山俊太郎さんが、兄はマザコンとは言わないけれども母親に溺愛されたとおっしゃってましたでしょう。それはすごく彼の人となりに影響したとはおっしゃらなかったにしても・・・・・・。松山さんは繰り返し、この前の鎌倉の講演会の時もそういう話をしていらしたし、それから書いたりもしていらっしゃるみたいだし、松山さんに限らず、龍子(夫人)さんもそれを信じているみたいなところがあるんですよね。でもそんなことはなかったのです。うちの母親は非常に理性的なタイプで、男の子一人を溺愛するタイプじゃないんですよね。その証拠に私たちは一視同仁に扱われていて、私はとにかく、「お兄ちゃんばかりかわいがっ

  • 漂流記集

    (136−6)  2冊 江戸時代後期 万寿堂編 書は、江戸時代に船で外国へ漂流した日人の話や、日へ漂着した異国人の話を集めたもの。いわゆる鎖国下の日人にとっては、どれもたいへん珍奇な話だったでしょうが、中にはこんな不思議な姿の漂着船の記事もあります。 流れ着いたのは常陸国(ひたちのくに)(現茨城県)の原舎ヶ浜(はらしゃがはま)。若く身なりのよい美女が乗っていたが、言葉は通じず、どこの国の人かは不明。白木(しらき)の箱を大切そうに抱え、人を寄せ付けようとしない。船の中には謎の文字があった―とあります。 「小笠原越中守知行所着舟/常陸国原舎ヶ浜と申所へ/図之如くの異舟漂着致候/年頃十八九か二十才/くらいに相見へ少し/青白き顔色にて/眉毛赤黒く髪も同断/歯は至て白く唇紅ニ/手は少しぶとうなれと/つまはつれきれい/風俗至て宜しく/髪乱て長し/図のことくの/箱にいか成大切の/物や 入た

    hazy-moon
    hazy-moon 2006/09/13
    澁澤龍彦『うつろ舟』の元ネタ。
  • Draconia Web Project(澁澤龍彦)

    このサイトは、澁澤龍彦の作品群をwwwに展開することを目的としたサイトです。常時参加メンバーを募集しております。お気軽に主催者にメールしてください。匿名でご協力いただくことも可能です。匿名で協力いただける場合は、DraconiaWikiのマニュアルをよく読んでから入力してください。 プロジェクト開始:1995年11月 最終更新日:2005年5月 澁澤龍彦について しぶさわたつひこ(1928年-1987年):フランス文学を中心とした翻訳から始まり、中世から近世までのヨーロッパにはびこる歴史教科書に載らない人間の歴史を取り上げたエッセイを書いた。 後に、興味は歴史的事実から人間の想像した事物に移り、最終的には小説を編むようになった。しかし、高岡親王航海記をものして、小説家としての地位も固まり始めた頃にガンに侵されて他界。 wikipediaによる説明 澁澤 龍彦(しぶさわ たつひこ、名、龍雄

  • pêle-mêle - 澁澤ベスト5

    今日は澁澤龍彦の20回目の命日。そんなわけで、個人的な澁澤作品のベスト5を選んでみる。いわゆる「澁澤マニア」があまり選ばないものがならんだ気がするのだが*1、さてどうだろう。 『玩物草紙』 澁澤が「アングラ」や「悪魔主義」だけのひとではないと気付かされた1冊。のほほんとした味わい。同じ傾向の作品としては『狐のだんぶくろ』があるが、よりリブレスクな『草紙』のほうが好み。 玩物草紙 (中公文庫) 作者: 澁澤龍彦出版社/メーカー: 中央公論社発売日: 1986/03メディア: 文庫 クリック: 2回この商品を含むブログ (8件) を見る狐のだんぶくろ―わたしの少年時代 (河出文庫) 作者: 澁澤龍彦出版社/メーカー: 河出書房新社発売日: 1997/02メディア: 文庫購入: 1人 クリック: 2回この商品を含むブログ (7件) を見る 『高丘親王航海記』 澁澤唯一の長篇小説。高校の図書館に買

    pêle-mêle - 澁澤ベスト5
  • Regard: 澁澤龍彦邸 案内人四谷シモン

  • YouTube - Broadcast Yourself

    第1回全日剣道選手権大会決勝 榊原正錬士対阿部三郎教士 第1回全日剣道選手権大会は、昭和28年11月8日、東京の蔵前国技館で全国より53名の剣士が参加して開催。1万人を 第1回全日剣道選手権大会決勝 榊原正錬士対阿部三郎教士 第1回全日剣道選手権大会は、昭和28年11月8日、東京の蔵前国技館で全国より53名の剣士が参加して開催。1万人を超える 観衆が集まった。 大会は、戦前の剣道界の慣習であった専門家、非専門家の区別を廃し、選手の資格は年齢、段位、称号などに一切の制限を設けず、 各府県の予選を経て代表者を出し、剣道日一を決するという画期的な構想によるものだった。 優勝の榊原正は大正9年愛知県蒲郡市生まれの33歳、名古屋矯正管区法務教官(剣道師範)、のちに剣道範士八段。戦前は名門東邦 商業で活躍した剣士。準優勝の阿部三郎は大正8年福島県相馬生まれの34歳、警視庁の剣道選手でのちの

  • 渋澤龍彦邸●案内人四谷シモン

    第1回全日剣道選手権大会決勝 榊原正錬士対阿部三郎教士 第1回全日剣道選手権大会は、昭和28年11月8日、東京の蔵前国技館で全国より53名の剣士が参加して開催。1万人を 第1回全日剣道選手権大会決勝 榊原正錬士対阿部三郎教士 第1回全日剣道選手権大会は、昭和28年11月8日、東京の蔵前国技館で全国より53名の剣士が参加して開催。1万人を超える 観衆が集まった。 大会は、戦前の剣道界の慣習であった専門家、非専門家の区別を廃し、選手の資格は年齢、段位、称号などに一切の制限を設けず、 各府県の予選を経て代表者を出し、剣道日一を決するという画期的な構想によるものだった。 優勝の榊原正は大正9年愛知県蒲郡市生まれの33歳、名古屋矯正管区法務教官(剣道師範)、のちに剣道範士八段。戦前は名門東邦 商業で活躍した剣士。準優勝の阿部三郎は大正8年福島県相馬生まれの34歳、警視庁の剣道選手でのちの

  • 幻想画家の女王Leonor Fini | 『梁塵秘抄』 または ”わしふぃーるど” - 楽天ブログ

    は私の上に乗っかり、私に枕のひとつを取るのを許すと、すかさずこう話かけてきた ━━━「私は夢先案内人だ・・・・・」 「現代の偉大な画家たちの中で、モダン・アートのいかなるエコールにも運動にも、直接結び付けられない画家が二人だけいる。バルテュスとフィニである。前衛画家の創始者たち自身がこの二人に捧げた尊敬の念(ピカソはバルテュスに、エルンストはフィニーに)は、二人が当代の中心に存在することの、何よりの証であろう。いかなる美術のエコールとも一度として関係を持たなかった孤高の画家。彼らの作品は、同時代の画家たちが大量に”生産”するのに比べ、極めて数が少ない。二人とも多国籍の血筋であり、教養の高い環境に育ち、生まれながらにして国際性を備えていた」 (コンスタンタン・ジェレンスキー「フィニ展」カタログより) "LEONOR FINI" Constantin Jelenski 著 澁澤龍彦 訳 河出

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