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東浩紀に関するnornsaffectioのブックマーク (14)

  • 東浩紀『一般意志2.0 ルソー、フロイト、グーグル』 - 紙屋研究所

    「オルタ」という雑誌で東浩紀の「民主主義2.0」について書いたことがある(2009年11-12月号「メディアから時代を読む #9」)。 そのときまだ茫洋としていた問題について、ぼくは批判や疑問を書き連ねたが、定義づけや具体案をふくめ、これらのぼやけていたものは東の近著『一般意志2.0』で一定の輪郭を与えられることになった。 先にぼく流にざっくりと中身をまとめてみよう。 ルソーの「一般意志」は、あるアルゴリズムにしたがって生まれてくるグーグルのページランクみたいなもので、人々の無意識のデータベース*1から抽出されてくる数学的な結論のようなものである。*2 しかしそのような一般意志は大衆の欲望の集積であり(グーグル型民主主義)、それで政治を運営するのは危険。専門家や政治家たちの熟議(ミクシィ型民主主義)と相補的に用いるべき。民主主義2.0(=ツイッター型民主主義=グーグル型民主主義+ミクシィ型

    東浩紀『一般意志2.0 ルソー、フロイト、グーグル』 - 紙屋研究所
    nornsaffectio
    nornsaffectio 2012/02/20
    右とか左とか以前に東に欠けているのはリアルな社会とのつながりであり人生への真摯さなわけでここの話もその一例だが、それで「本物の人生に向かいあう」ための選択が小説家だとか、あちゃーて感じなんだよな。
  • http://www.hirokiazuma.com/archives/000368.html

    nornsaffectio
    nornsaffectio 2009/06/13
    僕は東浩紀は嫌いだが、これは読む価値がある。こういうまともなことを書く可能性があるので東に埒外タグは付けられないのであった。「ぼくたちは欲望は裁けない」。何度でも強調したい言葉だ。
  • 「政治」を「する」ことと「政治」で「ある」こと - 過ぎ去ろうとしない過去

    東浩紀のカール・シュミット読解は誤読が多いとずっと思っていた。 例によって速記者が正しければだが、 http://d.hatena.ne.jp/nitar/20081205/p1 カール・シュミット『政治的なものの概念』を何回か取り上げた 何を言っているか 政治は友と敵を分けることだ 友と敵を分けることが政治 誰かが自分の存在を抹殺するかもしれないから相手を抹殺 精神的な意味でも隠喩でもない 「政治は友と敵を分けることだ」とはシュミットは言っていない。 政治的なものは、特有の意味で、政治的な行動がすべてそこに帰着しうるような、それに固有の究極的な区別のなかに求められなければいけない。 (『政治的なものの概念』p14) カール・シュミットにとって「政治」とは、「道徳」や「経済」とははっきりと分けられなければいけない、「友」と「敵」の区別において見出されるものなのである。それは具体的・存在論的

    「政治」を「する」ことと「政治」で「ある」こと - 過ぎ去ろうとしない過去
    nornsaffectio
    nornsaffectio 2009/02/04
    真剣に生きてない人にとっては「する」ものなんでしょうよ。
  • 東浩紀「ポストモダンと情報社会」2008年度第10回(12/12) - メタサブカル病

    さて なぜこんなことになってしまったのか僕もさっぱりわからない 来週とかにひきずらなければいいけど まあやりましょうか 結局この授業で何を言い続けているのか 公的なものと私的なものの境界 政治的なものと非政治的なものの境界 そういう境界がポストモダンにおいてはどういうふうになるのか 『リアルのゆくえ』が出発点 僕と大塚さんは話が合わない 公共性をどう捉えるかというところ 大塚さんはある信念を持って人々を啓蒙する 自分は正しいと思っていることを人に伝わると信じて言う それが公共的 僕はそうではない さまざまな意見がぶつかり合う 公共的というのは、ある特定の意見を言うことではない ある特定の意見がヘゲモニーを握らない 絶対的な真実が無いまま議論が続く それが公共性 大塚さんはそれはシニシズムだという 自分が正しいと信じることを人に言えないのであれば、 それは公共的でもないし、そんな奴は批評家で

    東浩紀「ポストモダンと情報社会」2008年度第10回(12/12) - メタサブカル病
    nornsaffectio
    nornsaffectio 2008/12/18
    いいかげん社会的無責任のアリバイ作りにデリダ利用するのやめろと言いたい。東のそういう態度は彼が真剣に生きていないからであり、だからこんな風に公共性をスルーできる。はてサ程度の相手とも熟議できない奴。
  • 「東工大授業の顛末」について、書いておくべきと思ったので書きます。 - 地を這う難破船

    迷ったし柄でもないけれど、書くことにします。ひとつの、むろんきわめて主観的な「証言」として。お断りしておくと、長いです。 ⇒次は、トラメガを持って東工大に行きますーーポストモダニズムを体で感じて、人類に希望をもった話(重要な追記あり) - (元)登校拒否系 ⇒hirokiazuma.com 私も足を運んでいました。 話には前段があって、私の事情の経緯説明から。 私は東浩紀の10年来の読者で、東工大の授業の速記録についても前年度のそれから、速記者に黙して感謝しつつ目を通していた。とりわけ年度のそれは速記録の時点で滅法面白く、南京大虐殺をめぐる発言が波紋を呼ぶ以前から私はずっと読んでおり、授業に足を運んで直接それを聞きたいと思いつつも、場所時間の都合で多く物理的な事情から無理であったし、もうそういう柄でもないかと勝手に自分を納得させていた。昔は関心ある著述家の大学での授業は、モグリに寛大なこ

    「東工大授業の顛末」について、書いておくべきと思ったので書きます。 - 地を這う難破船
  • 東浩紀は自重すべき - raurublock on Hatena

    最近の東浩紀は、言ってることの正誤はともかく、言動があまりに軽率過ぎるのではないか。 http://www.hirokiazuma.com/archives/000465.html そもそも、そんなに真実が大事だと思うのならば、そのかたがたは実際にぼくの授業に来て質問したらいいのではないでしょうか。 http://www.hirokiazuma.com/archives/000466.html 結局、東工大の授業に歴史認識問題を問いただす学生などだれひとり現れず、それどころか先週はいたゼロアカ生さえすっかり消え、いささか拍子抜けした東浩紀です。 http://d.hatena.ne.jp/buyobuyo/20081208/p1 いやあ、そこまで言うなら授業に行ってやろうじゃねえの http://d.hatena.ne.jp/toled/20081212/p1 なんか、どうしても来て欲しい

    東浩紀は自重すべき - raurublock on Hatena
  • 東擁護者が覚えておかなければいけないたった一つのこと - 過ぎ去ろうとしない過去

    東理論は思ってるほどみんな前提にしていないからそこに対しては謙虚であれ 常識的に言って「大きな物語の終焉」というポストモダンの前提すらこの社会においては共有されていないんだから、まして「島宇宙化」*1みたいなそれこそ「島宇宙」でしか通用しない社会理論を持ち出して、自分の知らない分野のさまざまな問題を無神経に踏み荒らすのはやめましょう。 確かに「島宇宙化」って言えばそれこそマルクス主義のようになんか社会のいろいろなことが説明できた気になるから濫用したくなる気持ちは分かるし別にそれがダメとは言わないけれど*2、でもその理論は少なくとも日の一批評家と彼の信者、その周辺の人々しか前提にしていないのだ、ということを踏まえて、「誠意をもって」他の分野の事象に対しては発言しましょう*3。 *1:宮台のタームらしいんですが、http://blog.sakichan.org/ja/2008/12/15/n

    東擁護者が覚えておかなければいけないたった一つのこと - 過ぎ去ろうとしない過去
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    nornsaffectio 2008/12/16
    東のスタイルは、こういう理論の有効性以前の問題が多すぎる。
  • 2008.12.13 - 日記

    東浩紀氏がいらん発言で御難を招いたらしい。弥次馬的に見物しながら、まあデリダな知識人というのはそんなものよのお、というくらいの感想しかない訳だが、個人的に最大の難なのは——。 民族の裸踊り派とお友達ってとこだろうな。 もうちょっと友達は選んだ方がいいと思うよ。どうしても切れないくらいにお友達だというなら、こっそり付き合えばいい。たもがみ君級の(差別語につき削除)とお友達してるってだけで猛烈に尊敬度が下がる。あの裸踊りに平気で付き合うのか、あんたは、って。それとも、所謂「スープを音を立てて啜る人」ともお友達してるって自慢したいだけなんだろうか。元ネタが誰の話だったのか忘れたが、確かこんな感じ。 「私は民衆を愛しているし、自分もまた民衆の一人だと思っている。しかし彼らがスープを啜る音は我慢できない」 民衆に対する愛なんだろうな、きっと。リスペクトすべきなのかもしれん。 p.s. 尤も、ポストモ

    2008.12.13 - 日記
    nornsaffectio
    nornsaffectio 2008/12/16
    このくらいの悪意がないとね、この御方の場合。
  • 東擁護者は「声に場所を与える」ってことで一体なにを考えてんの? - Apeman’s diary

    崎山伸夫のBlog 「今般の東浩紀の言説をめぐる騒動で断固として東氏を私は支持する」 C.だとすれば。ポストモダニズム系リベラルは、たとえその信条が私的にどれほど許し難かったとしても、南京大虐殺がなかったと断言するひとの声に耳を傾ける、少なくともその声に場所を与える必要があるはずである(この場合の「耳を傾ける」=「同意する」ではない)。 (http://www.hirokiazuma.com/archives/000465.html) 一連の東浩紀の発言のうち上の引用部分(ないしそれと同趣旨の別の発言)に対して向けられている批判は、例えば次のようなものである。 2ちゃんにいけばふつうに(東スレでも!)修正主義者が跋扈している。Willや正論など、修正主義者の文章をお金を払って買ってくれる媒体もある。産経新聞など修正主義に寛容な全国紙もある。修正主義者の国会議員もいる。これ以上何を尊重しろと

    東擁護者は「声に場所を与える」ってことで一体なにを考えてんの? - Apeman’s diary
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    nornsaffectio 2008/12/16
    司試の論文指導なんかでは「規範定立」と「あてはめ」を意識せよなどと言われるが、それを東について準用するなら、彼の議論は大概前者がくどくどしい割に後者が欠落しているかものすごくピントがずれている。
  • http://www.hirokiazuma.com/archives/000470.html

  • 東浩紀発言とポストモダン・プレモダンあと還元主義の罠 神は細部に宿り給う

    1.専門家団および公共性の軽侮 ある人が家に入ってくる。机の上の財布をポケットに入れ家を出て行く。この行為は正当か? この問いには、イエスと答えるのもノーと答えるのも馬鹿げている。その家がその人の家であるか、そうでないかによる。前者ならその人は財布を忘れた人であり、後者ならその人は空き巣だ。その前提を知らないままでは正当も不当もありえない。何の話かといえば、 東浩紀の渦状言論: 歴史認識問題についていくつか これの話。例によって出遅れているため、もはやあまり言うべきことは残ってない気がするが、残った部分にちょっと興味のある部分があるので、まずはそこ以外の部分の整理、地ならしに努めよう。 医者団が執刀中の手術室に物理学者がいきなり入ってきて「人体なんて原子の塊に過ぎないのにわかってないお前ら馬鹿」と言ったら叩き出されても仕方がないと大抵の人は思うだろう。医学と物理学を歴史学とポスト

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    nornsaffectio 2008/12/08
    結局、例の発言で東のお里が知れたというだけの話では?私的言語の不可能性にしても脱要素還元の流れにしてもまじめに勉強していればどこかで必ず習う事だし。
  • ポストモダニズム系リベラリズムとは何か - 瓶治郎の現代詩

    瓶治郎の現代詩

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    nornsaffectio 2008/12/05
    そう日本にはいない。だから東ごときを肴にしてポモを語るのはやめよう。
  • 歴史を「感覚」に帰着させようとする営み - Danas je lep dan.

    ぼくは東浩紀の著作は『動物化するポストモダン』しか読んでいない*1。それでも,その時は素直に面白いと思って感心しながら読んでいたので,あれの著者がこんな馬鹿げた事を言ってしまうというのは残念だ。 歴史認識問題についていくつか - 東浩紀の渦状言論 元のタイトルは「虐殺問題についていくつか」だった。はてブを見ればわかる。何故変えたのかはよくわからない(推測はできるが,あくまで当て推量でしかないから言わない)。彼はこうのたまう。ちなみに、ぼくは90年代前半に南京に旅行で言ったことがあります。同じ時期にアウシュヴィッツにも行きました。アウシュヴィッツ(ビルケナウ)にはまだ人骨が転がっていました。ぼくは、そのとき手で掬った灰の感触をいまでも覚えている。他方、南京のほうはといえば、記念館は意外に小さな作りで、しかもなかの資料は多勝一の著書からの孫引きばかりだった(具体的には多くのパネルが多の著書

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    nornsaffectio 2008/12/04
    Q.何かが間違っている。何が間違っているか。A. http://d.hatena.ne.jp/HODGE/20081202/p1
  • 東浩紀の嫌韓流容認論 | 私にも話させて

    少し前に出た東浩紀と大塚英志との対談である『リアルのゆくえ』(講談社現代新書、2008年8月)を読み、東の発言内容の酷さに驚いた。私は東の文章を大して読んでいなかったのだが、昔からこんななのだろうか。 枚挙に暇がないのだが、私が最も呆れた箇所を挙げておこう。 「東 ぼくが言っているのは、むしろ了解可能性の拡大を大切にしたいということです。たとえば、日のサヨクが2000年代になぜ急速に影響力を失っていったかというと、リベラルな人たちはリベラルではないということが大衆レベルで分かってしまったからです。リベラルは、みんながリベラルになることを望んでいる。たとえば、みんなが在日に対して優しくしようとリベラルは言う。でも世の中には、在日を差別する人がいっぱいいる。その現実はどうするのか。/ネット右翼の問題も同じです。彼らが言っているのは、左翼は出版メディアを握っている、みなが自分たちのようにリベ

    東浩紀の嫌韓流容認論 | 私にも話させて
    nornsaffectio
    nornsaffectio 2008/11/07
    彼が浅田柄谷と喧嘩別れしたときと全く同じ光景に見える。本当に変わらない男だ。悪い意味で。|記事前半で指摘された問題それじたいは、手続的リベラリズムと権利基底的リベラリズムの前提として重要。
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