仲春はゆっくりと通り過ぎる 寝て起きたら3月である。今日の東京の最高気温は20度を超えている。正月のインフルエンザが完治して、これでやっと健康で文化的な本年度を始められるぞ、と意気込んだのも束の間、今度は原因不明の高熱を出して1週間寝込んだ。 脳がグツグツ煮える音が聴こえそうなほど…
STUDIO VOICE (スタジオ・ボイス) 2007年 12月号 [雑誌]出版社/メーカー: INFASパブリケーションズ発売日: 2007/11/06メディア: 雑誌冨樫さんはですね、01年のアメリカ同時多発テロの前後に「9月10日」というタイトルの話をたまたま書いていて、内容的にはテロと爆弾魔の話でした。今も続いているキメラアント篇では、北朝鮮をモデルに金日成とか本気で出してきて、イラク戦争で虫けらのように死んでいく人間の姿をそのものずばりの虫のキャラに託して描いている。現代の現実の、殺伐とした空気を思いっきり吸い込みながら漫画を描いていったんです。そうしたら、描けなくなった。当然だと思うんですよ。現代の殺伐さに本気で向かい合ってしまった時、耐えきれる人なんてほとんど誰もいないんじゃないかと思う。でも、もう一度筆を執ったんです。連載を続けることも素晴らしいですが、長い期間休止した連
ネイルで使う材料で、DIY時の木割れやネジ跡を派手にしたらかわいい OSB合板でちょっとしたボックスをつくりました。 ビス止め下手すぎて木を割ったり穴あけすぎたりした場所に、好きな派手色の樹脂を詰めてパテ代わりにしてみました。 ちょっと某HAYっぽみ出て可愛かったので、自分用にメモです。 手順 塗装 派手色グミジェルで失敗部分…
オンラインショッピングサイトであるamazonで郵送時に使用している段ボールに、油性ペンで点を2つ付けただけのキャラクターamazonさんを3年ほど前に考案し、それ以降「amazonさんの中の人」と言われ続けているN-Styles管理人のあれっくすです。こんにちわ。 相変わらずamazonは愛用し続けているのだが、商品イメージが掲載されていなかったり、掲載されていてもその写真からどんな商品なのかちゃんと把握できないものも多い。非常に残念なことである。先日予約を開始したスーパーマリオギャラクシーも今のところ画像が表示されていない。 そんな中、amazonは「カスタマーイメージ」という新機能をリリースした。これは、amazonの利用者が自分で撮影した商品イメージを掲載できるという画期的なシステムだ。これを利用しない手はない。早速使ってみた。 ガイドラインをみると、次のような写真を撮ることが望ま
なぜ人民を救うための共産主義が、人民をぶっ殺しまくったのか。 なぜ民衆を救うためのオウムが、サリンを撒いたのか。 なぜ幼女が好きなのにM君は、幼女を殺したのか。 なぜ個人の解放のための恋愛が、個人を抑圧するのか。 デモ関係者はこの手の問題について、深く考えていたはずである。それなのに彼らは なぜオタク解放を叫んだ人々が、コミケで襲撃をかますのか というバカどもになってしまった。ああ、また、やらかしてくれた。いつの時代も一緒だね。 でも、こんな世界はうんざりなんだ、正直。バカが繰り返し出てきて、自爆するという歴史なんかインチキじゃねえか。 断片断片の熱狂じゃない、円環を描く歴史を断ち切ることができるアレを。 新しい何かが生まれるアレを私は欲しているんだ。 革命、zipでくれ! 無論、デモ関係者で襲撃していない人間もいる。というか大部分だけど。
■とある飲み会で ぼくの知り合いに、石川さんというGPSで地上絵を描く人がいる。 とある飲み会でご一緒したとき、面白いアイディアを聞いた。「鉄道は川だ」というアイディアだ。今回はそれを説明しよう。鉄道は川なのだよ。 水分部には人体のケースは出てこなかったが、これはよく知られた事実だろう。もうすこし正確に言うと、男性は60%、女性は55%らしいが、この後の計算が煩雑になるので、まとめて60%とした。いきなり何だ、と思われるかもしれないがしばしお付き合いいただきたい。 それより、男性より女性の方が含水率が小さいとは意外だ、女性のほうがみずみずしい感じがしていたが。
CanCamの「ひとり勝ち」状態について、これまでメディア関係者から何度か訊かれたことがある。 「どうしてなんでしょうね」 そんなこと私に訊かれても。 しかし、ありがたいことに本学の学生諸君には多くのCanCam読者がおり、彼女たちは当該雑誌と競合誌『JJ』や『ViVi』との記号論的差異について、世界でいちばん詳しい。 その中のひとりであるM村くんが、CanCam系ファッションの究極の目的であるところの「めちゃモテ」とはどういう状態を指すのか、というたいへん大胆にしてラディカルな問題提起をゼミでしてくれた。 こういうおいしい「現場ネタ」を寝ころんだまま拾えるのが女子大教師の特権である。 同僚の教師諸君の多くは教室で「学生に知識を教える」ということをされているが、私はできるだけ「学生から知識を教わる」ようにしている。 お給料をいただいてそれでは「やらずぶったくり」というか「盗人に追い銭」では
くちぶえは なぜ とおくまで きこえるの 1.口笛の周波数は、私たちが普段口や体から発するほかの音に比べて周波数が高い。このため、回折したり拡散したりすることがなく、遠くまで届きやすくなる。また、ほかの音に比べて周波数が高いことは、木々のざわめきなどのほかの音に打ち消されたりしにくいことを意味する。これも、遠くまで口笛の音が届きやすくなる原因のひとつである。あのくもは なぜ わたしを まってるの 2.「雲が自分を待っているように見える」という経験を持つ人は多いが、その多くは錯覚による。一口に雲といってもその存在する高度は様々であり、それぞれの高さで風の強さは異なる。そうすると、高い位置では強い風で雲がみな速く流されているのに対し、低い位置の雲がある高さでは風がほとんどなく、地上から見ると動かないように見えるときには、あたかも「待っている」ように感じるのである。ゆきのやま なぜ ばらいろに
我々は還流権の問題でも補償金問題でも退却を余儀なくされた。 しかし、これは敗北を意味するのか?否!始まりなのだ! 既得権者たちに比べ、我がネットワーカーの財力は300分の1以下である。 にもかかわらず今日まで戦い抜いてこられたのは何故か? 諸君!我らがテクノロジーとサイバースペースのもたらす自由が正義だからだ。 これは諸君らが一番知っている。 我々は、テクノロジーが可能とした新しい表現の自由を法に縛られ、デジタル・アンダーグラウンドに追われた。 そして、一握りの既得権者たちがサイバースペースにまで広がってきたコンテンツ・ビジネスを支配して50余年、 サイバースペースに住む我々が自由を要求して何度踏みにじられたか。 ネットワーカーの掲げる人類一人一人の自由のための戦いを神が見捨てるはずはない。 私の学説! 私のオンラインでの提案や提言は無視された。 何故だ!? 「異端だからさ」 新しい環境の
例えば,「絵が描けない奴に作画を語る資格はない」と誰かが発言したとする。そしたら,あくまでも発言の責任は他者に任せたまま,僕はその発言及び思想を全肯定するかもしれない。フィルムに,或いはテープに絵を焼き付けたことが無い人間がレイアウトを語るという,それはまさに滑稽そのものである,,という極論ではあるけれど,極論こそが面白いんじゃないか。このために,電脳コイルはらき☆すたに勝てないのである。あれ,おかしいな,目が霞んでらき☆すたが見えないよ!! 理解はとっくの昔に済ませている。 ああ理解している,これは極論である, まさに,「浜崎あゆみを聞く人間は全員死ねばいい」といった発言と同じレベルでの極論であるわけだ。 だがそこには,少なからずとも,真実(理性)が含まれているはずなのである。油絵の具の混色の仕方すら分からないクズが,銀座の画廊で若手作家をいびる,そのような光景を思い浮かべてみればいい。
たまたまの雨降りで、たまたま早く4限を終わらせてることが出来て、たまたま教室に忘れ物を取りにいって、たまたま電車を一本乗り過ごしたおかげで同じバスに乗れて会話ができたということに感謝したい。 あいかわらずに可愛い、いや、さらに可愛くなっていた。(自分を見る。しにたい。 笑顔、声が素敵すぎる。(これだけで半年は暮らせる。 ちょっとしたことでコロコロ変わる自分はなんなんだと思うけど、当分の間はこれでいいです、いいのです。
きのう百均でネギカッターを買ったー。白ネギを白髪ネギにするアレである。千歯扱きみたいなあの刃物。ラーメンに白髪ネギはどうしようもなくすてきですよね。そのレビューをおこないたい。 商品名:ネギカッター 購入店舗:生活良品 値段:105円(税込) きょうの天気:晴れのち曇り 必要な情報は出そろった! きょうは学校は午後からだった。午後のひとつ目の授業に90分遅刻して(つまり資料だけもらって帰った)、ふたつ目の授業をまったりと終えて放課。部屋の整理をしているので、延長コードの必要性が発生し、また常々キッチンタイマーの有用性を自覚しているので、ヤマダ電機に向かう。ポイントが1200くらいたまっているので、たいした出費にはならないだろう。そこで延長コードとキッチンタイマーを購入。そして近所のスーパーで白ネギを買って帰った。 さっそく使ってみる。ネギを半月に切って、球形の面を上にぶすっと刺して力づくで
インターネットのおかげで情報をよりはやく得ることが可能になって、オタク的にはとってもありがたいことこの上ないわけですけども、でもたまに、それが鬱陶しいなと思うときもある。 周りに都合よくオタク仲間がいるとも限らず、いても同じ作品に手を出しているとも限らず、まとまった形でのオタク情報といったら月刊のアニメ誌や週刊のゲーム誌くらいでしか拾えなかった時代、アニメを見て、ゲームをやって、なにかを解釈することには自分の頭を使った。望むと望まぬとにかかわらず、それしかなかったから。面倒なら、解釈無しで放り投げるだけのこと。 今は、ネットで検索すればチョチョイのチョイで、他の人の意見が見られる。ありがたいご論評を読むことができる。で、だ。それと同じことしか言わなくなるんだ。それらしく展開されている他人の文章に頷き、その受け売りを別のところで披露し、「俺もそう思ってたんだよ!」と付け加えてはい終了。うわ、
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