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空気に関するkousyouのブックマーク (47)

  • kousyoublog.jp – このドメインはお名前.comで取得されています。

    このドメインは お名前.com から取得されました。 お名前.com は GMOインターネットグループ(株) が運営する国内シェアNo.1のドメイン登録サービスです。 ※表示価格は、全て税込です。 ※サービス品質維持のため、一時的に対象となる料金へ一定割合の「サービス維持調整費」を加算させていただきます。 ※1 「国内シェア」は、ICANN(インターネットのドメイン名などの資源を管理する非営利団体)の公表数値をもとに集計。gTLDが集計の対象。 日のドメイン登録業者(レジストラ)(「ICANNがレジストラとして認定した企業」一覧(InterNIC提供)内に「Japan」の記載があるもの)を対象。 レジストラ「GMO Internet Group, Inc. d/b/a Onamae.com」のシェア値を集計。 2023年5月時点の調査。

  • こんにゃくゼリーの論理破綻 - タケルンバ卿日記

    もうね、アホかと。バカかと。マンナンライフを追い込んで、どうすんの? 事故があったので、社長とかを召喚してさ。 http://sankei.jp.msn.com/affairs/disaster/081002/dst0810022243010-n1.htm で、製造中止ですか。 http://mainichi.jp/select/wadai/news/20081008k0000m040170000c.html なにそれ。理解できないなあ。意味わからん。マンナンライフを潰したいのかね。 マ社の売り上げの約9割は「蒟蒻畑」が占める。 http://mainichi.jp/select/wadai/news/20081008k0000m040170000c.html マンナンナイフあぼーんの流れ。主力商品どころか、売上の9割だからなあ。オンリーワン商品がつくれないって。 危ないものはダメなんでし

    こんにゃくゼリーの論理破綻 - タケルンバ卿日記
    kousyou
    kousyou 2008/10/09
    つ『「空気」の研究』の27ページあたり
  • 「ストレスを感じさせない人」が評価につながる――神戸女学院大学教授・内田樹氏インタビュー - 日経トレンディネット

    神戸女学院大学で教鞭をとる傍ら、執筆活動にも精力を注いでいる内田樹氏。様々な視点から現代社会の仕組みを読み解く内田氏が考える現代人のストレスと、その対処法を語ってもらった。 (取材・文/高橋朋子、写真/川聖哉) 内田樹(うちだ たつる)。1950年9月30日生まれ。神戸女学院大学教授。 東京大学文学部仏文科卒、東京都立大学大学院人文科学研究科博士課程中退後、同大学人文学部助手などを経て、現職。専門はフランス現代思想、映画論、武道論。合気道六段、居合道三段、杖道三段を持つ武道家。著書に『下流志向』、『私家版・ユダヤ文化論』(第6回小林秀雄賞受賞)、『ひとりでは生きられないのも芸のうち』など多数。(画像クリックで拡大) ――大学教授、エッセイスト、武道家とさまざまな顔をお持ちですが内田先生の、1週間のスケジュールをお聞かせください。 内田: 業は大学教授なので週4日、神戸女学院大学で授業が

    「ストレスを感じさせない人」が評価につながる――神戸女学院大学教授・内田樹氏インタビュー - 日経トレンディネット
    kousyou
    kousyou 2008/10/04
    "外からの評価によって適性を見出していき"は同意だけど、コミュ能力のくだりはちょっと・・・って感じ。相手にストレスを感じさせないか、という過剰な恐れがコミュニケーションを阻害しているわけで。
  • Rauru Blog » Blog Archive » プライバシーと空気

  • 空気読め? そんなの関係ねぇ!~『「お笑いタレント化」社会』 山中伊知郎著(評:清田隆之):日経ビジネスオンライン

    学生のころ、東京湾の屋形船でアルバイトをしていた。今でも繁忙期になると手伝いに行く。お花見や納涼船、忘年会や新年会のシーズンになると、サラリーマンや大学生たちが大挙して乗船してくる。 そんな屋形船で、よく似たような光景を目にする。僕ら添乗員は、客間と引き戸で仕切られたスペースに待機しているのだが、宴会も終盤に差しかかるころ、そこに数名のお客さんがバッグを持ってやって来るのだ。 彼らはそこで服を脱ぎ、バッグから取り出した衣装に大急ぎで着替える。ある年は「ギター侍」、ある年は「ハードゲイ」、そして去年は海パン一丁の「おっぱっぴー」だった。見た目こそフザケた彼らだが、その顔にはどこか悲壮感が漂っている。そして深呼吸をひとつ入れ、引き戸の向こうへ飛び出していく──。 書の基的なテーマは、近年増え続ける「お笑いタレント志望者」について。著者はお笑い学校の講師も務める“お笑いプロデューサー”であり

    空気読め? そんなの関係ねぇ!~『「お笑いタレント化」社会』 山中伊知郎著(評:清田隆之):日経ビジネスオンライン
  • 「窓が開いてますね」問題 - finalventの日記

    まあ、仮に問題とかしてしまう。 「窓が開いてますね」というのは、どういう意味があるか? 「窓が開いている」という認識表明以上の意味はないとしてもいいけど。 日語の場合。 「窓が開いている」と「窓が開いてます」は同じではない。というか、そういう対比のスタイルに置かれるというか、いちおう純粋にはラングではなく、ソーシャルというかプラグマティックスの問題でもあるのだけど、ラング的な部分がい込んでいる。 簡単に言うと、「窓が開いてます」は不可避に会話、対人関係の文脈に組み込まれ、「窓が開いている」はそうした文脈に自由であるというより、対人関係の別の含みが出る。 そして、それらに、「ね」「よ」「な」とかいろいろな、対人関係的なニュアンスを付加する辞が存在し、それらは結局、対人関係での機能をもつ。 で。 「窓が開いてますね」は、他者に対して、「締めろよ」であったり、「寒いじゃないか、場所を変えろよ

    「窓が開いてますね」問題 - finalventの日記
  • 日本人が空気を読もうとするのは言語の仕様だった - 青春スイーツ

    人が空気を読もうとする理由がわかった。 おまけに欧米人が思ったことをズバズバ言い合える理由もわかった。 根は言語の違いにある 英語の発音は多彩だ。同一の発音*1で同じ意味になる単語がとても少ない。これは英語の会話を録音して、単語を1つだけ切り取って聞いたとしても何の単語なのか特定できるということ*2。 日語は真逆。『気候、機構、寄稿、寄港、奇行、気功…』や『構成、攻勢、校正、公正、更正…』などなど、発音だけでなく音の高低さえも同じになる単語が少なくない*3。「きこう」という発音だけを聞いても、前後の文脈が判らなければどの「きこう」を指しているのか特定できない。 つまり、 日語は聞き手の想像力を要求する 英語は話し手の発音テクニックを要求する=聞き手の想像力など要求しない というわけだ。 日語の場合、言葉の解釈は文脈に依存する 日語では文脈に影響を与える要素を踏まえておかないと

    日本人が空気を読もうとするのは言語の仕様だった - 青春スイーツ
  • 最上の日々: 「空気」の終わりの始まり

  • 「ひとの気持ちを考える」から「空気を読む」へ変わる時代の空気 :Heartlogic

    「ひとの気持ちを考える」から「空気を読む」へ変わる時代の空気 小さい頃「ひとの気持ちを考えて行動しろ」的なことをよく言われた。今どきの子どもも先生に言われるんだろうか? ひとの気持ちを考えることの難度は、ライフスタイルや価値観の多様化を受けてうなぎ登りに上がっていると思うが……。 近年では、この「ひとの気持ちを考える」に代わって「空気を読む」という言葉が使われているが、この2つの言葉は似ているようで、決定的な違いがある。 気持ち=自分のもの 空気=誰のものでもない 「ひとの気持ち」は各自に固有のものであり、対象によって正解・不正解が確実に判断できる。 一方で「空気」とは場を共有するみんなのもので、言い換えれば誰のものでもなくて、正解・不正解を個人の判断で決めることが難しい。発言力のある者が「ここの空気はこうなんだよ」とすることで、皆を無理矢理納得させられる。 つまり、ちと嫌な見方をすると、

  • ish☆サイボーグだから電気羊を数えます - 携帯がペースメーカーに悪いと信じられた時点でもう心臓に悪い

    フェロモンボディのボディソープを買いました。  スリミング・セルライト対策のソルト系のボディソープとしてクチコミでも割と評価... 「美白フリークの愛用する6つの日焼け止め」で触れたイプサのプロテクター・デイシェルター・ブライトビジョンをまた買いました。 ...

  • 同質性の上の多様性 - 深く考えないで捨てるように書く、また

    最近考えてるのは、同質性についてのこと。これはKY関連に通奏低音のように響くものだから。そこから引き続いて頭の中で鳴っている。 人間は同質性の中に安定を見いだす存在である、のじゃないか、というところまではなんとなく分かってきた。 多様性の尊重は個々の人間を過ごしやすくしてくれるけれど、その基盤には同質性があって、すべての同質性が失われると(それはまずあり得ないことだが)極めて不安定な状態になり、結果的に多様性を認容できなくなり、強固な同質性への回帰が起こるのではないか、と。 しかし、同質性が強ければ、やはりその同質グループ内での個々の人間の異なる部分が目立ってきて、やがて多様性尊重への牽引力が強くなる。 結局、そんな感じで、それぞれからの引力の釣り合うあたりで、同質性への引力ベクトルと多様性への引力ベクトルがそれぞれの方向へ綱引きしあい、あちらへ動き、またこちらへ動き、と細かい動きを繰り返

    同質性の上の多様性 - 深く考えないで捨てるように書く、また
  • 3ToheiLog: KY文学者、夏目漱石

    KY文学者、夏目漱石 「空気読む」「空気読めない」という日的な題材の作家といえば、夏目漱石だろう。 その「空気読めない文学」の出発点が「坊ちゃん」。だから、文部省推薦「空気」の科目の初心者テキストとしては、これが一番だろうと思う。 とりあえず、そんな夏目作品と空気の関係を略記メモ。 空気読みません文学=夏目漱石 夏目漱石の作品はみんな、「空気を読んで生きる人間」を「空気を読まない観察者」が眺めることで成立する。それは、イヌを眺めるネコの視点だ。人間社会の「普通の行動」というものがネコの目から見ると、奇妙で歪んだものとして写ることになる。 でも、そのあたりチャンと語りだすと一冊になってしまうので、有名どころを「空気」という視点から概観してみました。 一応、各作品を知っている人を対象にして語っているため、ネタバレ面もあるので注意。でもまあ、ネタがばれてつまらなくなるような小説じゃあな

  • 「KY」は誰のために - マントラプリの生涯原液35度

    最近頻繁に議論されております。「KY」で、ございますが、山・ペンダサン・七平*1氏が言っておられるように「空気」というのは日社会を支配する「原則」の一つとなっております。 で、私たちは「KY」と他人に言われたときに、どう対処すべきか?空気に従うのか?反発するのか?>それとも空気を作り出すのか?今日はそこんとこ考えてみたいと思います。 このように日社会において「空気」というものが蔓延したのは、日人の全体主義的傾向によるところが大きいでしょう。我々は「日」という共同体に強くコミットしております。それは名目上の政府や行政、国土というよりは、「日」という「思想」に染まっているのです。よく言われる如く「日教」という宗教の信者へと、知らないうちになっているのです。 「日教」が他の宗教に比して優れているところ、それはこの宗教に入信したものは自分の「意見」がなくても生きていけることです。沈

    「KY」は誰のために - マントラプリの生涯原液35度
  • 「空気読めない」の多層性 - 深く考えないで捨てるように書く、また

    「空気読めない」の範囲 - 深く考えないで捨てるように書く こちらにコメントをいただいたりして、あっそうか、と思ったこと。 「空気読めない」と「(あえて)空気読まない」は、空気を読む側からすると大きな違いだ。前者は、その場で自分に期待されている役割や行動について思いつかない、気がつかない、ということ。後者は、そういった期待されている役割・行動について承知しているけれど、わざとそれを行わない、期待されない役割・行動を呈する、ということ。 この2つのもっとも大きな違いは、実際に自分に期待されている役割・行動について承知しているかどうか、だ。 だから、「(あえて)空気読まない」は、その期待されているものに対する反対意見あるいは否定意見である、ともいえる。 一方、「空気読めない」場合は、期待の内容そのものを承知していないから、「空気読めない」行動はなんら期待に対する価値判断を行っていない、というこ

    「空気読めない」の多層性 - 深く考えないで捨てるように書く、また
  • 「空気読めない」の範囲 - 深く考えないで捨てるように書く、また

    いわゆるKY、空気読めない、というのは、空気を読んで行動していない、という意味を含むのだろうか。 例えば、場の空気は理解しているんだけれど、その空気が意に染まないので、わざとそれに逆らった言動をする場合は、空気を読めてない、になるのだろうか。この場合、わざと逆らうためには、場の空気を正しく読んでいることが前提条件になるのだから、空気が読めていてこそKYな行動が可能、ということになる。 あるいは、いわゆる空気読めない言動をしてしまったあと、場の反応が妙である(しらけていたりとか)ことに気がついて(この時点で「空気を読んだ」わけだが)、「あっ、今私KYだったね、ごめんごめん、私基的にKYだからごめんねー」と言ってしまうのは、空気が読めているのだろうか。この場合は、最初は読めていなかったけれど、場の反応に気がついた時点で、空気が読めた、ということになる。 そういうことを考えると、結局、実際にこ

    「空気読めない」の範囲 - 深く考えないで捨てるように書く、また
  • ”ダイナマイト” なイノベーター - 内田樹の研究室

    バラク・オバマ上院議員が5日のアイオワ州の民主党党員集会で勝利を収めた。命だったヒラリー・クリントン上院議員は意外にも第三位。 さて、アメリカ大統領選挙はどうなるんだろう。 という話を温泉に浸かりながら兄と話した。 兄も私も、現段階ではオバマさんが選ばれるだろうと予測している。 こういうところではアメリカの「底力」は侮れないよ、というのが私たちの共通見解である。 町山さんと前にお会いしたときに、アメリカ文化的なイノベーションを担っているのはつねにマイノリティであるという話を伺った。 音楽ファッションはほとんどが黒人かヒスパニック起源のものだし、現在のコンピュータ業界は中国系とインド系で持っている。 WASPは何もクリエイトしていない。 でも、この人たちは全員が「アメリカ人」なのである。 あの国は「後から来た人」がイノベーションを担うように構造化されているのである。 既存の業界は既得権

  • 「水」について - A Road to Code from Sign.

    「空気」絡みで「水」の方も話題になっていたのだが、わざわざ人と絡むのも好きではないので、山「『水=通常性』の研究」から一部引用するだけにとどめる。 さて「『空気』の研究」から「『水=通常性』の研究」まで、臨在感的把握とか、空気の醸成とか、「父と子」の隠し合いの倫理とか、一教師・オール3生徒の一君万民方式とか、それを支える情況論理と情況倫理とか、実にさまざまなことをのべてきた。では以上に共通する内容を一言でのべれば、それは何なのか。言うまでもなく、それは「虚構の世界」「虚構の中に真実を求める社会」であり、それが体勢となった「虚構の支配機構」だということである。 それは演劇や祭儀を例にとれば、だれにでも自明のことであろう。簡単にいえば、舞台とは、周囲を完全に遮断することによって成立する一つの世界、一つの情況論理の場の設定であり、その設定の元に人びとは演技し、それが演技であることを、演出者と観

    「水」について - A Road to Code from Sign.
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    初めて梅干しを作ってみた話 今年の夏、初めて梅干しを作りました。 私梅干し大好きなんですが、自分で作るという発想がなくて…同僚が梅シロップを作っているのに影響されて去年から梅仕事を始めてみたんですが、そのときの説明書に「梅干しの作り方」というのも入っていて、えーー梅干しって自分…

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  • godmother @lalha 駅伝効果?あろうことか、私もさっきチョッピ走ってきたんよ。 lalha @godmother え、最近駅伝あったんですか?テレビ見ないのでそういうのまったく知らないです。 lalha 最近駅伝があったのか(あるいはこれからあるのか?)。さっきTwitterで突っ込まれるまで知らなかった。 godmother @lalha 遅ればせて・・今日の新聞で駅伝の事分かったでしょ?往路と復路を二日間でTVで流しているだよー。 lalha @godmother 新聞見てないのでわかり

    When a thing has been said and well, have no scruple. Take it and copy it. -- Anatole France ※いまのところのこのたんぶらで扱ってく話題についてはこの辺を 、生態についてはこの辺をご覧ください godmother @lalha 駅伝効果?あろうことか、私もさっきチョッピ走ってきたんよ。 lalha @godmother え、最近駅伝あったんですか?テレビ見ないのでそういうのまったく知らないです。 lalha 最近駅伝があったのか(あるいはこれからあるのか?)。さっきTwitterで突っ込まれるまで知らなかった。 godmother @lalha 遅ればせて・・今日の新聞で駅伝の事分かったでしょ?往路と復路を二日間でTVで流しているだよー。 lalha @godmother 新聞見てないのでわかりませ

    godmother @lalha 駅伝効果?あろうことか、私もさっきチョッピ走ってきたんよ。 lalha @godmother え、最近駅伝あったんですか?テレビ見ないのでそういうのまったく知らないです。 lalha 最近駅伝があったのか(あるいはこれからあるのか?)。さっきTwitterで突っ込まれるまで知らなかった。 godmother @lalha 遅ればせて・・今日の新聞で駅伝の事分かったでしょ?往路と復路を二日間でTVで流しているだよー。 lalha @godmother 新聞見てないのでわかり
  • 恐怖のシンクロニシティ - 内田樹の研究室

    鈴木晶先生が年末にたいへん興味深いことを書かれていた。 ゲームとルールをめぐる考察である。 http://www.shosbar.com/ 少し長いけれど、引用させていただくことにする。ある小説に出てくる「I Pass the Scissors」(はさみを渡す)というゲームの話である。 ハサミを使う。数人が輪になってすわり、ハサミを次々に隣の人にわたす、というだけのゲームである。ハサミを受け取った人は、ハサミを開いて、あるいは閉じて、次の人に渡す。そのときに「私はハサミを開いて渡す(これを「クロス」と呼ぶ。ハサミを開くと、十字架の形になるからだ)」あるいは「閉じて渡す」と宣言する。問題は、その「開いて」と「閉じて」は、ハサミが開いているか閉じているかとは関係がないということだ。初心者はルールを知らないから、ハサミを開いて隣りに渡し、「私はハサミを開いて渡す」と宣言し、まわりから「まちがい!