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円安とは
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【パソコン歴史浪漫】7 ●PC-9801VXとは何だったのか? PC-9801VM2の優位は絶大であり、次期PC-9801は出る前からヒットが約束されていた。そして、実際にヒットした。 実のところ、PC-9801VM2はPC-9801M2のマイナーチェンジ過ぎず、M2もF2の、F2も初代のマイナーチェンジに過ぎない。 対応ソフトを揃えるべく奔走したNECの努力もあったが、それはNECから見たパソコン史観。【パソコン狂時代】でも書いたが、様々な要因が重なって運良く業界標準になったというのが真相だと思う。 初代→E/F/M時代→VM時代と、2度の機能強化でPC-9801時代前半のアーキテクチャは完成された。しかし、4096色中16色(VMは標準8色オプションで16色)という中途半端なアナログRGBの価値は小さい。デジタルRGBのE/F/Mでスペックが固定されていたとしても、大した違いは無かった
【パソコン歴史浪漫】19 ●四兎追うものは一兎も得ず ~シャープMZ-2861 1987年4月、シャープからMZ-2861が発売された。X1/X68000とは違うMZ系待望の新型である。 MZ-2861はMZ-2500シリーズの後継モデルで、MZ-2800シリーズと呼んでもいい。しかし、ラインアップは1タイプのみで後継モデルも出なかったため、MZ-2861としか呼ばれない。 MZ-2861 32万8000円 パソコン史上、これほどてんこ盛りのマシンは他に無い。 式にすれば、MZ-2500+X68000+FM R-50+PC-286≒MZ-2861。 最強8ビットパソコンMZ-2500との互換性! テレビ画面とのスーパーインポーズと、640×400ドット65536色はX68000並! 富士通がワープロ「OASYS」との融合なら、シャープはワープロ「書院」との融合! エプソンがハードコンパチの
【パソコン歴史浪漫】90 PHC-25&CEFUCOM-21 ~PC-6001互換機の謎 「互換機」といえば、「IBM PC互換機」が現代の我々にとって最も大きな存在だ。互換機のお陰でIBM PCは世界を席巻し、後のDOS/Vブーム、Windowsブームをももたらした。現代のPCは、IBMのPC部門だったレノボも含め皆が互換機といっていい。Macintoshさえ、BootCampを考えればIBM PC/AT互換機の一種だ。Macintoshもかつては互換機を認めていた時期があり、パイオニアから互換機が出てきた。 日本では、NEC PC-9801シリーズ互換機として、EPSONがPC-286を発売。EPSONが「国民機」のコピーで広告を打つなど、大変な騒ぎとなった。シャープもMZ-2861でソフトウェア・エミュレーション方式でPC-9801互換を実現していた。今ふうにいえば仮想化ソフトだが、
【パソコン歴史浪漫】2 ●NEC史上最も拡張されたマシン、PC-8001 第1回の続きである。次回以降は、もう少し後の時代の話になる。 一応この連載は、それぞれの製品のパソコン史上の意味とか、パソコン史のもしも、というのがテーマになっている。 1981年。日立が「ベーシックマスターレベル2」の上位モデル「レベル3」を、シャープが「MZ-80K2/C」の上位モデル「MZ-80B」を出したにも関わらず、NECはすぐには動かなかった。 レベル3は640×200ドット・文字単位8色で16KバイトGRAM。MZ-80Bは320×200ドット単色で8KバイトGRAM。1981年10月発表の東芝「PASOPIA」はレベル3同様の16KバイトGRAMだ。このあたりが1981年の標準といえるだろう。富士通「FM-8」は、ディスプレイ+プリンタ込みで148万円もする沖電気「if800 model 20」並の6
【パソコン狂時代】27 ●カシオFP-1100の衝撃 今ではそんなイメージは無いかもしれないが、1970~80年代のカシオは、安さがトレードマークだった。デジタル腕時計(当初のモデルは高かったが)や電卓等、カシオが低価格製品を投入して革命を起こしたジャンルは数知れず。いや、そう多くはないか……。 良くて安いカシオが、パソコンでもやってくれた。ライバル他社も追従せざるを得ない。これで、パソコンも一気に値下がりする! そう思わせてくれたのが、1982年のFP-1000(9万8000円)/FP-1100(12万8000円)だった。FP-1000はオプション追加でFP-1100と同等に出来た。うちのカタログの日付は、1982年5月24日だ。 CPU Z80互換4MHzの他、μPD7801G 2MHzという8ビットCPUをサブに積んでいた。 RAMは64Kバイト。GRAMは16Kバイト(FP-100
【パソコン狂時代】64 ●幻のマシン バブコム80、JR-300、YIS パソコン史の中で「幻のマシン」はいくつかある。1980年代前半は今ほど情報が豊富ではなかったし、唯一頼りのパソコン誌も全機種をフォローしきれなかった。人によって幻のマシンは異なるだろうが、私が思うそれは「現物を見なかっただけでなく、雑誌記事すら見なかったマシン」である。 「BUBCOM80」(バブコム80)は、富士通「FM-8」の6809をZ80Aに換装したようなマシンだ。富士通の技術者が創業したベンチャー企業「システムズフォーミュレート」が富士通と共同開発したため、装備・外観ともに似通っている。 Z80A/4MHz、RAM 64Kバイト、640×200ドット8色。25万8000円。1981年9月出荷開始。 マイクロソフト製BASIC ROMを積むが、CP/Mも発売予定だった。 キーボードは一見FM-8と同じだが、テ
【パソコン狂時代】51 ●しゃべるパソコン、PC-6001mkII 1983年6月、PC-6001mkII(マーク2)が発売された。PC-6001より5000円安い8万4800円。 最初に思ったのは、先行のPC-8001mkIIも含め、PC-8801mkII、PC-9801mkII等、今後は新モデルより従来機のマイナーチェンジが主になるのか、ということだった。 イメージキャラクターは武田鉄矢で、カタログやCMに登場した。 コピーは「いま機能は、知覚領域へ。」。カタログは1枚ものと3枚つづりの2種(細かいバリエーションあり)で、6月に先行した1枚ものの表紙には「飛び抜けて、新発売。」とも書かれている。裏面にも「話せる、漢字る、カラフる。PC-6001mkII」のコピーがある。 3枚つづりの方はさらに豪快。「NECの先進テクノロジーが、パソコンを知覚領域にまでさそいだした。」とある。「時代に敏
【パソコン狂時代】22 ●カシオFX-9000P ~謎の外部記憶装置1 また話が戻ってしまうが、1981年秋、まだPC-6001、PC-8801の発売を知る前だったと思う。 パソコンのカタログを集め、PC-8001、MZ-80K2、FM-8、カシオの総合カタログの4部が手に入った。FM-8はPC-6001等の後かもしれないが、まあいいだろう。 単行本『だからいまマイコン』のパソコン紹介記事等も見た。 その段階で、PC-8001とカシオのFX-9000Pが買う候補に挙がった。 知らないというのは、恐ろしい。昔は、とんでもないマイナーで不便なパソコン(または周辺機器)を買ってしまった人が、数多くいた。私も、危うくそうなるところだった。 でも、カタログを見た限りでは、FX-9000Pが最も魅力的に思えたのだ。 5.5インチグリーンディスプレイを内蔵した一体型(7.2Kg)で、32文字×16行。グ
【パソコン歴史浪漫】53 ●最強ペイントソフト Z'sSTAFF PRO-68K Zeit(ツァイト)「Z'sSTAFF PRO-68K」(ジーズ・スタッフ・プロ・ロクハチケー)は、間違いなく最強のペイント系グラフィックツールだった。 PC-9801用「Z'sSTAFF」が出た時、マウスによる自由曲線領域指定のコピー&ペーストは衝撃的だった。それまでは、対角線の座標を指定する矩形(長方形)指定しかなかったからだ。もちろん、それ以外の機能もトップレベルだが、自由曲線以外どうだったか記憶にないほどである。 X68000用の「Z'sSTAFF PRO-68K」は、その名の通りPC-9801版を大幅に上回る機能と価格(5万8000円)で登場した。実売価格でさえ4万6000円ほどしたと思う。我ながら、よく買ったものだ。 シャープ製X68000用ソフトでは「PRO-68K」が定番だが、それ以外ではZ'
【パソコン歴史浪漫】85 パソピア7長寿伝説 近頃、8ビットパソコンについて調べている。数多くのメーカーが参入し、同じメーカーでさえ互換性の無いシリーズが展開された時代。1981年のマイコンブームまでは一般に認識されず、後半(1985年頃~)は16ビットパソコンが主流になって影が薄くなった。8ビットパソコンを2機種以上使った人は少なく、一般ユーザーの立場でその全貌を知るのはほぼ不可能である。特に、マイナー機種に関しては……。 東芝パソピアは、NEC PC-8001に対抗して1981年11月頃に発売された。16万3000円はPC-8001より5000円安く、640×200ドット(文字単位8色)の高解像度グラフィック機能を搭載。しかし、既にPC-8801が発表されていたのでインパクトは無かった。 マイクロソフト製のT-BASICモデルと、東芝製で10進演算採用のOA-BASICモデルの2タイプ
【パソコン狂時代】41 ●遅すぎた最強&平凡8ビット PASOPIA 7 1983年4月頃発売。調べても何月発売か分からなかったが、手元のカタログは1983年5月だった。 東芝PASOPIA 7(PA7007)。CPU Z80A/4MHzノーウェイト。ROM 16Kバイト(IPL、BIOS)&32Kバイト(T-BASIC 7)、RAM 64Kバイト、VRAM 48Kバイト(GRAM)&アトリビュート8Kバイト。 コピーは「勝つ快感。」。キャッチフレーズは「見たことあるか、27色(タイリング機能) 聞いたことあるか、6重和音。」。 横山やすし、木村一八親子がイメージキャラクターでカタログ表紙にも登場している。「勝つ」というキーワードは横山やすしに由来するのだろう。 筐体はPASOPIAと同様、キーボード一体型。キーボードカバーがアースブラウン、ワインレッド、ブルーの3色付いてきて自由に交換で
●シャープ、ワープロ「書院」相談窓口終了 昨日終了したとのニュース。今までサポートが続けられていたことに驚いた。同社の最終モデルは1999年発売らしいが、既にワープロ専用機が廃れていた時代。まったく記憶に無い。 シャープのコメント「同社は1977年に書院シリーズを発表し、(後略)」にはプライドを感じた。日本初の日本語ワープロは東芝JW-10で、1978年発売であることが広く知られている。シャープは東芝より早く日本語ワープロを発表したものの、発売では後れを取ったわけだ。当初は東芝同様の仮名漢字変換方式を採用するも、すぐにタッチパネル方式に切り替え、再び仮名漢字変換方式に戻るという迷走もあった。 いずれが最初にせよ、日本語ワープロは誕生から約5年の1982年に100万円を切り、85年には大ブレイクして一般家庭に普及しはじめた。なんというスピードだろう。 初期には、仮名漢字変換(ローマ字仮名漢字
●郵趣は過去にしかないのか? 体調不良で3日間空いてしまった。気がつけば、BSジャパン『昭和は輝いていた』の放送は明日。ついに、「切手」が登場する。 郵趣(切手収集)は、まさに「昭和」の趣味だった。日本切手は明治4年から発行されているが、趣味として盛り上がったのは戦後、1950年代に入ってである。60年代に成熟期を向かえ、70年代に入ると徐々に下降していった。沖縄復帰に伴う琉球切手投機が加熱し、バブルは間もなく崩壊した。私が収集を始めた1977年とはそんな時代だった。 皮肉にも、その後も新発行の記念特殊切手の魅力とクォリティは高まり続けた。第二次国宝シリーズ、切手趣味週間の連刷化、とどめは切手そのものが美術品といえた近代美術シリーズであったろう。 だが、80年代に入った頃からジュニア(18歳以下の切手収集家)が急速に減り、子供や若者の趣味として完全に終わったのが85年だと言われる。80年前
●PC-100とPC-9801とWindowsと パソコン黎明期についての連載がある。 中でも、今年7月から始まった『第2部 第6章 魂の兄弟、日電版アルト開発計画に集う 1983 PC-100の早すぎた誕生と死』には、感銘を受けた。 NEC PC-100は一部にGUIを採用したMS-DOSマシンで、Windows開発の直接の動機になったと言われている。当初のMacintoshは、同時代のパソコンと比較して劣っている面(出来ないこと)も多かったので、マイクロソフトも最初からMacintoshのコピーをやろうとしたとは思えない。 現代から過去全体を振り返ったパソコン史観では、PC-100のそうした先進性がクローズアップされているが、実際にそれを体験している時代にはもっと違う意味を持っていた。 当然といえば当然だが、連載を読むと、企業向けのN5200やおなじみのPC-9801のエピソードが平
●スマートビエラは録画PCの悪夢を見るか? Panasonicの新型テレビ「スマートビエラ」が、テレビCMで全く宣伝されていないという。技術ルール違反によりCM拒否に遭っているそうだ。 スマートビエラは、テレビ画面の右と下にネット等の情報を表示できるモデルである。見た目は、テレビのデータ放送画面に似ている。ネットも出来るテレビは以前からあるので、唐突な拒否反応にメーカーのみならず我々視聴者も困惑するばかりだ。 テレビにパソコン(ネット)を統合するか、パソコンにテレビを統合するかは、昔から論議されてきた。後者は録画PCという形で12年ほど前に実現した。スマートビエラの画面は、あたかも録画PCでTVアプリを大きめのウィンドウで表示した時のようだ。 録画PCは大ヒットしたが、デジタル放送になるとコピーワンスによって番組の編集・保存に著しい制限が加えられ、PCでテレビ録画をするメリットは無くなり廃
【書評】TYPOGRAPHY(タイポグラフィ)01 フォントをつくろう!/グラフィック社 創刊号にふさわしく、最近のタイポグラフィ事情、フォントデザインの基礎、フォント作成ソフトの紹介等、一通りの情報が載っている。私の場合、10年近く遠ざかっていたのでありがたい。大まかには知っているつもりだったが、人もフォント事情もいつの間にか新しくなっていた。 Fontographer、OTEdit 、Fontlab Studioの記事に期待したが、もう少し詳しく知りたかった。また、その他のフォント作成ソフトについても簡単な紹介がある。 付録のモリサワ原図用紙は60mm。その昔のモリサワ賞の応募用紙もこれと同様B5判に6文字分配置されていた。しかし、文字サイズは石井賞と同じ48mm。石井賞は文字本体を描く内側の枠が44mmだったが、モリサワ賞はひとまわり大きい45.何mmという中途半端なサイズ。用紙がB
●黒物家電クローズド化への懸念 黒物家電、すなわちAV機器の強みは互換性の高さだった。ビデオならVHSでもβでも、どのメーカーのテレビにも接続できた。デッキ同士でもメーカーを問わず、形式も問わずVHS→VHS、VHS→βへのダビングが出来た。まだパソコンの機種がバラバラだった時代、AV機器をうらやましく思ったものだ。 ところが、デジタル化とともに互換性が崩れてきた。同じBDレコーダと同じ薄型テレビなのに、同じメーカー同士でなければ連携が出来ない等、不可解な仕様が目立つ。 安価な物、寿命の短い物、普及途上の物ならそれもいいが、実態は真逆。メーカーによるユーザーの囲い込み効果は小さく、他のメーカーの製品ユーザーに不便を強いているだけという印象だ。 ソニーのnasneは安価で面白いレコーダだが、あいにく私は、制御用のPS3もPlayStation VitaもSony TabletもXperiaも
外字作成のノウハウに特化した内容である。 外字問題は、文字コード問題抜きには考えられないが、この本には詳しく書かれていない。 現在、主に使われているのはunicodeと、JISコードの変形であるSHIFT JIS(MS JIS)である。JISにも第1~4水準、補助漢字があり、JIS78、83、90、2004等の改定も加わる。それらのコード体系と字体・字形問題は複雑だ。その辺の事情は、別途調べろというわけだ。 また、誰かが書いていたけど、『今昔文字鏡』 等の説明は必要だと思う。 作成する外字が多いほど、既存の外字セットの使用は有効だし、文字同定の基準を知るにも有用なはずだ。今昔文字鏡に含まれない外字(漢字)を探す方が難しい。 ここまで書くと批判のようだが、欠けている部分を挙げただけである。 外字作成に必要な知識は、この本で十分得られる。私も、これらについて知ったり、気づいたりするまで、多くの
【パソコン狂時代】1 ●MZ-80Cを遠目に見ながら 例の連載をネタに書いてきた思い出話に、若干の反響あり。 ある件の下準備も兼ね、昔の話を不定期で書いていこう。 第1次パソコンブームは、1981年初頭からの数年間だと思う。 それまでに、シャープMZ-80K/C、NEC PC-8001、日立ベーシックマスター・レベル2等が出ていたが、テレビで紹介されたり、家電量販店に並ぶことはなかった。それが、一般の人たちに知られるようになったのが、1981年だ。 私は、父の仕事の関係で、1978年にワンボードマイコンの入門書を見て、なんとなくは知っていた。ただ、16進テンキーでアルファベットが表示できる原理すら理解不能だった。なにしろ、現物が身近には無かった。 それが、いつの間にかパソコンという形になり、たくさんの機種が出回っていることに驚いた。 1981年の春か夏、地元デパートの催事場で初めてパソコン
●読者は屈服さすべき敵なのか? 作家7名がスキャン代行業者2社を提訴した件は、思ったとおり大論争に発展した。数年前のコピーワンス&補償金論議のような展開である。あれは、苦い経験であった。 テレビ番組を録画し、気に入ったビデオテープはそのまま保存した。ビデオデッキが安くなってからは、2台並べて編集したりもした。 そんな当たり前の行為が、実は、テレビ関係者にとって激しい怒りと憎しみだったのである。 「録画は(ベータマックス裁判で負けたので)許すとしても、視聴者に編集する権利は無い」と、当時ある関係者は憤慨した。 長い番組をダイジェストにしてYouTube等にアップすることに対する怒りではない。DVDレコーダの編集機能への怒りである。 少なからぬテレビ関係者にとって、視聴者は視聴率獲得マシンであることを通り越し、敵でしかないのだ。それが、視聴者へストレートに伝わってしまった。 子供の頃からテレビ
●Windowsの耐えられない停滞 スマートフォンブームの中、存在感がほとんど無いWindows Phone。テレビでMicrosoftへの取材を観た。 日本語入力の開発風景が映り、同社の優位性が紹介されていた。 他社のスマートフォンでは「ぽ」を入力するとき、まず「は」を選択するとその周囲に「ひふへほ」が出る。そこで「ほ」を選択した後、別の操作で半濁点を打たなければならない。 しかし、Windows Phoneでは、同様に「ほ」を選択すると、その左右斜め下に濁点・半濁点が出るという。ヌルっと1タッチで入力完了というわけだ。 同社では、日本語入力の研究開発を4年も行っているという。まさか、濁点・半濁点入力に4年かかったわけではあるまいが、その程度の成果なのは事実である。 Microsoftを批判する気はないが、東芝が前人未到のカナ漢字変換に挑み、富士通が親指シフトを、NECがM式入力を短期間
【パソコン歴史浪漫】69 ●技術者が尊敬されない時代 現代は、「物が輝かない時代」だ。どんなに高性能で高品質な製品をつくっても、誰も欲しがらない。「技術が評価されない時代」と言い換えてもいい。その結果、物や技術だけでなく、物を創り出す技術者まで軽んじられるようになった。 ジョブズを「デザイン重視」とする見方も危ういが、今回しきりに言われた「ユーザー目線」というのはさらに危うい。 確かに、パソコンで処理速度、画面の解像度と色数、サウンド性能等を争う時代は終わった。だが、それらをメーカーの理論と一刀両断し、ユーザーが求めるデザインや操作性が重要だとするのは、あまりにも安易である。SONYを否定することで高度成長期からバブルまでの日本のやり方を反省するという自虐史感、いや自虐現代史感だろう。 それを象徴するようなニュースが入ってきた。茂木健一郎、西和彦両氏がジョブズ追悼番組でケンカしたという。ど
●竹キーボード&竹マウス キーボードが汎用品になったのは、いつからだろう? 80年代初頭のキーボード一体型パソコンは論外として、セパレート型になってもPC-8801、PC-9801、X1等、専用キーボードしか使えなかった。FMシリーズでJIS配列と親指シフトの選択式になった時は、セパレート型を活かした仕様だと感心したものだ。それでも、専用キーボードであることに違いはない。 PC-8801用の新入力(M式)キーボードは、確か本体付属のキーボードと付け替える仕組みだったが、それでもなお「もっと別のキーボードが使えたら」という発想には至らなかった。 常識の呪縛は恐ろしい。専用キーボードに疑問を持つ人は少なかったのだろう。サードパーティからPC-8801用、PC-9801用等のキーボードが出たという話は聞かない。キーボードの品質が低下したPC-8801mkIIあたりで、上質のキーボードが出てきても
●ケーブルテレビは電波利権を打ち砕いたか? 地元紙に、地デジ問題の記事が出た。 最近、地元デジサポへ越境電波に関する苦情が増えているという。越境電波とは、地域によって隣接県のテレビ放送が見られるというヤツだ。 周知の通り、地デジはアナログより電波が弱い。VHFよりUHFが弱いせいもあるが、同じUHFでも地デジの方が弱い。地デジ化で越境電波の恩恵を受けられる地域は大幅に狭まる。 これまで福井市内では、場所によって石川県のMRO北陸放送、HAB北陸朝日放送の2局が受信できた。嶺南地区では京都の放送が入ったようだ。地デジでは、ほとんどの人がアウトだろう。 デジサポでは「アナログ放送はたまたま映っていただけ。本来、他県の放送は見られない」と説明しているが、民放4局→2局へ半減する視聴者は納得しない。地元紙のテレビ欄に、他県チャンネルが載っているのは欺瞞ではないか? ケーブルテレビを入れればいいが、
【パソコン歴史浪漫】47 ●異常に高価で、異常に安価だったFM TOWNS 1989年2月28日発表の「FM TOWNS」。 FM TOWNSモデル1(FM TOWNS-1)FDD1基、RAM 1Mバイト 33万8000円 FM TOWNSモデル2(FM TOWNS-2)FDD2基、RAM 2Mバイト 39万8000円 モデル1と2の違いは、3.5インチ2HD FDDの台数である。モデル1も増設可能(2万8000円)だ。2DD/2HD兼用FDDになるのは1990年の教育分野向けFM TOWNSモデルS1/S2からである。 もう一つ、RAM容量も違う(いずれも最大6Mバイト)。1M増設RAMは6万円、2M増設RAMは10万円だ。 利便性からもスペックからも、FDD2基、RAM 2Mバイトであるべきだろう。しかし、あまりにも高価なため、見かけだけでも安いモデルを投入せざるを得なかったのだと思う
●歌詞テロップのミス? 昨日の『HEY!HEY!HEY!』に郷ひろみが登場。過去の夜ヒットの映像がたくさん流れた。新御三家の中では、彼が最も長期間ヒットを飛ばしてきた。 映像には歌詞テロップが入るのだが、『禁猟区』の「点点点 点点点」は誤りだと思われる。映像ではその前の「そこから先は」は切られていたが、その次は「turn、turn、turn、turn、turn、turn」が正しい。私も長い間、「そこから先は……」という歌詞の三点リーダーを「点点点」と歌っているのだと思っていた。 他にも、最近CSの古い歌番組等で正しい歌詞を知ったものがある。 『私はピアノ』の「聴くわラリー・カールトン」は「聞くわ、何か?と」だと思っていたし、『飛んでイスタンブール』の「ジタンの空箱」は「時間の空箱」だと思っていた。 まあ、どうでもいい話。 ●地デジの闇を見た…… BSで地上波のサイマル放送が始まったのは、か
【パソコン歴史浪漫】38 ●『ワープロ考現学』 『ワープロ考現学』 紀田順一郎、三田誠広、古瀬幸広、荻野綱男著/ソフトバンククリエイティブ/1987年9月 パーソナルワープロ・ブームから2年。パソコン用ワープロソフトも含め、この年も一つの転機といえた。それは、スペック表や当時の雑誌記事からはうかがい知れない。 この頃まで、ワープロは清書の道具だった。和文タイプで作られていたビジネス文書が、ワープロで手軽に打てるという捉えられ方だ。個人ユーザーがお知らせや年賀状を印刷する時も、予め用意した手書き原稿を打ち込んでいた。 2006年発行の小説『りはめより100倍恐ろしい』がケータイで書かれた知って、当時驚かれた人は多いだろう。『ワープロ考現学』が出る少し前までは、ワープロでいきなり小説を打つことが同じくらいショッキングだったのだ。2011年の現代では、ケータイで小説を書いたって誰も不思議には思わ
【パソコン歴史浪漫】31 ●キーピッチ21mmキーボードは幻か? 次のテーマに移る前に、独自規格キーボードについて補足しておく。 1980年から1995年頃までの長きに渡って使われた富士通の「親指シフト」キーボードは、特異な存在だった。2000年代に入ってもパソコン用として復活する等、根強い人気である。 ワープロ専用機OASYSにはJIS配列、50音配列のキーボードもあったが、原則として親指シフト一本で勝負していた。他社がすべてJIS配列(一部ローエンド機に50音配列あり)の中での孤軍奮闘。これは奇跡に近い。 1983年8月、NECも独自の「M式」キーボードを、PC-8801用ワープロソフト「新入力方式日本語ワードプロセッサ PCWORD-M(PC88-1010-2W)」6万2000円に同梱という形で発売。当時は後発と思えたが、初代OASYSからわずか3年後のことだった。 1984年3月、
【パソコン歴史浪漫】30 ●キーボード7段論 パソコンのキーボードは、時代とともに変化してきた。 キーのスイッチは、メカニカルからメンブレンに。深いほど快適と言われたキーストロークも、浅い方が標準になった。キートップ形状も、中央が丸く凹んだタイプから、左右だけ高いシリンドリカルへ。さらに、最近はまっ平らなものが増えた。 キートップの角度も変わった。奥へ行くほど階段状に高かったのが、指の角度に合わせたスカルプチャーや、中間的なステップスカルプチャーが一般化した。しかし、最近では手前の段も奥の段も、全く同じ高さのものが増えた。 デスクトップ型が主流だった時代は、ハンドヘルド、ラップトップ、ノート型用キーボードの妥協と見られていたものが、ノート型が主流になるとこちらの方が常識となった。そして今、デスクトップ機が逆輸入する形である。 ……という話を、以前も書いた。 キーボードを構成するキーも変化し
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