沖縄戦における「集団自決」と「住民虐殺」の事例一覧 - 15年戦争資料 1945年4月17日、本部国民学校 照屋忠英校長の虐殺 1945年4月17日、伊豆見の商人 太田守徳の虐殺 1945年5月12日、今帰仁村 謝花喜睦と平良幸吉の虐殺 1945年5月、桃原での那覇からの疎開民 (高嶺一家) 惨殺事件 1945年5月12日、大宜味村「渡野喜屋の住民虐殺」- 住民約40人の虐殺 1945年7月3日、喜如嘉の巡査、知名定一の虐殺 1945年7月4日、宜名真・辺戸住民斬殺事での住民4人の虐殺 1945年7月16日、与那嶺静行とその妻、弟静正の虐殺 半地ザークビーの虐殺、読谷村の疎開者2人の虐殺 北部の敗残兵は、住民を「米軍のスパイ」として処刑した。しかし、その本当の目的は、米軍が住民に配給する「米軍の食糧」だった。 渡野喜屋では、住民約35名、そして連行された約3名、およそ40名が日本兵によって