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2022年1月21日のブックマーク (9件)

  • 文庫本の用紙、4社共通に 2月から筑摩、中公など | 共同通信

    Published 2022/01/21 20:49 (JST) Updated 2022/01/21 21:07 (JST) 筑摩書房と中央公論新社、河出書房新社、角川春樹事務所の出版4社が、文庫文を印刷する用紙を共通化することが21日分かった。2月刊行分から順次用紙を切り替える。出版不況が続く中、用紙の確保と調達価格の安定化が狙い。中央公論新社によると業界初の取り組みという。 「ちくま文庫」「中公文庫」「河出文庫」「ハルキ文庫」などを抱える4社と王子製紙が用紙を共同開発した。これまで文庫文用紙は、各社が独自の仕様を持ち、色合いや紙の厚さが異なっていた。近年は書籍の販売低迷で、製紙会社側が出版社ごとの用紙生産を維持するのが難しくなり、共通化を協議してきた。

    文庫本の用紙、4社共通に 2月から筑摩、中公など | 共同通信
    contractio
    contractio 2022/01/21
    虚構新聞感
  • 柳田国男 雪国の春

    二十五、六年も前からほとんど毎年のように、北か東のどこかの村をあるいていたが、紀行を残しておきたいと思ったのは、大正九年の夏秋の長い旅だけであった。それを『豆手帖から』と題して東京朝日に連載したのであったが、どうも調子が取りにくいので中ほどからやめてしまった。 再び取り出して読んでみると、もうおかしいほど自分でも忘れていることが多い。いま一度あのころの気持になって考えてみたいと思うようなことがいろいろある。最近代史の薄い霞のようなものが、少しでもこうして中に立ってくれると、何だか隣の園を見るようななつかしさが生ずる。そこでなおいくつかの雑文を取り交えて、こういう一巻の冊子を作ってみる気になったのである。 身勝手な願いと言われるかもしれぬが、私は暖かい南の方の、ちっとも雪国でない地方の人たちに、このを読んでもらいたいのである。しかしこの前の『海南小記』などもあまりに濃き緑なる沖の島の話であ

  • わたしが必要だと思う抹殺

    わたしが必要だと思う運動 すべての改革は反動だ。戦争や革命は権力争奪ゲームにすぎない。運動は速度だ。加速や減速が運動の力だ。 これが最小限かつ最大限の綱領である。 路上で死ぬように努める。孤独死が嫌なら刑務所で飯をう。保険を掛けない。学校の運動場に火葬場を設ける。給を万人に開放する。HIV感染して妊娠出産した女性を讃える。薬を病院から郵送させる。車椅子や人工呼吸器はただで使う。道路の真ん中を通る。施設はコンビニの隣に置く。クリオン島のハンセン病者に学び、隔離されても子どもを産んで共同体を立ち上げる。白衣やジャージを捨てる。北ではアイヌ語とロシア語を、南では朝鮮語と中国語を教える。図書館は顰蹙を買う作品だけを買う。店員が商品を選別する。研修を受けない。教えたいことを教える。ミリオン単位の奴隷化と愚民化をい止める。 自衛隊を使って朝鮮半島の空からコメを降らせる。議員を使って河口堰や裸体像

    contractio
    contractio 2022/01/21
    ドゥルーズ対ジジェク・柄谷。世に代理戦争のネタは尽きまじ。/蚊居肢(2019年4月3日)
  • 哲学若手研究者フォーラム - 『哲学の探求』目次

    contractio
    contractio 2022/01/21
    小泉義之(2001)「脅さず、怯えず―倫理の理由律の倫理」『哲学の探求』28
  • 書評:福尾匠『眼がスクリーンになるとき ゼロから読むドゥルーズ『シネマ』』小泉義之 | かみのたね

    2018年7月下旬に福尾匠さん著『眼がスクリーンになるとき ゼロから読むドゥルーズ『シネマ』』(フィルムアート社)が刊行されました。稿は、ドゥルーズについての著作を多数執筆されている小泉義之さんによる『眼がスクリーンになるとき』の書評です。 *()内の頁数は、『眼がスクリーンなるとき』文の頁数を表します。 「ゼロ」から「ゼロ」へ ジル・ドゥルーズ『シネマ』は、フェリックス・ガタリとの協働の時期を潜り抜けて、再び一人で書き出すようになる時期の始まりを告げる書物である。だから、『シネマ』は、一旦はそれまでのドゥルーズ(+ガタリ)を忘れて、「ゼロ」から読むべき書物である。その意味でも、書の副題は正しい。 ところで、福尾匠は、「ゼロ」から読んで、今度は『シネマ』の内部に「ゼロ」を見出していく。「ゼロ」から「ゼロ」へ進むのである。福尾は、書冒頭で、その内的な「ゼロ」地点のことを、蜘蛛にとって

    書評:福尾匠『眼がスクリーンになるとき ゼロから読むドゥルーズ『シネマ』』小泉義之 | かみのたね
    contractio
    contractio 2022/01/21
    小泉義之(2018)「書評:福尾匠『眼がスクリーンになるとき ゼロから読むドゥルーズ『シネマ』』」『かみのたね』
  • デカルト哲学における観念と存在 | CiNii Research

    contractio
    contractio 2022/01/21
    小泉義之(1986)「デカルト哲学における観念と存在:物質的事物の存在証明に即して」 哲学 1986(36), 118-128, 1986, 日本哲学会.
  • 社会構築主義における批判と臨床 | CiNii Research

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    contractio 2022/01/21
    小泉義之(2004)「社会構築主義における批判と臨床」 社会学評論 55(3), 209-222, 2004, 日本社会学会.
  • 社会(科)学の啓蒙的な論調について | CiNii Research

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    contractio 2022/01/21
    小泉義之(2013)「社会(科)学の啓蒙的な論調について」 福祉社会学研究 10(0), 82-94, 2013, 福祉社会学会.
  • Kyoto University Research Information Repository: 第117号

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    contractio
    contractio 2022/01/21
    2020年1月26日に開催された合評会の記録。評者:廣瀬 純、千葉雅也、市田良彦/ 人文學報 第117号「小特集:公開合評会 ドゥルーズ,フーコー,小泉の霊性──小泉義之著『ドゥルーズの霊性』をめぐって」