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神学と宗教学の狭間で : R.オットー『聖なるもの』をめぐって シンガク ト シュウキョウガク ノ ハザマ デ : R.オットー『セイナル モノ』オ メグッテ Between theology and religious studies : an interpretation of R.Ottos the idea of the holy 神学と宗教学の狭間で : Rオットー聖なるものをめぐって シンガク ト シュウキョウガク ノ ハザマ デ : R オットー セイナル モノ オ メグッテ
さて、ラリュエルの話の続きなのだが。しかし「ラリュエリアン」と言うと宗教臭い感じがするのは気のせいだろうか…… 前回、柄谷-東の否定神学批判との類似を指摘したが、だからフランスと日本で別経路で同じような「発見」がなされたことになる。自然科学ではそういうことがよくあるが、人文学でもあることなのだ。 否定神学的構造の外部をどう考えるかは、2010年前後にメイヤスーなど思弁的実在論において共通の問題となった。しかし東は90年代末にその問題に輪郭を与えていたし、遡ればラリュエルがある意味最も戦略的に「そこを狙っていた」わけである。21世紀には、構造的必然として、皆がそれについて語ることになった。 浅田彰が『構造と力』で示した有名なクラインの壷モデルでは、(i)内部と外部の二項対立があり、そして(ii)内部なのか外部なのか決定不可能なもの=Xがあってそれがクライン管を循環している。東は、この「内部/
コロナ蟄居状態でなんとなくラリュエルのあれを読もうという気になり、Kindleで買った『普通の人のバイオグラフィ』を読んで、別の本(『哲学と非哲学』とか『非哲学の原理』といった主著)とつながって考えがまとまってきたので、後々論文にするつもりでノートを書いておきたい。 で、ラリュエルとは誰か。1937年生まれ。世代的にはドゥルーズ、デリダより下で、バディウと同い年である(『アンチ・バディウ』という本もある →書評)。フランス現代思想のきら星時代にナンテール(パリ第10大学)にいて、僕はマラブーさんに教わるためにナンテールに行っていたのだが、そのときに授業に出たことがある。とてもジェントルなお爺さんで、でも授業にはなぜかフランス人はおらず、アジア系、とくに韓国の留学生が多かった。聞くところでは韓国で熱心に読まれているという。フランス国内にはややカルト的な信者、弟子筋がいるようだが、一般にはあま
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