東浩紀 Hiroki Azuma @hazuma 国家は、自立できないひと自立させるためにあるのではなく(どうせそういうひとは勝手に生きていくのだから)、そうできないひとを「ぎりぎり救う」ためにあるという発想にはならないもんかな。BIはぼくとしてはそういう文脈で捉えるべきだと考えている。 2010-02-10 10:44:01 東浩紀 Hiroki Azuma @hazuma 人口の3割ぐらいしかやる気がなくても、それで社会全体が回るならいいと思うんだ。依存自体を悪だということには意味がない——というか、いまの社会でも、かなり多くのひとがだれかに依存して生きているのであって、世の中ってそんなものでは。 2010-02-10 10:50:03 東浩紀 Hiroki Azuma @hazuma ぼくはBIを実施するなら、その部分は電子マネーにして原則トレーサブルにするべきだと考えているので(国
出版社からいろいろ本が送られてくる。 「ぜひご高評賜りたく」というようなことが書いてある。 でも、よほどのことがないと書評は書かない。 つまらなければそのままゴミ箱に放り込み、面白ければ酔っぱらいながらでも読み進み(翌朝内容をすっかり忘れている)というような自分勝手な読み方は書評家には許されないからである(当たり前だが)。 だから、これまでにいくつかの新聞社や出版社から書評委員になってほしいというオッファーが来たけれど、全部お断りした。 それでも、本は毎日のように送られてくる。 でも、年末から久生十蘭が「マイブーム」なので、送られてきた本までなかなか手が回らない。 でも、面白そうな本は「寝ころんで休憩」というときにぱらぱらとめくることがある。 たまたま手に取った『2011 年 新聞・テレビ消滅』(佐々木俊尚、文春新書)がたいへん面白かった。(注:最初『2010年』と書いていました。訂正しま
経済学は、一説には「人々の幸せを最大化するための効率的な配分を考える」ための学問だという。しかし、「幸福(あるいは不幸)とは何か」という定義については、驚くほど議論の余地がある。 たとえば、途上国の、食うものも着るものもままならない子どもたちのほうが、何不自由なく暮らしている日本人の子たちよりもイキイキして見えることに、釈然としない何かを感じたことはないだろうか。 あるいは、貧しくて内紛の絶えない国々では社会的ストレスが他殺に向かい、物質的に豊かで福祉が充実した国々では社会的ストレスが自殺に向かうことが知られているが、絶望の淵で自殺を考える日々は、誰かに殺される恐怖に怯える日々よりもマシだと本当に言い切れるだろうか。 日本人は、戦後65年を経て物質的に満足し、いまでは「欠乏の欠乏」に悩まされている。なんと深い「業」だろう。衣食住足りて娯楽に耽るようになると、ゆるやかな衰退と滅亡を迎えること
アジャイル(agile) は「俊敏な」という意味。 ソフトウェア開発プロセスのうち、良いものを素早く無駄なく作ろうとするものの総称。 従来の、後戻り不可能なウォータフォール型開発と対比して使われることがある。 特に、「アジャイル・マニフェスト」http://www.agilemanifesto.org/ に合意しているものや、「アジャイル・アライアンス」 http://www.agilealliance.org/ に参加しているものを指す。 「アジャイル・マニフェスト」の概要は、以下の通り。 アジャイル開発の価値 プロセスやツールより人と人同士の相互作用を重視する。 包括的なドキュメントより動作するソフトウェアを重視する。 契約上の交渉よりも顧客との協調を重視する。 計画に従うことよりも変化に対応することを重視する。 アジャイル開発の原則 http://www.metabolics.co.
ブログほったらかしですみません。新著(『神話が考える』)のほうは徐々にゲラになっておりますので、どうぞ期待してお待ちください。そういえば、最近ほうぼうから「何でツイッターやらないんだ?」と詰問されているのですが(笑)、ツイッターは確かにシステムとしては大変興味深いとはいえ、ちょっと自分でやるのは二の足を踏んでしまう…。いや、ツイッターは本当はかなり破壊的だと思いますよ(笑)。まぁそうはいいつつも、どうせ来年には始めてるんでしょうが。選択の余地はなさそうです。 最近は抽象的な本ばかり読んでいて、ニュースもたいして見ていなかったのですが、阿久根市長の竹原信一の発言は非常に重要です。「高度医療が障害者を生き残らせている」という発言が実はきわめて正確であることは、フーコーを読んだ人ならわかるはずです。フーコーは、およそ二つのタイプの権力を分けています。一つは生殺与奪の権限を握った古典的な権力、つ
教育関係の取材がある。 学生や若いサラリーマンたちにどうやってコミュニケーション能力をつけたらよろしいのかというテーマである。 別に起死回生の妙手というのはありませんとお答えする。 そう答えたら、片づかない顔をしていた。 誰でもすぐにできるような妙手があれば苦労はない。 コミュニケーション能力というは平たく言えば「生きる力」ということである。 そのようなものを汎用的教育プログラムとして「はいよ」とご提案することは誰にもできない。 ときどき「これさえやればコミュニケーション能力が一気に身につきます」というような「はいよ」本を書いている人がいるが、そういう本を書いている人を信用してはならない。 「信用できる人間」かそうでないかをみきわめるのは「生きる力」のもっとも基礎的なもののひとつであり、このような本を手にとってふらふらと買ってしまう人は、その一点においてすでに「生きる力」の伸びしろが少ない
今回の文は素直に同意できました。 結婚とは家庭とは、考えれば考えるほど不可思議なものです。還暦が迫ってくる歳になると、更に想いは深くなります。演じる部分と咄嗟にでた言葉をかばう仕草など、何処までが自分の素顔であるのか、演じてる自分はどのところとか。考えても、これらが混在して結局どうでもよくなってしまいます。 家族とは 互いに分かり合えない理解不能な者達である。 互いの絆は弱く直ぐ切れる微妙な側面を持つものである。 利害関係も一致しない事が多くある。 家族を維持するためには、大まかな結束意識で充分だ。 理想の家族関係や形態はない。 等など思いながら暮らしております。 クマさま コメントありがたうございます。愛といふものが、たっぷりと幻想を含みこんだ豊かさをもつものである限り、幻想をそこからむやみに排除すべき理由はありません。まして、幻想を理由に愛を(そして家族を)排除すべきでもありません。
最近、劇場版を見たら、だいぶ以前見た結末とはまったく違っていて、何かが欠けた印象をもった。後で知人に聞くと、ディレクターズカット(「完全版」)と劇場版とが違うことはよくあることのようだ。どちらがいいかは、映画により、また見る人によって違うが、ニューシネマパラダイスについて言えば、もちろん劇場版の方が断然いいに決まっている。その意味で、あのような結末を残していた監督の判断は、せっかくの名作を台無しにしてしまいかねないものであったと言うしかない。 わたしが劇場版を見て何かが決定的に欠けた印象をもったのは、単に以前に見た版にあったものが欠けていたからではない。実際この映画全体が、すべてこの欠けたものをめぐっていたからである。フィルムからキスシーンを切り取って上演するという昔話は、このことの象徴だ。人生そのものに、最高の瞬間、至福の輝きが一貫して欠けているのである。そのことは、決して単なる偶然的な
【PDF版】twitterとは何か(中上級編)― 「タイムライン」における「他者」とは何か? 2009年11月23日 【補論タイムライン(1)】さて、タイムラインにおいて、「他者」はどうなっているのか。「他者」はタイムラインにおいて微分化されて自他の区別なしに生成・消滅している。 posted at 23:12:04 【補論タイムライン(2)】twitterは「属人性が高い」という指摘がなされているが、それは半分ウソ。1000人もフォローすれば、アイコン認知はあっても何者かなどほとんど覚えていない。 posted at 23:15:27 【補論タイムライン(3)】「タイムライン」は属人的な特定をむしろ「流す」ために存在している。特定をやっているうちに「つぶやき」は流れていく。「つぶやき」の反射性に対しては反射的な「つぶやき」しかない。 posted at 23:17:23 【補論タイムライ
昨日は、仕事の予定が思ったより進んだ(というか〆切が延びた)ので、行けるかどうか微妙だった「Architecture After 1995」のシンポジウム、「『2000年以後』を考える」を見に行ってきた。パネリストは五十嵐太郎氏。氏が関わった2000年の展覧会「空間から状況へ」と今回の展覧会を比較しつつ、10年前と何が変わったのか、何が引き継がれたのかについて、出展した建築家たちを交えつつ振り返るという構成。『思想地図vol.3』の巻頭座談会「アーキテクチャと思考の場所」が、1999年の『批評空間』誌上における「いま批評の場所はどこにあるのか」へのアンサーになっていたことと、おそらくパラレルに企図されたものだろう。シンポジウムの中身というより、出展されていた方々のアティテュードについては個人的な問いが残ったが、それは会場でも言ったとおり「保留」としたので、押しかけでコメントした部分だけ、あ
大阪工業技術専門学校で「1995年以後を考える」を聞く。 パネリストは鈴木謙介さんと藤村龍至さん。 1995年を契機に変化してきている社会はいかなるもので、いかなるものが必要なのかについて、個人的な感想を述べる、とても面白かったし刺激的であった。現代の社会状況をシンプルに表されているし、それに対していかに対峙していくべきかについて建設的な議論がなされていると思った。しかし、こう思ったのは私がお二人の考えに基本的に賛同しているからで、信者のように信じきってしまうことの危うさは自覚しておかないといけないし、お二人の議論を超えるような考えを自分の中に醸成しないといけないと、充実の時間をすごしたからこそ自らに戒めたい。 議論はまずお二人の自己紹介兼それぞれの1995年以後についてのプレゼから始まる。 まず、藤村氏 1945-1970、1970-1995、1995-2010という3つの時代区分を提示
2009年10月31日11:12 カテゴリ本 廣松渉の哲学 70年安保のころの学生運動が残した知的な遺産はほとんどないが、当時の教祖的な存在だった廣松渉だけは、戦後の日本を代表する哲学者として歴史に残るだろう。当時、彼の講義には、他大学からも多くの聴講生がやってきて、いつも500人の大教室に立ち見が出た。その講義も、原稿なしで古今の文献を詳細に引用する濃密なもので、1回の授業で本1冊分の内容があった。 本書は、廣松のデビュー作(卒業論文!)である『世界の共同主観的存在構造』(第1章)を中心にして、彼の代表的な哲学論文を集めたものだ。彼のわかりやすい講義とは違って、文章は一見むずかしい漢字が多くて読みにくいが、彼の認識論の基本である「四肢構造」はきわめて単純で、いわばそれを公理系として展開する数学の論文のように書かれているので、基本的な図式が頭に入ると意外にわかりやすい。 廣松はマルクスの研
BLOG希有馬屋 食わず嫌い王選手権 - livedoor Blog(ブログ) ジブリが嫌いなわけじゃないのです。 「ジブリ的なもの」が嫌なのです。 村上隆的なモノというと、伝わりやすい? で、その『ジブリ的なもの』の代表が 鈴木敏夫プロデューサーなのです。 ──いや、「なのでした」と、過去形にしていただきたい。 あのオッサンはそういうんじゃないねん。 そう私を覚醒させてくれたのがこのポッドキャスト 『鈴木敏夫のジブリ汗まみれ』 この人は、「自分が面白いと思ったもの」を、 万人に受けるようパッケージングをしてるだけなのだと。 もっというと、詐欺なんですよ。 このひと、詐欺師なんです。 で、自分はその「詐欺の匂い」に反応してたんだなあ。 ポッドキャストの中で村上隆(←あ!)との対談で 鈴木「宮さんが歳とって作る映画が見たいんですよね。 フェリーニとか晩年ひどかったじゃないですか。 年取るとあ
Hiroki Azuma: The philosopher of 'otaku' speaks By Matthew Chozick and Akane Suzuki TOKYO — Familiar scenario: you’re going to be marooned on an island and you can only bring X number of books with you. If that island happens to be part of the Japanese archipelago, you could do a lot worse than schlepping a copy of Hiroki Azuma’s “Otaku: Japan’s Database Animals.” First published in Japanese nine
金曜日はゼミが一つと会議が三つと杖道の稽古。 1年生の基礎ゼミの第一回目。 この何年か、1年生のゼミが面白い。 大学のゼミってどういうものだろう。なんだか知らないけれど、食いつこうという「前のめり感」があって、こちらもそういうのには弱いので、つられて前のめりになってしまう。 最初は「ゼミとは何か」ということについてお話しする。 でも、実は私にも「ゼミとは何か」ということがよくわかっているわけではない。 だから、毎年言うことが変わる。 今回はふと口を衝いて「ゼミの目的は自分の知性に対して敬意をもつ仕方を学ぶことです」と申し上げてしまう。 言ってみてから、そういえばそうだなと思う。 ポランニーの「暗黙知」(Tacit Knowing) も、カントの「先験的統覚」も、フッサールの「超越論的直観」も要するに、「私は自分の知らないことを知っている」という事態を説明するためにつくられた言葉である。 古
かつて私はずるずるに感傷的な人間だった。 感傷、嫉妬、自己憐憫、自己嫌悪、劣等感。 誰もがそうかどうかは知らないが、 若い日のコントロールできないナイーブさ、 そうしたネガティブな感情は いま思えば通過儀礼のようなものだったと思う。 そんな黒い感情にどっぷり蹂躙されていた中〜高校の頃、 執行猶予が解けた井上陽水の特集がテレビであった。 「なぜか上海」(1979年)が出た直後。 CFで「お元気ですかぁ」と挨拶する前の陽水は いまテレビやライブで見るような陽気なおじさんではなく、 まずめったにテレビに出ることはなかったし、 無表情をさらにサングラスで覆い、凍てついた感傷を歌う、 孤高感漂う恐いイメージの人だったのだけれど、 それはともかく、「センチメンタルな曲を歌う人」 というパブリックイメージがあった陽水が番組のなかで 「私はもうセンチメンタリズムを美しいと思わなくなった」 と答えていて、か
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