女児アニダンスミュージックEDの系譜ってあるじゃないですか。 あるんですよ。 決して多数派とは言えませんが、90年代以降の女児アニメの要所要所にR&BやFunk、Disco、クラブミュージック、テクノポップ、時にTKサウンド等のダンスミュージック要素を取り入れたED曲が散見され、その系譜は「冬の時代」を経ながらも、現在まで受け継がれています。 今回は、筆者が勝手に見出している「女児アニダンスミュージックED史」について語りたいと思います。 最初に「何故わざわざEDに限定するのか?」と言う疑問にお答えしておくと、筆者が「女児アニメを1話見終えた後にダンスミュージックのEDが流れ出すのが超好きだから」です。趣味です。 ※ 読まなくていいけど書いておいた方が良さそうな話。 何を持って「女児アニメ」とするかの線引きについては、基本的には筆者の独断としつつ、下記の3点を指標とします。 ・『なかよし』
志村が死んだ。という言い方は、常識的には不謹慎で敬意を欠くものだろう。しかし、毎週「志村、うしろ、うしろ」と真顔で叫んでいた1974年生まれ(そう、彼がドリフに加入した年だ)の私にとって、「コメディアン・志村けんさんが亡くなりました」といった「正しい」言い方はどうしても馴染めない。舞台や画面上の演者と、客席やお茶の間の観衆を明確に区別したうえで、観衆を興奮の渦に巻き込んでゆく芸能者に対して、あたかも個人的な知り合いのように馴れ馴れしく敬称をつけて呼ぶことはむしろ失礼であるように思える。 舞台と客席の、そして舞台上と舞台裏の区別は、ちょうど楽屋落ちや私生活ネタ満載の「オレたちひょうきん族」が「8時だョ! 全員集合」にかわって土曜8時の覇権を奪うあたりから本格的に崩れてゆくことになる。安直に「素顔」や「舞台裏」を見せないプロの喜劇人として、ほとんど最後の世代に属する彼に対する、お茶の間から画面
James Brown「Papa's Got a Brand New Bag」(1965) Jimmy Nolen James Brown「Cold Sweat」(1967) Jimmy Nolan James Brown「I Got the Feelin’」(1968) Catfish Collins James Brown「Ain't It Funky Now」(1970) Catfish Collins James Brown「Super Bad」(1970) Catfish Collins James Brown「Sex Machine」(1970) Catfish Collins Sly & The Family Stone「Sing A Simple Song」(1968) Freddie Stone Sly & The Family Stone「I Want to Take
ファンク・ギターとはなにか。 僕は学部生のころ、ブラック・ミュージックを専門に演奏するサークルに所属していた。 ファンク・ギタリストとして4年間活動し、改めて思うことがある。 「ファンク・ギターってなんだ?」 折しも分析哲学という「言葉遣いや概念の定義を扱う学問」に携わっている身として、この問題を一身に引き受けようと思った次第。 それから数日、メインで研究している作者性だとかサブで研究しているVaporwaveを放り投げ、驚天動地の熱意でもって書きあげたのが本稿である。*1 私見を言わせてもらえば、ファンク・ギターとはベースやドラムやホーンよりもずっとずっとずっと過小評価されているジャンルである。キーボードよりは幾分マシだ。 過小評価でなければ、こう言ってもよいが、だいぶ誤解されているジャンルでもある。あとで後述することになるが、カッティングひとつ取っても、その奏法の本質はだいぶ勘違いされ
TAP the POPの読者には「アイドル」というだけで拒否反応を示してしまう方も多いかもしれないが、まずは騙されたと思って、この曲を聴いてみてほしい(水着姿の映像に目を奪われてしまうのはまあ仕方ないとして)。 この「アイム・アフター・タイム」という楽曲を歌っているのは、氣志團、ナンバーガール、相対性理論、Base Ball Bearなど数々の個性と才能を発掘してきた加茂啓太郎がプロデュースを手がける初の女性アイドルグループ、〈フィロソフィーのダンス〉。オーディションで選ばれたメンバーによって2015年7月に結成(結成時は5人組)。シンガーソングライターとしても活動する奥津マリリ、メンバー内で唯一アイドル活動経験のある佐藤まりあ、コスプレイヤーの十束おとは、バンドのボーカリストという経歴もある日向ハルからなる、愛くるしいルックスとしっかりとした歌唱力を併せ持つ4人は、ライブを中心に活動を展
Zaire 74 was a three-day live music festival that took place on 22 to 24 September 1974 at the Stade du 20 Mai in Kinshasa, Zaire (now Democratic Republic of the Congo).[1] The concert, conceived by South African trumpeter Hugh Masekela and record producer Stewart Levine, was meant to be a major promotional event for the heavyweight boxing championship match between Muhammad Ali and George Foreman
プリンスの急死がいまだ大きな影を落とすなか、彼の音楽遺産を受け継ぐ日米混合ファンク・バンド、NOTHING BUT THE FUNK(以下:NBTF)が約3年ぶりに再集結。10月13日(木)、16日(日)にBillboard Live TOKYO、10月14日(金)に広島CLUB QUATTRO、10月15日(土)にBillboard Live OSAKAでそれぞれライヴを行う。 日本を代表するグルーヴ・マスター、沼澤尚(ドラムス)がLAに留学していた80年代に、エディ・M(サックス)、カール・ペラーゾ(パーカッション)、レイモンド・マッキンリー(ベース)という、当時のプリンス・ファミリーに重宝された一流プレイヤーたちと意気投合。そこにネイト・マーセロー(ギター)とジョエル・ベールマン(トロンボーン/トランペット)、さらにMr.Childrenや井上陽水といったビッグネームに携わる傍ら、竹
Official Video for Uptown Funk by Mark Ronson ft. Bruno Mars Listen to Mark Ronson: https://MarkRonson.lnk.to/listenYD Subscribe to the official Mark Ronson: https://MarkRonson.lnk.to/subscribeYD Watch more Mark Ronson videos: https://MarkRonson.lnk.to/listenYD/youtube Follow Mark Ronson: Facebook: https://MarkRonson.lnk.to/followFI Instagram: https://MarkRonson.lnk.to/followII Twitter: https:/
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く