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多くの日本人は、ゼロから英語学習を始めるわけではありません。 すでに学校での英語教育をたくさん受けているわけです。 ですからそこでのメリットとデメリットを勘定に入れて学習方法を考えないといけません。 英米の英語教授法の学者がいう理想の方法をそのまま日本に持ってこようとしてもどうしようもないのです。 インタラクションの中で学んでいくのがベスト、というのは正論かもしれませんが、週3,4回で1クラスが40人、教室の外に出れば英語を使う機会はどこにもない、という環境で、それをやってどうするというのか、という問題があります。その国の英語教育法はあくまでその国の人がテイラーメードで考えるべきものです。 一般の人は英語教育の現状に漠然とした不満を抱いていますが、どこをどうしたらいいのか、ということはよくわかっていません。 会話の授業が不足していると考えて、英会話スクールに通ったりします。 「聞き流せばよ
そういえば、TOEIC990点をあまりTOEIC対策しないで取ろう、という本の企画がありました。去年出すつもりが、まだ書いておりません(^_^; 消えたわけではありませんが、ちょっとコンセプトの練り直しをしておりました。 実を言うと、まったく対策をしないで990点はちょっと難しいと思います。いくら英語力があっても、対策ゼロでは980点くらい止まりになる可能性が高いと思ってます。ですので、対策は必要ですが、最小限にするという意味です。 私が考えているのは、勉強に対するアプローチの違いです。 坂を登るのに、男坂・女坂というのをご存じでしょうか。 男坂は急な坂を一気に登る道、女坂をなだらかな道をくねくねと時間をかけて登る道です。 最短の道をがんばって上るか、時間をかけても楽な道を行くか、です。 私の言うアプローチは「女坂アプローチ」なのです。 これまでの勉強法本というのは、すごい努力量を前提とし
イングリッシュ・ジャーナル7月号を見たのですが(定期購読は発売日より早く届きます)、木村達哉さんが、大学入試について書いていました。つまり、いまの大学入試は、センター試験を含め、「使える英語」をテストするものになっていないと。そこを変えないと、いくら学校で「使える英語」を教えようとしても生徒は真剣には取り組まないだろうと。それはそうでしょうね。あと、東大の問題はよくできているが京大は駄目とか書いてあります。 国がやっているセンター試験が駄目ならそれをなぜ早く改善しないのでしょうかね。教育再生実行会議で出てきた「4技能型の新しい大学入試試験を」という意見は提言に反映されず、「外部テストを適切に使う」などという表現に止まってしまいました。TOEFLは無謀だったとしても、大学入試を大胆に変えて英語教育自体を改革するというコンセプト自体はよかったのですが、そこも後退してしまいましたね。 大学入試で
総理官邸による「教育再生実行会議」では、次のような意見も出ています。私もこの方向を支持します。 ○ 「TOEFLを大学入試に導入」という提言については、TOEFLが、各段に難易度が高く大学入試で実力差が測定しにくいこと、受験料が高額であり「公平性」の問題があること、テスト設計が異なるため学校の英語教育が形骸化する恐れがあることから、「国産の英語力検定試験」を開発し、大学が選択できるようにすべき。 第7回 教育再生実行会議 配布資料 資料1 大学教育・グローバル人材育成についての委員の主な意見 http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kyouikusaisei/dai7/siryou.html また「グローバル人材」については、八木委員の意見に聞くべきものがあるように感じました。 つまり、大学の多様化にあって、グローバル化はすべての大学に要求するものなのか、という視
ごぶさたでした。新しいコメントがあったので、英語教育についてちょっと書くことにします。 私の考え方は、基本的に、英語教育について全国民に一律の目標設定をすること自体無理があるということです。 というのは、ある程度まで英語が使えるようになるためにはものすごく時間がかかるということです。仮に「いちおう仕事で使える」というレベルをTOEIC800くらいと想定すると、標準的な高卒レベル(英検凖2級~2級程度)から必要な学習時間はおよそ2000時間になります。 どんなに頑張っても授業だけでは絶対に足りません。 したがって、大学の英語専門コースでも、授業時外の時間にたくさん勉強させる体勢をとらないと目標は達成できません。そして卒業要件としてハードルを設けるしかないでしょう。 一方、英語専門以外の一般英語では、学校が学生の英語力を担保するという考え方をあっさり捨てて、1.対面でしかトレーニングできないこ
この本はよかったですね。とても「まっとう」な英語学習についての見解です。 ネイティブをモデルとする必要はない、日本人の英語として品格ある英語をめざせばよいということが著者の経験から説得的に語ります。 付属のCDに著者の英語が入っているのですが、発音はかなり日本人英語ですね。正直、ちょっと専門的な発音訓練を受ければすぐよくなるのに、と思いました。音声学のわかっている教師がうまく教えれば発音をよくするのは難しいことではないのですが(ネイティブ並みというわけではなく、ノンネイティブとして十分な程度)、そういう可能性を考えていないのはちょっと残念なところです。 あと紹介しますと、「英語学習者が振り回されている4つのウソ」ということを書いているので、それにあわせて私のコメントを書いてみます。基本的には著者ではなく私のコメントです。 1.日本人は英語の読み、書きは得意だが会話は苦手 実は、日本人は英語
私は静先生の影響もあって発音練習、といいますか正確には「英語の音声システムについての基礎知識と技能」を身につけることをすすめているわけですが、 その理由は、 1.重要であるにもかかわらず、学校ではまじめに教えられていない状況がある。 2.それほど身につける項目が多いわけではなく、少しやればリターンが大きい学習である。 ということがあります。 静先生のブログとか見るとよく書いてありますが、とにかく学校の英語の先生で、発音が下手な人が多すぎるという状況があります(「ありました」と書きたいところですがそうでもないらしい)。 これは前にも書きましたが、英語の教員の需要数に対して必要な英語力を身につけている人材が集められていない状況があるので、本来人に教えるレベルじゃない人も教員になってしまっているらしいです。 たぶん、学校では、英語力よりも生徒指導力の方が重視されているのかもしれません。 「生徒が
TOEICについては賛否両論ありますね。今回はTOEICという試験について考えてみました。 世にはトーイッカーと言われるTOEICスコアを上げるのを趣味とする人がいる一方で、ああいうものは役に立たないという意見もあります。 それについては、私の考えとしては「TOEICはなかなかよい試験であるが、過大評価されている」ということです。 TOEICはどういう試験かというと「日本と韓国の英語中級者が英語学習の目安とするのに便利なお手軽な英語試験」であると思います。 まず、「日本と韓国の」というのは、知っている人は知っていることですが、TOEICはいわゆるグローバル・スタンダードではありません。受験者の八割くらいは日本人と韓国人です。これはそもそもTOEICという試験は日本人がETSに掛け合って作られた試験だそうで、最初から日本人向きにできています。韓国人にもあうのは基本的に日本人と韓国人は(なんだ
待望の著作ですね。これまで日本語教師のためのそういう本はあったのですが、英語教師のためのものはありませんでした。 なぜかというと、日本語教師養成課程には第二言語習得がカリキュラムとして組み込まれているらしいです。そのための教科書としての需要があるので本が出るわけです。 英語教師のための本がなかったということは、英語教員養成には必修ではないことが多いということです。実際、英語科教育法というのはあるのですが、旧来の学校英語のやり方を教えるものになっています。そういう勢力が強いので、それを脅かす第二言語の知識はあまり入っていかないということかもしれません。 いまだに、オーディオリンガル方式が最善だと公言してはばからない人が英語教育界に発言力を持っていたりするのですから驚きます。第二言語習得の考え方広まると、自分の既得権益がなくなる人が多いのです。 白井さんはこの本でも今の学校教育の問題点を指摘し
去年、「教室での音源提示に Bluetooth」という記事を書いたが、その後、これはだんだん調子が悪くなってきた。どうも bluetooth が不安定になることがある。タブレットも、フリーズすることがあって、そのたびに再起動しなくてはならない。 最初はよかったが、だんだん音飛びも出てきたので、とりあえず、スピーカーとケーブルで接続して外部入力にするなどの方法をとった。 しかし、いろいろ調べてみると、語学学習に特化したCDプレーヤーが出ており、これが現状、いちばんよいのではないかと思える。 ソニーから新しく出た機種は、いろいろ語学に対する工夫がある。 1.MP3が使えること。(最近の語学教材はMP3で提供されることも多い。この機種では、MP3のディスクのフォルダーごとに切り替えも可能) 2.リモコンがあること。(語学のCDではトラックの数が多い。めいっぱい99のトラックがあるのも見たことがあ
アマチュアの英語勉強本をリサーチしていたら、発音のチェックをどうしたらいいのか、ネイティブにチェックしてもらうのがいいがそれも高いし、とかいろいろ考えているところに出会いました。 この人は、発音のチェックはネイティブでなければならない、と思い込んでいるようです。 実のところ、ネイティブは発音矯正にはあまり向いていません。その音が正しいかどうかの判定はできますが、どうすれば直せるかという指導はできない場合が多いからです。 発音矯正をするためには、英語と日本語の音声学を学んでいる必要があります。 ネイティブというものは自分の言語の音声現象について細かいところはわからないものです。 たとえば日本語では、私たちは「です」という語尾の最後のウの母音を発音してません。「でs」と言っています。これを意図的に「desu」と言ったときに違和感があるのでわかると思います。 また、「ん」は四通りの発音があります
私は後者を読んでいたんですけど。で、なんで二冊あるかというと、ちょっと内容がかき分けられているんですね。「英語をモノにする」のほうは偶発的学習、「英語学習術」のほうは意図的学習にやや重心があるようです。 偶発的学習というのは要するに多読・多聴によって、いつのまにかできるようになることをいい、意図的学習というのは気合いを入れて実際に何かの練習をすることをいう、とおおざっぱに考えていいと思います。 私は偶発的のほうの「英語をモノにする」のほうがおもしろかったですね。 というのは、世にたくさん英語学習法の本は出てますが、大半は意図的学習のことを書いていて、偶発的学習の効果を強調するのはまだ少数派なのです。第二言語学習理論でわかったのはインプットによる偶発的学習の効果ということなんですが、一般の日本人にはあまり浸透はしていません。多読などの方法がいわれるようになったのは、それでも偶発的学習の要素が
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