福島~山口いのちの会のブログ 放射能に安全はありません。 福島のこどもを放射能被曝から守るために山口県への保養をサポートします。 放射能汚染からの避難・移住・疎開を支援します。 『映画日本国憲法』ジャン・ユンカーマン監督作品、WEB上で全編大公開 中。5月7日までです。 この機会にぜひご覧ください! 憲法について学ばず、知ろうともしないで老いてしまい、焦る日々。憲法をたどって明治維新以後の戦争の歴史を見直さなくてはと… 写真からも歴史を学べると思います。 2015年5月3日~7月4日立命館大学国際平和ミュージアムで 戦後70年平和企画 山本宗補写真展 「戦後はまだ・・・刻まれた加害と被害の記憶」 ブログ” 山本宗補の雑記帳”では、原発事故で避難生活を余儀なくされている浪江町の方々が、満蒙開拓団の経験を語り、個人の人生が国に翻弄され続ける事実を写真とともに紹介。 戦争は、いたるところ戦場に
2015/12/28 信濃毎日新聞 私たちはどこへ(36)=責任(下) 東京電力福島第1原発事故では多くの人が古里を失い、福島県では今も10万人以上が県内外で避難生活を送る。その中には、満蒙(まんもう)開拓団として旧満州(中国東北部)に渡り、死線をくぐって引き揚げた人たちもいる。戦争と原発。二つの国策は人々を翻弄(ほんろう)し、怒りと無念さを残した。 <「安住の地」2度失う> 大内孝夫(82)が目にしたのは道路に連なる車の列だった。2011年3月12日、福島県浪江町。東京電力福島第1原発の事故を受けて、避難する人たちを乗せた車が、町内を東西に走る国道114号に押し寄せた。 70年近く前の忌まわしい記憶が、その光景に重なった。国に捨てられ、混乱の中をさまよい続ける人たち。「あの時と同じだな」。大内は心の中でつぶやいた。 1942年3月、大内は同県新殿村(現二本松市)から旧満州に渡った。国策に
『市民が語る成田の歴史 [3]』と『千葉県戦後開拓史』を提供した。 『市民が語る成田の歴史 [3]』 p.41-59「戦後の三里塚の開拓について」沖縄出身の方から聞き取った話が載っている。 『千葉県戦後開拓史』 p.105-107「開拓の歩み」 p.132-135「下総開拓の歩み」 p.141-142「開拓の思い出」 p.178-179「下総開拓農業協同組合」 p.182-183「三里塚地区12開拓農業協同組合」 などの記述がある。 その他、『成田市史 近現代編』p.594-596、『久米島と私』(上記の『市民が語る…』で聞き取りした方の著書)p.112-142にも記述がある。 NDC 関東地方 (213) 日本史 (210) 参考資料 成田市史 近現代編 成田市史編さん委員会編 成田市 1986 213.5 市民が語る成田の歴史 [3] 成田市立図書館/編集 成田市教育委員会 2000.
Project Bergson in Japan最新論集 『〈持続〉の力——ベルクソン『時間と自由』の切り開く新地平』 2024年7月17日刊行 最新にして最深のベルクソンをお届けします。 ベルクソンの時間哲学の根幹をなす持続概念は、彼のデビュー作『時間と自由』(『意識に直接与えられたものについての試論』)で開示されました。 この概念的起源を改めて検証し、続く多方面に及ぶ爆発的な哲学的影響を辿りなおします。 ぜひ奮って今日からご予約ください!! 平井靖史・藤田尚志編『〈持続〉の力――ベルクソン『時間と自由』の切り開く新地平』書肆心水、2024年。 拡張ベルクソン主義、シリーズ最新刊 ベルクソン哲学の現代的射程は計り知れない広がりと深さを秘めている。その土台であり屋台骨となっているベルクソン独自の時間概念〈持続〉。ベルクソンの総ての革新がそこから始まった〈持続〉概念が示される『時間と自由』。
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