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猫
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<2019年7月15日、札幌で演説する安倍晋三首相(当時)にヤジを飛ばした男性が拘束された事件のその後を追った12月9日公開のドキュメンタリーがめちゃくちゃ面白い。> お供を引き連れて全裸の王様が歩いてきます。沿道を埋め尽くす群衆は、「なんて素敵なお召し物かしら」などと口々に言い合いながら王様を見つめます。バカには見えない衣装を着ていると事前に伝えられていたので、衣装が見えないとは言えません。 でも周囲の人たちとうなずき合っているうちに、本当に見えるような気がしてきました。そのとき子供が叫びました。「王様は裸で歩いているよ!」 周囲の大人たちは慌ててたしなめようとします。でも子供はもう一度叫びます。「何にも着てないよ!」 しばらく沈黙してから、1人の大人が「やっぱり裸なのね」とつぶやきます。続いてもう1人、「恥ずかしくないのか」。声は少しずつ増えてゆきます。 ......ここまではアンデル
<民族は同じ。言語も宗教も同じ。なのに差別は続いている──海外の学者やジャーナリストは、日本の部落差別についてどうしても分からないと首をかしげる> 1999年に発表したテレビドキュメンタリー『放送禁止歌』は、絶対的な放送禁止歌だと多くの人から思われてきた岡林信康の「手紙」を、ラストにフルコーラスで流した。なぜこの曲は放送禁止歌だと思われてきたのか。被差別部落問題をテーマにしているからだ。でも差別を助長するような内容ではない。そんな曲を岡林が作るはずはない。 なぜ差別があるのか。する側とされる側の何が違うのか。その差別の帰結として多くの人が苦しんでいる。「手紙」の中の女性は、自らの苛烈な体験を訴える。でも声高ではない。小さくて弱々しい声だ。だからこそ歌が必要なのだ。 仕事柄、海外の学者やジャーナリストと話す機会が多い。今も世界にはさまざまな差別がある。でも日本の部落差別について、どうしても分
<家の敷地内に小屋を作り、精神障害者を家族が閉じ込める「私宅監置」について取り上げたドキュメンタリー映画『夜明け前のうた』が文化庁の文化記録映画優秀賞を受賞した。しかし、その記念上映は、遺族の抗議により実施されなかった> かつてこの国では、精神障害者を家族が隔離する「私宅監置」と呼ばれる制度があった。 家の敷地内に小屋を作り、中に閉じ込めて外から鍵を掛ける。要するに座敷牢だ。でも衛生面の配慮はほとんどない。家畜以下の生活だ。 本土では1950年まで、沖縄では本土復帰する72年までこの私宅監置が行政主導で行われていた。その実態に迫るドキュメンタリー映画『夜明け前のうた 消された沖縄の障害者』は昨年3月に劇場公開され、11月2日には文化庁の文化記録映画優秀賞を受賞して、その記念上映が同月6日に行われる予定だった。だが、直前に文化庁は上映を延期(実質的には中止)することを発表した。 延期の理由に
<原作・監督・脚本は全員在日。重いテーマがコメディだからこそ深く刺さる。画期的な作品『月はどっちに出ている』が、邦画の世界にもたらした影響とは?> 新宿梁山泊の公演に通った時期がある。かつて新劇の養成所に所属していた頃の同期の友人で、その後に状況劇場に所属した黒沼弘己が旗揚げのメンバーだったからだ。 その黒沼や代表の金守珍(キム・スジン)、六平(むさか)直政などの顔触れが示すように、旗揚げ時の新宿梁山泊は、状況劇場の分派的な色合いが強かった。でもすぐに独自路線を歩み始める。その原動力の一つが、座付き作家として戯曲を書き続けた鄭義信(チョン・ウィシン)の存在だ。 公演終了後は、テント内で行われる打ち上げにも参加した。焼酎が入った紙コップを手に大きな声でしゃべるウォンシルさんを知ったのはその頃だ。その外見と声で、舞台では極道や暴力的な男の役が多かったウォンシルさんは、最初はちょっと怖かったけれ
<カメラは由宇子と共に動いてゆく。由宇子がいないシーンはほとんどない。徹底して禁欲的な手法は理解するが、見ながら不満がたまってゆく。志は大いに共感できるし、テーマも素晴らしいのに...> 見たほうがいいよと何人かに言われた。絶賛している友人も多い。だから見た。見終えて吐息が漏れた。感嘆の吐息ではない。微妙過ぎる仕上がりに漏れた吐息だ。 『由宇子の天秤』の由宇子は、女子高生と教師の自殺事件を追うテレビドキュメンタリーのディレクター。保身を優先するテレビ局上層部と対立を繰り返しながら、少しずつ事件の真相に近づいてゆく。しかし由宇子はある日、学習塾を経営する父が隠していた衝撃的な事実に直面する。それはまさしく、自分がいま撮っている作品のテーマに、際どく抵触する事態だった。 ......ざっくりとストーリーを紹介した。ここまでは前半。後半ではドキュメンタリー制作と父親のスキャンダルに絡めて、由宇子
<視聴率に固執する報道番組の裏舞台、正社員と派遣社員の格差、権力監視をめぐるディレクターやプロデューサーたちの温度差──そこまで撮るのか、と僕を含むテレビ業界人たちは唖然とした> 2011年、愛知のローカルテレビ局である東海テレビ放送でオンエアされたドキュメンタリー番組『平成ジレンマ』が劇場版映画として再編集されて、全国のミニシアターで上映が始まった。 この企てのキーパーソンはプロデューサーである阿武野勝彦。その後も阿武野は自身が制作した多くのテレビ・ドキュメンタリーを放送後に再編集し、映画として公開し続けた。 今でこそテレビで放送されたドキュメンタリーを再編集して劇場で上映することは珍しくないが、東海テレビはいわばその先陣だった。さらに東海テレビの特質は、扱うテーマの際どさだ。体罰が原因で塾生の死亡事故を引き起こし、服役した戸塚ヨットスクールの戸塚宏が被写体の『平成ジレンマ』に続き、名張
<観終わってしばらくは席から立てなかった──「火の七日間」はどんな戦争だったのか。腐海や王蟲、巨神兵は何のメタファーか。安易な答えは呈示されない。だから想像する。思考する> そのとき僕は26歳。交際していた彼女と映画を観ることにした。でも、この時期の僕は定収入がない。つまりフリーター(当時はそんな言葉はなかったけれど)。彼女も同じようなもの。極貧だからロードショーはほぼ観ない。当然のように名画座だ。 何を観るかは決めていた。『スプラッシュ』だ。泳げない青年アレンと人魚のラブロマンス。監督はハリウッドの職人ロン・ハワードだ。人魚を演じるのはダリル・ハンナで、アレンはトム・ハンクス。ただしこの時期、ハワードもハンクスもまだ無名に近かったはずだ。なぜ観ようと思ったのか。スマートフォンはもちろんネットもないこの時代、映画や演劇の情報は毎月買っていた情報誌「ぴあ」か「シティロード」で仕入れていたから
<バスジャックして皇居に突撃する軍服姿の老人、盗んだプルトニウムで原爆を作る中学教師──。長谷川和彦監督の『太陽を盗んだ男』は、リアリティーをほとんど放棄し、エンタメに振り切っている。しかし、荒唐無稽なだけの映画ではない> 大学を卒業した翌年だったと思う。いや待てよ。単位が足りなくて4年生を2回やったから、まだ大学に籍はあったかもしれない。 とにかくその時期、アパートの部屋にあった電話機が鳴った。かけてきたのは、大学で同じ映研に所属していた黒沢清だ。 この時期の黒沢は、長谷川和彦監督(ゴジさん)の新作の制作進行をやっていた。急な話なのだけど、と黒沢は切り出し、明日のロケに役者として参加できないか、と言った。 この時期の僕は、新劇の養成所に研究生として所属していた。つまり役者の卵。卵のまま孵化しなかった。相当にハイレベルな若気の至りだ。 思わず沈黙した僕に、ジュリーに間違われる役なんだ、と黒
<原作は大岡昇平。ぼろぼろの軍服でレイテ島をさまよう敗残兵たちは、互いを「貪り食う」ため殺し合う──。脚本・監督・撮影・主演・製作の全てを担った塚本が映し出す戦争のリアルとは> 1980年代後半以降の日本映画界には、自主製作映画を経て商業映画に進出した映画監督が多い。この連載でこれまで取り上げてきた監督たちも、半分以上は自主映画出身だ。 塚本晋也が1989年に1000万円の予算で製作した『鉄男』を初めて観たときは驚いた。いや、驚いたのレベルではなくあきれた。どうかしている。なぜここまでやるんだ。観ながらずっとそんなことを考えていた。16ミリモノクロ。でも映画は自主製作の域をはるかに超えていた。CGなどない時代にほぼ全編が特撮。とにかく細部にこだわる。生半可な決意では作れない映画だ。 塚本や僕の世代は8ミリか16ミリフィルム。その後にデジタルビデオが普及して、さらにミニシアターも増えて、近年
<監督の田中登は絶対に生を否定しない。あいりん地区の季節労働者たちと娼婦の主人公。登場する女や男たちはとにかく生きることに前向きで...> ニューヨーク・タイムズがベトナム戦争の米機密文書ペンタゴン・ペーパーズを掲載し、連合赤軍が榛名山の山岳ベースで同志たちの殺戮を始めた1971年。日活は業績悪化の打開策として、ロマンポルノ路線に舵を切った。つまり成人映画。この時期に中学生だった僕は、さすがにリアルタイムには観ていない。 でも大学に入って映画研究会に所属してからは、都内の名画座に通い続けて、かなりの数のロマンポルノを観た。ロマンポルノの条件は「10分に1回の濡(ぬ)れ場があること」と「尺は70分前後であること」。それさえ守れば、監督たちは自由に作ることができた。だからこの時期、神代(くましろ)辰巳や曽根中生など既に大御所となっていた監督だけではなく、石井隆や金子修介、崔洋一に周防正行、相米
<『新世紀エヴァンゲリオン』『シン・ゴジラ』監督の庵野が初めて手掛けた実写映画。トパーズの指輪が欲しい女子高生と奇妙な性癖の男たち。何かを欲しいと思ったら、あらゆる可能性を試すのがいかにも原作の村上龍的> 今回の作品の監督は庵野秀明。と書けば、『シン・ゴジラ』を多くの人は思い浮かべるだろう。でも違う。『シン・ゴジラ』はこの連載で取り上げない。......いや、断定はしないほうがいいか。もしも連載が何年も続いて観た映画がほとんどなくなったら、やれやれと吐息をつきながら取り上げるかもしれない。ただし今はまだ、『シン・ゴジラ』について論評しようとは全く思わない。 ということで今回は、『新世紀エヴァンゲリオン劇場版』制作終了後、庵野が初めて手掛けた実写映画『ラブ&ポップ』だ。原作は村上龍。だからストーリーは知っていた。でも『新世紀エヴァンゲリオン』を監督した庵野がどのように実写映画を撮るのか(脚色
<捕虜の生体解剖や生体実験を行っていた731部隊員、南京虐殺に加担した兵士、捕虜の大量処刑に関わった憲兵。年老いた彼らが淡々と語るかつての加害行為。これは中国の映画ではない> 『日本鬼子』と書いて「リーベン・クイズ」と読む。中国語圏で日本人を指す蔑称だ。ただし中国の映画ではない。日本で制作されたドキュメンタリー映画だ。 満州事変で始まった日中戦争は15年に及んだ。このとき最前線にいた皇軍兵士14人が、半世紀以上の時間が経過してから、中国兵士や一般国民に対する自らの加害行為を告白する。14人の中には捕虜の生体解剖や生体実験などを日常的に行っていた731部隊員もいるし、南京虐殺に実際に加担した兵士や、捕虜の大量処刑に関わった憲兵もいる。 すっかり年老いた彼らは自宅の居間や縁側、ホテルのロビーや診療所で、かつての加害行為を淡々と語る。村を襲撃した元兵士は家の中で幼児と共に震えていた若い妊婦をレイ
<突然失踪した婚約者を必死に捜す一人の女性と彼女に密着する製作陣。撮影過程で展開される出来事はドラマさながらだが、これは決して劇映画ではない> ドキュメンタリーの監督と思われている。......と書き出したけれど、確かにこれまで発表した映画作品は全てドキュメンタリーなのだから、この呼称は間違いではない。でも本人としては微妙に違和感がある。 なぜなら映画を観始めた10代後半の頃は、ドキュメンタリーに関心はほぼ皆無だった。映画といえばドラマ。それが前提だ。ところが紆余曲折を経て(テレビドラマに携わるつもりで)入社した番組制作会社は、ドキュメンタリー制作に特化した会社だった。この時点で長女が生まれていた。また就活に戻る余裕はない。こうして僕のドキュメンタリー人生が始まる。 だからこの時期の僕は、小川紳介の名前すら知らなかった。ちょうど原一男が『ゆきゆきて、神軍』を発表した頃だ。気にはなったが観て
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