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キャリアに関するmasah3のブックマーク (7)

  • グローバル時代をどう生きるか プロフェッショナルが語る新たな可能性

    masah3
    masah3 2015/10/04
    へー、東大面白いことやってるな。
  • 日本版NSFをつくるぞ

    ポスドクも年季が入ってくると、出せるフェローショップが無くなってきます。 しかし、欧米においては、しっかりキャリアアップが考慮されていますので、 アシスタントプロフェッサーになることをそろそろ考えている シニアなポスドクが応募すべきものが用意されています。 例えば、NIHの「K99」というグラントがあります。 K99を獲得していると、 1. 競争資金を獲得する力がある 2. スタートアップを自分でまかなえる として、アシスタント・プロフェッサーとして採用されやすくなります。 応募資格としてはポスドク5年生までに限定です。 日国籍のシニアポス毒だと、アメリカのバイオ系では ほぼこれのみしか出すものがない感じになります。 普通は、ポスドクとして所属する学科から、 興味のあるポスドクは、長ったらしい公募要項を読む前に、 事務の科研費係XXに相談してください、というメールが流れてきます。 ちなみ

    masah3
    masah3 2015/04/23
    ポスドクゲットにはいいかも
  • 研究留学ガイド:留学先を決める

    ■留学先の探し方 ポスドクとして留学先を探す場合、以下のような方法があります。 (1)研究室の先輩の行っていた留学先に後任としていく。 留学先の研究室の状況もわかり、渡航時の心配も少ない最も無難な方法です。前任者のアパートを家具付きで引き継いでしまえば生活のセットアップも楽です。 (2)上司などに紹介してもらう。 自分の研究指導者や研究室の先輩が懇意にしている海外の研究者が日人のフェローが欲しいといって話を持ちかけられたようなケースがこれに当たります。 (3)自分で探す。 「第一線の研究室に留学してNatureを当てたい」とか、「今までとは違う研究分野に飛び込んでみたい」ということになれば、自分で探すことになります。留学先でヒトヤマ当てて、その分野の第一人者になって帰国する人もいます。一方、第一線の研究室というのは研究室の中での競争も激しいことが多く、思うような研究成果があげられなかった

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    masah3 2015/04/23
    ちょっと古いけれど参考になる。
  • 投稿169  日常の中の曲率 S.H氏

    平素はSo-netをご利用いただき、誠にありがとうございます。 このたび、誠に勝手ながら、2021年1月28日(木)をもちまして、「U-page+」サービスの提供を終了させていただくこととなりました。 サービスをご利用いただいておりますお客さまには、ご迷惑をおかけすることを深くお詫び申し上げますとともに、これまでのご愛顧に厚くお礼申し上げます。 記 ■提供終了サービス名 U-Page+ ■提供終了日 2021年1月28日(木) 15:00 提供終了日以降、お客さまのWebコンテンツの表示、FTPからのデータダウンロードができなくなります。 ■解約のお手続きについて 2021年1月28日(木)をもって自動解約となりますので、お客さまご自身での解約のお手続きは必要ございません。 サービス終了日以前に解約をご希望のお客さまは、解約のお手続きが必要です。 下記のWebページよりお手続きください。

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    masah3 2015/04/23
    ポスドク受け入れ先選び方
  • VIEWS | ワシントン・ジャパニーズ・ウィメンズ・ネットワーク - WJWN(Washington Japanese Women's Network)

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    masah3 2013/11/16
    女性の相談者に紹介するときに役に立ちそう
  • 日経BP

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  • フォーサイト3月号フォーサイトスタイル

    「現役の研究者というのは、良くも悪くも、翌日の実験のことだけ考えて生きる生き物です。楽しみで誰かに会って一緒に夕御飯をべることなんてあり得ないのですよ。時間がもったいないから。一九九五―九六年まで、僕はSyStemixでそういう生活を送っていました」(金島《かねしま》秀人) 「私は九三年にSyStemixを退社して、DNAX分子細胞生物学研究所(在パロアルト)に移りました。DNAXは、民間でありながらアカデミズムの桃源郷を目指す基礎研究所で、当時は免疫学の研究では世界の最先端を走っていました。新井賢一先生(現・東京大学医科学研究所長)もDNAX設立当初から深く関わられて、八〇年代はずっとDNAXの分子生物学部長をされていました」(並川玲子) 創業したSyStemixというバイオベンチャーの株式を公開し、経済的フリーダムを得た後も、九〇年代後半まで、つまり年齢的には四十代半ばまで、

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