1: 名無しさん@おーぷん 2017/10/23(月)22:42:19 ID:mqX 「見ててください」
誰が勝ったのか、よくわかりません。そもそも何のための解散だったのかがわからないのですから。森友、加計問題の追及から逃れると共に、野党第1党の党首交代などの混乱に乗じ、選挙を有利に運ぼうという安倍晋三首相の魂胆が見え見えの暴挙でした。後世、憲政史の汚点と批判されかねません。 首相は憲法改正を目指すようですが、改憲に進む環境が整ったわけではないでしょう。公明党もまだ慎重に構えているし、簡単にはいかない。そもそもなぜ今やらなければならないのか。機が熟しているとは全く思いません。安倍さんは本当に用心深くやっていかないと、ここでつまずきかねませんよ。 大義なき解散は実は野党にとって好機でした。(東京都知事の)小池(百合子)さんが希望の党の代表に就任した直後の一瞬は風が吹いたのですが、その後の混乱が台なしにしてしまいました。小池さんが昨年の知事選で大勝できたのは、彼女が自民党に排除されたことを見て、有
第48回衆院選は22日に投票、即日開票され、東京18区では立憲民主党の菅直人元首相(71)が“土菅戦争”に最終決着をつけて満面の笑みを見せた。 長年のライバル・自民党の土屋正忠氏(75)と繰り広げてきた小選挙区での戦いは、これまで2勝2敗のイーブン。菅氏は2012、14年と連敗し、比例復活で議員の座を死守してきた。さらに今回は、年齢制限で土屋氏が比例重複しないという背水の陣を敷いており、選挙戦は予想通りのデッドヒートとなった。 午後11時45分、NHKの当確速報が出ると、集まった約30人の支援者が立ち上がって大喜び。菅氏が事務所に姿を見せたのは日付が変わっていたものの「前回に比べると早いよね!」と声が上がるのが“土菅戦争”ならではの光景だった。 最終的には1046票差。菅氏は「長年のライバルに小選挙区で勝てて特にうれしいですね」と勝ち誇り、勝因は「市民連合の方たちが実践的に動いていただいた
横浜優勝が近づくにつれて(*^◯^*)がポジるスレ 2017年10月24日21:01 コメント( 22 ) 横浜 引用元スレ:横浜優勝が近づくにつれて(*^◯^*)がポジるスレ http://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1508842757/ 1: 名無しさん@おーぷん 2017/10/24(火)19:59:17 ID:7bJ (*^◯^*)まだ、まだ油断できないんだ 2: 名無しさん@おーぷん 2017/10/24(火)20:00:45 ID:7bJ (*^◯^*)ツーアウトまできたら一安心 3: 名無しさん@おーぷん 2017/10/24(火)20:01:06 ID:nkn 横浜が2017年のリーグ優勝チームです 4: 名無しさん@おーぷん 2017/10/24(火)20:01:37 ID:7bJ >>3 (*^◯^*)
衆院選岩手3区で自由党代表の小沢一郎氏(75)が連続17回目の当選を飾った。自民党候補との得票差は3万4000と、結果だけを見れば「完勝」だ。しかし鉄壁を誇った後援会組織は高齢化が著しい。あちらこちらで小沢流選挙のほころびが見え隠れする選挙戦だった。 奥州市胆沢区であった17日夜の個人演説会は、小沢氏系列の県議や市議ら7人が応援弁士を務めた。だが集まった聴衆はわずか5人。並べられた座布団28枚はほとんどが空席となり、弁士たちの顔が引きつった。 昔から小沢氏の支持者が多い胆沢区にあって「ここまで少ない演説会は過去になかった」。選対幹事長の関根敏伸県議が嘆息する。 奥州市江刺区後援会は突然の衆院解散に対応が遅れ、2地区で後援組織を設置できなかった。過去の選挙では考えられない事態に地元支持者は「どの程度浸透しているか。気掛かりだ」と不安を口にした。 選挙戦最終盤の20、21の両日には小沢氏自身が
「だいたい8000票前後のはずです。こんなことを立候補者が話すのは珍しいでしょうが」 私の前に集まった多くの記者の方は、あまりに自分たちの調査の数字と近かったためか、黙ってしまっていました。 選挙がいよいよ始まる、というときに千葉県庁に記者の方々が集まり、記者会見が開かれました。 どこも報じませんでしたが「今回の選挙をどう見ます?」と聞かれたときに私の返答です。 まだ3週間前の話です。 ■■■■■■■■■■■■ 『本気論・本音論』をご愛読くださっているコラム読者の皆様 現在、関係各所にお礼とお詫びに回っているところです。 皆様にも…読者の皆様にも、心からのお礼と結果を出すことが出来なかったことに対してお詫びを申し上げます。力不足で申し訳ありませんでした。 当コラムを多くの方々にご愛読いただいているのは、私=長谷川豊がとにかく「本音」で様々なことを綴っているからだと思います。アメブロのコラム
当選した茨城7区の中村喜四郎氏。バンザイなどをする前に、本人が各市町村の得票を解説し、地元の後援会にそれぞれお礼を述べるという姿勢に、14選を果たす背景がかいまみえた。 https://t.co/fgs2F7Lm5G
立憲民主党は23日、東京都内で執行役員会を開いた。24日に両院議員総会を開催し、民進党系の無所属当選者らや参院民進党との連携などを含め、今後の対応を協議することを確認した。一方、参院民進党も24日、国会内で参院議員総会を開き、民進党存続や立憲などとの連携について協議する。立憲、参院民進党、無所属の3者は安倍政権と対抗する勢力の結集を模索している。【真野敏幸、松井豊】 無所属で当選した民進党の岡田克也元代表は23日、自身が中心となった無所属候補のネットワークで協力した議員らに電話し、意見交換を始めた。民進党籍を持ちつつ無所属で当選した議員には野田佳彦前首相、江田憲司元代表代行、安住淳元財務相らがいる。近く東京都内で会合を開く。無所属系の会派結成を検討しており、立憲や参院民進党との連携を目指す。
二十二日投開票の衆院選で、静岡県内八小選挙区は自民党が前回選と同じ六議席を獲得し勝利した。公示前に誕生した希望の党は、県内全小選挙区に候補者を擁立するも、比例復活を含めて三議席にとどまった。県内の与野党対決の舞台裏を探り、選挙戦を振り返る。 「3区は勝てた選挙。なぜ刺客を立てたのか。今も分からない」。投開票日から一夜明けた二十三日昼、民進党系の男性県議はこうこぼした。民進県連と連合静岡が支援する無所属前職の小山展弘さん(41)と、5区の細野豪志さん(46)が擁立を主導した希望元職の鈴木望さん(68)が激突した3区は、県内でも野党分裂の象徴区となった。 共産党が擁立を見送った3区は、非自民の小山、鈴木両候補の合計得票が小選挙区で当選した自民前職の宮沢博行さん(42)の得票を二万四千票以上も上回った。県西部の民進党員は選挙結果を受け「(3区の分裂は)民進県連や地方議員に大きなしこりを残した。細
衆院選(22日投開票)は公示直前の希望の党誕生による野党再編で、選挙区を明け渡し、出馬断念や国替えを余儀なくされた候補者も多い。大阪で選挙準備をしていた真白(ましろ)リョウ氏(41)と乃木涼介氏(53)は、ともに希望の党へ入党し、神奈川県に新天地を求めたが、あまりに強過ぎる相手が待ち受けていて…。 神奈川11区(横須賀市、三浦市)は小泉純一郎元首相(75)の祖父から進次郎氏(36)まで4代にわたって、中選挙区時代を含めて引き継がれている“小泉王国”。選挙では対立候補にダブルスコアどころかトリプルスコアをつける圧勝劇が続き、前回は共産党しか対立候補を立てなかったほどだ。 この小泉王国に挑戦状を叩き付けたのは、希望から出馬している真白氏だ。 作曲家でEXILEの楽曲を手がけるなど、華やかな経歴の持ち主だが、3・11の原発事故を機に政治家を志し、小沢一郎政治塾を2年前に卒塾。昨年から地元の大阪1
そもそも、前原代表は「安倍政権の一強体制ではなく、二大政党制」を目指す立場から、小池百合子都知事が立ち上げた「希望の党」との合流を決断した。 候補者は希望の党に一本化。前原代表は無所属として出馬し、参議院議員がいるために民進党の組織は残すーー。そんな構想だった。 民進党議員の両院議員総会でその案が了承された9月28日には、その顔には笑みと安堵感が浮かんでいた。 しかし、希望は長くは続かなかった。 小池知事が民進党出身者を「安全保障や憲法観」で選別し、「リベラル派を排除する」と発言。民進党内だけでなく、支持母体の連合からも非難の声が上がり、傲慢だと一気に逆風が吹いた そして、枝野幸男氏が「リベラル派」の受け皿をつくるべく「立憲民主党」を立ち上げ、「筋を通した」という評価はこちらに集まった。 小池知事の発言はその後も尾を引いた。民進党から希望の党へ合流した議員は落選があいついだ。希望の党は政権
衆院選比例九州ブロックで3年ぶりに返り咲きを果たした希望の中山成彬氏は23日、宮崎市の事務所で取材に応じた。県内で自民党が3議席を維持したことについて「自民のブランドの強さを感じた」と振り返った。 中山氏は投開票日の22日夜、宮崎市のホテルで支持者や1、3区に立候補した希望の候補者と比例区での当選を祝う予定だったが、急きょキャンセルした。中山氏は「小選挙区で落選した2人の前で、当選した自分がにこにこした顔を見せられないと思った」と理由を説明した。 中山氏が主導して1、3区に候補者を擁立したが、1区では自民候補に3万7千票差、3区では6万9千票差をつけられた。「安倍首相への不信感は満ち満ちていた。それをすくえたら得票が見込めたのに、時間が無かった」。さらに「安心感のあるブランドとしての自民の強さを感じた」と力不足を認めた。また、「(民進党の)前原誠司代表が政権交代とわめいたのがだめだった」と
日本近世社会の根本概念を疑う。 中世から近世への社会転換を示す重要要素とされる「兵農分離」。 いま、この概念の存在自体が揺らいでいる。時代の変化はどのように訪れるのか。 最新の研究成果から実態に迫る。 はじめに──わかるようでわからない兵農分離 序章 兵農分離の多面性をさぐる 研究概念としての兵農分離 通説の中の兵農分離 同時代人の兵農分離観 兵農分離への疑問 本書の視角 第一章 兵農分離は軍を強くするのか 軍隊と兵農分離 武家奉公人とは 武家奉公人の供給形態 近世の兵と武家奉公人 第二章 戦場に行くのはどのような身分の人なのか 兵以外の身分の戦闘参加 戦国大名の百姓動員 百姓動員の原理 軍役衆と郷士 中世と近世の兵身分 第三章 「身分法令」と人掃令はなにを目指したのか 「士農工商」について 「身分法令」と奉公人 朝鮮侵略と奉公人の確保 「身分法令」と百姓 人掃令の年代 人掃令の位置づけ
リアル・日本で一番悪い奴ら。北海道警察銃器対策課と函館税関は「泳がせ捜査」と称し、覚醒剤130キロ、大麻2トンを「密輸」。主導したのは、100丁以上の拳銃を押収し、「銃対のエース」と讃えられた稲葉圭昭警部だった。覚醒剤使用で逮捕後、8年の刑期を終えてシャバに出た稲葉は、自らの罪と組織ぐるみで行なわれた違法捜査の数々を告白、事件の風化に抗っている。 * 稲葉圭昭は1953年10月、北海道沙流郡門別町(現日高町)に生まれる。営林署に勤めていた父親は転勤が多く、稲葉家はその後、瀬棚町(現せたな町)、室蘭市、厚沢部町など、道内を点々とする。稲葉は父親に3歳から柔道を仕込まれ、成長とともに腕を上げ、そのことが警察への道を切り拓いていく。 ── 柔道に打ち込んでいた少年時代の話からお聞きしたいのですが。 倶知安中学に2年生で転校して柔道部に入りました。倶知安は羊蹄山の麓にある小さな町です。2年の3学期
若かりし頃、ゴスっ子と付き合っていました。いつも真っ黒の装いでしてね、眉毛も細くてね。結構長いあいだお付き合いさせていただいたのですが、すっぴんはほとんど見る機会がなかったなぁ。貸切温泉でもばっちりキメていましたからねぇ。まぁ、可愛かったですけどね! そんなある日、「ゴスナイトに行こう!」と彼女に誘われました。確か王子の3Dだった気がする。結局、そのゴスナイトは、なんかトラブルがあって中止になったのですが、それはそれで本当に良かった。なぜならその彼女、いつもよりマシマシで顔を白くしていたから。目の周りもマシマシのパンダになっていたから。MAYHEMもびっくりのコープス・ペイント…いや、もはやABBATHレベルかな、鉄拳かな。鉄拳なんかと一緒に歩きたくない。鉄拳の彼氏だなんて勘違いされたくない。本当にそのイベントが中止になってホッとしました。まぁ、ド可愛かったですけどね! なんて私も、学生の
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く