吉田民人先生の想い出 自分が親から受けたものを子に伝えたい、というのはナィーブな親心である。大学教員としても、自分が学生時代・院生時代に、研究者の卵の時代に、師から受けた教えを、諸先生や先輩、友人から学んだものを、学生・院生たちに返したい、とナィーブに願ってきた。 * 「海へ帰りたい」 正村俊之先生と私にとって共通の恩師である吉田民人先生が、昨年10月27日に逝去された。享年78歳。学問上・研究上の「父」のような存在だったから、ひどく落胆している。しかも「ひっそりと消えたい」として、5人の近親者による密葬が行われたのみで、葬儀や告別式は行われず、しかも「追悼集会に類するものは一切不要」と強く固辞され、お別れの場も設けられなかった。「科学者として生命の根源である海へ帰りたい」という言葉と、遺骨のちょうど半分は両親の眠る京都の寺に、もう半分は、茅ヶ崎沖に散骨するようにという遺言を遺された。吉田
下記は、2010年3月22日に開催した「吉田民人先生を語る会」の折に、参加者に配布した『吉田民人先生の想い出』に寄稿したものです。あわせて 吉田民人先生を偲んで 師を見つける旅 も参照ください。 * 「君たちは何て余計なことをしてくれたのか」。先生は怒っておられるのだろうか。「お前は、私の死を俗世間に売り渡そうとするユダなのか」という激しい叱責を受けるのだろうか。 「追悼集会に類したことは一切不要というよりは拒絶。理由は複雑だが、ここには書かない。」『吉田民人先生の想い出』というのが、先生の遺言の、下から二番目の項目である。文字どおりに解釈すれば、この集まりは開くことができない。されど先生とお別れをしたい、きちんとお別れを申し上げたいという、宙づりにされたままの、ほとんど動物的な生の感情が色濃くある。 では、遺言の精神に背くことなく、どんな集まりが可能なのか。 * この集いの呼びかけ人を代
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く