ヤプログ! byGMO サービス終了のお知らせ ヤプログ! byGMOは、2020年1月31日をもちまして、サービスを終了いたしました。 これまでヤプログ! byGMOをご愛顧いただき、誠にありがとうございました。心より感謝申し上げます。 今後とも、GMOメディア株式会社のサービスをよろしくお願いいたします。 2020年1月31日

■人はそんなに単純ではないがわけがわからないわけでもない http://d.hatena.ne.jp/chazuke/20060808 このエントリを読んで思ったのは、伝聞で話を聞くほど物事は断片的になり一面的に捉えられていくのだなあということである。先生に「人殺し」と言った生徒は直接先生の戦争話をきいていたわけではないのですよね。そして文句を言ってきた親も当然きいたわけではない。ただわが子から「先生が学校でこういう話をした」ときいただけだろう。「人殺し」と言った子どもの親だとすると「先生が他のクラスでこういう話をしたと子どもが言っている」か。どんどん伝聞。そしてどんどん伝聞になっていく過程で、直接その話をきいていた生徒たちには(少なくとも小学生当時のchazukeさんには)伝わった何かが零れ落ちてなくなっていく。あとには「先生は昔人を殺した」とか「人を殺した話を子どもたちにした」とか「戦
はてなブックマークの非表示ユーザー設定って、どの程度利用されているんでしょうかねぇ。 以前から要望の高かった機能だけに、相当に恩恵を受けている人もいるのかもしれません。 でも僕はこの機能って「ダメ人間養成機能」にしか思えないんだよなー。 確かに不快極まりないコメントしか書かないブックマーカーは存在すると思うし、追い出したい気持ちも分からんでもないけど、自分にとって見えなくするだけで問題が解決するとも思えないんだよなー。 大多数にとって不快なコメントしか書かない者の言っている事なんて、始めから無視すりゃあ良いのですよ。それが毎度誹謗中傷に当たるようなものであれば、はてなの規約に反する物としてサービスの側から排除してもらえばよいのです。 一方、単に「自分にとって不快」なものを見えなくすることで、適正な批判を回避しているだけになる場合もある。 自分以外の多くの人にとって「適正な批判」と判断される
■「多様性を否定しているわけではない」という補足説明が必要な状況 chidarinnさんのエントリとリンク先の文章を読んで思った、テーマとは直接関係ないこと。 http://d.hatena.ne.jp/chidarinn/20060713/p1 自分の思ったこと考えたことを、未熟だろうが感情的だろうがつじつまがあってなかろうがとりあえず言ってみる(表現してみる)、その場が確保されているというのは私はものすごく基本的なことだと思ってて、だから自分が物理的な迷惑(スパム的なものとか嫌がらせが明らかなもの)を蒙っているわけでもないのに誰かを黙らせようとする圧力だのお節介だのというものには嫌な気持ちを抱く(これはそこで表現されたことに対する反論や批判やネガティブな感想などとはまた別のことだ)。それが自分の内心の声(自己規制)とかいうものであっても、ああ嫌だなあと思うんだよね。その人にそういう自己
http://d.hatena.ne.jp/Maybe-na/20050708/1120830495 Maybe-naさんが、モテないオタクはゲイ社会でなら相手を見つけられるだろうと主張したことで始まった議論について。 まず重要なのは、ゲイのなかでアナルセックスは少数派だという認識だ。自分も、ケツの穴にチンコいれさせるなんて病気が怖くてできない。誰かのケツの穴にチンコを入れる気にもなれない。そうなると必然的にフェラか、手コキになるだろう。ゲイ同士は、セックスをしているというよりは互いにオナニーの手伝いをしていると表現したほうが適切な場合すらある。 そういうわけで、僕はMaybe-naさんが性欲処理の延長線上にある男同士の行為と、恋愛を混同しているのはいただけない。その点について言えば、newさんと同じ意見だ。 ただし僕は、非モテはゲイ社会に入ってみるべきだ、という意見には賛成する。 理由は
ちょっと思いついたので書いてみる。 やおいは、二次創作いわゆる同人で「やまなし、おちなし、いみなし」のホモ妄想。妄想を具体化すると同人誌などの作品になる。現在では作品にするにあたって、山やオチや意味が付加される場合が多い。(やおいが誕生した頃には、それこそ「やまなしおちなしいみなし」(例えばエロシーンのみの)の作品があったと思われる。) ボーイズラブは、一次創作でストーリーがあるホモ妄想(といったら失礼かもしれないけれど他の言葉が見つからない。偽ホモ?ホモファンタジー?)作品。商業誌も同人誌もあり、同人ではオリジナルJUNE*1というジャンルとして扱われる。JUNEと同意、もしくは派生形。(ここらへんの区別が私にはあまりつかないのだけど、ホモであることによって社会から抑圧を受ける、もしくは内在化した社会によって罪悪感を感じる主人公達のストーリーがJUNEで、さほど抑圧や罪悪感がなくホモな
■「自然」なことを「教育」するとは 「愛国心」やそれに準ずるようなことを教育関係の法律や条例に書き込むことについて、推進する側はしばしば「愛国心は自然な感情だ」と言い、反対する側は私も含めて「自然なことならわざわざ「教育」する必要はないではないか」と揚げ足をとるわけだが、それはもしかしたら見当外れの批判ではないか、とふと考えた。 ほらよく言うじゃないですか、「自分から進んでお手伝いのできる子になろう」とか「言われなくてもやれるようになろう」とか。 「愛国心」は自然に湧き出てくるものだと言う推進派の頭の中では「愛国心は本来自然な感情だがそれが阻害されていたり上手く発揮できなかったりすることがあるので「教育」して「自然に」発揮できるようにすることが大切だ」というようなことになっているのではないか。「教育」の結果、あとは何を言われなくても「自分から」「自然に」国への愛情を態度で表明できるようにな
よそのブログを見ていると、こういった記述があった。http://d.hatena.ne.jp/eco1/20060218#1140224433今朝、読売TVの「ウィーク!」で司会の男性が「今どき、幼稚園児の送迎を保護者グループの当番制でやっているなんて先進国では考えられないですよ。普通、先進国ならバスの送迎が当たり前ですよ!いったい税金を何に使っているのかっていう話で...」と吠えていた。http://d.hatena.ne.jp/planetes/20060217/1140131765メダルを取れなかった選手に「税金のムダ使い」とかヌカしてる阿呆がいるじゃないですか。どちらの例も私が直接見たり聞いたりしたわけじゃないが、あのイラクで人質になった今井さんたちに対する非難も「お前たちのためにどれだけの税金が」云々というのが多かったということだし、それ考えるとこういう発言も不思議じゃないな。雪
■障害者・障碍者・障がい者・しょうがいしゃ? 私はあんまり言葉に対してこだわりがない+人の影響受けやすいので「「障害者」の「害」という字はよくない」と言われたら「障碍者」と表記するけど、そのうちにまた(パソコンで変換したら最初に出てくるというような理由で)「障害者」に戻っているようなヘタレです。括弧もつけたりつけなかったり。「障がい者」ってのは、「障碍」に変えては見たものの、「碍」の字が当用漢字ではないとかの理由でそこだけひらがなに、という経緯なのかなあ。そして漢字かな混じり表記はさすがにみっともないので「しょうがいしゃ」に。 そういえば「障害のある人」という言い方もあるよね。「障害を持ってる人」とか。「足の悪い人」とか「視覚障害の方」とか、自分のことを振り返っても、なんかもうその時々でいろんな言い方をしている。 たしかに「健常者」である私が「障害者」について表現する場合、どういう言い方を
だとぶっちゃた話私も思うが(表に出てないことは知りようがないので、その人がどういう人かは、雰囲気や話題の選択や状況に応じた振る舞いなども含めた「見える部分」で判断せざるを得ないという意味で)、それは単純に「イケメンがいい」とか「さわやかなのがいい」とかいうことではない。「人は見た目で判断される(しかない)」という、それ自体はどうしようもない事実が、即「いつでもどこでも誰にでも好感を持ってもらえる人間を目指せ」「それをしてない人間がぐだぐだ言うな」という話になってしまう(そこにしか行かない)という流れをもっと問題視したほうがいいかもしれない。どこかに飛躍がないか?モテない人間は努力が足りないと言う人の掲げる「最低限の基準」は、いろいろ他人の動向を参照しているとしても、あくまでもその人の考える基準である。しかし「こうするべき」と一般論化して言われることで、それとは違う基準の持ち主がいる可能性や
■個人的なことは政治的なこと というテーゼがかつてフェミニズム方面から出されて(最初に言ったのが誰かは知らないんですが)、そのおかげでセクハラだとかDVだとかのプライベートな人間関係の個々人の人間性の問題だとされていたことが実は社会に蔓延している「男は女を好きなようにしていい」という男性優位的な価値観とつながっている社会的(そして政治的)な問題でもあるということが明るみに出たわけだが。それとはまったく違う形の「個人的なことの社会化」がどんどん進められているような気がする昨今の状況。 どんな生き方するかとか何を食べるかとか恋愛するかしないかとか性格だとかコミュニケーション能力だとか「やる気」だとか身だしなみとか健康管理とかどこに住むかとか子ども生むとか生まないとか… そういった本来「そりゃー社会のあり方の影響も受けているかもしらんが人それぞれでいいも悪いもないだろう」(そしてどんな選択であっ
最近は、腹が立つからなるべく新聞の中のほうは見ないようにしているのだが、今朝はうかっと朝日の投書欄なぞ見てしまった。帰省ラッシュの時は新幹線を全面禁煙にしろとか、喫煙車両でも車掌が注意しろとかいうもの。この人は、タバコの煙が嫌で帰省をやめた、と言うのだが、私は前々から、「帰省ラッシュ」をやめればいいと思っている。通勤ラッシュだって、時間をずらして混雑を緩和しましょう、と言っているんだから、みなで一斉にゲルマン民族のように大移動しなくてもいいではないか。帰省したいならすればいいが、それが盆と正月である必要性などどこにもない。会社が休みを盆と正月しかとらせないとか、子供の学校が、とか言うかもしれないが、学校は春休みがあるし、夏休みの終わり頃だってある。会社だって、休暇というのはあるはずだし、とらせないというなら厚生労働省で指導すればよい。 何にせよ、正月に老人が喉に餅を詰まらせて死んだニュース
アファーマティブアクション、あるいはポジティブアクションとか積極的格差是正措置みたいな言い方もされるけれど、こんな単純な話をよく理解しないまま賛否を議論している(大半は反対論だけど)人が多いように思う。そこで今回は世界一単純にそのあたりを解説するので、賛成か反対かはとりあえず棚上げしてアファーマティブアクションの論理を理解して欲しい。賛成とか反対とか言う前に、何について議論しているのか理解していなければ意味無いものね。ただ、論理は単純だけどそこから先はちょっと頭を使って考える必要があります。それから、ここ試験に出ます(ウソ)。 いきなり一言で言ってしまうと、要するにアファーマティブアクションというのは、陸上競技で内側のトラックを走る選手よりも外側のトラックを走る選手がより先の位置からスタートできるというルールと同じ。もちろん陸上競技ではトラックの円周を計算したり実際に測ったりすることで「誰
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