歴史に関するk-takahashiのブックマーク (1,075)

  • セガサターンとふり返るあの時代② セガサターンの躍進

    ソニーの「プレイステーション」とセガの「セガサターン」による「次世代ゲーム戦争」。セガの目線で当時の状況をふり返る連載、第2回の舞台は1995年。のちのゲーム業界を変えた取り組みや、プレイステーションVSセガサターン第2ラウンドの舞台裏など、重要なトピックをカバー。今回も現役セガ社員の奥成洋輔さんだから書ける、貴重な情報満載でお届けする。 プレイステーションの登場によって、ソニーはゲーム業界にいくつかの変革を促したと言われる。1つはゲームの主流を2Dから3Dにしたこと。次に流通改革によるリピートのしやすさ、定価販売の義務付け(後に廃止)、同時に高騰していたソフトの価格帯を下げたこと。そして、なんといっても広告・プロモーションの拡大だ。 TVゲームのCMは、これまでもゴールデンタイムや子供向け番組の中で見ることができたが、プレイステーションの宣伝はそんなものではなかった。TVを付けていれ

    セガサターンとふり返るあの時代② セガサターンの躍進
    k-takahashi
    k-takahashi 2021/07/09
    やっぱり、春夏辺りの描写が混ざってしまっているなあ。雰囲気はこんなもんだったと思うけど。
  • セガサターンとふり返るあの時代① セガサターン発売

    ゲーム史において、世代が変わるたびに何度も行われてきた家庭用ゲーム機のシェア争い。中でもソニーの「プレイステーション」とセガの「セガサターン」による争いは「次世代ゲーム戦争」と呼ばれ、最も白熱した戦いが繰り広げられた。この連載では、長年独自ハードを開発・販売し、業界をけん引してきたセガにあえて焦点を当て、当時の状況をふり返ってみたい。執筆をお願いしたのは、この2ハードが発売された1994年にセガへ入社した、現役セガ社員の奥成洋輔さんだ。現場ではどんな思いで戦争を戦ってきたのか!? 全5回に渡ってお届けする。 僕が大学を卒業しセガに入社したのは、今から30年近く前となる1994年。あの「次世代ゲーム戦争」の開戦した年だ。この年の年末は、ソニーが初めて家庭用TVゲーム機に参戦した初代「プレイステーション」が発売され、そしてその10日ほど前に、セガは6番目の家庭用TVゲーム機「セガサタ

    セガサターンとふり返るあの時代① セガサターン発売
    k-takahashi
    k-takahashi 2021/06/25
    セガサターンの懐古記事。冒頭の1993~94年の日時の記述がやや混乱しているような気がする。
  • 明治天皇が天地神明に誓った五箇条の御誓文。近代史に輝く名文が「起こせなかった」真の目的とは? | 和樂web 美の国ニッポンをもっと知る!

    明治天皇が天地神明に誓った五箇条は、新政権の理念を高らかにうたいあげ、現行の日国憲法にも影響を及ぼした不朽の名文です。それが、どのように起草され、修正されていったかを追うとともに、五箇条を練った真の目的とすることが「起きなかった」事情を探ります。 天皇とはなにか 幕末には、一君万民という考え方がありました。日のなかで、天皇だけが君主で、公家も武士も庶民も、一人の君主に従う万民であるべきだということです。これは身分差別を否定する考え方でもあり、擬似的に「自由平等」を表現することでもありました。 一神教じゃない人からすると、たとえば「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずと云へり」といっても、「天」という目には見えない唯一絶対の存在がイメージしづらいです。誤解を怖れずにいうならば、一君万民という考え方は、天=唯一神の代替として天皇を利用したものだといえるでしょう。 王政復古クーデター以

    明治天皇が天地神明に誓った五箇条の御誓文。近代史に輝く名文が「起こせなかった」真の目的とは? | 和樂web 美の国ニッポンをもっと知る!
    k-takahashi
    k-takahashi 2021/06/21
    『戦争はリアリズムの世界であって、ロマンは通用しません。おそらく、五箇条を誓ってみせた主目的だったはずの、キレイな戊辰戦争終結は「起きなかった」』
  • 『ネクロマンサー』と『凄ノ王伝説』の不思議な関係 | Colorful Pieces of Game

    ハドソン伝説2でファミリーBASICについてちょっと追加で確認したいことがあって、メールインタビューしたとき、竹部さんから教えていただいた『ネクロマンサー』の開発から始まる逸話について書いておきたい。 この話があった場所は東京のはずで1987年も後半になってからの話だろうから、飛田さん・野沢さん・奥野さんあたりの、当時、もう北海道に異動していた人たちは、多分知らない話だと思う。 竹部さんが『ネクロマンサー』を作るとき、バトルを若手に全部任せることにしたわけだけど、ここで困ったことが起こる。 端的に書けば「若手に6502のアセンブラで全部戦闘ルーチンを書かせるのヤバいんじゃね?」ということだ。 確かにわかる。 オールアセンブラで、しかも6502でRPGの戦闘ルーチンを書くのは当に大変だ。 というも、そもそもアセンブラでプログラムを書くのは常に簡単ではないのに加え、6502はともかく16ビッ

    k-takahashi
    k-takahashi 2021/06/08
    『仮想の16ビットCPUをゲーム内に実装して、それ用のCコンパイラを作るというビックリ展開』1987年頃の話。既にCの方がメジャーだったようだ
  • 初心会興亡記 -かの大帝国は如何にして一夜で滅んだか-:追記あり

    ※この旧版になります。完全版は無料でnoteで公開中ですので、是非そちらの方をご覧下さい。 https://note.com/syosin_kai/n/nb97f2a0a193a ちょっとゲーム歴史をかじったことがある人なら聞いたことがあるだろう言葉『初心会』。 とにかくこの言葉へのイメージは最悪だ。「真っ黒組織」「ゲームヤクザ」「歴史の闇」「悪の秘密結社」etcetc。 そんな初心会だが、はたしてどれだけの人が正確に初心会とはなんなのか、どのような悪どいことをしてきたのか、そして最後はどういうふうに消えていったかを語ることができるだろうか? おそらく、ほとんどいないのではないだろうか。 この初心会について、私が調べたことをゲームの流通の歴史を絡めてまとめて書き出すぞ。これで君も初心会マスターだ! ちょっと長いけど勘弁な! まずは初心会そのものについての解説だ。 もともとの任天堂は花札屋

    初心会興亡記 -かの大帝国は如何にして一夜で滅んだか-:追記あり
    k-takahashi
    k-takahashi 2021/05/07
    ファミコン立ち上げのときは良かったけど、スーファミ登場あたりから加速度的に悪化していったな、とは思ってた。任天堂自身の天狗化でもあったが。 最近だと、テンバイヤーか
  • 書籍『アタリショックと任天堂』批判――「アタリショック捏造論」という妄想: Runner's High!

    アタリショックと任天堂: 「アタリショックは任天堂の捏造」という捏造 作者: 広田哲也出版社/メーカー: 発売日: 2020/08/14メディア: Kindle版 〇「アタリショック」という概念、言葉は任天堂が捏造したものだったのか? 答えはここにある。 (任天堂雑学blog) 〇「アタリショックの嘘と誤解」の嘘と誤解(その2) (同上) エントリーは、Webサイト「任天堂雑学」を運営する広田哲也氏が上梓した書籍『アタリショックと任天堂』を批判するものである。 当該書籍は極めて難点が多いが、特に看過できないのが副題にも挙げられている「アタリショックは任天堂の捏造」とのテーマだ。 広田氏は『アタリショックと任天堂』を執筆するに至った動機として、とあるブログの主張に疑問を感じことにあると述べている。書の中では(何故か)名が明かされていないが、これはゲーム史研究家のhally(田中治久)氏が

    書籍『アタリショックと任天堂』批判――「アタリショック捏造論」という妄想: Runner's High!
    k-takahashi
    k-takahashi 2021/04/11
    『著者の広田哲也氏は、hally氏および高橋健二氏の主張を正しく理解していない』『一部の言葉尻を捉えてありもしない捏造論を見出している』
  • ファミリーベーシックとAPPLE ][ | Colorful Pieces of Game

    マエガキ Ⅱではなく、IIでもなくあえて“APPLE ][“と表記しているのには理由がある。 最初期のAPPLE ⅡのⅡの表記は“][“だったのだ。 これを誰がやったのかはわからないが、BIOSを書いたのはウォズニアクなのが間違いないので”][“と書いたのはウォズなのだろう。 この表記は1980年ぐらいまでしか使われておらず、1981年のPRODOSあたりでは”II”と表記されている。 ついでに書くとAPPLE III時代の”IIe”なんかはAPPLE “///”に合わせて”//e”と表記されていたりもするのだけど、ともかく70年代はほぼ“][“と表記されている。 そして、これはそのオリジナル”APPLE ][“のそれもウォズニアクが書いたものに関係する話なので、”APPLE ][“と表記しているわけだ。 というわけで編。 ファミリーベーシック開発史・現在の決定版 『さよなら、ハドソン』

    k-takahashi
    k-takahashi 2021/03/15
    竹部さんはAPPLEIIを手に入れて、ウォズニアクのコードを読んでいた。そして多分いろいろプログラムも書いていた。だから6502は書けたので、ファミリーBASICを書くことになった』
  • 「助けてハドソン!」とマイク入力 | Colorful Pieces of Game

    そういえばハドソン伝説FC編読了したけど、マイク入力が逆転してても検知できるメソッド誰が思いついたのか、の疑問は掘られてなかったのう。時期的に竹部氏か菊田氏ということになるんだろうけど、ファミリーベーシックV3持ってねえから解析できねえのが痛い。 — ねずみのティム@目​指​せ​付​加​価​値​税​2​5​% (@Tim_SOURIS) February 6, 2021 で、これについて「ああそういえば」と思って、確認したところ答えがわかったので、ちょっと記事にしておきたい。 まずファミコンマイク反転問題について解説したい。 ファミコンの2コンのマイクはそもそも1ビットしか入力を持っておらずon/offの判定しかできない。 だから「助けてハドソーン!」と叫ぼうが、それともマイクを爪でこすろうが、ファミコンにとっては全く同じだ。 同じ理由で『たけしの挑戦状』で「ぽっぽっぽー♪」と一生懸命歌っ

    k-takahashi
    k-takahashi 2021/03/02
    『このマイクは重大な問題を抱えていた。それは普通は入力があったら1、入力がなければ0となっていそうなものだが、なんとファミコンのバージョンによって入力があったら0、入力がなかったら1』
  • どうしてハドソンはROMカートリッジを自社生産しなかったか? | Colorful Pieces of Game

    『ハドソン伝説』に関係して「どうして独自カートリッジを生産しなかったか理由が書いてありましたか」と「ファミコンの最初期から任天堂さんがサードパーティとの生産委託の契約書を持っていた」という、正直な話として、1983-84年当時のことをいろいろ勘違いされているなというツイートを見かけたので、ちょっとここに書いておきたい。 まず「ナムコは独自でROMを生産したのに、どうしてハドソンは独自で生産しなかったのか?」。 答えは簡単で、ナムコはすでにマニュファクチャとして基板を大量生産する能力があったけど、ハドソンにはなく、なおかつそんなことをする金もなかったから。 当時、つまり84年ごろのハドソンはせいぜい数十人しか社員がいない小さな会社で、83年時点で売り上げが全部合わせて20億程度。 ROMの生産委託の2億行かないぐらいの費用すら、集めた問屋の注文を銀行に見せて、ようやく融資してもらっているサイ

    k-takahashi
    k-takahashi 2021/02/16
    『ナムコは独自でROMを生産したのに、どうしてハドソンは独自で生産しなかったのか?』『ハドソンにはなく、なおかつそんなことをする金もなかったから』
  • PC88SR版の上海を作った人 | Colorful Pieces of Game

    ある日、facebookで、石川淳一さんから「上海ネタなので岩崎さんへw」というテキストと共に、PC88SR版の作者のW.TOCOMAさんのポストが僕のところに流されてきた。 一読して余りに面白かったのと、せっかくのゲーム史の1エピソードなのでブログに掲載してよいかお尋ねしたところ、W.TOCOMAさんに快諾していただき、こうして転載させていただけることになった。 ただし、今でも公表するのは微妙だと思った一部の金額や人名などは伏せさせていただき、打ち間違いと思われるところに修正を加えたこと、また当時の状況について、読者の皆さんがわからないと思うところに、僕から適時注釈を入れさせていただいたが、それ以外は、ほぼオリジナルそのままのテキストを掲載させていただいた。 今から約35年前の PC88SR版の『上海』の物語をお楽しみください。 PC88SR版上海制作物語 大学2年前の春休みに開発した商

    k-takahashi
    k-takahashi 2021/02/12
    『『上海』より前にパズルゲームが大ヒットした記憶はない。そして『上海』の大ヒットを受けて、パズルゲームのブームがやってくる』
  • 『迷宮組曲』・連射測定の謎を解く | Colorful Pieces of Game

    『迷宮組曲』にはちょっとしたオマケとして、タイトル画面で連射速度を測定できるようになっていた。 <キミの連射は秒速何発?> このソフトには、直接ゲームとは関係ないけれど、楽しいオマケ機能がついているんだ。それが連射測定機能だ。タイトル画面のときに、Aボタンを押すと測定機能が働きだす。それから10秒間は、キミの全パワーをAボタンにそそぎこむのだ。10秒以上連射すると、画面の中央上部にキミの10秒間の平均連射数が表示されるんだ。だから、その数字を10で割った数がキミの1秒間の発射回数になるわけだ。これでキミの連射スピードをはかることができるんだ。ちなみに高橋名人の連射速度は秒速16.2発。キミは、名人をこえることができるかな・・・・・・。 『ゲームの説明書』より 画面の上には数字が出るだけで、リセットボタンを押す以外には消す方法もないっぽい乱暴な機能だけど、まあ当時だからOKだ(リセット以外で

    k-takahashi
    k-takahashi 2021/02/06
    「当時のジョイカードのバラつきの下限が15.5連射程度だったとすると62Vぐらいで間に合う」「実際のソースコードでは COUNTTIME DW 62*10 みたいに定義」
  • 発掘,史上初の純国産ビデオゲーム! HITAC 10で開発され,1973年にお披露目されたゲームと,それが後年に与えた影響とは

    発掘,史上初の純国産ビデオゲーム! HITAC 10で開発され,1973年にお披露目されたゲームと,それが後年に与えた影響とは ライター:hally 12→ 1973年7月,一般的に“日初のビデオゲーム”とされるタイトーの「エレポン」や,セガ・エンタープライゼスの「ポントロン」が発売された。しかし,これらはあくまでAtariの「PONG」をコピーしたものであり,開発の面からすれば当の意味で“日初”であるとは言い難い。 では“日人が自ら考案・設計した最初のビデオゲーム”とは,いったい何なのだろうか? その答えが,意外なところで見つかった。調査によって,1973年の11月に,岩手大学の大学祭で「電子パチンコ」および「電子ボーリング」なるビデオゲームが,学術用ミニコンピュータ・HITAC 10をプラットフォームとして公開されていたことが明らかになったのだ。現在探しうるうちでは,これが恐ら

    発掘,史上初の純国産ビデオゲーム! HITAC 10で開発され,1973年にお披露目されたゲームと,それが後年に与えた影響とは
    k-takahashi
    k-takahashi 2021/01/21
    『日本人が自ら考案・設計した最初のビデオゲーム”とは,いったい何なのだろうか?』『1973年の11月に,岩手大学の大学祭で「電子パチンコ」および「電子ボーリング」』『HITAC 10をプラットフォームとして公開』
  • アクションRPGの始祖について|BEEP秋葉原

    新年あけましておめでとうございます。昨年はコロナ渦であるにもかかわらず、お店に足を運んでいただき誠にありがとうございました。年もどうぞよろしくお願いいたします。 さて昨年、BEEPにPCゲームに関する歴史をまとめたを探しに来店されたお客様(メスネル氏)との、ちょっとした出会いをブログにして頂き、さらにそのブログが日語化され、一部で話題となっていましたので、今更ではありますが自分の視点も一緒に載せておこうと思います。 まだ記事を読んでいない方は、是非読んでみてください。 原文 https://medium.com/@obskyr/the-secret-origin-of-the-action-rpg-254a180079dd 日語の要約 https://gigazine.net/news/20200816-action-rpg-history/ 休憩から帰ってきたところ「アクションR

    アクションRPGの始祖について|BEEP秋葉原
  • 日本のPBM(プレイバイメール)文化のアーカイブ保存を目的としたNPO「日本PBMアーカイブス」が発足

    のPBM(プレイバイメール)文化アーカイブ保存を目的としたNPO「日PBMアーカイブス」が発足 編集部:簗島 日(2021年1月5日),日の商業PBM(プレイバイメール)文化アーカイブ保存を目的としたNPO法人「日PBMアーカイブス」が発足した。 1988年にゲーム会社「遊演体」が,郵便(手紙)を用いて遠隔地のプレイヤー同士がプレイできる「ネットゲーム‘88」というゲームを生み出した。やり取りの手段は郵便だったが,数百人から数千のプレイヤーが1つの仮想世界でプレイできたため,当初は「ネットゲーム」と呼ばれていたという。後に電子ネットワークを使ったゲームが登場し,それらのゲームとは区別されて,PBM(プレイバイメール)と呼称されるようになった。 その後も第2弾となる「蓬莱学園の冒険!」や,ゲーム会社「ホビー・データ」の「クレギオン#1 遥かなるアーケイディア」をはじめ,さまざ

    k-takahashi
    k-takahashi 2021/01/06
    『日本の商業PBM(プレイバイメール)文化のアーカイブ保存を目的としたNPO法人「日本PBMアーカイブス」が発足』
  • 1990年代のエロゲー業界漫画『16bitセンセーション』はいかにして生まれた? 作者・若木民喜、原案・みつみ美里&甘露樹に直撃 | ゲーム・エンタメ最新情報のファミ通.com

    『16bitセンセーション 私とみんなが作った美少女ゲーム』1巻 Kindle版の購入はこちら(Amazon.co.jp) 主人公の上原メイ子はPCショップでのアルバイト中に、店長に頼まれ店舗の2階へと上がる。部屋にはデスクPCが並び、なにやらカタカタと作業中。そこは、(成人向け)PCゲームメーカー“アルコールソフト”の開発室だったのだ! 絵が描けるメイ子はその腕前を買われ、しだいにグラフィッカーとしてゲームづくりに加わることになっていく……そんなあらすじの作は、エロゲーメーカーのゲームづくりや葛藤をコミカルに描きつつ、1990年代のオタクカルチャーも回顧させる絶妙な臨場感が心地よい内容です。これがまた、おもしろい作を描くのは、自身もPCゲームに造詣が深いマンガ家・若木民喜氏と、『うたわれるもの』シリーズでキャラクターデザインやイラストを手掛ける美少女ゲーム界のレジェンドクリエイ

    1990年代のエロゲー業界漫画『16bitセンセーション』はいかにして生まれた? 作者・若木民喜、原案・みつみ美里&甘露樹に直撃 | ゲーム・エンタメ最新情報のファミ通.com
    k-takahashi
    k-takahashi 2020/12/28
    『『16bitセンセーション』がおもしろいのは、作っている3人は同年代なのに、片方は発信側(ゲーム開発者)、もう片方はプレイヤーというところです』
  • 「煙草は体に悪い」という認識はいつ頃からあったのか知りたい。 | レファレンス協同データベース

    1604年にイングランドのジェームズ1世が唱えた「タバコ排撃論」が、調査した中では最も古い事例であった。 この他、1928年にイギリスで発表された「紙巻たばこが肺癌の原因になる」という論文や、1939年に西ドイツで「ヘビースモーカーに肺がん患者が多い」という報告について紹介した資料がある。 また、日において喫煙と健康の関係についての記述がなされたのは、1713年に貝原益軒の著した『養生訓』が最初のものであるとした資料があった。 千葉市図書館所蔵資料の中から、「たばこ」に関する資料を調査した。 自館OPACで件名検索。キーワード「禁煙」「喫煙」[1]『喫煙と健康 喫煙と健康問題に関する報告書』(厚生省/編 健康・体力づくり事業財団 1987) 第1章の「1.歴史的背景」のなかで、明治~昭和(戦後)にかけての日の喫煙対策について解説されている(3~6ページ)。 「わが国における喫煙と健康に

    「煙草は体に悪い」という認識はいつ頃からあったのか知りたい。 | レファレンス協同データベース
    k-takahashi
    k-takahashi 2020/12/18
    『「煙草は体に悪い」という認識はいつ頃からあったのか知りたい』 『回答(Answer)1604年にイングランドのジェームズ1世が唱えた「タバコ排撃論」が、調査した中では最も古い事例であった』
  • “PC”の定義は何か まずはIBM PC登場以前のお話から

    PC”の定義は何か まずはIBM PC登場以前のお話から:新連載「“PC”あるいは“Personal Computer”と呼ばれるもの、その変遷を辿る」(1/3 ページ) 昔ながらのIBM PCPC/AT互換機からDOS/Vマシン、さらにはArmベースのWindows PC、M1 Mac、そしてラズパイまでがPCと呼ばれている昨今。その源流からたどっていく必要があると思い、コンピュータの歴史ならこの人、ということで大原雄介さんにまた登場いただいた。1年たっぷりかけての長期連載になる予定だ。 “PC”、あるいは“Personal Computer”と呼ばれるものの定義は当初から曖昧であり、現在も曖昧なままである。 多分この記事をお読みの読者の少なくない方が「Windowsが動く、x86/x64ベースのマシンのことをPCと呼ぶ」という意見に同意されると思う。注意してほしいのだが別に筆者は「

    “PC”の定義は何か まずはIBM PC登場以前のお話から
    k-takahashi
    k-takahashi 2020/11/20
    『PCと呼ばれるモノの対象は、時代に合わせて変遷していっている。その背景にあるのは、技術の進歩と、特にソフトウェア環境の変化』
  • ファイアの魔法と橋本さん | Colorful Pieces of Game

    これまたイース通史に書き忘れ、PLUSでも書き忘れてしまった話なので、以下に収録。 何かのチャンスがあったら、どこかに収録したい。 ALUをフル使用しているのはスクロールの方で、合成じゃないですよと教えられたので、以下の計算は「だいたい間違っていた」のでいったん取り消し。間違いなく正しいところだけを残しておく ALUをフルに駆使することによって『ロマンシア』・『イース』・『ソーサリアン』・『イースⅡ』と、約1年の間、技術的なアドバンテージを得て、圧倒的な評価を受けることになる。 ではイースエンジンはいくつのソフトスプライトが表示可能だったのか? 3つだ。 PC88版では動かないキャラはBGを扱うマップチップ側置かれているが、PCエンジン版ではスプライトになっていて、動かせるが動かしていないが正しい。 パレットの都合もあるし、ゲームの状態ではPC88と比較してPCエンジンではVRAMには全く

    k-takahashi
    k-takahashi 2020/11/01
    『表示されない余りVRAM領域でALU合成をすることで高速なソフトスプライトを実現したのが、多分なのだけど『ロマンシア』』 『橋本さんは色々改善して『イースⅠ』で全画面高速スクロールを実現』
  • http://www.nids.mod.go.jp/publication/commentary/pdf/commentary139.pdf

    k-takahashi
    k-takahashi 2020/10/23
    『一般性を持つ海軍ウォーゲームを通じて、諸外国の海軍将校たちのプレーの仕方から外国海軍の「戦い方」、即ち戦略・戦術的傾向を読み取ろうとしていた点は、インテリジェンスの観点から示唆的』
  • A Precursor to the Chainmail Fantasy Supplement

    k-takahashi
    k-takahashi 2020/10/19
    『Patt’s system shows us the first fantasy game with heroes, dragons, orcs, ents, and wizards who cast fireballs at enemies, though his contribution today goes entirely unacknowledged』