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ブックマーク / blog.goo.ne.jp/ikedanobuo (4)

  • 年功序列の起源 - 池田信夫 blog

    城繁幸氏のブログに、台湾のメディアに日の年功序列が理解できなかったという話が出ている。年功序列は儒教の「長幼の序」の影響だと思っている人が多いが、違うのだ。儒教の場である中国にも台湾にも、年功序列はない。中国の科挙は、基的に試験だけで昇進を決めるので、10年以上受験勉強して中年になってから合格する人も多かったから、年齢で人事を決めることは不可能だった。韓国には日以上にきびしい年功序列があるらしいが、日のように入社の年次ではなく年齢による序列だという。 では日の年功序列は、どこから生まれたのだろうか。笠谷和比古氏によれば、徳川幕府にも年功序列はなかったという。武家の序列の基準は石高だったが、幕末には財政が苦しくなり、管理能力の高い下級武士が昇進するようになった。たとえば勘定奉行として日米修好条約を結んだ川路聖謨の家は「御家人株」を買って武士になった町人だった。勝海舟の家も、無役

  • 花岡信昭氏の「絶滅危惧種的メディア論」 - 池田信夫 blog

    産経新聞の元政治部長だった花岡信昭氏が、日経BPで「記者クラブ制度批判は完全な誤りだ」と主張している。昨今の記者クラブ開放に反対する勇気ある発言、といいたいところだが、その論理があまりにもお粗末で泣けてくる。彼はこう宣言する:日の記者クラブは閉鎖的だという主張は完璧な間違いである。アメリカのホワイトハウスで記者証を取得しようとすると、徹底的に身辺調査が行われ、書いてきた記事を検証され、指紋まで取られる。そのため記者証取得には何カ月もかかる。[・・・]内閣記者会には、日新聞協会加盟の新聞社、通信社、放送会社に所属してさえすれば、簡単に入会できる。これは「閉鎖性」とは何の関係もなく、アメリカセキュリティ・チェックがしっかりしていて、日はいい加減だということである。私がNHKに勤務していたころは、記者証を政治部の記者に借りて首相官邸の中まで入ったこともある。記者証さえあれば武器のチェック

  • 長期雇用という物語の終わり - 池田信夫 blog

    の制度改革でもっともむずかしい(そのために取り残されている)のが、雇用規制の改革だ。特に長期雇用は、企業や労働者にとって個別には合理的であるため、それを改めるインセンティブがない。労働者にとっては、いつクビになるかわからない雇用契約より終身雇用のほうがいいに決まっているので、彼らが長期雇用を望むのは当たり前だ。他方、企業も他社が長期雇用で採用しているとき、自社だけ有期雇用で募集してもいい人材は来ない。 だから労働者は転職を考えないで社内の出世競争に特化し、企業も正社員を解雇しないで新卒の採用を抑制し、非正社員に置き換える。こうした労働市場の二重化によって賃金に格差が生じ、平均賃金は競争的な水準より高くなって過少雇用が起こるというのが効率賃金仮説である。個別には合理的な行動の集計が社会的に非効率的な結果をまねく原因は、各個人や企業の行動が他の経済主体に影響を及ぼす外部性があるからだ。つ

  • 雇用の調整メカニズム - 池田信夫 blog

    きのうの記事は戦前までのことしか書かなかったが、戦前に日的労使関係の原型ができたとはいえ、「終身雇用」が成立したわけではない。通説のおさらいだが、拙著の第3章の内容を紹介しておこう。 終戦直後の労使関係を特徴づけるのは、激しい生産管理闘争だった。これはマルクスの「生産の社会的管理」の理念を追求し、労働者が経営に参加して企業をコントロールすることを求めるものだった。1940年代の読売争議、東芝争議などは経営側が一部譲歩して労組の経営参加を認めたが、50年代になるとGHQの占領政策の転換によって「総資」が「総労働」を弾圧する方針に転換し、その頂点ともいえる1960年の三井三池争議で労働側が敗北し、労使対決の時期は終わった。 こうした争議の主要な争点は、解雇反対闘争だった。つまり50年代までは、解雇はかなり自由に行なわれていたわけだ。10年以上勤続の労働者の比率も1957年で15.8%と

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