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2016年8月11日のブックマーク (3件)

  • ゲイはノンケに告白すべきではない - 高学歴フリーターのブログ

    記事では同性愛者を「ゲイ」、 異性愛 者を「ノンケ」と称しています。来の意味とは少しズレがあるとは思いますが、ご了承ください。 僕は「ゲイはノンケに告白すべきではない」と気で考えています。 今回の記事を書くにあたって「 一橋大学 ゲイ自殺事件」を念頭に置いていますので、ご存じない方はリンクをご参照ください。 headlines.yahoo.co.jp まず僕自身の話から。 僕は自他ともに認めるノンケです。僕は男性なのですが、これまでたくさんの女の子を好きになってきましたし、女性が接待してくれるお店でサービスを楽しむこともあります。 精神的にも、肉体的にも、女性が好きです。 それはおそらく生涯変わることはないでしょう。 それから、僕は大学生の頃、友人だと思っていた男性から告白を受けました。 「俺はゲイだ」という告白ではなく、「お前が好きだ」という告白です。 いわゆる「愛の告白」です。

    ゲイはノンケに告白すべきではない - 高学歴フリーターのブログ
    sillyfish
    sillyfish 2016/08/11
    異性愛以外がクローゼットに入れられる社会で他者の性的指向を事前に知ることは難しいし、そもそも恋愛対象外になる理由など性別以外にも山ほどある。対象外の相手に告白しないためには、告白前に告白するしかないな
  • サービス終了のお知らせ

    サービス終了のお知らせ いつもYahoo! JAPANのサービスをご利用いただき誠にありがとうございます。 お客様がアクセスされたサービスは日までにサービスを終了いたしました。 今後ともYahoo! JAPANのサービスをご愛顧くださいますよう、よろしくお願いいたします。

    sillyfish
    sillyfish 2016/08/11
    「ピカチュウ」の何がまずいかと考えると、日本のスポーツ報道や関係者発言は海外に出たら大炎上するものが珍しくないなと。去年の世陸で「トラと戦っているみたいだった」ってコメントした某選手とか怒られるんじゃ
  • 障害者をケアする母親に生じる貧困と不平等/田中智子 - SYNODOS

    当然のことではあるが、障害があること(後天的な障害も含む)、さらには障害者の家族になるということも、偶然によるものであり、選択が介入する余地はなく、人の責任に帰することはできない。 それにもかかわらず、障害があって生きるということ、そして障害者の家族であるということは、現在の日では、様々な社会的不利をこうむり、人生設計の変更を余儀なくされる要因となる。特に、母親にとっては、性別役割分業規範と結びつき、自分の生活や人生は脇において、ケアの専従者となることが求められる。 先日、ある裁判を傍聴した。被告は、長年、入所施設を利用している障害のある子どもを、一時帰省中に殺害した母親だった。裁判の中で、母親は「この子を残しては死ねない」「(殺害したのは)仕方がなかった」「後悔はしていない」という言葉を繰り返した。 障害者家族のあいだには、昔も今も「親亡き後」という言葉が存在する。一般的には、親亡き

    障害者をケアする母親に生じる貧困と不平等/田中智子 - SYNODOS
    sillyfish
    sillyfish 2016/08/11
    ケアの自己責任化の下で「親は親役割から降りることができず、一方で子どもは『ケアされる』役割を演じ続けなければならない」自立生活運動の合言葉が「施設から家庭へ」ではなく「家と施設を出て暮らす」だった理由