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2018年11月5日のブックマーク (2件)

  • 渡 正(2014)「スポーツ経験を社会学する:実践の固有な論理に内在すること」 スポーツ社会学研究 22(2), 53-65, 2014, 日本スポーツ社会学会 - CiNii論文

    タイトル別名 Description of Sports Experiences: スポーツ経験を社会学する : 実践の固有な論理に内在すること スポーツ ケイケン オ シャカイガク スル : ジッセン ノ コユウ ナ ロンリ ニ ナイザイ スル コト ―実践の固有な論理に内在すること― A Focus on “Specific Logics of Practices” in Sports 稿の目的は、スポーツ社会学が質的研究を行う上で重要だと考えられる論点を提示することにある。それは端的に言ってそのスポーツ実践がもつ固有の論理を描くべきだという点に尽きるだろう。スポーツ実践固有の論理を見つめることによって、スポーツ実践の中に研究対象の「社会的なるもの」を描くことが質的研究のダイナミクスである。だが、これまでのスポーツ社会学は、こうした「スポーツ実践固有の論理」を描くことにどこまで自覚的

    contractio
    contractio 2018/11/05
    参照していただいている模様。
  • 「TikTokの真実」で書かれていなかった部分

    男児の父です。TikTokに詳しくはなく、元記事に対しても反論等はなく興味深く読ませて頂いた。 関連として子供とインターネットとポルノについて書きたいことがある。 子供が「ポルノを見てしまうかもしれない」というのが最大の懸念ではなく、むしろ逆である。自分から不適切なコンテンツを発するようになるかもしれない。 https://toricago.hatenablog.com/entry/2018/11/03/080000 まさにこれだ。子供とインターネットとポルノについての話題になると、 “無垢な我が子”が“悪い大人たち”によってスナッフビデオや過激ポルノを見せられ心に傷を負うという目線になる親ばかりで、 我が子がセルフィーで児童ポルノを製造する可能性について危機感が無い。 しかし幼く見える我が子にも性欲と承認欲求があるのである。 また児童ポルノ製造について危機感をもつべきなのは娘についてだけ

    「TikTokの真実」で書かれていなかった部分