Internet radio program series,"Ghost Terrace by Murakami Yuichi". 村上裕一のゴーストテラス 第64回 WEBスナイパーがお届けするインターネットラジオ番組「村上裕一のゴーストテラス」、この番組は月に一度お送りする、批評家の村上裕一さんが"ゴースト"の囁きにひかれるまま、あらゆる問題にアクセスする番組です。 今月も様々な話題をたっぷりお届けします!
ゼロアカ道場優勝者である村上裕一によるデビュー作。 これで長きにわたったゼロアカ道場企画も本当に終結したと言える。 キャラクターというものが現代オタク文化の中で拡散している様をゴーストという概念で捉え直し、そのリアリティを批評している本。 三部構成で成っており、第一部はアイドル論から接ぎ木する形でキャラクターについて、第二部は2chやニコニコ動画における創作からゴーストについて、第三部はノベルゲームなどの作品論を通じてキャラクターの生について論じられている。 なんだろうな、自分だったら絶対こうは書かないだろうとも思うのに、それから取り上げられている作品についても知らない*1ものの方が多いのに、すごく共感してしまうというか、考えていることが似ていると感じるところが多かった。 そういう意味で実に刺激的であった。 明晰さを追求する哲学・思考を触発する哲学 - Togetter というのがあって、
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さやわか × 村上裕一 対談:『魔法少女まどか☆マギカ』【前編】 2011年GW企画第4弾は『魔法少女まどか☆マギカ』と2011春アニメをめぐる対談! 話題性もさることながら我々を存分に楽しませてくれた『まどマギ』。一口には語りきれないこの作品、批評家の村上裕一さんと、批評シリーズ「現場から遠く離れて」を連載中のさやわかさんによる考察をお届けします。本日の前編は『まどマギ』、明日の後編は今季アニメの話題です。 ■『まどか☆マギカ』最終話を観て さやわか(以下さ) 『魔法少女まどか☆マギカ』、最終話を観て僕は面白いなと思ったんですけど、村上さんはどうでした? 村上裕一(以下村) 僕は対談に先駆けて、観た瞬間に「いやあ、あれはいい。神でしたね」ってメールをまわした前科があるわけですが(笑)。すごく面白かったですね。当初の心配は、やっぱり10話で止まってたので、これは1クールで終わるのかって思い
むりゃかみゆう単語 ムリャカミユウ 1 0pt ほめる 掲示板へ 記事編集 概要関連動画関連商品関連コミュニティ関連項目掲示板むりゃかみゆうとは、漫画家 東山翔(ひがしやま しょう)が村上裕一氏をモデルにデザインした合同会社コンテクチュアズのマスコットキャラクターである。 概要 コンテクチュアズ代表である東浩紀氏がツイッターにて ・しかしコンテクチュアズで村上隆さんとメールしていると、なんで @murakami_kun(村上裕一氏のツイッターでのユーザー名) もまた村上なのだという理不尽な怒りが湧いてくるな と、ツイートしたところ「むりゃかみとかにすればいいんじゃない?」「ドジっ子とかいいなぁ」「男の娘とかいいんじゃない?」「ファンクラブもつくっちゃえ」「キャラデザは東山翔氏で」「当然、うみねこ厨」「村上本人にうみねこ厨としての設定をつくらせよう」とあれよあれよという間に話が進み マスコッ
大塚英志は『ワイルド・バンチ』の出演俳優であるアーネスト・ボーグナインの「いいですか、人が撃たれたら血は流れるものなんです」という発言に強い共感を示している。この発言は現実の条件を示しているが、フィクションにおいては自明でないからだ。自明でないものを主張するとき、そこには倫理観が表出される。大塚の倫理観は、いかにして現実へのコミットメントを回復するか、という方向に向けられている。従って、彼においては、虚構の写生を目的とする「ゲームのような小説」などは、現実への「責任」感に乏しい怠惰なものとして扱われる。この発想が「まんが・アニメ的リアリズム」、すなわち記号的な生の中で傷つく身体や死を描くかという問題へと繋がっていく。 しかしこの問題の立て方は果たして正しいのだろうか。なるほど、戦争翼賛まんがと手塚治虫の関係に注目し、傷つかない身体性=記号性が現実における侵略行為の隠蔽装置として機能していた
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